南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  その他
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昨年5月に放映されたNHKBS世界のドキュメンタリー「ヴィスコンティ VS フェリーニ」。
後日に存在を知り、先日の再放送を視聴した。
陶酔と快楽に満ちた過ぎ去りし美しい日々を思い出させた50分だった。

私は20代に、両者の作品のほとんどを映画舘で見た。
ヴィスコンティは既に亡くなっていたが、岩波ホールが次々に上映をしていた時期だった。

フェリーニとヴィスコンティの活動時期がほぼ同じであることは「知識としては」持っていた。
しかし製作・公開のリアルタイムには居合わせず、後の時代に後付で追っていたから、実感がなかった。

生前の2人がイタリア国内で激烈なライバル関係にあり、作品の公開の度に、人気・評価を競って火花を散らしていた、という描写は、今回の番組で初めて目にしたように思う。

1954年 「夏の嵐」 VS 「道」
1957年 「白夜」 VS 「カビリアの夜」
1960年 「若者のすべて」 VS 「甘い生活」
1963年 「山猫」 VS 「8 1/2」
1969年 「地獄に堕ちた勇者ども」 VS 「サテリコン」
1973年 「ルードウィヒ」 VS 「フェリーニのローマ」「フェリーニのアマルコルド」

この勝負のラインナップに、目が眩みそうになった。
これらの作品が、イタリア国内で同じシーズンに公開されて、世の注目と話題を集めていたとは。
想像すると、興奮で眠れなくなりそう。
なんという輝かしい時代があったのだろう。

  ◆

当時の私の趣味は、ヴィスコンティ>フェリーニだったが、フェリーニの新作も公開されれば必ず見に行っていた。

そのため、実物ご本人の姿を見る機会に恵まれた。
「ボイス・オブ・ムーン」の日本公開の際に、来日した。

今のようにネットで情報が駆け巡る時代ではないので、来日のことは知らずに日比谷のシャンテに見に出掛けたら、表に、本日の最終回の前に舞台挨拶がある、という告知が出ていた。
折角だから、と予定のスケジュールを変更し、他の映画を先に見ることにして、出直した。

話の内容は覚えていない。
記憶に残っているのは、夫人のジュリエッタ・マシーナが一緒で、2人に目を凝らしたこと、客席後方のみならず両側の壁際まで立ち見の観客でびっしりと埋めつくされていたこと。

フェリーニは、その3年後の1993年に亡くなった。

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Category :  社会
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この先、元号を、社会で日常的に使用するのは止めてほしい。

「制定すること」に対して反対はしない。
伝統ある文化であるという意見に反駁してやるという元気はない。

ちなみに、元号法の条文は以下。これだけしか書いてない。

  ◎元号法

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
   附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。


もし、日本国民の大半が「使用を希望する」のであれば、仕方ないので引き下がるが、その場合はせめて、次の切り替えは、2021年にしていただきたい

2021年なら、西暦への換算の負担が、その前後よりはましになる。

「新元号年+2020=西暦年」でOK。

昭和→西暦は、「+1925」
平成→西暦は、「+1988」

政府が2019年(平成30年)での改元を検討しているとの記事が出たが、勘弁してほしい。

2019年では、次の元号の西暦換算は「+2018」。
キリが悪い。

異なる元号間の期間の計算をする必要があるときの暗算が面倒なことおびただしい。

社会を動かす担い手の働き盛りの年代の人々は、「元号の不便さは些細なことで、無視できるもの」とみなすだろう。
知的能力がピークにある彼等自身は、さしたる不便を感じないから、そうなる。

彼等は、「老化がもたらす知的能力の低下」を、考慮していない。

60歳を過ぎる頃から、人の認知機能は「全体として」低下していく。
個体差はある。だが、「全体の傾向」として低下していくことに疑いを差し挟む余地はない。

若い人にとっては「たかが元号の換算」でも、年寄りには違う。
間違う。


ここに、一枚の古い賃貸借契約書がある。

第二条 賃貸借の期間は平成元年弐月壱日から平成参拾年壱月参拾壱日までの参拾年間とします。


この条文を一読し、問題点を指摘できた方、手を挙げてください。

この契約の対応の役目を負った私は、数人に読ませて試してみたが、一読して気づいた人はゼロだった。
私自身は一目で「なんだこれは」と舌打ちしたが、そういう人間が多数ではないのが現実なのである。


これから日本の社会は、超高齢化が進行していく。
昭和生まれで、3つの元号を生きてきた人々が大量に生き残っている社会になる。

私は、自分もその1人で、時間の経過と共に認知機能が徐々に低下し、正しい判断をすることができなくなっていく未来を、ありありと思い描いている。

今は間違えないことを、「間違える」ようになる。否応無しに。



*賃貸借契約書の間違い*

平成元年から30年間なら、平成30年ではなく平成31年までである。
「元年」は「1年」だが、「1」の数字が現れないため、「ゼロ年」という勘違いを起こし、30年後は平成30年と間違えた、と推測するのが妥当ではないか。

「元号でなく西暦を使用していれば」発生していないミスとみなしてよかろう。

西暦なら単純に30足せばいいだけで、間違いようがあるまい。

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日中に起こった出来事の不愉快な気分を引きずったまま夜中になってしまったので、着替えてベッドに入ると、横になって目を閉じる前に、長田弘の詩集を開く。

すると心が鎮まり、眠りに向かうことができる。

世界はうつくしいと世界はうつくしいと
長田 弘

みすず書房 2009-04-24
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   なくてはならないもの

 なくてはならないものの話をしよう。
 なくてはならないものなんてない。
 いつもずっと、そう思ってきた。
 所有できるものはいつか失われる。
 なくてはならないものは、けっして
 所有することのできないものだけなのだと。
 日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
 草。水。土。雨。日の光。猫。
 石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
 何一つ、わたしのものはない。
 空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
 川面の輝き。葉の繁り。樹影。
 夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
 特別のものなんてない。大切にしたい
 (ありふれた)ものがあるだけだ。
 素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
 真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
 「風と砂塵のほかに、何も残らない」
 砂漠の歴史の書には、そう記されている。
 「すべて人の子はただ死ぬためにのみ
 この世に生まれる。
 人はこちらの扉から入って、
 あちらの扉から出てゆく。
 人の呼吸の数は運命によって数えられている」
 この世に在ることは、切ないのだ。
 そうであればこそ、戦争を求めるものは、
 なによりも日々の穏やかさを恐れる。
 平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
 本を閉じて、目を瞑る。
 おやすみなさい。すると、
 暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

 
長田弘の詩は、ごく最近知った。
私は詩を読む習慣を持たない。
書籍の中で引用されていたものに目が止まった。

表紙とページの中に登場するミミズクは、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵だという。
この作品は今まで知らなかった。

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逮捕されたらこうなります!逮捕されたらこうなります!
Satoki 國部 徹

自由国民社 2013-06-27
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先日、借金を申し込んできた某との会話の後、頭に浮かんだ。

「今現在のイヤな思いから逃れたいがために、将来確実にやってくる破綻を無視するのか、この人は。
こういうパーソナリティの人は、事件の容疑者になって、警察に引っ張られ、厳しく取調べされたら、やってもいない犯罪を、やりました、と簡単に言うぞ。

将来自分が蒙る不利益を考慮して現在の苦痛に耐える、という理性的な行動をできないのだから。

今の苦痛から逃れることが優先で、先のことを考えない。思考停止する。
これでは、自白を引き出そうとギューギューに締め上げる警察にかかったら、イチコロだ。赤子の手を捻るに等しい。
早く家に帰りたい、という思いで、警察の言いなりで供述するだろう。

つまり、冤罪は、必ず起こる。

ゾッとしたが、次いで、「まてよ。他人を見下して偉そうに言うが、自分は大丈夫だと言い切れるか?」

わが身を振返って疑いが湧き、「取調べに屈せず、冤罪から身を守る策」の知識を探し、本書をみつけて、読んだ。

★読み終わったときの感想

「う~~
厳しい。相当厳しい。
こういう本で知識を仕入れておいても、本当に逮捕されて取調べされたら、最後まで屈せず、容疑を否定し通せると言い切る自信なんかない。
よくよく強く心を持っていないと危ない」



どんよりしてしまったが、気を取り直す。

★最低限覚えておくこと

1.逮捕されたら、とにもかくにも、まず弁護士を呼ぶ

容疑に覚えがなく、否認する=「警察と闘う」なら、弁護士なしではどうにもならない。
知り合いに弁護士がいなくても大丈夫。
いたとしても、民事が専門で刑事に疎い人では役に立たないので同じこと。

どうするかといえば、日弁連が作ってくれた当番弁護士という制度を使う。
「当番弁護士を呼んで下さい」
警察の捜査官にそう言えばOK。

24時間以内に来てくれることになっている。(半日程度過ぎる場合もある)
72時間以内は、家族や知人は接見不可で、唯一会えるのが弁護士。
  
当番弁護士との接見は無料だが、1回だけ。
この人の印象が悪くなく、頼れると思ったら、今後も続けることを頼む。
ソリが合わず、他の人にしたかったら、日弁連に斡旋を依頼して、派遣してもらう。
    
2.弁護士を信頼し、しっかり相談し、アドバイスに従え

此方を犯罪者と思い込み、容疑を認めさせるために違法ギリギリ、人権無視、あらゆる手を使う警察のプロ集団に対抗するのに、頼りにできる唯一のプロの味方が弁護士。

どのように対応すればよいかを教えてくれるので、「弁護士と話すまでは取り調べに応じられません」と黙秘するのは、ひとつの手。

弁護士と話す前、法的知識が何もない状態で取り調べを受けると、警察の手管にのせられて、不利な供述調書を取られてしまう危険があるから。

3.供述調書は、決して妥協しない

供述調書に、容疑を認めた旨が記録され、署名・押印してしまったら、あとになって、違います、やってません、と主張しても手遅れ。自白した、とみなされる。

被疑者が全く言ってもいないことや、有罪をほのめかすように受け取れる、「嘘の供述調書」を、警察は平気で作る。
そういうことをすると頭に置き、署名する前に、一言一句、徹底的にチェックする。

「自分は、こんなこと喋ってない」と納得できない箇所は、書き直しを要求する。
「このくらいはいいか」の妥協は絶対ダメ。
「書き直してくれなければ、署名しません」とつっぱねる。

自分に不利な供述調書は、1本たりとも作らせない、という信念を持つ。
ここが、大きな勝負所。

4.拘束は原則最長23日、ただし再逮捕を覚悟せよ

1回の逮捕で警察に拘束されるのは、原則、最長23日間
容疑を否認した場合はマックスで拘束されると覚悟して、耐える。

ただし、複数の容疑をかけ、複数の逮捕状を取れた場合は、「再逮捕」の可能性がある。
拘留満期日に釈放手続を終えた直後、「また逮捕状が出ています」と新しい逮捕状を突きつけて、再逮捕する。

一旦自由になれると思った被疑者に、また最長23日の拘留が始まってしまうというのは精神的にダメージで、最初の逮捕拘留中は懸命に容疑を否認していた被疑者でも、この再逮捕攻撃で心が折れてしまい、シャバに帰りたいと、やってもいない容疑を認めてしまった人もいる。

再逮捕攻撃の対抗策は、「あらかじめ再逮捕を覚悟しておくこと」。



自分や身近な人が逮捕される可能性は低いであろうが、本1冊読むのにさしたる時間はかからない。
知識があるとないで大違いなのは間違いない。

私を含め、刑事事件に巻き込まれてしまった人の多くは、逮捕から起訴までの刑事手続に関して
「前もって知っていれば、こんな目には遭わなかった」
と痛感する人ばかりで、我々一般市民にできることは、万が一、間違って逮捕されちゃったときに、”警察や検察のカモにされないよう、最低限のルールを知っておく”ことです。


堅苦しくなく、ユーモアを交えた読みやすい本なので、一読をお勧めする。

Category :  自転車
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シュレク兄弟の映画「The Road Uphill (ロード・アップヒル)」を視聴した。
6月のフィルムセンターでの上映を見逃し、今頃になった。

寂寥感と表現したくなるような、淡々とした描写だった。
そう感じたのは、レース(2011年TDF)の結果(敗北)と、彼らのその後のキャリアの顛末を知っているからか。

そうではなく、自転車ロードレースの映像作品は概ねこういう雰囲気だったろうか。
長く見ていないので忘れてしまった。

内容に、目新しく感じた点はない。
2011年末のルクセンブルクでの公開時に見ていたら、自分の事実認識や解釈の材料として用いたろう。
が、今になると、もはやあれこれと考える意欲はない。

最も印象に残ったのは、アンディの話すときの、穏やかな佇まいだった。

シーンは製作者がセレクトしたものだから、たまたまという見方もできる。
しかし思い起こせば、10代の頃から、飄々あるいは悠然、といった表現をされる人だった。
その後、数え切れないほど映像を見てきたのに、なぜ、「今更」改めて感じ入ったのだろう。

「この映像作品を見るにあたって私の内にあった望みは、そういう彼の姿だった」
ことを意味するのか?

Of course in the coming years, I will try everything to win.
But one day,when I stop cycling, who knows when that will be,
and I never won the Tour, It won't make me an unhappy person.
     ・
     ・
You don't always have to win.
You can't always win.


製作者は、作品の最後に、アンディの上記のセリフを置いた。

このとき、彼が3年後にツール未勝利のままキャリアを終わる未来を知っていた者はいない。

しかし、彼の言動を数年間追い、彼のパーソナリティを知る人間には、言われなくても、とうに判っていた。
ツールで一度も勝つことなくキャリアを終えたとしても、それによって彼が不幸になることはない。

「チャンピオンの器」のアスリートたちをずっと見てきた私には、彼がその範疇に入る選手でないことは最初から認識できた。
だから、残念と惜しむ気持ちもない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

総括をするなら、彼は、とても恵まれて、幸せな選手だった、と思う。
キャリアの最後の時期を除けば、ずっと幸福だった、と呼んでよい。

2009年シーズンから後は、「1年のうち、まともに仕事をするのは、ツールの1ヶ月間だけ」といって過言でない暮らし方をしていた。
シーズン前半はコンディションが悪く、途中で帰ること多々。戦績はさっぱり。
「ツールに間に合えばいい」の一言で片付け、ツールを大活躍して終わると、その後は予定をキャンセルしまくり、実質的にツールでシーズン終了。

そういう、責任を背負わず気侭に振舞う特別待遇を、チームから認められていた。
具体的には、ボスのビャルヌ・リースは、それを許していた。

それ以上に、彼にとって幸せだったのは、強い信頼で結ばれた仲間たちに囲まれてレースをできたことではなかったか。

チーム・CSC(サクソバンク)で出会った数人の選手たちは、とても仲良くなり、強固に結束したグループを作り上げた。
彼は、そのグループの一員だった。

実のところ、彼等の関係を私が理解するまでには時間がかかった。
完全に吞み込んだのは、レオパード・トレック発足後になる。

“I would just love to keep this group of people together because I love them, I trust them, I like to work with them.”(フォイクト)

「真の信頼で結ばれた人間関係を持つこと」は、人が幸福になる重要な要件だ。
ミヒャエルも、ロス・ブラウンとジャン・トッドという、深い信頼と尊敬と愛情で結ばれる相手と巡り合った。
この2人は、今も変わらぬ「友人」で、多分、現在のミヒャエルの状態を知っている。知っていて、決して口外しない。
そうなのだろう、と私は思っている。

ファンが、アスリートに対して、キャリアの最後の時期を幸せに過ごしてほしいと望むのは、贅沢だ。
満ち足りて幸せな状態であれば、競技を止める理由がない。
競技力の低下や、その他何等かの要因によってモチベーションがなくなるから、止めることを決める。

競技力がまだ高いうちに引退すると、未練が残って、復帰したいという欲望を招く。
復帰した場合、大抵は、思ったようにうまくはいかない。

最後は、「現実を受容」して、ようやく退く。
このとき、心の底から、「勝てなくなった自分」を受容できる人もいれば、できずにいる人もいる。

・・・・・・・・・・

私の記憶に残るアンディの姿は、兄を引き連れて、山を登る姿だ。

ふきすさぶ強風をものともせず、長い坂道を上っていく。

駆け引きは不得手。
得意なのは、長く厳しい上り坂を、誰の後ろにもつかず、風を受け、顔を上げて、ペダルを踏み、前へ進んでいくこと。

それができれば、充足することができた。
高い目標を達成したいとか偉大な選手になりたいとか、そういう種類の欲望には無縁だった。

私が好きになった最後のアスリートは、そういう人だった。