南の国の太陽、空の色の獅子

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ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ダニエル・カーネマン 村井章子

早川書房 2014-06-20
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放送大学の「認知心理学」「錯覚の科学」の講義を視聴後、参考文献にとりかかった。

面白いのなんの。
絵に描いたような「一次文献に当たるのは必須です」。

何らかの情報に接したとき、ぱっと頭に浮かんだ感情や考え(=直感)の中に「間違い」は多く、時間をかけて材料を集めて検討すると、最初の判断を翻すことは普通にある。
改めて指摘されなくても経験則で知っている。

だから、例えば私はインターネットで情報・発言を読んだとき、即座に反応を書き込むことはしない。

とりわけ「感情的な反応」はNGで、「一晩おいて頭を冷やす」のが鉄則。
これは、自分がパソコン通信からインターネットへ移行した頃(1996~7年頃)、「インターネットのルールやマナーのひとつ」として流布していて、納得して採用してきた。

と、多少判っていたつもりでいたが、本書を読み、「直感」のエラーっぷりの凄まじさ、それに気づかぬ自信過剰の凄まじさ、自分もこれから逃れてはいないという現実を悟って茫然自失、頭を抱える。

そうなのだ。じっくり考えるのは疲れる。
できれば考えずに済ませたい。楽な方に逃げる。

人間はそういうものなんだから、別にいいじゃん、と開き直ってすませる手もある。
しかし、本書を読んだ以上、読む前には戻れない。

考えるのは疲れるし、自分の愚かさや傲慢さや下劣さを認めるのもしんどいが、できる範囲の努力をしてみよう。

*読んだのはまだ上巻のみ、下巻はこれから。
上巻の内容 : 思考の二つのシステム、ヒューリスティクスとバイアス、自信過剰
下巻の内容 : プロスペクト理論、フレーミング効果 等

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日本会議をめぐる四つの対話日本会議をめぐる四つの対話
菅野 完 村上 正邦 魚住 昭 横山 孝平 白井 聡

ケイアンドケイプレス 2016-12-11
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日本会議の研究 (扶桑社新書)」の補遺として読んでおくといい本。
菅野氏と、白井聡、村上正邦、横山孝平、魚住昭との対談集。

前作は、「今まで誰も書かなかった」事実を暴いた野心的な著作で、ベストセラーになり、価値が高いことに疑いはない。
ただ、評価・解釈の面での記述は、些か「視野が狭い」印象を受けた。

その点を、本書において魚住昭が指摘している。

日本会議や谷口雅春さんにしても、そうした長い歴史の中に位置づけた上で、様々な角度から総合的な見方をした方がいいと思うんです。だから、僕は「日本会議の研究」はとてもいい本だと思うし、すごく評価しているんだけども、見方がちょっと一面的なところがあるな、と。そこがある種、あの本の欠点だなと。それは今後気をつけてほしいなと思ったんです。


4人は、それぞれ立ち位置も主義主張も異なる人物で、結果、幅広い話題・見解が一冊の本の中に収まることになった。
ちなみに私は、横山孝平なる人物は初耳だった。
なにせ民族派という単語の意味を理解していない。条件反射的に無視して近寄らない範疇。
章の最後に、楠公祭における「祈願詞」が掲載されているのだが、これと白井聡が同じ本の中に入っているのはキツネに化かされたようだった。

Category :  その他
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昨年5月に放映されたNHKBS世界のドキュメンタリー「ヴィスコンティ VS フェリーニ」。
後日に存在を知り、先日の再放送を視聴した。
陶酔と快楽に満ちた過ぎ去りし美しい日々を思い出させた50分だった。

私は20代に、両者の作品のほとんどを映画舘で見た。
ヴィスコンティは既に亡くなっていたが、岩波ホールが次々に上映をしていた時期だった。

フェリーニとヴィスコンティの活動時期がほぼ同じであることは「知識としては」持っていた。
しかし製作・公開のリアルタイムには居合わせず、後の時代に後付で追っていたから、実感がなかった。

生前の2人がイタリア国内で激烈なライバル関係にあり、作品の公開の度に、人気・評価を競って火花を散らしていた、という描写は、今回の番組で初めて目にしたように思う。

1954年 「夏の嵐」 VS 「道」
1957年 「白夜」 VS 「カビリアの夜」
1960年 「若者のすべて」 VS 「甘い生活」
1963年 「山猫」 VS 「8 1/2」
1969年 「地獄に堕ちた勇者ども」 VS 「サテリコン」
1973年 「ルードウィヒ」 VS 「フェリーニのローマ」「フェリーニのアマルコルド」

この勝負のラインナップに、目が眩みそうになった。
これらの作品が、イタリア国内で同じシーズンに公開されて、世の注目と話題を集めていたとは。
想像すると、興奮で眠れなくなりそう。
なんという輝かしい時代があったのだろう。

  ◆

当時の私の趣味は、ヴィスコンティ>フェリーニだったが、フェリーニの新作も公開されれば必ず見に行っていた。

そのため、実物ご本人の姿を見る機会に恵まれた。
「ボイス・オブ・ムーン」の日本公開の際に、来日した。

今のようにネットで情報が駆け巡る時代ではないので、来日のことは知らずに日比谷のシャンテに見に出掛けたら、表に、本日の最終回の前に舞台挨拶がある、という告知が出ていた。
折角だから、と予定のスケジュールを変更し、他の映画を先に見ることにして、出直した。

話の内容は覚えていない。
記憶に残っているのは、夫人のジュリエッタ・マシーナが一緒で、2人に目を凝らしたこと、客席後方のみならず両側の壁際まで立ち見の観客でびっしりと埋めつくされていたこと。

フェリーニは、その3年後の1993年に亡くなった。

RIMG3706-01.jpg


Category :  社会
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この先、元号を、社会で日常的に使用するのは止めてほしい。

「制定すること」に対して反対はしない。
伝統ある文化であるという意見に反駁してやるという元気はない。

ちなみに、元号法の条文は以下。これだけしか書いてない。

  ◎元号法

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
   附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。


もし、日本国民の大半が「使用を希望する」のであれば、仕方ないので引き下がるが、その場合はせめて、次の切り替えは、2021年にしていただきたい

2021年なら、西暦への換算の負担が、その前後よりはましになる。

「新元号年+2020=西暦年」でOK。

昭和→西暦は、「+1925」
平成→西暦は、「+1988」

政府が2019年(平成30年)での改元を検討しているとの記事が出たが、勘弁してほしい。

2019年では、次の元号の西暦換算は「+2018」。
キリが悪い。

異なる元号間の期間の計算をする必要があるときの暗算が面倒なことおびただしい。

社会を動かす担い手の働き盛りの年代の人々は、「元号の不便さは些細なことで、無視できるもの」とみなすだろう。
知的能力がピークにある彼等自身は、さしたる不便を感じないから、そうなる。

彼等は、「老化がもたらす知的能力の低下」を、考慮していない。

60歳を過ぎる頃から、人の認知機能は「全体として」低下していく。
個体差はある。だが、「全体の傾向」として低下していくことに疑いを差し挟む余地はない。

若い人にとっては「たかが元号の換算」でも、年寄りには違う。
間違う。


ここに、一枚の古い賃貸借契約書がある。

第二条 賃貸借の期間は平成元年弐月壱日から平成参拾年壱月参拾壱日までの参拾年間とします。


この条文を一読し、問題点を指摘できた方、手を挙げてください。

この契約の対応の役目を負った私は、数人に読ませて試してみたが、一読して気づいた人はゼロだった。
私自身は一目で「なんだこれは」と舌打ちしたが、そういう人間が多数ではないのが現実なのである。


これから日本の社会は、超高齢化が進行していく。
昭和生まれで、3つの元号を生きてきた人々が大量に生き残っている社会になる。

私は、自分もその1人で、時間の経過と共に認知機能が徐々に低下し、正しい判断をすることができなくなっていく未来を、ありありと思い描いている。

今は間違えないことを、「間違える」ようになる。否応無しに。



*賃貸借契約書の間違い*

平成元年から30年間なら、平成30年ではなく平成31年までである。
「元年」は「1年」だが、「1」の数字が現れないため、「ゼロ年」という勘違いを起こし、30年後は平成30年と間違えた、と推測するのが妥当ではないか。

「元号でなく西暦を使用していれば」発生していないミスとみなしてよかろう。

西暦なら単純に30足せばいいだけで、間違いようがあるまい。

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日中に起こった出来事の不愉快な気分を引きずったまま夜中になってしまったので、着替えてベッドに入ると、横になって目を閉じる前に、長田弘の詩集を開く。

すると心が鎮まり、眠りに向かうことができる。

世界はうつくしいと世界はうつくしいと
長田 弘

みすず書房 2009-04-24
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   なくてはならないもの

 なくてはならないものの話をしよう。
 なくてはならないものなんてない。
 いつもずっと、そう思ってきた。
 所有できるものはいつか失われる。
 なくてはならないものは、けっして
 所有することのできないものだけなのだと。
 日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
 草。水。土。雨。日の光。猫。
 石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
 何一つ、わたしのものはない。
 空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
 川面の輝き。葉の繁り。樹影。
 夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
 特別のものなんてない。大切にしたい
 (ありふれた)ものがあるだけだ。
 素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
 真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
 「風と砂塵のほかに、何も残らない」
 砂漠の歴史の書には、そう記されている。
 「すべて人の子はただ死ぬためにのみ
 この世に生まれる。
 人はこちらの扉から入って、
 あちらの扉から出てゆく。
 人の呼吸の数は運命によって数えられている」
 この世に在ることは、切ないのだ。
 そうであればこそ、戦争を求めるものは、
 なによりも日々の穏やかさを恐れる。
 平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
 本を閉じて、目を瞑る。
 おやすみなさい。すると、
 暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

 
長田弘の詩は、ごく最近知った。
私は詩を読む習慣を持たない。
書籍の中で引用されていたものに目が止まった。

表紙とページの中に登場するミミズクは、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵だという。
この作品は今まで知らなかった。

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