南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  自転車
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ジロ・デ・イタリア出場中の事故死は、津波にさらわれるよりも、人生の終わり方として、いい。遥かにいい。

3月11日より前の自分であれば、レオパード・トレックと自転車ロードレース界のためにもっと深く悲しんだだろう。
ウェイラントのご家族、親しい人々、チームの悲しみと痛手を想像し理解することはできる。
だが、今、私の国には、抗うことのできぬ自然の猛威によって家族や大切な人を失った数多くの人々がいる。今も行方の知れない子や孫の姿を探し求める人々がいる。

20代の若い選手たちが同僚の死から受けるダメージが大きいことは十分承知している。だが、他者の死は、若者が成長していく過程で必然的に遭遇する経験だ。
人は、「大切なものを失う」苦しみを克服して生きていく。

私は、自転車ロードレースで選手が死亡する可能性を、日々明確に認識している。この感覚は、自動車レースの観戦で培われたものだと思う。自動車(4輪・2輪)レースでは、いつ誰が死んでも不思議はない。レースにおける事故死は、選手も、我々観客も、「負わなければならないリスク」と思っている。
私の目には、F1より、自転車ロードレースの方が、リスクが大きい競技に映った。生身をさらして走るし、安全性が管理されたクローズドのサーキットではなく、公道を走るから。

若者たちは、困難を乗り越える力を持っている。高齢になると、大切なものを失った打撃から立ち直ることは極めて困難だが、若者にはできる。
今は、悲しむだけ悲しんで、それから、レースに戻ってくればいい。

(レオパード・トレックのジロ撤退の報を読んで、「自転車ロードレースファン」である以前に「日本人」である自分の思ったこと)
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