南の国の太陽、空の色の獅子

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現状を、旧日本軍とか関東軍とか二百三高地とか戦時中に喩える文章は、今やそこら中に溢れている。ごく一部の人間の思いつきではない。

ことの本質は、原発の安全性の実現は技術的に可能かそうでないかといった話ではなくて、「日本人というものがどういうものか」の理解の仕方、ではないだろうか。

何を言いたいかというと、「非常に優秀な」技術者たちが存在していようとも、原発を現実に「運用する」のは、別の人間たちである、ということ。
彼等が、どういう組織でもって、どう運用するか、にかかっていて、その部分が、日本では「まったくあてにならない」から、危なくてアカンのじゃないの。・・乱暴にいうと、こういう話。

私は「日本の技術は世界一」といった類は全く思ったことがないが、ここは譲って、技術力は高いとしよう。
でも、東電のこれまでの原発の管理・運営は、どうみても、「メタクソ」だ。
事故の隠蔽、データ・検査の捏造、改ざん、長年に渡る不正行為の数々が明らかになっている。

技術屋さん個人個人が、どれほど優秀で、真面目に頑張っても、これではどうしようもないでしょ。
優秀で誠実な皆様方が、責任もって、未来永劫、安全に管理運営しますというなら別だけど(原発本体も使用済燃料も、半永久的に管理が必要な厄介な代物)、そんなことはできないんだから。

「将来に渡って、責任持って、きちんと」原発の運用をする組織と人が、日本のどこに存在するんですか。

十分な信用に値する組織を作って、管理運営することが、日本人にできると思う?
この国で、「チェック機能」が健全に働いたためしがあったっけ?

電力会社と行政組織との癒着の構造を修正して、安全管理が機能する組織を、誰が構築して、誰が運営するんです?
誰が責任を持つんです?

この国では、誰も責任をとらないでしょう?

失敗しても、やり直せばいい。日本は、大震災や敗戦があっても復興・発展してきたから。
この「過去の成功体験」が仇と言うか、そのせいで、危機感がないんじゃないか?という気もする。

今、原発はやめた方がいいのではと思ってはいない人は、またどこかで地震が起こって、原発のひとつふたつ事故っても、日本は大丈夫、と思っているのだろう。
その見通しはある程度は正しくて、広瀬隆が言うように日本が壊滅するとは限らないと思う。

でも、この考え方は、「事故ったとき、今回のように、犠牲になる人々が発生するが、犠牲が出るのは構わない、一部の日本国民は、他の日本国民のために犠牲になれ、という主張」であることを判っていないといけない。


人間とは、愚かなもの、だと思う。

同じ過ちを、何度でも繰り返す。

過去を振り返れば、そうだと思う。

だから、過ちを犯したとき、生じる損失が「極めて大きい」ものからは、手を引いた方がいいんじゃないのかねえ。

・・以上、「理系オンチの市井のおばちゃん」の「ひとつの単純な考え方」。



「あなたはどう考えますか?~日本のエネルギー政策~
電源立地県福島からの問いかけ」
(福島県エネルギー政策検討会)


飯田哲也氏がTwitterで紹介した資料のうちのひとつで、大元はこちらだが、146というページ数を見ると逃げそうになる。
上記は、一般人に判り易く、まとめたもので、これなら読み通せる。
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