南の国の太陽、空の色の獅子

Category : 
tag : 
スターダスト・レビューの「「木蘭の涙」を聞くと、私はいつも、2006年に亡くなった同い年の友人を思い出す。
http://leonazul.blog87.fc2.com/blog-entry-237.html
今年も、木蓮の蕾が開く季節が来る。

2005年10月、F1日本GPが開催される鈴鹿へ出発する前日、彼女からのメールが届いた。
今年一緒に行かない理由を今まで言わなかったが、実は、大腸癌と判った、即刻入院しろといわれ、昨日まで入院していて、帰宅したところです、驚かせてごめんなさい、と。
彼女が逝ったのは、翌年の6月だった。

彼女について、私はふたつの思いを背負っている。
一つは、自分は、彼女のために、何かをすべきではなかったか、という悔恨だ。
当時の私は、彼女が死ぬ(彼女を失う)ことを考えると、怖くてたまらなかった。既に複数箇所に転移していて、手術はできない、という病状を聞いたとき、がんについて多少の知識を持っていたために、楽観をしなかった。予後の予想をすることができた。
その「自分自身の抱えた恐怖」で手いっぱいになり、彼女自身の立場になって考えることができなかった。

彼女のために、私は、何かできることがあったのではないか。
彼女は、自分の生が終わる日がさほど遠くないことを知っていたと思う。
後日にご家族からお話を聞いたとき、自分たち家族は、最初の時点で、医師から、長くて1年と告知されたが、本人には教えなかったので、知らなかったと思いますよ、と仰った。
けれども、残された携帯電話を見たら、履歴がすべて消されていた、と聞き、判っていたのだ、と思った。

死に行く彼女が何を思っていたのか、何を考えていたのか、私には判らない。
永遠に判らない。

この後悔を、私はずっと抱えていくだろう。

そして、もう片方の肩の上にあるのは、彼女の身に起こったことが、私自身にも起こりうるのだ、という思いだ。

私の母も、病院で検査して癌と判明したときは手遅れで、やはり1年後に亡くなった。
なんの問題もなく暮らしていて、ある日突然、余命1年の身になることは、珍しいことでもなんでもない。
母はある程度の年齢になっていたから兎も角、彼女は私と同じ年齢だった。このことは堪えた。


「がんと闘った科学者の記録」(戸塚洋二/文藝春秋/2009)

この本を読もうと思ったのは、立花隆の言及に興味を惹かれたからだった。
物理学者である著者がブログに綴ったものを書籍化してもので、ブログは今もネット上にある。
http://fewmonths.exblog.jp/

感想は様々にある。
いくつか書く。

・「千の風になって」が好きでない理由

大ヒット曲の「千の風になって」についての記述。
死について、千の風になって、 岡本喜八がん闘病記、個人的感想 (2007-08-14)

大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。
 この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。
 むろん、このような言葉を死んでから送れたらこんなにすばらしいことはないのですが。

 話は変わります。だいぶ前になりますが、5月14日にNHKで放映された「岡本喜八がん闘病記」も見て、DVDに保存してあります。このドキュメンタリーの最後に、奥様が、喜八監督がタバコをうまそうに吸ったあと奥様の腕の中で眠るように亡くなった、と語っていました。このシーンも生者から見たものですね。喜八監督は、妻の腕での中で最後に何を見、何を考えたのか、ぜひ知りたい、なぜそのような記録を死者は残せないのだろうか、と痛切に思いました。

 実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな。


私も、この歌を、いいと思ったことがない。
理由を考えたことがなかったが、この記述を読んで、判った。
著者と同じように、「自分を、死に行く者の立場に置いている」からだ。

近い人を喪う経験を経たことによって、「愛する者を失う喪失感に悲しみ苦しむ」のではなく、「死に行く人間」の側に立つようになった。だからだと思う。

私も、「実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい」。

・自分の死に対する恐怖感

期限を切られた人生の中で何を糧に生きればよいのか(2008-02-10)

われわれは日常の生活を送る際、自分の人生に限りがある、などということを考えることはめったにありません。稀にですが、布団の中に入って眠りに着く前、突如、

・自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない、

ということに気づき、慄然とすることがあります。

 個体の死が恐ろしいのは、生物学的な生存本能があるからである、といくら割り切っても、死が恐ろしいことに変わりがありません。

 お前の命は、誤差は大きいが平均値をとると後1.5年くらいか、と言われたとき、最初はそんなもんかとあまり実感が湧きません。しかし、布団の中に入って眠りに着く前、突如その恐ろしさが身にしみてきて、思わず起き上がることがあります。上に挙げたことが大きな理由です。

 上の理由を卑近な言葉で置き換えると「俺の葬式を見ることは絶対出来ないんだ」ということになりますか。こんなバカなことを皆さんお考えにならないでしょう。しかし、残りの人生が1,2年になると、このような変な思いがよく浮かんできます。


私は、中学に上がる前から、度々、著者の記した通りのことを思い、「夜中に、布団から起き上がる」ことをしていた。
子供の頃から、自分の死に対する恐怖とずっと付き合って、生きてきた。

そのため、「著者は、60を過ぎて、余命1・2年と宣告されるまで知らずにいたのか。そういう人もいるのか」という感想を持ったら、巻末の立花隆との対談で、立花隆がこの箇所を取り上げた。

そして、哲学者・倫理学者に自分が死ぬことについてどう考えるのかインタビューしたことがあるが、死ぬのが怖いという強迫観念にとらわれて、自分は哲学や倫理学を始めたということを率直にしゃべる人が多かったのが面白かった、と記述している。

ここから判ったのは、「立花隆も、この『強迫観念』を持っていない部類であったこと」と、「自分は別に珍しい部類ではなく、哲学・倫理学に関心を持つ素養があった」という納得だった。

・悟り

ステージ4大腸癌患者さんへの通信―2、正岡子規のコトバ(2008-05-27)

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。


正岡子規の「病牀六尺」からの引用を記している。

これを読んだ後、私の頭に、子供の頃に読んで、深く心に刻まれた、ある短編が、ふいに浮かんだ。
星新一の「処刑」。

読んだのがあまりに大昔で、本が手元になく、原典そのままではないと思うが、自分は、こういう話として記憶している。

主人公は、罪を犯し、地球から遠く離れた異星の砂漠の流刑地に送られる。罪人は各人ひとつずつ、水と食べ物を生みだす道具である銀の玉を渡される。
銀の玉は、スイッチを押すと、空気中の水分を抽出して水を出すが、何回目かに爆発して、押した者が死ぬ仕掛けになっている。
何回押すと爆発するかは、玉によってランダムで、いつなのかは判らない。

スイッチを押せば、爆発して、死ぬかも知れない。しかし、生きるには、押さなければならない。
乾きと飢えに耐えかねると、押さざるをえない。
押すことが怖い。次の瞬間死ぬかもしれない、と毎回、覚悟をして押さなければならない。

主人公は、死の恐怖に苛まれながら、スイッチを押し、やがて恐怖に気が狂いそうになる。
けれども、苦しみ抜いた果てに、ある日突然、気づく。

スイッチを押すことに、恐怖を感じる必要は何もないのだ。
地球上で普通に生きているときと、何も変わりはない。
「そうよ。やっと気づいたの?」
銀の玉が、きらきら輝いて、こう言っているようにみえる。
そして、晴れ晴れとした気分でスイッチを押し続け、シャワーのように水を浴びた。

星新一がこれを書いたとき、自分の死に対する恐怖を持っていたのか、「如何なる場合にも平気で生きている」悟りを得ていたのか、それとも、得たいと思っていたのか、もしくは、私のまったくの見当違いか、それは判らぬ。


スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/851-620fe07a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)