南の国の太陽、空の色の獅子

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今年一番の、「目から鱗」本。
メガトン級の衝撃を、私に与えた。

読んだきっかけは、図書館の栄養学の棚を物色していたとき、「普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓」(岩村暢子)を、書名のインパクトにつられて手に取ったこと。

「正月とクリスマスの食卓」の写真と、それらを作った主婦たちの証言を集めたものだが、どうしてこうなった(破滅した)のか?という設問に対して、著者は、「この食卓を作る40代の主婦たちの『母親たち』の育て方のせい」という説を提示している。
その説を、より詳細に述べているのが本書である。

何が衝撃だったかといったら、「自分の親は、『普通』だったのか」。

今まで私は、自分の親を、「子供を育てる能力のなかった人間」とみなしていた。だが、実は、「個人の能力」の問題ではなくて、「あの世代の人間に共通した」ことだったのか。

私の母親は、娘たちに料理を教えなかったし、家事の手伝いもさせなかった。
「人はどう生きるべきか」「人のあるべき姿はどういうものか」という価値観を、娘に教え、導くこともしなかった。
自分の好きなようにしなさい、自分で決めなさい、と「子供の意志を尊重」した。

著者が、現代主婦の母親世代にインタビューしてまとめた「母親世代の娘の育て方」そのまま、である。
あまりに「どんぴしゃそのまま」すぎて、絶句する。

私は母を好きであったが、長じて後に、「親というものは、あれではいけない。『価値観』は、後天的に身につけるもので、親が示すことをしないと、子は惑う。『己の欲望』に従って、まっとうな大人になれる人はごく一部だ。人は、生来怠惰で、快楽を求め、自己中心的だ。社会でまっとうに生きられる人間にするには、親が導かないといけない。子供を『自立した一人前の人間』に育てようとしない人間は、親になる資格がない」と考えるに至った。

しかし、どうやら、その見方は正しくはなかったらしい。
自分の母親の態度は、母個人の資質がもたらしたものではなく、「時代」がもたらしたもの、とみなす方が正しいらしい。
そう思うほど、母の振舞は、本書に描かれた「現代主婦を育てた世代の母親像」にそっくりである。

著者が世に出した複数の本は、「現在の日本の家庭の食卓は、かくも崩れた」ことを示した次に、「彼女たちの母親(おばあちゃん)の世代が、きちんとして豊かな食事を作ってきたのではなかった」ことを明らかにし、おばあちゃん世代とは、敗戦で価値観が崩壊し、大変動した時代を生きたゆえに、「価値観を子供に伝えない」子育てをした、という解釈を提示する。
食卓の激変は、その結果の現象のひとつに過ぎないのだ、と。

戦後社会の激変は、知識として持っていたし、家族の変容も、知らなかったことではない。しかし、それらの知識と、「おばあちゃん世代は、子供の頃、鶏の唐揚げを母親から作ってもらったことはなかった」ことが、頭の中でリンクしていなかった。
ばらばらに存在していた複数の知識が、関連し合い、ひとつの意味として認識されるとき、「そうか、そうだったのか」と、目から鱗が落ちる。

そして、自分の母親の再評価と、もうひとつ、著者のいうところの「すさまじく崩れた」現代の家庭の食も、「複数世代という長いスパンで見れば」、非難し嘆くには当たらない、という認識に至る。

最近、段々と判ってきた。日本の社会は、徐々に下降線を辿っている。だがそれは嘆くことではない。上がり下がりは必定だ。
どの時代に生まれるかは、夫々の人の負った変えられぬ運命で、身につけるべきは、「変えることのできないものを受け入れる冷静さと、変えることのできるものを変える勇気と、その二つを見分ける知恵」。然り、である。

文庫版と、その他の著作。
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