南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  スポンサー広告
tag : 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category :  展覧会
tag : 
彼岸前から体調を崩し、散策に出ることができなかった。ようやく回復した先日の日曜、久々に竹橋の恒例コースへ出掛けた。
(東京国立近代美術館・皇居東御苑・三の丸尚蔵館)

近美は、上村松園展開催中で人出が多い。所蔵品展も、最初のフロア(4階)は騒がしい。お喋りしながら見て歩く集団のために静寂さを失っている。

3階に降りると、幸い、いつも程しか人がいなかった。
「戦時と戦後」のセクションの戦争画コーナーは、また、小磯良平「娘子関を征く」を掛けてある。一瞥して、視線を部屋の先へと向けると、「その部屋に不似合いな」一枚が、一番奥の壁にあった。

東山魁夷の「残照」

近美に通うようになってから初めて、心を動かされる魁夷の絵に出会った。

自分が魁夷をいいと思っていたのは、魁夷の他には日本画をほとんど知らなかった10代の頃である。京都で暮らしていた大学時代は、「京洛四季」と、唐招提寺の障壁画を、気に入っていた。
その後、他の画家を知るにつれ、そちらに心惹かれ、魁夷に目を向けることをしなくなっていった。

「いま、私は九十九谷を見渡す山の上に立っている。ここへ私は偶然に来たとも云える。それが宿命であったとも考えられる。足もとの冬の草、私の背後にある葉の落ちた樹木、私の前に、はてしなくひろがる山と谷の重なり、この私を包む、天地のすべての存在は、この瞬間、私と同じ運命に在る。静かにお互いの存在を肯定し合いつつ無常の中に生きている。蕭条とした風景、寂寞とした自己、しかし、私はようやく充実したものを心に深く感じ得た」
「風景との対話」(東山魁夷/新潮社/1967)

この世の「無常」を、本心から悟り、受け入れるようになるには、歳月が要る。若い時分には、できない。大きな苦難や悲惨な経験をしていなければ、そういうものだ。
年を重ね、生と死を考えて過ごしていくゆくうちに、やがて悟っていく。
どんどんと形を変えて流れていく雲や、絶えず位置を変えていく月や、芽生えては散る樹木の葉や、きらきら光る川の水面が、この上なく美しく目に映るようになる。変哲もない、自分が生まれたときからずっと存在していた、ただ自分が気づかなかった様々なものの美しさに気づく。

自分がそう感じるようになったがため、「残照」に映し出された魁夷の心に寄り添えたのであろう。
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/669-2e0a0e07
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。