南の国の太陽、空の色の獅子

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・コンタドールの闘いの評価

ぽつぽつと、今年のTdFに関する他者の言葉を読んでいくと、「ほっんとに、見方というのは様々だなあ」と改めて思う。

今回のコンタドールを、強かった、王者の道をまた一歩進んだ、という評は、これはこれとしてありで、来年以降、「その通りになったね」と言う日が来ることは十分ありえる。
ただ、奇妙な違和感のようなものを覚えるのは、自分がアンディ応援だから、というだけでない。「仮に自分がコンタドール応援でも」、そういう見方は出てこないのではないか、と思うのだ。

自分は、長くミヒャエルのファンをやった。彼は結果として前人未到のタイトル数を持つ選手になったけれど、連勝当時、自分が「余裕を持って」見ていた時期は長くなかった。

3つ目のタイトル獲得直後(2000年)は、文句ぐちぐち。
「勝ちさえすればそれでいい」んじゃない。かつての凄みがなくなった、本人比でピークを過ぎてる、ライバルのマシンがボコボコ壊れたから勝てただけ、本人がよかったわけじゃない。
戦績上は圧勝の02年は、「チームメートとのスピード差がほとんどなくなった」ことに延々悶々し、大苦戦してやっとこさっとこ取った03年は、「終わりの始まり」と評価した。
結果は毎年チャンピオンになっていた(5連覇した)ので、世の中には、祭り上げる見方があった。でもこっちは、安穏とできたのは一時期だった。

第17ステージを改めて考えてみると、あのときのコンタは、「アンディにはりつく」作戦をとり、アンディを振り切って勝とうという意思はなかった。
マイヨ・ジョーヌのためには、ここでリードを広げる必要はない、という理屈は、本人が言い、外部の人間たちの多くも賛同した。自分も含めて。

3連覇の「結果」を取り上げて、正しい作戦だった、と「あとから」言うことはできる。でも、よくよく考えると、「どれほどTTで勝てる自信があっても」、たったの8秒差で(事実上の)最終ステージに臨むのは、危険を背負った策だった、とはいえないか?
結果はよかった。だが、レースでは何が起こるか判らない。リードが「2分」であれば、OKだ。だが、「8秒」という数値は、あまりに少なくないか?
マイヨ・ジョーヌを守るためには、「可能なのであれば」、トゥールマレでリードを広げておいた方がよくはなかったか。
「勝利の方程式」をいうなら、そうするべき、とはいえなかったか?

彼が、「トゥールマレで勝負をしない」道を選んだのは、なぜか。
解釈1。TTで負けることは決してない、という自信が絶対的であったから。

解釈2。
トゥールマレで、アンディを千切る自信がなかったから。
アンディについていく自信はあったが、彼を千切れるという自信はなかったから、ここで力を使うことを避け、TT勝負に賭けた。

第17ステージ後の両者のコメントからは、「コンタドールは、アンディに、『自分が強いこと』を信じさせることに成功した」ことを窺わせる。
けれども、すべて終わった今は、アンディにも判っている、のではないか。
「山岳における力では、コンタドールはもはや、自分より強くはない」と。
1年前は、明らかに、コンタドールが、自分より強かった。
でも、今年は、追いついた。優ることはできなかったけれど、追いついた。

TTに最終決着を遅らせたコンタドールの選択は、TT直前の彼に、巨大なプレッシャーをかけた。昨夜眠れなかった、というTT後の彼の発言から、それが読み取れはしないか?

マイヨ・ジョーヌ確定後の記者会見で、コンタドールは、今年の自分は、昨年のレベルでなかった、と述べた。
「アンディが成長して、自分に追いついてきた」とは認めなかった。苦戦したのは、自分の調子が悪かったせい、だと。
彼の言葉が「真実」であったことの証明は、来年、アンディに、山岳でもTTでも、09年以上の圧倒的な差をみせつけて勝ったとき、初めてできる。

第三者の見方(評価)が分かれる原因のひとつは、「2人の走力の差が、昨年比で著しく減っていた」ことと、「勝負の最終結果」のどちらに重きを置くか、の差だろうと思う。

「結果重視」の見方だと、走力の差が減じようが、調子が悪かろうが、その他の要素を含めた「総合力」で優って、結果勝てば、それでいい。
「走力の実力」を重視する見方なら、上の評価はしない。

私は、昨年、コンタドールがランスを突き放して勝ったことを喜んだ。
チーム内に敵を抱え、チームで孤立して、闘う彼に、マクラーレン時代のフェルナンドを連想した。そして、「フェルナンドと異なり」、勝った彼を、賞賛した。

多分、私の中には、コンタドールに対して「強い」ことを期待する気持があって、そのため今年の彼を賞賛できないのだろう。

コンタドールは、もしかしたら、「昨年私が思っていたほど」強くはないのかもしれない。ミヒャエルが、「世間の人が思うほど」強くない、と私が思っていたのと同じように。

・・でも、ミヒャエルになぞらえるというのは、イコール、ン連覇することを想定していることになる。他方で、そうなるかどうか判らない、と主張したり、一体どっちなんだ?と自分で思うが、結論は、「どちらも有りうる、と思う。どちらともいえない」。

とりあえず、来年は、チームTTでリードを作れる。ルクスのメンバーはまだ半分不明だが、サクソはおおよそ判っている。
その戦力から鑑みて、ITTと合わせて、山岳ステージ前に最低でも1分以上のリードを作れると考えられるので、山岳ではひたすらはりつく、という古典的な勝利の方程式で勝てることが見込める。
相手が、TTでの差が「致命的」であることを本心から悟って、「真剣に」対応策を講じてきたら(チームTT含む)、そのときは状況が変わるだろうけれど。

・第15ステージ、アンディのチェーン落としを巡る「あるひとつの」解釈

アンディのチェーン落としは、その後のステージでの彼とコンタドールの勝負の面白さを、「かなり」減じた。

コンタドールは、あのとき39秒を得て、逆転したことで、その後、「守り」の体制に転じて、一切攻撃をしなかった。
もし、あそこで、逆転をしなければ、その後の山岳ステージで攻撃をした可能性はあったのではないだろうか?
「30秒差」は、最後のITTで確実に逆転できる、と判断して、攻撃しなかっただろうか?
その可能性もあるが、したかもしれない。

トゥールマレで、「はりつき作戦」をせず、勝負をしたかもしれない。
2人の間で、「本当の闘い」が展開され、「コンタドールが、アンディを突き放せたのか、できなかったのか」の答が判っただろう。
それを見られなかったのは惜しかった、と言えるのではないか、と思う。
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