南の国の太陽、空の色の獅子

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藤田の絵の中に残虐性を見出した自分の感覚は、少数派ではなかった。

「抽象化された、暗さや異常性への好尚が露れている」 (同時代の美術評論家)
「フジタの戦争画から感じられるのは、むしろ、異常なもの、グロテスクなものをのぞき見たいという嗜虐趣味であり、それを描かずにはいられない絵描きの『業』」 (湯原かの子)
「彼自身の少々異常なばかりの『残酷図』好みがあったように思わざるを得ない」 (田中日佐夫)

藤田が、非常に「技巧に優れ」、研究熱心で、工夫を凝らし、「腕のよい」画家であったことは間違いないらしい。
その先の「芸術家としての評価」が、人によって分かれるのは当然で、追及する必要はあるまい。

湯原かの子の著作は、焦点が若干ぼやけたけらいはあるが、終章で述べている「日本の近代化における西洋文化の受容史」の中の人物として、という観点は、非常に興味をそそった。

日本の近代絵画を見ていくと、この問題が必ず登場する。絵画に限らず、開国後、西洋文化と出会った明治から昭和の芸術家たちは、誰もが必死で「西洋」と格闘し、夫々の道を探った。改めて、考えてみたい問題である。

この著作でもうひとつ、私を惹きつけた箇所は、エコール・ド・パリの記述だった。1900年代初めのパリについて、私の頭の中には断片的なさまざまな知識があって、ひとつのシーンを形成している。
マン・レイ、キキ、コクトー、サティ、ココ・シャネル、ディアギレフ、アポリネール・・あの時代のモンパルナスに藤田がいて、芸術家たちの一人として認められ活躍していたことを、今まで知らなかった。パズルの新しいピースがみつかったような感覚だ。今更だが、振り返ろうか、という気が起こった。

藤田の伝記を読み進んでいった自分が興味を持ったのは、彼個人よりも、彼の生きていた「時代」であり、「社会」であった。
彼は、特異な個性を持つ人物であったにせよ、「彼の生きた時代の中の人物」であって、先にあるのは時代、という見方を自分はする。
2つの大戦の時代は、激動の時代だった。第二次戦終結後に生まれた自分は、なんと平穏な時代を生きたことか。

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東近美には、現在、戦争画の中の二大有名作といえる、「サイパン島同胞臣節を全うす」(藤田嗣治)と、「山下、パーシバル両司令官会見図」(宮本三郎)が並べて展示されている。(8/8まで)

自分が見ているとき、たまたま、ハイライトツアーの一行が近づいてきた。
ガイドがどういう説明をするのか興味を抱き、待ってみた。当たり障りのない、僅かな言葉で済ませたことに、少し失望した。

戦争画は、東近美が長い期間、公開を控えてきた過去を持ち、現在も尚、特定の解説を付すことを避けたい事情であるとしても、「重い問題を抱える存在」である、ということだけは、観覧客に伝えてよいのではないか。

何も説明をしなければ、戦争を知らない世代の人々は、表面しか見ず、何も考えずに帰る。
ひとつの結論を押しつけず、各人が問題意識を持ち帰ってもらう方向性でもよいのではないだろうか。

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*追記
「アッツ島玉砕」にインパクトはなかった、凄惨な図ならいくらでも見ている、と書いたが、いくらでも、というのは何を指しているのか、漫画か映画か、考えてみると、あまり自信がない。

ただ、私には、強烈な、あるひとつの体験がある。
ヨーロッパの映画を見歩いていた学生時代、アラン・レネの特集で、「夜と霧」を見た。
アウシュヴィッツを描いたドキュメンタリーである。

映し出された、骨と皮だけの人間の死体の山が、「作りものではなく、現実にあった光景」であることが、まだ若く、知識も経験もなかった自分の受容の能力の限界を超えたらしい。
その日以降、世界が、前日とは違うものに見えた。

「夜と霧」が、戦争を知らない時代に生まれた幸福な自分の、決して忘れ得ない、「虐殺の光景」の原体験である。

2010/06/29 : 藤田嗣治の戦争画(1)
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