南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  自転車
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中野マッサーのJスポの解説での話が非常に面白く、注意深く聞いているが、あるとき、ディルーカについて、「素晴らしい印象しかない」、「人格者だと思います」。

・・でも、陽性出たんだよねえ。1年前のジロで。
これって、ミヒャエルは、ジャックに体当たりするわ、ラスカスで止めてアロンソからPPを奪おうとするわ、悪行数知れずだけれど、浜島さんに語らせたら、「マイケルは素晴らしいです」と断言するのと同種かなあ。

中野さんや浜島さんが言うことが「誤っている」わけじゃない。
「素晴らしい」選手でも、「アンフェア」なことをする。
「アンフェアなことをする選手であっても、素晴らしい」でシャン。(・・違うかな?)

ドーピングは、一時期はそれこそ「みんな」やっていた。だから、罪悪感が薄い、んじゃないのかなあ。
F1でも、セナプロの時代は、ぶつけてタイトルを取りに行っても、ペナルティはくわなかったし、予選で妨害することも、まかり通った。だからミヒャエルは、「やってもいい」と思っていて、罪悪感は欠片もない。
今は、「ルールが変わって」、やったらペナルティをくう。だからやめておく。「やってはいけないこと」という倫理観は持っていない。
(97年ヘレスを延々悶々引き摺り続けたファンの身が最後に辿り着いた解釈)

セナやミヒャエルの備えていた「何をしてでも勝ちたい」という執念を、F1の世界は肯定し、高く評価した。ベストドライバーのアンケートをとれば、この2人が上位にくる。
内部の人間たちも、観客たちも、「英雄たち」のルール違反を、容認する。つまるところは、そこではないか。

ドーピングをやる選手たちの考えは一律ではなく、色々あるんだと思う。少し前まで、チームぐるみが普通にあったから、すべてが選手個人に帰するわけでもない。
「弱い心」からやるケースもあるが、まったく逆に「誇大な自我」ゆえにみえるケースもある。

でも、ざっくりと言えば、「歴史的に、延々と、みんなやってた」という事実が底にあって、そこから抜けられない、ような気がする。
「総合ディレクター ツールを語る」を読んだとき、ルブランの、ドーピングの蔓延の認識に、ちょっと驚いた。
ドーピングをやる選手が全体の「10%」まで減らせればいい、というのは、今は何%やっていると思っているのか?

■関連エントリ:2008/10/21 : ドーピングはなぜなくならないのか
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