南の国の太陽、空の色の獅子

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EXと閉会式を見て、ジェーニャの結果にサバサバしている自分の心理が判った。そうか、多分こうだな、と。

私は、満たされたのだ。
点取り競争には、負けたけれど。

私は、これまで彼をずっと称賛していたのではなく、不満をぶちぶち言っていた。ソルトレイクのシーズン、「このプログラムじゃヤグディンに勝てない。ミーシンさんも本人も何考えてんの、金メダルを欲しいなら、ジャッジの評価を得るための『戦略』をもっと考えてくれ」と苛々なんてもんじゃなかった。
ソルトレイク後、負けなしになった期間も、アラがぼろぼろ見えるわ見えるわ。
下は、トリノ五輪前の2005年8月の記述である。

この数年ずっと故障に悩まされ続け、ジャンプは軸が歪んできて、かつてのように「体重がないかのように」軽々と跳べないし、機械のような正確無比さも失った。他の選手と比べれば、総合的な力は上だし、圧倒的な存在感を持つので、まだ、ジャッジは上につけるが、基準を彼本人に置けば、レベルはとうに下降線だった。

以前は柔軟性に富むと思っていたが、優る選手が出てきたとか、スピンの回転の遅さが我慢の限界を超えるとか(スピンが弱点になるなんて前は思わなかった、とほほ)、技術上の欠点が目についたり、なによりプログラムに感心しないし(最大の難点)、もしもタラソワにみてもらったら、もう一段上のレベルにあがれたに違いないが、ここで止まるのは残念とか、不満たらたら。
でも、ここまでくると、言っても無駄な不満は一切合切棚上げして、「とにかく金取って引退してね」これ一本槍。
故障は、長年のピールマンスピンや4回転ジャンプで身体に負担をかけた結果で、過去8シーズンに渡ってずっとトップを争ってきたことを思えば、もう無理しなくていい、と思う。

以上を読むと、お判りと思うが、ミヒャエルを見る目と非常に似ている。他の現役の選手と比べたとき総合的にまだトップという評価はできるが、当人をずっと見てきたファンからすると、過去のレベルと比べて、文句ぐちぐち。でも、キャリアの終りが目の前だから、諦めの境地で、じたばたせず、どっしり構えて見送ろうという。
(2005/8/16)

昨年の復帰発表時は、「見たくないものを見ることになる」ことを歓迎しなかった。
競技会に出るならば、常に勝ってほしい。彼が負けるのは見たくない。
力の衰えを認めるのは心楽しくない。
かつての彼のまま、誰より強く、誰より素晴らしくあってほしい。そうでなくなった彼を見たくない。
バンクーバーで金を取れなかったとき、味わねばならない不快・無念が、嫌だ。
それが「本音」だった。

五輪の勝負は、際どい差で負けた、と思う。どこかでほんのちょっと出来がよかったなら、勝てた点差だったから。
敗因の解釈は、色々浮かぶ。
表面的な解釈を述べるなら、「現在のルール(採点方法)への対応が足りなかった」、これに尽きる。
SPのPCSで叩き落とされても、FPのTESのどこかで、もう2点もぎ取っていれば、踏ん張ることができたからだ。
(「いや、それはない。ジャッジは、彼を勝たせなかった」という解釈の可能性がゼロではないが、それは今日は横におく)

しかし、彼に対して、今回の五輪での演技以上のものを要求することが正当という自信は、自分にはない。

ロステレコム・ユーロの演技と比べれば、より点を取る努力をしていた、とみなすべきと思う。
TESの基礎点は、ロステレコム73.10、ユーロ70.33、五輪75.03。ロステレコムではコンボを2回しか入れず、ユーロでは、3Lzが抜けて2Lzになった。五輪では、そのミスをしなかった。軸が曲がっても、着氷し、抜けも転倒もしなかった。
あれ以上を、「やればできた」か。「努力が足りなかった」か。

この問いの正解は見つからない。
ロステレコム後、膝の痛みで、滑れなくなる期間があった。ロステレコムを見た人々の中には、これは初戦で、この後、もっと内容を上げていくから、五輪の金の最有力候補、と語る人がいた。それは、若い現役選手に言えることで、この人は、引退して当たり前の、故障持ちの27才だ、と私は思った。

新しいルールに馴染み、新しいことを吸収していくことは、若い選手ほどやりやすく、年を取るほど難しくなる。10年以上の間、「これがよい」とされ、身についた体の動かし方を、20の半ばを過ぎて変えることは、才能のある選手であっても難しい、とみるべきではないか。

荒川静香さんが著書「フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法」の中で、新採点法が導入されたときの苦労について、「20才を超えた」自分には難しかった、と記している。
彼女は、新採点法導入直後の2005年、対応できずに惨敗し、トリノ五輪で戦績を出して引退しよう、と決めて、「新採点法を攻略する」ことを第一義にして、必死に練習した。

その甲斐あって、荒川さんはトリノで金を取った。他方、同じトリノで金を取ったジェーニャは、荒川さんとは異なり、当時、新採点法の対応に大きな苦労はしなかったのではないだろうか。
他選手に対して彼の持つアドバンテージは巨大だったので、それまでの彼のやり方を、少し変える程度で十分だった。そして、彼はまだ、新しいルールに対応する能力が十分ある年齢だった。

トリノから4年経ち、彼は、4つ、年をとった。
4年の間に、採点法は大きく変わった。4年前にはレベル・GOEを取れた技が取れなくなったり、その逆もある。PCSの評価の仕方も変わった。
4回転を跳べない選手たちも、4回転以外の要素を様々に工夫することで、高い得点を得られるようになった。

ジェーニャとミーシンコーチに、いくばくかの油断があった、という見方はありかもしれない。ロステレコムとユーロで勝ち、メディアには優勝候補筆頭と書き立てられ、自らの力を過信した。ミスをしなければ、このプログラムで勝てる、と計算した。
その計算は、基本的には、大きな誤りではなかったと思う。計算が狂ったのは、SPでPCSを大きく下げられ、ライバルたちに対してリードを作れなかったという事態による。
だが、4+3を決めていながら、3+3の相手と差がほとんどない、という計算をできた人がどれほどいただろう。

同じジャンプ構成のジュベールと並ぶことは想定できた。ジュベールがSPでノーミスだと、僅差で負ける可能性があった。ユーロの評価をスライドするとそうなる。だが、ジュベールにはFPで勝てる、と計算してよかった。

ジャンプ構成を、どこかで変えて、もう2点稼げる構成にすべきだったろうか?

今より難易度を上げても、彼は、本番でミスなく滑れただろうか?

競技会復帰をもっと早めて、北米開催のGPシリーズに参加し、北米の選手と同じ試合に出て、ジャッジの評価を確認しておけば、より対応ができただろうか?

いや。彼は、怪我を繰り返していた。復帰目指して練習を始めたが、どこかを痛めて中断、というニュースを聞くたび、いつものこと、と私は読み流し、「無理だ。復帰はない」と思っていた。

五輪のFPについて、ジャンプの軸が曲がっていた、出来がよくなかった、という指摘を多く目にする。
彼の演技の出来がいいとはいえなかった(いつもはスムーズに跳べる3Aの軸が曲がった)ことは、どう解釈するのが正しいのだろう。
「コンディション調整(ピーキング)に失敗した」
「メンタルの影響(プレッシャーによる)」

「あれが、『今の彼』の実力」という見方はありえないか?

ジャンプの軸が曲がることは、トリノ五輪前の時期、「私がしっかり文句を記すくらい」みられたことだった。綺麗なジャンプを「常に」跳べたのは、あちこちを故障する前の時期に遡る。

トリノ五輪のFPを見直してみると、トリプルジャンプがひとつ抜けて、ダブルになっている。大きなミスだ。
4-3-2を跳んでいるが、2Loの「傾きながら、やっとこさ」のつけっぷりは、今の採点だと、GOEでマイナスになる可能性がある。

彼は、故障を抱えながら、短い期間で、4年前と同じレベルに戻し、新しいルールでできる限り点を取る努力をし、当日、「絶好調」にはもっていけなかったけれど、大きなミスをしなかった。
ジャンプの軸が曲がることは、「大きな」ミスの内には入らない。

彼の出来は、「私が不満を言うほど」、悪くない。

当日の演技終了後の自分の頭の中は、「点数の計算」で占められ、猛スピードで思考が駆け巡っていたので、「自分の感覚で、いい悪い」の観点が全く作動しなかった。
今日、初めて、その観点で見た。

ちなみに、「計算」では、「これは・・ぎりぎりで、負ける、な・・」

付け加えると、その後、プルシェンコの出来がよくない、ミスした、という世間でよく言われる評価は、TVの実況で、本田君とアナがそう指摘した影響が大きい、という推測が、おそらく正しい。

ライサチェックとジェーニャの演技は、「新採点法の採点感覚で見たとき」、ほぼ同程度、だったと思う。観客の目にも、どちらが上と大方の人が賛同するほど、大きな差はなかった。

仮に、ジャッジが、ジェーニャにもう2点上乗せして、勝たせていたら、「やっぱり決め手は4回転だった。少しミスはあったが、ライサチェックもパーフェクトではなかった」という記事で埋め尽くされただろう。
世間の人は、ジャッジの出した判定が、自分の感覚と大きくズレていなければ、判定を正当化して受け入れるものなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジェーニャは、4年前から、衰えていない。
彼は、彼のままだ。間違いない。
今も、軽々と4+3を跳ぶ。
復帰して出場した3回の国際大会のSPとFP計6回すべてで、4+3を跳んで、成功させた。
他の誰ができる?

「ヤグディンに負けて終わった」という、ソルトレイクでの敗北感が消えたのは、トリノのEXを見た日だった。
バンクーバー五輪のEXを見た日、過去に抱いた敗北感や不満のすべてが、溶けて、流れて、消え去った。

彼は、今も、これほどに輝く。
トリノから4年という歳月が経ったのに、今も尚、光輝く。

15才の、ほんの「子供」だった日から、他の誰とも比較にならぬ、自分にとって絶対的な男子Sの選手であり続けた相手は、真実、唯一無二の選手だった。

バンクーバー五輪で2個目の金メダルを取れなかったことが、それを覆すことはない。

今、この言葉を言える。

復帰してくれて、有難う。
心からの感謝を。
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