南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  フィギュアスケート
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ジェーニャの結果に、がっかりはした。本人の望みが叶わなかったわけだし、メディアの記事やネット上の世間の声をいい気分で読む楽しみもない。勝っていたら、称賛だらけで、にたにたして読めるのに。

でも、以前、彼を含めたご贔屓さんたちの敗北時に味わったような落胆はなく、当日からケロッとしていた。少々鬱な気分だったのはSP後で、FPが終わったときは、こういってはなんだが、すっきり。
自分でもちょっと不思議なので、なぜなのか考えてみた。

解釈の候補。
「時間が経てば、この結果は悪いものではなかった、という評価になる」という、自分の「カン」。

素晴らしい我田引水の解釈だが、自分は従来負け惜しみをしない性癖である。勝ってなんぼ、美しい敗者となるより、醜くとも勝者たれ。98年鈴鹿や07年富士は、いまだに無念だ。どこまで執念深いのやら自分で呆れる。

そんな自分が今回無念を感じないということは、「無念に思わなくてもいい事態」なのだ、きっと。

自分の「カン」は、まんざらでない。ミヒャエルの復帰前に作動したから。(夢にみたことなぞまずないのに、7月1日に突然現れたとき、「これ、無意味じゃないよなあ。何かの意味はあるよねえ、何なのかは判らないけど」)

これだけだと、さすがにあんまりなので、別のことを。

五輪の金は、金の価値があることには違いない。だが過去を振り返ると、金メダルがすべてじゃない、ということがはっきりしている。
女子をいえば、リピンスキーとヒューズと荒川さんが取ったけれど、この時代の最も素晴らしい選手が誰かといったら、答は、ミシェル・クワンであり、次はイリーナ・スルツカヤに決まっているのである。

男子をいえば、ペトレンコとウルマノフとクーリックじゃなく、カート・ブラウニングとエルヴィス・ストイコなのだ。
私は、長野五輪の会場で、イリヤの金メダルを願って拳を握って見た観客だが、イリヤ・クーリックはストイコより優れた選手だった、とは、今、口から出すことはない。

フィギュアスケートのシングルの五輪の金メダルは、当代の王者が取るわけじゃない、というのが、いわば定説だったのである。
ソルトレイクとトリノの男子の結果は順当だったが、それ以前にまた戻っただけの話。

これも「屁理屈」の一種だが、敗北感や無念が今の自分にあまりないことには、それだけの理由があるのだろうと思う。

こののち、男子Sがどういう様相になるかは「神のみぞ知る」が、4回転なし王者が続けば、ジェーニャは「勇敢なる最後の4回転王者」として記憶されるし、4回転が復活したなら、「死滅の際に追いこまれていた4回転を救った王者」と呼ばれることになるだろう。

「SPとFPで4+3を跳ぶ」技術の高さがどれほどのものか、今理解できない人々も、これをする選手が誰もいなくなった日には、気づくだろう。

日本の世間の声をちらと見に行くと、「あのねえ」となりそうな声がわさわさある。
「フィギュアスケートをまともに見るのは五輪のときだけで、一か月も経てば自分の書いたことを忘れている人間たちの言葉を相手になんかしてられんわ」が、正しい対処法である。

日本は所詮、フィギュアスケートが根づいていない国だ。この国の人々がジェーニャについて何を言おうが、気にするだけバカバカしい。
「シューマッハとアロンソ」のファンをやったので、罵詈雑言を雨あられに浴びせられ、その後、「コロッと」掌を返して、山ほど称賛される、という気色悪い光景を、「2度」見た。
日本人が何を言おうが、ドイツではミヒャエルはずっとヒーローだし、スペインへ行けばフェルナンドのサポーターだらけだ。
ロシアの人々はジェーニャを支持するだろう。それでいいのである。

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・訂正

4回転論争・・・誰が4回転を殺すのか」(2/21)の中で誤ったことを書いたので、訂正する。

2次情報だけ見て、1次ソースを確認しないまま、間違った解釈と認識をした。
エルドリッジは、ライサチェックの金メダルを否定していない。祝福している。
ストイコは、原文を確認済みなので、そのまま。
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