南の国の太陽、空の色の獅子

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Category :  展覧会
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菱田春草の代表作「落葉」を、昔、図版で見て(母が持っていたと思われるので、随分昔)、関心を持ち、いつか実物を見たいと思っていた。
永青文庫の存在を知っていたのは、春草ゆえである。

が、「今の自分」は、「落葉」よりも、その前の時代の彼の作品を好むことが、今回判った。
制作年代をいえば、明治30年代後半。40年代に入ると、様式化が進み、整ってくる。「琳派」の様式が入りこんでくる。そうなる前の、「朦朧」とした時代。

展示室はこじんまりとした一室のみで、展示作品は30点ほどだった。
私の選んだベストポジションの椅子は、「夜桜」の正面。
「夜桜」の左隣には、「秋の夜美人」と「春色」が並ぶ。この3枚は、似た色調を持ち、3枚が調和している。
右方に視線を移せば、2枚向こうに、私が最も気に入った「夕の森」。
右の視界の端に、「月四題」。背後を振り向けば、「羅浮仙」。

「月四題」は、山種で見たとき、いいと思った。だが今回、再見すると、魅力が減じていた。
理由はすぐ判った。前回は、展覧会の他の作家の作品と比較しての感覚で、今日は、春草の他の作品との比較になる。この作品には、明らかに琳派の様式美が伺えた。

明治30年代後半の作品は、形状だけでなく、色調が、ぼんやりとして、とらえどころなく美しい。
「羅浮仙」の青は、絶妙だ。黄と茶系統の色が全体を支配している今回の展覧会の作品群の中で、はっとなる色彩だ。

春草の画から、哀しみや寂寞とした情感を禁じえないのは、早くに亡くなったことを先に知っていたからだろう。
予告なく展示作品の中に紛れ込んでいて、ちょっと驚いた横山大観の画を見て、大観の画には、男性的な力強さを感じる、春草にはそれがない、繊細で儚い、と改めて思った。

東博で下村観山の「鵜」を見て以後、私にとって春草のイメージは、小さな小鳥である。
春草の死を悼んで制作したこの屏風で、観山は、自身を、岩の上で嘆く鵜として右隻に、春草を、飛び去っていく小鳥として左隻に描いた。

屏風の作風は琳派で、地は金、青灰色の岩肌はたらしこみで描かれているが、疑いようもなく、不安や寂寞感を見る者に伝えている。

左隻に描かれたのは、小鳥1羽だけ。他はぽっかりと何もない空(くう)だ。
ダイナミックな構図に、遠距離から、すぐ目に止まり、情感に圧倒され、一区切りついてから近寄って、プレートに記された作者名と解説を読み、より深く印象に残った。


会期終了前日の土曜という、通常なら人出の多そうな日に出掛けたが、人影少なく、静かだった。
秋色の作品群は今の季節に相応しく、落ちついて心地よい空気の中に浸って過ごした。
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