南の国の太陽、空の色の獅子

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「いもずる」で本を読んでいくうちに、当初目的のテーマから離れて、関連する別の話題の本へズレていってしまい、ありゃ?ということはよく起こる。

今回の最初のきっかけは、今年、臓器移植法の改正案が議論され、成立したこと。
報道を読む限りでは、来年の施行後は、「臓器提供を拒否する意志表示をしておかないと、脳死判定をされ、家族が医者に説得されて臓器提供に賛成したら、心臓が止まる前に、心臓を取り出されて移植される可能性がある」わけである。
自分はそれでいいのか、それとも、拒否する意志表示をしておくか、どちらか決めておいた方がいいのではなかろうか。

「そういう局面になる確率は低いから、自分には起こらないでしょ、とほっぽる(飛行機が落ちることを前もって想定して、準備して飛行機に乗らないのと同様)」「家族の意志に任せる」「どうなろうが先のことはどうでもいい」といった選択肢もある。
だが、「脳死を人の死と認めるか」の設問に対して、「明確な」回答を持っているかといえば、現在の自分は持っていない。アンケートでいえば「わからない」と回答する部類である。
これはひとえに、「自分が知識を持っていない」ゆえだ。これは、ちょいと気に入らない。
この機会に、知識を仕入れて、自分の考えを作っておきたい。
これが始まりだった。



古い本だが、「そもそも脳死とはどういうものか」という基礎中の基礎の知識を仕入れることからスタートするのがよいと思ったので、最初に読む本として選んだ。
立花氏が「専門知識を何も持たない素人」の立場からスタートして、専門家たちに素人の質問をぶつけて、彼自身が「そういうことか」と理解する過程を描いているので、自分のニーズに合っていた。古くても、十分役に立つ。

これ1冊だけで、目からウロコである。
乱暴にいってしまうと、今も、世の中の多くの人は、脳死と臓器移植の「現実」を知らない。「観念」だけで、この問題を考えている。

私自身が、以前そうだった。97年に臓器移植法が成立して、ドナーカードの配布が始まったとき、臓器提供に、頭から反対意見を持たなかった。
「助からないことがはっきりしているなら、臓器を提供して、誰かが生きのびる役に立ってもいいんじゃないのかなあ?あの世も何も信じてないから、死んだらおしまいで、遺体がどうなろうがいいし」と、素朴な考えを抱いた。

今振り返れば、これは、脳死と臓器移植の「現実」(病院の現場で「具体的に」、どのようなことが行なわれるのか、医療側がどう振舞い、臓器提供者の身体がどう扱われ、看取る家族が、通常の死亡時とはどのように異なる対応を迫られるのか)を知らない、「素人の無知」がもたらす、無邪気な発想であったことが判る。

この後、自分は、病院で母を看取り、葬式を出した。「家族の死をどのように受け入れるか」を、自分で経験した。
そうすると、次にまた家族を看取るとき、「心臓が動いているうちに、もう助からない、と医者に言われたからといって、納得して、さっさと諦めて、手術室に送って、身体を切り刻む」ことを自分が承認する気分になるかといったら、ならないだろうと思う、と返答せざるをえない。

これは、家族の死を看取るということを、「観念」ではなく「現実として」知ったゆえだ。脳死と臓器移植の問題についても、この延長線上に考えることができるようになった。

今回、様々な意見を読み、この問題は、まずは、個々人の価値観の問題であり、自分自身はどうしたいかを自分に問うて考えるべし、と思った。
普遍的な「正解」はない。自分の考えを決めるためには、賛成・反対両方の意見を知ることが必要だ。自分が思いつかなかった観点や考え方、医療現場に存在する様々な現実の問題がある。

「臓器提供してもいいんじゃない?」とのほほんと一時期でも思った自分は、おめでたい一般市民であったらしいことは、図書館の棚に、反対意見の本が大量に並んでいるのを見たとき、知った。



へそまがり気質のおかげで、反対意見の大群には、逆に警戒心が湧いた。納得する箇所もあるが、反対論者たちの「感情的」な記述には、引く。主張は、論理的に述べてもらわないと、説得力を欠くのである。
反対論の要点は集約できるので、おおよそ理解すると、切り上げて、下記のような、一歩ひいて論じた本を手にとる。

「なぜ日本では臓器移植がむずかしいのかー経済・法律・倫理の側面から」


「先端医療のルールー人体利用はどこまで許されるのか」


私の持つ死生観は、私個人のもので、社会の意志決定としての「政策」がどうあるべきかは、別の話である。
脳死・臓器移植反対論者の中には、他人からの移植は、再生医療への過渡期の医療だとみなして否定する、つまり、再生医療が進歩すれば解決できると読めてしまう主張もある。
だがこの意見は、再生医学・医療においても、「人間の尊厳」の問題が存在することを見落としているように思う。
「人間が、『技術』をひたすら追及していく」限り、「何をどこまで守るか」の問題は、現在よりもっと深刻になっていくのではないか。

この観点に進むと、またどっさり本が並ぶ棚の前でうろうろし、そう簡単に結論は出てこない。
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