南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  F1
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自分の贔屓は、ほとんどが、一等強い人(チャンピオンクラス)で、「対象の選択そのものは、実にありきたり」だが、「見方」が、マジョリティーと大きくズレる場面が少なくない。

今回のミヒャエルの復帰を巡る一連の騒ぎには、「ドン引き」した。

全く想定しなかった事態に拒絶反応を起こしたのか、「カン」がまだ残っていて、キャンセルになる予感があったのか(7月初めに珍しくも彼を夢にみて、なんだろうと気になった)、世間の歓迎一色ぶりに気持ち悪さを感じたのか、どれが一番強かったのかは判らない。

そして、このことを記す。
復帰断念の記者会見の記事を読んだとき、99年の記憶が、頭の中でフラッシュバックした。

あの年の事故の後、復帰のための1回目のムジェロでのテストでは、調子は良好で、見通しは楽観的だった。だが、イタリアGPでの復帰の期待が高まった中での2度目のテスト(GP前恒例のモンツァ合同テスト)で、「痛くて走れない」と断念を発表した。

力のない瞳と、右足を引き摺って歩く姿を見たときの、身を切られるような思いは、10年の歳月が流れた今も、昨日のことのように蘇る。

その2ヵ月後、彼はマレーシアGPに復帰した。モンテゼモロからの、チームに対する義務の遂行の要求に、抗えなかったからだ。

7年後、06年の引退について、「本人は引退したくなかった。モンテゼモロに引退に追い込まれた」という解釈が、現在世間で広まりつつあるらしい。
当時から、この説はあったが、支配的とはいえなかった。
フェラーリ(モンテゼモロ)とミヒャエルの利害が反して対立する構図は、両方を支持する世間のマジョリティーには、「都合が」悪い。
不都合な事実を認めることを拒否し、「美しい話」として終わらせたがった人が多かった。

私は、イタリアGPのレース終了後、ミヒャエルが記者会見で喋る前に、彼の名のない来季のドライバーラインナップを記したプレスリリースを大急ぎで配布したフェラーリを、許さなかった。
95年にフェラーリへの移籍が決まったときから消え去ることはなかった自分の不信は、杞憂ではなかった。11年後、私が怖れたシーンは現実になった。

ヴァレンシアでの復帰消滅後、将来の復帰の可能性を述べるモンテゼモロの発言は、99年の地獄を、私に思い起こさせる。
私にとっては、「すべて終わった」から、この先に、再び地獄はないことが判っていても、傷跡に触れられると、身がすくみそうになる。
忘れ去ることができるならそうしたい、「地獄の季節」の記憶だ。
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