南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  F1
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ホンダ神話の次に、「ザ・ハウス・オブ・トヨタ〈上〉―自動車王 豊田一族の百五十年 (文春文庫)」を読むつもりだったが、



を先に読む。
赤一色の装丁が扇情的で安っぽいが、中身は、扇情的な批判でも、提灯持ちでもなく、バランスをとったもの。
記述の多くはこれまでに報道済の内容だが、「改めてまとめて」読む概説としてはいいかと。

トヨタの赤字転落は、外的環境の要因だけでなく、トヨタ自身の体質の変化による。アメリカのバブルにのっかって拡大路線を突き進み、かつてのトヨタらしさが失われた。バブルが崩壊した後は、大調整が行われ、経済システムが転換され、再びゆるやかな成長軌道を歩むのが必然なので、トヨタの今後はリーダーとなる創業家の嫡男、章男氏の手腕にかかっている、というのが大筋。

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話をF1へもっていく。

・撤退か否か

現在話題のBC問題に、自分は無関心で、「収まるところに収まるわよ」と、しらっとしていた。
お馴染みのFIAと自動車メーカーとの権力闘争の続きとみなしていたからだが、本書を読みながら、この件も、「本質的には、政治ではなく経済の問題」と受け取るのが正しそう、と気づいた。

F1の自動車メーカーチームたちが過去ほんの数年の間に急激にコストを膨らませたのは、本書で描かれたバブルと同時期である。自動車メーカーたちの拡大路線をそのまま反映したものなのだ。
トヨタのF1参入も、グローバル戦略の一環であった。されば、バブルがはじけて、各国政府・企業とも、経済システムの改革・再構築に血眼になっている現在、F1の世界も大幅な改革があって当然だろう。

その中で、いまだに目先の利己的な利害に固執して、急激な改革を嫌がる自動車メーカー傘下のチームたちは、衰退が必定の肥大化・硬直した組織、といってもいいような気がする。
これは、モズレーのやり方や、F1の理想の姿がどう、とは、別の視点の話である。

F1はすべてにおいて最高であるものとか、ステイタスがどうとかいった意見は、「過去15年くらいの常識」に囚われたものだと思う。
「もっと長いスパン」で見て、自動車メーカーたちのいない60年代のF1を思い出せる人は、「F1に自動車メーカーがいなくてもいいんじゃないの?」という切り替えができる。
自分も長く、「F1の魅力は、とてつもない贅沢さ」と思っていたが、中村良夫氏の著作を知った03年以降、視野が広がり、従来の自分の考えにしがみつかなくなった。

・向き不向き

製造業主体で自己主張が弱く、突出した個人による個人プレーより集団の和による総合力を重んじる日本には、シビアな金融資本主義は馴染まなかったということだ。(P.191)

「日本人ドライバーがいまだに成功しないのは、F1は日本人に向いていない競技だから」という説を書いたことがあるが(2008/8/28)、同じことが、チームにもいえたのではないか、という考えが浮かんだ。

型にはめて、「決めつける」のは適切でないし、想定の幅は常に広く持つようにしていたので、「最終的な評価は、ホンダとトヨタが成功せず尻尾を巻いて逃げるときまで待ちたい」と保留にしたが、ホンダはその通り「尻尾を巻いて逃げた」。トヨタの最終評価が出るのはいつか?
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