南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  スポンサー広告
tag : 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category :  F1
tag : 
(3)天才への依存

エイドリアン・ニューウェイは、3度成功する。
今季のレッドブルRB5の戦闘力の高さは、4戦終わった時点で明らかになった。新レギュレーションで各チームがそれぞれゼロからマシンを作り上げた中で、稀代の天才ニューウェイの才がまたしても発揮された。

私がF1を見始めた頃、エンジンの馬力勝負の時代は過去のものとなり、空力が勝負の時代に入っていたと思う。そして、「エイドリアン・ニューウェイvsロリー・バーン」という、空力の専門家であるマシンデザイナー対決の構図があった。
その後のタイヤ戦争の時代、「一人の天才デザイナーが作るマシンの性能でタイトルを取る」時代は終わったかのようにみえたが、タイヤ戦争が終結し、空力勝負の時代の今、ニューウェイが再び蘇った感がある。

ニューウェイに匹敵する才は、F1界に他にいない。一人のマシンデザイナーの才に頼らずとも優れるマシンが作れるのは、レギュレーションが固定され、蓄積が活かせる期間に限った話で、極めて大きなレギュレーション変更がなされ、独創性の勝負になったときは、ひとりの才のレベルがものをいう。
この解釈によって今季のルノーとBMWの不振の説明が可能だ。
序盤4戦の総合では、ブラウンBGP001がRB5を上回ってきたが、シーズンの終わりに向け戦力バランスがどうなっていくのか、大きな注目点だと思う。

(4)時代の区切りのひとつ

「F1は、始まってからたかだか50年のイベントに過ぎない」この私の常套句の所以は、自分が知る他のスポーツのイベントでは100周年という数字が普通に出てくるがためだが、調べてみると、このわずか50年の間に、F1は変遷を繰り返したことが判る。

自分はF1を知って以降、常に視点をミヒャエルに置いてF1を見てきた。そのため、「彼の時代の終わり」の到来をいち早く勘づいた。
この「時代の終わりの認識」は、彼のファンとしての個人的なもの、と思っていた。だが、改めて考えてみると、彼の引退は、F1の世界における時代の区切りのひとつとみなす解釈をしてもいいのかもしれぬ。

2000年代初めのフェラーリの黄金時代の原動力は、彼だった。些か臭い表現をするなら、ミヒャエルは、並び称されるドライバーは誰もいない現役最高のドライバーとしてF1界に君臨し、F1界の最高のブランド、フェラーリというチームを完全に支配した、まさしく王だった。96年から06年まで11年の間の時代の主だった、ということができると思う。

これをもたらしたのは、彼個人の外のF1界の様々な要素だ。政治、レギュレーション、経済状況等の外的要素が相まって、彼の時代を生んだ。

現在進行形であるときは気づかず、のちになって気づくことは沢山ある。F1界の勢力図が固まるのは、もう暫く先だ。いや、固まるかどうかもまだ判らない。
ミヒャエルの時代、私には「信じるもの」があった。ミヒャエルその人だ。今思えば、それは根拠のない単なる「思い込み」で、彼が栄華を極め、私が失望と落胆の淵に沈まずに済んだのは、運がよかっただけである。別の言い方をしても、せいぜい、「選択が誤っていなかった」だけだ。

今の自分には、信じるものはなく、それがゆえ先も見えない。時折過去の幻を思い起こしながら、不安定な足場の上に立っているように、ゆらゆらとGPシーンを眺めている。
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/270-becb49ea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。