南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  展覧会
tag : 
近美の所蔵作品展にて。

・菊池芳文 「小雨ふる吉野」

4階第1室の大きなガラスケースの中に、 六曲一双の屏風がふたつ。
菊池芳文「小雨ふる吉野」と川合玉堂「行く春」。

菊池芳文は、初めて知る名。
画風そのものには、格段の個性はない。二度目からは平凡に見える可能性の高い部類だ。

だが、この屏風は、私をひきつけた。
「ああ、吉野だ。吉野の桜だ」と私に思わせたから。

吉野へ桜を見に行ったのは一度だけだ。
東京で育った自分にとって、桜とは染井吉野のことだった。白く輝く花弁の集合を桜と思っていた私の目に、赤い葉と共に咲く山桜の花は、見慣れず、地味に映った。
満開の吉野の千本桜の光景は、見事であったが、一度見れば十分だった。

母は私と同様に関東育ちだったが、華やかな染井吉野より山桜が好きで、吉野が好きだった。できるのなら、何度でも行きたいと言った。

そう言っていた母の年齢に近づいてきた私は今年、砧公園の中を歩いているとき、夏の雲の如くに咲き誇る染井吉野の大樹より、ひっそりと咲く山桜の花を、より美しいと思った。間近で見る赤い葉と白い花を、美しいと思った。

自分が再び吉野に桜を見に行くことはないだろう。もしも、吉野の桜を懐かしく思うときがあったら、ここに来て、この屏風を見ればいい。

・川合玉堂 「行く春」

玉堂の作品からは強いインパクトを受けたことがなかった。与える印象は「穏やかさ」で、色遣いも、鮮やかなものを見た記憶はない。
この屏風は、それらとは違った。

最初に、「青緑」が、目に飛び込んできた。形より先に、色。
岩肌を描いた青緑が、屏風全体を支配する。
桜は、左隻だけに枝が描かれ、右隻には、舞落ちる花弁のみ。
青緑の上に、雪のように舞う花弁。

枝を見れば、これも、山桜。

桜の季節に合わせて、この他にも桜を題材にした作品数点が展示されていたが、4階のこの屏風ふたつが素敵だった。いいものを並べてくれた。
難を言えば、「小雨ふる吉野」の正面には椅子があり、ゆっくり見ることができたが、「行く春」は、ちょうどいい位置まで下がったところに、椅子ではなく展示物の入ったガラスケースがある。
そこまで下がって見たいのは私だけでなく、数人が並んで眺めていると、係員がすっとんできて、「危険ですので、ガラスケースにはもたれないようお願いします」。
ちょっと無粋。


RIMG1961 (2)
砧公園にて
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/250-7ee926b5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)