南の国の太陽、空の色の獅子

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■「視野を広く持つこと」

人間は、年を重ねると、「視野を広く持つ」ことをできるようになるのだと思う。自分を振り返ると、痛感する。ほんの少し前までの自分の視野は唖然とするほど狭かった。
今も、無意識だと狭くなるから、「広い視野を持とう」という意識を持って物事を見る努力をするようにしている。(なかなかうまくいかないが)

■文系脳の思考



人の脳には、理系と文系、二種類がある。この本は、「自分は理系オンチの完全文系脳である」自覚のある人に、とりわけお勧めだ。
著者の専攻は社会学で、「素人の一般市民の頭で考えると、地球温暖化論の理屈と主張は、ここが納得できないんですけどぉ」という話をしている。
発想の観点や理屈の展開のしかたが、文系脳のそれであるため、ついていきやすい。

「少し前、別の話が出回ったような気がするんだけど、違ったっけ・・?」が、私の地球温暖化論に対する漠とした懐疑の原因のひとつだったが、懐疑論を読み始めてすぐ、裏がとれた。
1970年代は、地球寒冷化論が主張され、「氷河期が来る」と述べる本が多数出版された、とあちこちに書いてある。「ああそう、それよそれ」である。

「専門家」や「政府」が主張し、世間に広める「科学的知見」が、年月が経ったとき、真実ではなかったとひっくりかえされることは普通に起こる。
数百年前の人々は、太陽が地球の周りを回っていると思っていた。この先、数百年後の人々が、我々が今持っている常識をひっくりかえさない、とは誰にも言えない。
人間の持っている、世界に関する知識とは、そういう性質のものだ。

社会学や歴史学といった種類の思考回路を頭の中に持つ人は、「過去に起こったことを忘れず、比較する発想」をする。この思考は、「時間軸における視野の広さ」を意味する。

著者が提示しているのは、「ものの考え方」である。
「専門家が言うから」「世間でみなが言うから」と、うのみにして、流されていいのか。それぞれが、自分の頭で考えることが必要ではないだろうか?と。



内に籠ってぐちぐち理屈を並べている後ろ向き思考のけらいのある「地球温暖化論への挑戦」に対し、こちらは、同じく文系脳でも、より現実に即した提言を述べている。

著者は、「科学」に不確実性があることを認め、「コンピュータの中で生まれた危機」という温暖化問題に対する批判も否定しない。
(コンピュータによる未来の気候予測シミュレーションの信憑性に疑義を持つのが文系脳)
その上で、日本が京都議定書を締結してしまっている「現実」を前にして、我々はどう対応していけばいいか、という問題を取り上げている。

CO2を減らすには、エネルギーの消費を抑制する必要があり、それに伴う「痛み」が必要だ。しかし、日本ではこれまでその痛みを正面から議論し、京都議定書のもたらす負担を分析してこなかった。

日本は京都議定書によって自国単独では事実上達成が不可能な温室効果ガスの削減義務を負った。

負担の実情を国民の大半は正確に知っていない。

筆者はこの本で、「地球を守れ」という視点のみから温暖化問題を語るつもりはない。「負担と効果を冷静に分析した上で、この問題を考えるべき」と強調し、京都議定書と温暖化をめぐる正確な事実を伝えたいと思う。


温暖化問題に関わる政策は、負担と効果を冷静に分析した上で決定すべきである、という著者の意見は、「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態」(ロンボルグ)の主旨に通じる。
ロンボルグの提言も、政策は常に、負担と効果を見極めて「優先順位」をつけて実施するもので、莫大な費用を投じる地球温暖化対策の政策には、慎重な検討が求められるんじゃないか?というものだった。

そして著者は、「上からの数値目標」である京都議定書を見直し、CO2削減の政策を、霞が関の官庁製でなく、地域住民が合意を集積し、自らの意思で実行する形に変えるべき、と提言する。

一人ひとりが地球温暖化と京都議定書をめぐる事実を知り、考え、行動を始めることで、状況が変わることを信じたい。

地球温暖化対策のポイントは、つきつめれば、「今の世代と後の世代の負担のバランスをどう決めるか」である。
これについての考えが各人バラバラなのは当たり前だ。その上に、日本では、「真剣に考えてみたことがない」人が大半だろうと思う。

著者は、京都議定書は、政治家と官僚の「失政」であり、国民の意見を集めて決められたものではいという批判を述べている。
この批判は当たっていると思うが、同時に、日本の国民には、地球温暖化問題に限らず、将来を見据えて、政策決定に関与しようという意識を持つ人の割合が低いのではないかと思う。
自分自身も「受動的な国民」のひとりだ。「望むものは自分の幸福」であり、「利己的な欲望」に囚われ、目先しか見えない人間である。

自分はエコ商品を買っているとか、節電をしているとか、何かしらのエコ活動をしているという「自己満足」をしている人は、自分に限らず世の中に多いと思う。
地球温暖化の問題は、そういう話で済ませていい類のものではない。この本は、自分にそのことを気づかせた。

「バランス」の観点で言うと、「京都議定書を守りましょう」という本を並べて紹介すべきだが、このスタンスの主張は、チーム・マイナス6%のサイトですませていいのではと思う。

環境問題の考え方 (2009/2/13)
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