南の国の太陽、空の色の獅子

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アマ時代のカタリーナ・ビットをいいと思わなかった、と書いたが、後日、この認識が「180度」変わったことを補足しておきたい。

180度転換が起こったのは、97年国際オープンフィギュアの代々木の会場で、彼女の演技を見たときである。
リンクでビットを見たのは、このときが初めてだった。
この大会は、現役トップクラスの選手とプロ選手が混在し、「競技会として」は些か問題のある(アマの採点方式では、ジャンプの力の落ちたプロはアマに勝てないに決まっている)大会だったが、自分にとっては「ビットの素晴らしさを知った日」として、強く印象に残っている。

ひれ伏しそうになった。
ああ、これがビットか。
彼女の前では、この日やはり初めて見た、現世界チャンピオンのミシェル・クワンは、とるにたらない「小娘」にしか見えない。
艶やかさ、美しさ、圧倒的な存在感。「女王」とは、彼女のためにある言葉だ。

ジャンプを跳べないから技術点がアマに負けるのは当たり前だが、ビットの芸術点がクワンより低いなど、全く、納得ができない。
このときのクワンは16才で、前シーズンに初めての世界タイトルを取ったばかりの「新女王」だった。
対するビットは、現役引退後9年で、31才になっている。

文字通りの大人と子供である。表現する力も、女としても、人間としても、円熟味の差は歴然としていた。
しかし、競技会では現在のクワンの基礎点が一番という評価ができているから、ジャッジはクワンを上につける。フン、あほらしい採点だ、と露骨に思った。

思い返すと、もしかしたら、私の女子シングルの演技の物差し、「基準」は、あの日のビットの演技なのかもしれない。意識していなかったが、深層に存在する。そうみなすと、その後の自分の好みが説明できる。
「難易度の高い技をやっていることは判るけれど、腕を『振り回してる』としかみえない。コーチに教えられて実施している『振り付け』にすぎず、自分自身の内から湧きあがる表現には到底みえないんだよなあ」と醒めて見るケースを、最近も経験している。

付記。
私のビットに対する見方は、「メダルと恋と秘密警察」(カタリーナ・ビット/文芸春秋/1994)によっても変わった。
気がつくと、秘密警察はおろか「東ドイツ」の存在も知らぬ世代がフィギュアスケートを楽しむ時代がやってきている。
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