南の国の太陽、空の色の獅子

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CG2月号とAutosportsNo.1190のホンダF1撤退に関する記事を読み、自分の積年の不審に対するひとつの回答が浮かび上がってきたように思った。
「ふむ。こういうことだったのかもね」と。

CGは、1年前からホンダの特集を予定し、そのために福井社長に対するインタビューも申し込んであった。インタビューが実現したのは、F1撤退発表記者会見の9日前だった、とある。
12/5の発表にCG編集部は驚き慌てたが、ホンダ特集の予定は変えず、社長のインタビューも掲載することを決めた。

私の目に留った一文を挙げる。

「本田宗一郎以来、うちのトップは代々技術屋です。ただね、私なんかは経営全体がわからない。だから、副社長がいて会長がいて、専務クラスがいて、集団経営をしている。でも、最終の意思決定をするのは私です。やっぱりその方がホンダらしい。経理や経営より商品、これがホンダですよ」

AutosportsNo.1190の記事で黒井尚志は、撤退決定までのホンダ社内の動きについて次のような推測を述べている。

社内には早期撤退派が存在したが、F1は、役員の誰かではなく、「福井社長のプロジェクト」であるゆえに、表向きにその主張はできなかった。
役員会で、F1継続に関して議論が繰り広げられることはなかった。社長がやるといったらやるのである。そのため撤退派は、ひたすら福井社長の決断を待っていた。「社長の面子を保ちながら撤退できるタイミング」がやってくるのを期待して。
昨秋の急激な景気悪化で、社内では撤退の雰囲気が高まり、その中で、社長がついに決断した。
根回しも何もない社長ひとりの決断だから、情報が漏れなかった。社長が前もって話したのは、現役役員では大島担当役員だけ、あとは第3期を始めた川本元社長ではないだろうか。

黒井氏の記述は、大企業に対する批判精神ゆえに、ときに事実を外すときがある。今回の記事も、個別の事柄の記述の信用度は疑ってかかった方がよい。
しかし、氏の記事の「主旨」は、自分がこれまでに仕入れた様々な情報を総合したとき、辻褄が合う。

「ホンダさんのF1をやるスタンスて、専ら『自社の内側』に目を向けていて、長期的なビジョンを持たず、40年経っても、『自分がレースをやりたいからやる』だけしか言わない、『コドモの思考』で止まったままみたい」

上は、2005年8月に自分が書いた文章だ。(05/8/19 覚え書き
本質的な部分で、この解釈は合っていた、のではないか。

福井社長は、川本社長と同じように、レースを愛し、F1をやりたかった。だから、やり続けた。
第3期活動は、総括すれば、「失敗」に終わった、と評することができると思う。
失敗の本質を述べるなら、ホンダにあったのは、「福井社長をはじめとする一部の社員の『F1やりたいという気持ち』」だけで、「運営実務を担う能力を持つ人材」がいなかったこと。

第3期の準備段階とBARとの提携の時期、ホンダの人は表で、「自分たちはチーム運営には興味がない」と公言し続けていた。
つまり吉野社長時代のホンダの社長・担当役員は、この点の自覚はあった。(但し、エンジンを作る技術は通用すると思っていて、これが過信であったという「自己認識」ができるのは、03年が終了したのちである。・・05/1/25
しかし、2003年に社長職を継いだ福井氏は、この現実に向かい合うことを避けたのではないか。

ホンダは、社内に、F1のシャシーを作る技術も、F1のレース運営のノウハウも持たない。
F1チームの運営ができる人間を持たないし、シャシーを作れる人間も持たない。

ホンダという会社が、「F1でレースをするために必要なスキル」の中で、社内に持っているのは、20年前から現在まで、「エンジンを製造すること」だけではないか。


撤退発表の前に、自分は、メディアが世間に広めるホンダのイメージは虚像である、とこきおろした。(2008/10/6 覚え書き

「経理や経営より商品、これがホンダですよ」
福井社長が、F1を、自社の技術力を磨く場とみなそうが、社員をローテーションして、研鑽の場にしようが自由だが、現代のF1では、「レースに勝つ」という目的に沿った組織を構築し、有能なリーダーが統率し、目標に向かって邁進するチームが、栄華を得る。それが現実だ。

私が判る程度のことを、福井社長が判らなかった、と想像することには無理がある。専門知識を何ひとつ持たない一観客の自分が、自分の方が福井氏よりF1を判っている、と述べるのは思い上がりだ。

判っていたが、どうにもならなかった。
戦績が思うように向上しないことに満足してはいなかったが、だからといって、うつ手がなかった。
実務は、部下と、外部のイギリス人に任せ、彼等を信じるしかなかった。
彼等の報告を信じ、来年は希望が持てる、と前向きに考えて過ごしているうちに、いつのまにか歳月が経った。

そういうことではなかったのか。

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ホンダは、宗一郎の時代から、いつも、「やりたいことをやる」会社だった。
宗一郎は、F1を「やりたいから」やり、川本氏もそうで、福井氏もそうだった。その面を取り上げれば、ホンダ自身は変わっていない、とすら言える。
3人の時代でF1での成果が異なった理由の第一は、それぞれの時代の「外的状況」が異なったためではないか。

2期は、「たまたま」状況に恵まれた。
2期の栄華の年代は、日本のバブル時代にそのまま一致する。ウィリアムズ供給で最初にチャンピオンエンジンになったのが86年。マクラーレン供給での91年が最後である。
バブル時代とは、一般的に、1986年から1991年までを指す。当時の日本では、金があり余って、そこら中に溢れていた。金をもっていく所がなくなり、日本人たちは大挙して海外へ出かけ、金に糸目をつけず様々なものを片端から買い漁った。
大量の金・人・モノをF1エンジンの開発に注ぎ込んだ2期のホンダは、バブル時代の落とし子で、2期の成功は「あの時代ゆえ」だったのではなかろうか。

ホンダ2期の評価を語るとき、この「時代背景」の点をきちんと述べる見解をあまりみかけないが、「自動車メーカー」の活動と成果に言及するときに、経済の観点を身落とすのは、片手落ちだと思う。

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「92年のホンダ」に関して思い出す、私自身が経験したエピソードがある。
運転免許を取る目処がたち、車を買おうとディーラーを回った92年の6月のこと。
ディーラーの中で、一社だけ、接客態度が他所と異なる所があった。

「なに、あの、ろくな接客をしない会社は。他はどこも、一定レベル以上の接客してくれるのに、車のことを知らないど素人の女を相手にしたくない、と見下されたみたい。他に客がいて忙しかったわけでもないのに、あんな営業でよくやっていかれるわね」
翌日会社で男性陣にそう話すと、「ああ、あそこは、特殊だよ。自分のところの車を気に入って買ってくれる人だけ買えばいいと思ってる。だから値引きもしない」
「ふうん。そうなの。ならホンダはやめるわ。シビックがいいんじゃないかと候補の一番にしていたのだけれど、ぜひというわけじゃない。買う気がなくなった、候補から外すわ」

ホンダの国内販売が下降線を辿るのは92年からで、F1撤退のすっぱぬき記事を朝日新聞が書いたのは、この年7月のことだった。
このことと、ホンダのディーラーでの自分の記憶とが頭の中で結びついたのは、ごく最近のことである。

これまでにホンダに関して書いた諸々
ホンダに関して思いついたこと (03/7/16) 
中村氏のF1GP観について (04/2/25)
F1の政治、及びその報道について (05/5/31)
開幕戦最終ラップに、チェッカーとピットのどちらへ向うか、今季の2チームを分ける分岐点になった (05/11/6)
・ルノーは「自動車メーカーとして」F1をやってない (06/5/17)
なんか違うなと思っていたこと (08/10/6)
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