南の国の太陽、空の色の獅子

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自分がガンと診断されたとき、医師に向かい、「病状の事実を隠さず教えてほしい。家族にだけ伝えて自分に伝えないということはしないでくれ。余命が3か月なら、それとしてすることがあるから、事実を教えてくれ」と明確に告げることができるか。

この設問に、今の私は、自信をもって「YES」と返答することができない。
余命3か月と告げられたとき、自分が正常な精神を保てる、という自信がない。絶望の淵に沈んで、精神の安寧を二度と取り戻せないかもしれない。
けれども、医師と家族が私の余命を知っていて、私だけが知らぬまま、つまり欺かれたまま死んでいく、ということもまた耐えがたい。
私は、自分の人生の最後の時間を他人にコントロールされたくない。それが3か月であろうとも、いや3か月であるなら尚更、その事実と向かい合い、受け入れて、生を終わりたい。それができる人間になりたい。

「事実を教えてほしい」と医師に告げられる自分になること、これをひとつの目標にして、私はこれからの日々を生きていきたい。



日本では従来、患者本人に事実を知らせないケースが多かった。時の経過と共に、本人に告知するケースが増えてきたが、まだ、それが普通、とまではいっていないように思われる。

上に挙げた本の著者、小野寺氏と近藤氏は、原則的に本人に事実を伝える主義である、と言い切っており、中島梓は、担当医から、余命半年、とバッサリ言われた、と記載している。
いくつかの事例を読むと、がんセンターなどの専門病院は本人告知が基本で、他の病院は方針がバラバラ、という感じがする。

2年前に亡くなった友人のご家族に、後日に尋ねたところ、家族は医師から余命を聞いたが、本人には知らせなかった、と仰った。
数日前、契約している生命保険会社から、指定代理請求特約付加の案内のDMが送付されてきた。これは、保険金・給付金を本人が請求するのが困難な場合に、代わって請求できる代理人を事前に指定しておくという特約で、発動するケースのひとつとして、「がん等の病名や余命6か月以内であることが医師からご本人に告知されず、ご家族のみが知っている場合」とある。このようなケースが珍しくないと保険会社が認識している、と解釈できる。
発売中の文芸春秋1月号に掲載された、立花隆の筑紫哲也の想い出の記事の中には、がんが進行して、余命3か月と医師が家族に伝えたとき、本人には伝えなかったとご家族から聞いた、という記述があった。

同じ病気に罹っても、どの病院・医師に治療を受けるかによって、此方の人生の最後のときのありようは大きく変わる。

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上記の話題を自分が考え始めたきっかけは、今夏、家族が難病の疑いで検査入院したときである。
聞いたことのない病名なので、調べようと図書館に行って棚を見ると、目的の病気に関する本はみつからなかったが、ガンに関する本が山ほどあった。

ガンに対する関心は、数年おきに、自分の内に浮上する。母をガンで亡くしたとき、同い年の友人を亡くしたとき。2人とも、発覚してから亡くなるまでちょうど1年だった。
友人の死を知った夏、「自分も、ある日ガンと診断されて、余命1年になるかもしれない。この花火が最後に見る花火になる可能性もゼロではないな」と思いながら、恒例の花火大会を眺めた。

それから2年経って、再び、「自分も、いつ罹っても不思議ない」という意識が蘇った。
これまでは本を色々読んで調べることをしなかったが、図書館の棚にズラリ並んだ本はどれも食指をそそる。
着手してすぐ、「目から鱗」。
今まで自分がいかに何も知らなかったかが判って、唖然とするやらうんざりするやら。

「がんを扱う医師の間では常識」で、本を3冊つきあわせれば簡単に確認できる、がんに関する基礎知識が、自分にとっては「まったく新しく知ること」だった。
人は、本当に差し迫らないと、真剣に調べたり考えたりすることをしないものなのである。
「自分以外の人間ががんに罹ること」と「自分ががんに罹ること」は全く別ものだ。自分以外の人間の死と自分の死が全く別ものであるのと同じように。
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