南の国の太陽、空の色の獅子

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F1では、いつも、チームは参戦しては撤退する。
ずっと参戦し続けているのは、ただひとつ。
フェラーリだけ。
このことを「本当に」判ってさえいれば、現在の状況は、騒ぎ立てるほどではない。

自動車メーカーが「自分の都合で」参戦撤退を繰り返す存在であることは、最初から判っていた。
判っていて、彼等を引き入れ、回る金が際限なく膨らんでいくのを許したのはF1側だから、今回の世界的景気後退の影響でメーカーに逃げ出されて困る人間がF1側にいても、想定できた事態である、と恨みをいわないのが公平というものだろう。

・トヨタ
少し前まで、トヨタはもう1年やる体力は充分あると思っていたが、日々表に出てくる諸々の売上や為替、財務指標の見込みを見ていると、呑気でいていいのか少々疑問になってきた。
想定の幅は広くとっておこうと思う。(ありえないと思いこまない、という意味)

実のところ自分は、トヨタショックの日、反射的に、「F1撤退」の文字が頭に浮かんだ。トヨタという会社は、そうするのが当然にも思えた。
だが同時に、トヨタには別の面もある。自分は、05年に、トヨタについて積極的に情報を集め、トヨタ独自の「哲学」の存在を知った。
2005/4/17の「ザ・トヨタウェイ」の感想と、4/28の「F1におけるトヨタのアイデンティティー」をいま読むと、なかなか,面白い。

「改善」というトヨタ用語はかなりポピュラーで、知っている人は多いと思うが、トヨタウェイの図において、「カイゼン」は三角形の一番上で、最も根底にあるのは、「Philosophy」であり、そこには「長期思考」と書いてある。
そう、トヨタの「14原則」の「原則1」は、「短期的な財務目標を犠牲にしても長期的な考え方で経営判断する」なのである。

これを読んだ瞬間、「だから、トヨタは、F1に莫大な資金を投入できたのか」と思った私は、短絡思考の極致というものだが、本を読んでいる最中、「マーケティングが目的のトヨタは、利益にならないとみれば、さっさとF1から撤退する」といった思考は、トヨタの経営哲学や思想の知識を持っていたら、出てこないかもしれない、とか、本業における思想は、モータースポーツという別のジャンルにいっても、生きているのではないか、といった、様々な思いつきが、ポツポツと浮かんでは消えた。(
4/17)

F1チームとしてトヨタ自動車は参戦し、しかもTMG会長として日本のトヨタ自動車から冨田を送り出している、というわけです。
F1グランプリという文化の中へ、チーム・プリンシパルをトヨタ自動車から出している。
それはエンジン・サプライヤーで参戦しているスタンスとはまったく違う部分なのです。

つまり、今後のF1、そしてF1の将来に対しても責任を持つ、ということになりますし、そのような理解を持った上でトヨタ自動車はF1に参戦しています。
(4/28)

「F1の将来に対しても責任を持つ」
同じセリフが、ホンダの責任者から出てきたことはあっただろうか。F1参戦から撤退までの40年間のうちに一度でも。
私の目に映るホンダは、思考がいつも「自分の会社の内側」に留まり、「F1界」へ及んだことはない、「自分のことしか考えない子供みたいな」会社だった。

ホンダが撤退したことで、他メーカーが撤退しやすくなるのか、逆なのか、解釈は二手に分かれる。どこの自動車メーカーも苦しいが、財務状況や企業戦略、将来予測はそれぞれ違う。

F1がどうなるにせよ、此方には、「行く末を見守る」ことしかできない。
衰退するなら、そういうもの、と思う。F1は、始まってからたかだか50年のイベントに過ぎない。ひとひとりの寿命に足らない年月なのだから、歴史の中では一瞬だ。悠久に栄えることを期待するに値する対象ではない。

・愛の有無
ホンダの撤退に関する文章をいくつか読んだが、川喜田氏のコラムに、共感を覚えた。
対象に対して「愛」を持つ人の言葉には、説得力がある。
「愛」を持たず、離れた場所から、したり顔で「冷静に」述べる言葉は、それが客観的で公平で論理的な解釈・評価・解説であっても、ひとの心に響かない。
かつて私はネット上で延々と言葉を綴ったが、その中に、読んだ人の心を動かすものがあったとしたなら、それは、「愛」を私が持っていたからだと思う。

ホンダ撤退に思ふ(1)…当然と理解しつつも「強い怒り」 (F1放浪記) [12月06日]
ホンダ撤退に思ふ(2)…レース界への身勝手な裏切りだ (F1放浪記) [12月07日]
ホンダ撤退に思ふ(3)…敗戦に学ぶスピリットはあるのか (F1放浪記) [12月10日]

彼の記述は、私が思いついたことの多くと重なる。付け加えることは、あまりない。
私自身はホンダに対して愛を持たぬが、過去を紐解けば、持つ人の気持ちは理解できる。そして、時間の経過と共に対象が変わっていったとき、自分が好きになったときのままでいてほしいと願うファンの気持ちも判る。対象が変質していくことを受け入れられない心理も。
ホンダに関して思いついたこと(2003/7/16)

・ポストレスウエイトのホンダへの最後の手紙
ホンダ撤退に思ふ(2)の中の、ポストレスウエイト博士の件だが、ホンダがオールホンダの方針を翻した当時は、かなり手厳しい記事が雑誌に載った。
そのうちのひとつがF1グランプリ特集99年8月号の「ポストレスウエイトが綴ったホンダへの『最後の手紙』」。書き手はセイウォード。

「HRDの2000年参戦に向けて、バルセロナでテストを行っていたその期間中に、病魔に倒れたポストレスウエイト。ホンダとBARがコンビを組むことを知っていたのかどうか、ホンダの発表後話題になった。
だが、彼は確実にその事実をつかんでいた。それを証明する文章がここにある。
彼はHRDによる「オールホンダ」での参戦を切に願っていた。そして彼がホンダの「方針転換」を知った、死の直前に、ホンダに宛てて書き綴ったのがこの2枚の手紙である。そこには、ポストレスウエイト、そしてHRDの、このプロジェクトにかけた熱き思いが詰まっている。」


手紙の写真と翻訳が掲載されている。その文面からは、HRDで参戦させようとホンダの説得を必死で試みていることが読み取れる。
宛名は当時の責任者、保坂氏で、冒頭は、Dear Mr Hosaka だが、なかほどに“Hosaka san”という呼びかけがある。続いて、“ please give this proposal consideration. ”(この提案をご検討下さい)

この手紙が偽物でなければ、「ポストレスウエイト博士の死によって、ホンダが方針変更した」という説は、「ホンダを庇う」欺瞞だと思う。
ちなみに今週発売のF速の巻頭記事(署名は船田編集長)の中には、このホンダ擁護説の記述がある。初心者読者にそう広めたいらしい。
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