南の国の太陽、空の色の獅子

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「皇太子ご一家、奈良の神武天皇陵を参拝」という記事の見出しを見て、「神武天皇陵?実在しない人物なのに陵があるのか?奈良のどこだろう。記憶にない」

続いて記事の中の「今年は初代天皇とされる神武天皇の没後2600年にあたる」に、啞然となった。

瞬時に浮かんだのは、「き~げんは、にせ~んろっぴゃくねん、あ~あ、い~ちおくの~むね~はなる~」のメロディー

2600年は、戦時中の話では。
なんで今頃こんな話が。

あ、あれは即位の年からのカウントで、今度は没後か。
いや、ちょっと待て。70年以上経っているぞ。
何歳で即位して何歳で死んだことになっているんだ。

ま、いいや。
それより神武天皇陵の場所は?

調べると、「橿原神宮の北隣」だった。

ああ。そうか。
橿原神宮は、神武天皇を祀る神社だ。
合点がいった。



橿原神宮。
この固有名詞は、「母が忌み嫌っていたもの」として、私の記憶に刻まれている。

母は、古代史や古典が趣味で、古事記や日本書紀や万葉集の講義を聴きにカルチャーセンターに通う人だった。
旅行が好きで、奈良や京都の史跡や神社仏閣に足しげく通った。

けれども、橿原神宮には決して行かなかった。
奈良は古代史の舞台だから、母が最も好み、それこそしらみつぶしにしていたのに。

「友達には笑われるけれど、どうしても嫌なのよ」

母は、昭和初期の軍国教育を受けて育った。
八月十五日に、重大放送があると聞いたとき、「これから本土決戦という放送だな。よし、一層気を引き締めて頑張ろう」と思ったそうだ。

敗戦後、何が悔しかったといって、「嘘を教えられた」ことが、一番悔しかった。
そう言っていた。

国の指導者たちは、国民に、自分たちにとって都合のよいことだけ知らせ、都合の悪いことは知らせなかった。
情報を隠蔽し、統制して、真実を国民の目から遠ざけた。

指導者に疑いを持たず、彼らの命令に従って過ごしていたら、生活の質が徐々に損なわれてゆき、ついには破滅的な状態に陥った。
為政者たちが退き、別の為政者に代わったとき、初めて、真実を知った。

戦前、実在したとされた神武天皇は、戦後、実在が否定された。

橿原神宮は、母にとって、戦前の日本社会の「虚偽の象徴」だったのだろう。



母は、もしもできることなら、戦後に生まれたかっただろう。
母の時代、「女は」、上の学校にいかせてもらえなかった。
弟たちは、みな行かせてもらえたが、自分は行かせてもらえなかった。

女は、教育を受けさせなくてよい。
女は、男に従っていればよい。
いや、違う。
女は男に従え。

「それが普通」の時代だった。

変わったのは、国が戦争に負けて、アメリカ人たちがやってきたときだった。



母の無念を思い起こすとき、私は、自分の時代の教育に感謝をする。

国の指導者たちは、「国のため」の名のもとに、民に犠牲を強い、民を死に至らしめる。
その過去を、決して忘れてはならない。

そう教えてくれたのは、戦後の教育だ。

現在の政権とそれに組する人間の多数が、「歪んだ戦後教育」という言葉を用いて貶める。
私の見方は正反対だ。
戦前の教育を恨み、戦後の教育を羨んだ母が、一番の根拠である。



尚、私も橿原神宮には行ったことがない。

理由は、創建が明治時代と非常に新しく、見応えのある歴史的な建造物等が何もなかったため。

現在の歴史学で認められた古代の史跡や文化財しか興味をひかれなかったので、結果として旅行プランに入らなかった。
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