南の国の太陽、空の色の獅子

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Andy Schleck 引退発表関係記事
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フランクひとりの契約更新が発表された日から、うっすらとではあったが予期していた。
今の自分の気持ちを正直に言うと、安堵している。

プロスポーツの選手には、必ず、引退せねばならぬ日が来る。
引退を決めるまでには、悩み逡巡する時期を経るケースが多い。外国人の選手はスパッと止める例も多い、と土井さんが著書「敗北のない競技:僕の見たサイクルロードレース」で書いていたが、「スター」クラスになると、そう簡単にはいかなかったのではないか。

私の目には、自転車競技に対するアンディのモチベーションは、「2011年の春」から下がっていったようにみえた。

7月のTdFが終わった後、オーナー・ベッカは、チームを破壊した。
ベッカと、新しいボス・ブリュイネールは、アンディに対して、「TdFで優勝すること」を至上命令として下した。
あのときから、自転車競技の世界はもはや彼にとって居心地のいい世界ではなくなった。

「ツールで優勝すること」は、彼にとっては、是非とも達成したい目標ではないのだ。本当に。
勝たなくてもいい。



どうしてか。
彼は、他人との競争で勝たなくても充足できる種類の人間だから。

人はなぜ勝ちたいと思うのか。
この問に対する回答のひとつが以下。

人は、充足をし、幸福を感じるためには、「自分には価値がある」と認識することが必要だ。
「勝ちたい」という欲望を持つ人には、「勝たない自分」には価値がない、という劣等感が根底にある。

「勝たない自分」は、他者に受け入れられない、と思っている。
他者に認められない自分は、価値がない。
「自分に価値がある」ことを、他者の評価に依拠している(評価基準が他人軸である)人間は、幸福感を持続するために、際限なく勝ち続ける必要に迫られる。

歴史に名を残したい、という欲望は、「そうしないと自分に価値があると認めることができない」という劣等感の裏返し。

アンディは、「自転車レースで勝たない自分には価値がない」とは、微塵も考えていない。
だから、勝利に執着をしない。

彼の勝利に対する執念の欠如は、他者からの批判の的になった。見も知らぬ赤の他人たちから口汚い悪口を浴びせられた。
彼にとって、それらの声は愉快ではなかったが、それによって「自分の価値がなくなると思い込む」ことはなかった、のだと思う。

彼が競技を続けていたのは、信頼しあう人々と一緒にレースをすること「そのもの」が楽しかったから。
その日そのとき、「いま、ここ」を充足して暮らすことができたから。

このような解釈をすれば、今に至るまでの彼の言動の凡そを理解することができる。



そして、彼がそういう人間であったとするなら、競技生活が充足するものではなくなったときは、止める潮時だろう。

人生で一番大事なことはツールで勝つことではなく、素晴らしい妻を得、子供を設け、家族を持つこと。
次代のマイヨ・ジョーヌ候補と注目を浴びている最中の時期に、彼はそう言った。

今、彼は、あのとき語った通り、愛する妻と、息子を手にしている。



ミヒャエルやランスを賞賛した頃の私であれば、アンディのようなタイプの選手は、「才能に恵まれたのに、活かすことができなかった」というネガティブな捉え方をした。
偉大な選手(あるいはチャンピオン)になれなかった、チャンピオンになるのに必要なものを「欠いた」、と。

この「否定的な受け取り方」「上から見下ろして、他者の評価をする態度」は、「私自身の心」の鏡だ。
劣等感に囚われていた自分自身を映し出している。
今は、そのことが判る。



このブログには、彼に関する文章を随分書いてきた。
引退発表にあたり、区切りで少し書いておこうか、と書き始めたら、応援していた観客らしからぬものになった。
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