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F1速報ブラジルGP号掲載のフェルナンドのインタビューについて。
元とはニュアンスが違う点もあるのかも、と割引しつつ、興味をひく箇所がいくつかあった。
「世界で最も優秀と言われるレーシングチームでもそんなことがあるのかと信じられない人もいるかもしれないけど、事実としてルノーがブリヂストンタイヤの正しい使い方を完全に理解するまでには2年かかったんだ。
ルノーはどのチームよりもうまくミシュランタイヤを使いこなしていた。ミシュランはタイヤとしての機能の仕方がブリヂストンとは全く違うんだけど、ルノーがマシンの設計と開発の基本的な考え方をミシュランタイヤの性格に合わせていた。
結局のところ、一番大きなゲインが得られる領域は、空力とタイヤだからね。そして僕らはそのふたつの領域に焦点を合わせてクルマを造り、そのおかげで2年連続でチャンピオンになることができた。
ところがタイヤがブリヂストンのワンメイクになったことで、ルノーはもの凄く大きな変化に直面させられた。
クルマのありとあらゆる部分を変えなければならなかったんだ。重量配分、空力重心、シャシーの重心、もうとにかく全部だよ!そしてチームは狭い温度ウィンドウの中でどうすればタイヤをうまく機能させられるのか、最初から学ぶ必要があった。
つまり、やらなければならないことがあまりにも多すぎて、ルノーがすべての問題を克服するまでに2年近くを要したということなんだ。
チームとしては、あるプロジェクトに関して、色々なことを一度に大きく変えてしまうわけにいかない。だから、立ち直るのに2年もかかってしまったんだ」
自分は今年の開幕前に、多分そういうことなんだろう、と目星をつけて、ぐちった。
最初から、このチームは、MI勢の中で、タイヤの使い方が特殊だった。このチーム「だけ」違った。うん、そうだったんです。
その「独自の発展」によって、05・06年の成功に行き着いたけれど、MIが去ったために、アドバンテージが一気に失われてしまった。
00年の振り出しに戻っちゃって、ゼロからまたやり直さないといけない状態。
・・そんなことない?いや~、そうでないといいんですけどねえ・・
昨年末にルノー復帰を決めたとき、フェルナンドがこのことを完全に理解していたかは疑わしい。
彼は07年シーズンをルノーの外で過ごし、チーム内部の実情を知る手立てはなかった。
戻ってきて、自分の目で理解し、そして、かなりの程度(2強の次の位置)まで戦闘力を回復した今だから、事実はこうだったんだ、と冷静に発言できるのではないかと思う。
--今季のどこかの時点でルノーへ来たことを後悔しませんでしたか?
「僕は自分で決めたことについては絶対に後悔しない。結果的には失敗しても、必ず人生に役立つ何かを学べるからだ。僕は昨年いたチームにはもう留まることができず、他のチームと契約を結べるようになった段階で、僕にとって最良の選択はルノーだった」
質問はルノー復帰に関してであり、彼の返答もそのつもりだ。だが実は、2年前のマクラーレンへの移籍についても当てはまるだろう、と思った。
彼は、自分の選択を後悔はしない人間だ。マクラーレンで過ごした07年シーズンは、彼にとって苦痛と不快でしかなかったであろうが、彼は、あのストレスの塊の1年間から学習をした。そう思いたい。07年中には成長はしなかったかもしれぬが(自分はそうみなしたが)、この先成長をする糧となる経験を得た。彼の言うところの「人生に役立つ何か」を。
マクラーレンに行くまで、彼は、ルノーというチームしか知らなかった。ミナルディに1年いたが、すぐルノーに引き取られ、ルノーの手元で育ったといっていい。そして彼は、マクラーレンが「隣の芝生」だったことに気づかなかった。
ルノーで過ごした06年まで、彼は「本当の苦労」を知らなかった。06年後半のタイトル争いは、逆風に晒され、大きなストレスを負ったと思うが、最終的には勝ち、敗北を知ることはなかった。
本当の屈辱を味わったのは、多分、昨年が初めてだ。
「今年僕にとって一番大事なことは、居心地が良くて、周りの人々を信頼できる環境で仕事をすることだったんだ。そう考えるとルノーに勝る選択肢は他にはなかった。
私は昨年、彼がタイトルを望むのであれば、マクラーレンに残留するのが論理的な思考だ、と思った。そうしないとしたら、来季もハミルトンに勝てる自信がない証だ、と。この解釈は、変更をした方がいいのだろう。
彼は、論理的で冷静な思考のできる人間だが、それは彼という人間の一面に過ぎない。06年の冷静さと強靭さがあまりに際立ったがため、彼の持つ別の面を忘れていた。ミヒャエルもそうであったように、人間は多面的な存在であるのに。
05年末に彼がマクラーレンと契約を交わしたとき、チームメートがハミルトンになることは、まだ決まっていなかった。
ハミルトンの驚異を予測しなかったことは仕方ないし、07年序盤、BSに苦しみ、「ハミルトンより明らかに速く、タイトルをチームに持ってくるのはハミルトンではなく自分」と文句なしの強さをチームに見せつけられなかったことに今さら不満をいったとて詮方ない。
今となっては、07年から彼が何かを学んでいれば、それでよい。
2010年までのルノー残留の契約は、積極的な選択の結果ではない。もしもフェラーリからオファーがあったなら、彼はそちらを選んだだろう。
BMWとの間でどういう話がなされたのかは不明だ。彼等が本気でフェルナンドの獲得を考えていたのか、そうでなかったのかも、今の時点では判らない。
「2009年シーズンの展開がどうなるかはまだ誰にも分からない。来年はシャシーの規則が大きく変わって、ダウンフォースが大きく削られ、スリックタイヤが復活し、KERSも導入される。この3つの大きな変更にうまく対処したチームが、シーズンの開幕戦で最強のチームになるだろう。僕としては、それがルノーであることを願うばかりだ」
一言一句同意する。
掲載写真も多いが、いい写真を選んでいる。通常私は、この人の外見にとりたてて魅力を感じないが、いい顔をする、と久々に思った。
元とはニュアンスが違う点もあるのかも、と割引しつつ、興味をひく箇所がいくつかあった。
「世界で最も優秀と言われるレーシングチームでもそんなことがあるのかと信じられない人もいるかもしれないけど、事実としてルノーがブリヂストンタイヤの正しい使い方を完全に理解するまでには2年かかったんだ。
ルノーはどのチームよりもうまくミシュランタイヤを使いこなしていた。ミシュランはタイヤとしての機能の仕方がブリヂストンとは全く違うんだけど、ルノーがマシンの設計と開発の基本的な考え方をミシュランタイヤの性格に合わせていた。
結局のところ、一番大きなゲインが得られる領域は、空力とタイヤだからね。そして僕らはそのふたつの領域に焦点を合わせてクルマを造り、そのおかげで2年連続でチャンピオンになることができた。
ところがタイヤがブリヂストンのワンメイクになったことで、ルノーはもの凄く大きな変化に直面させられた。
クルマのありとあらゆる部分を変えなければならなかったんだ。重量配分、空力重心、シャシーの重心、もうとにかく全部だよ!そしてチームは狭い温度ウィンドウの中でどうすればタイヤをうまく機能させられるのか、最初から学ぶ必要があった。
つまり、やらなければならないことがあまりにも多すぎて、ルノーがすべての問題を克服するまでに2年近くを要したということなんだ。
チームとしては、あるプロジェクトに関して、色々なことを一度に大きく変えてしまうわけにいかない。だから、立ち直るのに2年もかかってしまったんだ」
自分は今年の開幕前に、多分そういうことなんだろう、と目星をつけて、ぐちった。
最初から、このチームは、MI勢の中で、タイヤの使い方が特殊だった。このチーム「だけ」違った。うん、そうだったんです。
その「独自の発展」によって、05・06年の成功に行き着いたけれど、MIが去ったために、アドバンテージが一気に失われてしまった。
00年の振り出しに戻っちゃって、ゼロからまたやり直さないといけない状態。
・・そんなことない?いや~、そうでないといいんですけどねえ・・
昨年末にルノー復帰を決めたとき、フェルナンドがこのことを完全に理解していたかは疑わしい。
彼は07年シーズンをルノーの外で過ごし、チーム内部の実情を知る手立てはなかった。
戻ってきて、自分の目で理解し、そして、かなりの程度(2強の次の位置)まで戦闘力を回復した今だから、事実はこうだったんだ、と冷静に発言できるのではないかと思う。
--今季のどこかの時点でルノーへ来たことを後悔しませんでしたか?
「僕は自分で決めたことについては絶対に後悔しない。結果的には失敗しても、必ず人生に役立つ何かを学べるからだ。僕は昨年いたチームにはもう留まることができず、他のチームと契約を結べるようになった段階で、僕にとって最良の選択はルノーだった」
質問はルノー復帰に関してであり、彼の返答もそのつもりだ。だが実は、2年前のマクラーレンへの移籍についても当てはまるだろう、と思った。
彼は、自分の選択を後悔はしない人間だ。マクラーレンで過ごした07年シーズンは、彼にとって苦痛と不快でしかなかったであろうが、彼は、あのストレスの塊の1年間から学習をした。そう思いたい。07年中には成長はしなかったかもしれぬが(自分はそうみなしたが)、この先成長をする糧となる経験を得た。彼の言うところの「人生に役立つ何か」を。
マクラーレンに行くまで、彼は、ルノーというチームしか知らなかった。ミナルディに1年いたが、すぐルノーに引き取られ、ルノーの手元で育ったといっていい。そして彼は、マクラーレンが「隣の芝生」だったことに気づかなかった。
ルノーで過ごした06年まで、彼は「本当の苦労」を知らなかった。06年後半のタイトル争いは、逆風に晒され、大きなストレスを負ったと思うが、最終的には勝ち、敗北を知ることはなかった。
本当の屈辱を味わったのは、多分、昨年が初めてだ。
「今年僕にとって一番大事なことは、居心地が良くて、周りの人々を信頼できる環境で仕事をすることだったんだ。そう考えるとルノーに勝る選択肢は他にはなかった。
私は昨年、彼がタイトルを望むのであれば、マクラーレンに残留するのが論理的な思考だ、と思った。そうしないとしたら、来季もハミルトンに勝てる自信がない証だ、と。この解釈は、変更をした方がいいのだろう。
彼は、論理的で冷静な思考のできる人間だが、それは彼という人間の一面に過ぎない。06年の冷静さと強靭さがあまりに際立ったがため、彼の持つ別の面を忘れていた。ミヒャエルもそうであったように、人間は多面的な存在であるのに。
05年末に彼がマクラーレンと契約を交わしたとき、チームメートがハミルトンになることは、まだ決まっていなかった。
ハミルトンの驚異を予測しなかったことは仕方ないし、07年序盤、BSに苦しみ、「ハミルトンより明らかに速く、タイトルをチームに持ってくるのはハミルトンではなく自分」と文句なしの強さをチームに見せつけられなかったことに今さら不満をいったとて詮方ない。
今となっては、07年から彼が何かを学んでいれば、それでよい。
2010年までのルノー残留の契約は、積極的な選択の結果ではない。もしもフェラーリからオファーがあったなら、彼はそちらを選んだだろう。
BMWとの間でどういう話がなされたのかは不明だ。彼等が本気でフェルナンドの獲得を考えていたのか、そうでなかったのかも、今の時点では判らない。
「2009年シーズンの展開がどうなるかはまだ誰にも分からない。来年はシャシーの規則が大きく変わって、ダウンフォースが大きく削られ、スリックタイヤが復活し、KERSも導入される。この3つの大きな変更にうまく対処したチームが、シーズンの開幕戦で最強のチームになるだろう。僕としては、それがルノーであることを願うばかりだ」
一言一句同意する。
掲載写真も多いが、いい写真を選んでいる。通常私は、この人の外見にとりたてて魅力を感じないが、いい顔をする、と久々に思った。
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