南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  自転車
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●ツールの歴史を書き換えた男

昨年10月に、私は書いた。

「ランディス」という一人の男が、ランス・アームストロングのツール7連覇を無効にした、すなわちツールの歴史を書き換えたことになるかも、と。

「シークレット・レース」を読んで、このセリフはOK、と思った。

始まりは、間違いなく、フロイド・ランディス。
彼が、アメリカ・ドーピング狩りの達人、ノヴィツキー捜査官を動かし、USADAのタイガートを動かした。
もしもランディスという男がいなかったら、今でも、ランスはツール7連覇のチャンピオンのままだったろう。

自分とランスの行ってきたドーピングの詳細を洗いざらいぶちまけて、ランスを引き摺り下ろそうとした選手は、ランディス以外には、誰もいなかった。

私は、USADA報告書を読んだとき、「これまで検査で一度も陽性を出したことのない」選手たちが、なぜ自分のドーピングを認める証言をしたのか腑に落ちなかった。

この世界では、「検査で陽性を出す」ことがアウトで、陽性を出すことさえしなければ、大手を振って競技を続けられる。
どれほど疑惑をかけられようが、陽性を出していなければ公式にはシロだ。
いままで、ほぼ全員が、そうだった。
バイオロジカルパスポートでクロ認定をされ、制裁を課されたのは、ほんの数人の「例外」である。

血液バック等の「確定的物証」がなく、「証言」のみでは、有罪認定はされない。
そうやって、数多くの選手が制裁を逃れてきた。

検査をすべてクリアしてきた選手たちは、自白する必要はないはずだ。
今回の件では、フェスティナ事件やオペラシオン・プエルトのように、捜索で注射針や薬や血液バックを押収できたわけでもなく、明確な物証は存在しない。
それなのに、なぜ彼等は自白した?
この世界の常識で考えれば、どう考えてもおかしい。

この疑問は、本書によって解決した。

彼等は、大陪審への召喚という国家権力による強制力によって、意に反して、白状せざるをえなかった、のだった。

大陪審というものがどういうものか、私はこれまで正確な知識を持っていなかった。
アメリカの社会に興味があり、映画やドラマ、小説等に親しんでいる人は知っているだろうが、生憎、自分は欠落していた。

この機会に、少し調べてみて判った。
「大陪審に召喚されたら」、観念するしかない。
そのくらいの威力がある。
嘘を言っても構わないが、嘘とバレたら、偽証罪で刑務所に入れられる。
マリオン・ジョーンズがそうなった。
嘘を貫くなら、刑務所入りするリスクを負う覚悟がいる。

召喚された元チームメートたちが嘘をつくことを諦めたのは、ランディスが、あまりにも「知りすぎた男」であり、チームメートたちがそのことを十分に判っていたからだと思う。

ノヴィツキーに垂れ込んだのがランディスでなかったら、司直の追及はどこかで食い止められたかもしれない。でも、ランディスではダメだ。

ヒンカピーは、ランスに対する友情と尊敬を、最後の最後まで失わなかった。
けれども、彼自身がこの先の人生をアメリカ人としてアメリカ国内で暮らしていく以上は、大陪審で嘘をつく選択はできなかった。

彼は、ツール期間中に、ランスに、自分にも捜査の手が伸びていることを話した。
今や人非人呼ばわりをされるランスだが、ヒンカピーに向かって、証言するなと要求はしなかった。
彼がヒンカピーに頼んだのは、可能な限りアメリカに帰るのを遅らせて、証言する時期を先へ延ばすことだけだった。(ヒンカピーの供述書によれば)

USADA報告書に登場した、証言したランスの元チームメートたちの国籍が「アメリカ」ばかりで、他国人がいなかったことも、これで説明がつく。
「非アメリカ人は、身の危険がなかったから」である。

アメリカ国内に住んでいない非アメリカ人たちは、アメリカの司法の支配の及ぶ範囲の外にある。
日本に住んでいる日本人が、アメリカの刑務所に入れられる恐れがないことを思い出せばいい。

リーヴァイ・ライプハイマーは、ツールから帰国した直後、空港の税関で召喚令状を受取ったらしい。
アームストロングのチームメート、ヤロスラフ・ポポヴィッチの場合も劇的だった。
秋にアームストロングの癌撲滅の認識向上イベントのためにオースティンを訪問したとき、黒のシボレー・サバーバンのなかで待ち伏せしていたエージェンドに召喚令状を渡されたのだ。
(P440~441)


国外に居住する非アメリカ人に対しては、アメリカに入国したときキャッチするという方法がとられた。
そのため、ブリュイネールは、アメリカ国内に足を踏み入れることをしなかった。この話は当時出回っていたが、当時の私は、その意味を正確に理解していなかった。今になってようやく理解した。

ポポヴィッチが、大陪審で証言したのか、認めたのか、ははっきりしない。
捜査が打ち切られたために、資料は闇に埋もれた。
USADAは、改めて、証人たちにアプローチして、協力を依頼し、応じた人々の名だけがUSADA報告書に登場した。

USADAは、検察のような強制力のある捜査の権限を持たない。
USADAが依拠する法典はアンチドーピング規定であり、アンチ・ドーピング規定では、今回の事案において選手たち個人に制裁を課する権限は、夫々の所属国にある。

USADAは、アメリカでライセンス登録をした選手以外の選手たちを罰する権限を持たない。
ゆえに、アメリカ人以外の選手たちからの協力を得ることはできなかった。と、私は解釈している。

エキモフ(現カチューシャGM)、アゼベド(現RSLT・DS)、ノバル、ルビエラ、ベルトラン、エラス、バルドノス・・

ノヴィツキーは、関係者たちに対して、まず、捜査への自発的な協力を要請した。
ランディスは公に告発をしたから、関係者たちは、自分の身に危険が迫っていることを、誰もが知っていた。

この時点で、自発的な協力を申し出たのは、過去に告発をして、ランスに潰され、不遇をかこっていた人々が主だが、おそらく、ジョナサン・ヴォーターズが含まれる。

ヴォーターズは、大陪審からの召喚という脅しを受ける前に、自分からすすんで、ノヴィツキーに協力した、と私は想像している。
自分のチームに所属しているヴァンデヴェルデ、ザブリスキー、ダニエルソンを説得し、いわば彼等を引き連れて証言しに行った。という旨の報道を読んではいないが、そうだったのだろうと思う。

「検査で陽性を出したことのない」3人にとって、自分から敢えてドーピングを告白することは、尋常でない決心が必要な行動だった、とみるべきだと思う。
自分は何年も前にドーピングを止め、まっとうな道を歩んでいる。それを今になって?

怯む彼らを、ヴォーターズは、今後のチームのサポートを確約し、勇気づけたのだろう。
そういう経緯は、USADA報告書には記述されていないが、多分そうなのだろう、と私は想像している。

ランスがもっとも怒りを露にするのは、ドーピングについての文句を言うことだった。
その典型例が、ジョナサン・ヴォーターズだ。

ヴォーターズは探究心が強く、チームから指示されたドーピングを額面通りに受け入れなかった。
ランスとヨハンの指示にも、黙って従ったりはしなかった。
ヴォーターズは誰も口にしない質問をした。
なぜこれが必要なのか?UCIはなぜ規則を適用しないのか?
ヴォーターズはドーピングについての不安を隠さなかった。常に警察や検察官の影に怯えていた。
罪の意識があるとさえ言った。それは僕たちがはるか昔に捨て去った感覚だった。
(P208~209)


ハミルトンは、ノヴィツキーから捜査への自発的な協力の要請を受けたとき、拒否した。
このときの彼には、証言する気はなかった。本人がはっきり言っている。

検査で2回陽性を出し、競技を引退した彼でも、証言したくなかった。

僕ははっきりとノーと答えた。
当然だった。
これまでずっと証言を拒否してきたのに、なぜ今さら協力しなければならないのか。
わずかに残る名声をあえて台無しにしなければならない理由はない。
僕はそれまでとは違う世界で、新しい人生に踏み出そうとしている。後ろを振り返る暇などないーー。
(P441)


そういう彼の元にも召喚令状が届き、逡巡の末に、告白する意を決した。
彼はその後、TV番組(60ミニッツ)に出演して、TVカメラの前で告白することまでした。(更に、本書を出版するという派手な立ち回りをする)

ハミルトンの告白は、私のような無知の観客に対して、強烈なインパクトがあった。
ランディス一人だけの時点では、まだ、僅かながらも保留を残したが、ハミルトンが続いたことによって、疑念は完全に消えた。「彼等の言うことは事実」という結論が決定的になったのである。

しかしながら、ハミルトンは、ノヴィツキーの捜査が始まらなかったなら、黙ったままでいた多くの人々の一人だった、とみなすことができる。

つまり結論としてーーー「山を動かした」のは、「フロイド・ランディス」だった。



●2010年7月21日という日付

数日後、ノヴィツキーから召喚令状が届いた。
僕は2010年7月21日、午前9時、ロサンゼルスの法廷に出廷しなければならない。


この箇所を読んで、「事実は小説よりも奇なり」と思った。
ハミルトンが大陪審に出廷して、ドーピングを告白した2010年の「7月21日」は、TdFにおいて「特別な日」だ。

天王山トゥールマレを翌日に控えた2回目の休息日。
この日、マイヨジョーヌを争うコンタドールを擁するアスタナと、アンディを擁するサクソバンクの人々の間で何が起こったか。

両チームは、同じホテルに宿泊していた。
コンタドールが来季サクソバンクへ移籍する交渉がまとまり、コンタドールは、リースに、同一年にグラン・ツール3つ勝てると本気で考えてる、と浮き浮きしたメールを送った。

喜んでいたリースに、カンチェラーラのマネージャーから、契約解除の意向が伝えられ、リースは落胆した。
夕食後、コンタドールはドーピング検査を受けた。

この検体からは禁止薬物が検出された。
陽性結果をUCIは隠匿したが、2ヶ月後メディアが嗅ぎ付けて暴露した。

おおよその目算では、ハミルトンが大陪審で告白している時分に、コンタドールは(本人の主張によればクレンブテロール入りの)夕食を食べていた。

関連:2010/11/22 : 7月21日~25日


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