南の国の太陽、空の色の獅子

Category : 
tag : 
タイラー・ハミルトンが昨年9月に出版した暴露本の邦訳が発行された。
シークレット・レース (小学館文庫)シークレット・レース (小学館文庫)
タイラー・ハミルトン ダニエル・コイル 児島 修

小学館 2013-05-08
売り上げランキング : 757

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

言及:2012/09/03 : フォイクトのダイアリーから

先に読む必要のある本が複数あるので、読み終えるのがいつになるかは不明。
図書館に予約してようやく順番が回ってきた本は流せず、返却期限までに読まねばならない。
それと、多分、センセーショナルな点は昨年時点でネットに流布しているので、英語のニュースをある程度フォローした自分は急いで読まなくても大丈夫だろう、ということで後回し。

といっても、読了したときは、きっと、読む前とは違った感想が色々でてきて、改めて書きたくなることがあるだろう。

●記憶は変容する

派生で別の話題を。

昨年、ハミルトンが詳細に語った自伝を出すという話を知ったとき、自分の頭に思い浮かんだことがあった。

・・もし彼が、「テープレコーダーみたいに」過去の出来事や会話を書く箇所があったら、そこは「退く」スタンスをとらないといけないだろうな。
人間は、過去の出来事を正確には覚えていない。簡単な会話ですら、誤る。
今回の場合、オメルタを破ってドーピングを証言する選手たちの記憶には、強烈な「バイアス」がかかっている、とみなしていい。
彼等の記憶には、「相当に幅の広い度合で変容した」ものが入り混じっているのでは。
そういう留意をして読まないといけないのではないか。

これは、ハミルトンたちが意図して嘘をついた、という意味ではない。
本人に意図がなくても、過去の出来事に関する「記憶」は「誤り」を犯す。客観的・一般的な事実だ。

私は、最近になって、「人の記憶」に関する研究・理論の類を知った。
数冊の本だけでは、どこまで信用するか保留にしていたが、放送大学の「認知心理学」「記憶の心理学」等の講義を聞き始めて、「確認実験を重ねて、現在、理論として広く認められたもの」があることを認識できるようになった。

強盗傷害事件を目撃した人が、事件後に警察官から「貴方が見た犯人はこの人ですか?」と顔写真を見せられたとき、「はい、この人です」と、全く無関係の他人を指差すことは、「いたって普通に」起こる。
本人には、嘘をついている意識は全くない。

記憶というのは、後日に「変容」をする。
どのような要因によって、どのように「変容」するか、その研究は、「学問」的に進められている。

私は、「冤罪」というテーマに関心を持っているが、事件を報道するジャーナリストの記述と同時に、人間の「認知」を扱う「学問」的な知見・考察に目を向けると、両者が結びついて、一歩すすんだ理解ができることに気づいた。

素人の一般人は、「自分はやっていないのに、殺人を自白するはずはない」し、「見ていないのに、見た、と目撃証言を断言するはずはない」と、単純に思い込む。
そうではない、「私自身も、警察に引っ張られたら、自分がやってもいないことをやったと思い込み、罪を認めることが起こりうる」と、「自分の身に引き寄せた」理解をしたとき、戦慄と共に、目から鱗が落ちた。
記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
榎本 博明

祥伝社 2009-09-29
売り上げランキング : 27086

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)
高木 光太郎

中央公論新社 2006-05
売り上げランキング : 18903

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

●大筋を読む

ハミルトンの本の話に戻ると、彼の記述の「全体像(大筋)」は、信用してよい。疑ってかかる必要はないと思う。

ただ、「いつどこで誰がこれこれするのを見た」「誰がこう言った」という「個別の具体的な事柄」の中には、事実でないことも混ざっている可能性がある。
英語から日本語への「翻訳によって生じる変容」の問題も併せ、「細部には拘らない」スタンスで読むのがいいだろう、というのが総括。

●複数の視座で

ドーピングに関しては、今後も書く可能性がある。(読み手が歓迎しようがしなかろうが)
論点が複数あるテーマなので。
ランスの件は、視点を「自転車界内部」に置くのではなく、もっと広い見地から解釈するものでは、という思いがある。

以前ちょろっと書いたことがあるが、本件は、「アメリカ人同士の壮大な内輪揉め・大乱闘でヨーロッパ人が迷惑した」事例にもみえるし、はたまた「グローバリゼーションと新自由主義の潮流の一環にすぎない」ようにもみえる。

言い換えれば、「ランス・アームストロングは、それほど特異な人間ではなく」、「個人の観点より、社会の観点で解釈をしてみては?」という提案。


■追記

関連:
2013/06/29 : 「シークレット・レース」読了
2013/07/02 : 「シークレット・レース」から
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/1373-e82217b0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)