南の国の太陽、空の色の獅子

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「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか
石飛 幸三

講談社 2010-02-09
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毎日考え続ける必要はないが、一度はじっくり考え、そして時々再考すべき問題だと思う。

私は、口から食べられなくなったら、死ぬときだと思う。

人は、食べることによって生きる。食べなければ生きられない。
それが摂理だ。

老衰で終末期を迎えた人の身体に、栄養や水分を無理に与えるのは、負担をかけ苦しめる行為だ、と著者は述べる。

食べることを欲しない身体に無理に食べさせるのは苦しみを与える、という主張に、私は賛同する。
私は、痩せ過ぎで、もっと多く食べた方がいいのだが、自分が食べたい量を超えて食べることは、苦痛でしかない。

胃腸が負担を感じ、辛くなる。多分、消化器官の能力が耐えられない、のだと思う。
どれほど美味しいものを食べていても、許容量をちょっとでも超えたら、それまでの快感が一気に不快に転じる。
だから、満腹まで食べることは決してしない。手前で止める。

老衰でも病気でも、食べたくないときがきたら、それが終わりのときだと思う。
食べたい食べたい、と欲しながら餓死するのは悲惨だが、食べたいという欲望を失って衰弱しての死は、悲惨ではない。むしろ自然だ。

「孤独死」は、否定的に受け取られる向きがあるが、衰弱して静かに死んでいくのであれば、病院で管につながれて生き長らえた果てに死ぬよりも悪い死に方だとは言えぬと思う。


といっても、現実の例を前にすると、一日でも長く生きてほしいと家族が願うことを否定する気持ちは起こらないものだ。

昨秋、数年間入院している伯母が危ないと連絡があり、病院へ会いに行った。
実に「奇怪」なことだが、病室に入ると、胃ろうをつけ、意識があるのかないのか定かでない伯母も、こうやって生き続けることが「まったく当たり前」な光景で、明るくテキパキ世話をしてくれる看護士さんたちに感謝しこそすれ、「これでいいのか」という疑問は全く頭に浮かばない。
数値が持ち直したから大丈夫ですよ、と看護士さんにからっと言われ、親戚一同は、よかったよかった、と退出した。

これは完全に「家族」の立場の感覚であって、「本人」の立場には全く立っていない、ということに気づくのは、帰宅して1人になってからである。
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