南の国の太陽、空の色の獅子

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近美のリニューアル後第一弾の企画展は、所蔵作品の一挙公開である。
東京国立近代美術館 60周年記念特別展
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年


「一度見たものが多いから、さほど時間はかかるまい。1時間半程度ですむだろう。陽がまだ高いうちに北の丸公園と東御苑の紅葉を見に行かれる」が、腹積もりだった。
が。
開館少し後の10時過ぎに入って、出たのは午後2時半。

なぜ4時間もかかったのか。

●第2部 実験場1950s

4~2階を予定のスピードで見終わり、1階もとっとと終えるかと思ったら、そうならなかった。
あとで振り返ると、納得する。従来、4~2階は所蔵品展、1階は企画展のスペースである。今回、4~2階を第1部として企画展に繰り入れたが、実態は、以前と同様の所蔵品展なので、時間を要しなかった。対して、第2部の1階の展示は、「企画展」と名乗るに相応の内容だったのである。

そして、「1950年代」をテーマにした第2部では、複数の映像作品の上映があった。
会場に足を踏み入れて最初に目に飛び込んでくる、真正面に設置したビジョンは、原爆のニュース映像を繰り返し流している。
第1のセクションのタイトルは、「原爆の刻印」。

ニュース映像を通しで見、会場を進んでいくと、また何か上映している。
展覧会場でオープンに上映するのだから、長尺ではなかろう、先程の映像も10分台だったし、とキャプションを見ず、タイトルも作者も長さも認識せぬまま、椅子に座った。(私は、展覧会では通常、キャプションを、「作品を見た後」に見る)
20分くらい経ったが終わらない。どうも長そうだ。でも、途中で止められない。(理由は後述)
通しで見終わって、感覚で「1時間だな」。キャプションを見にいくと、「56分」。

タイトルは、「流血の記録 砂川」
米軍基地反対闘争のドキュメンタリー。舞台は、東京都立川基地の飛行場拡張エリアの砂川。
描かれる「事実」への関心に加え、映像作品としての質の高さを感じ、途中で切り上げる気にはなれなかった。全部見たい。

エンディングのクレジットの中に「亀井文夫」の名を見たとき、「あっ」となった。
亀井文夫は、読了したばかりの「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー)の中で、戦中~占領期の最も優れた才の映画監督として描かれていた。自分は、発禁処分にされた「日本の悲劇」を機会あれば見たい、と大いに関心を持った。
今日ここで、作品に出会うとは、思いもしなかった。

尤も、私が今回、基地闘争を含めた1950年代の社会の記録の第2部の展示を、強い関心を持って見たのは、「敗北を抱きしめて」が影響している。
1945年の敗戦から占領期の日本社会を分析した記述を読んでいた間、「ショックを受けている自分」に、私はショックを受けていた。
描かれた事象の多くは、これまでに「全く」知らなかったことではない。一度は読んだり聞いたりしたことがあると思う。
しかし、それが持つ「意味」を、私は理解していなかった。

「これまで私は何をしていたのだろう」
この数年、たびたびそう思う。
今頃になるまで、どうして気づかなかったのか。
打ちのめされ、それから、「気づかぬよりまし」と立ち直る。それを繰り返す。

●第1部 MOMATコレクションスペシャル

・リニューアルに関して。
ガバッと広がっていた空間を、手ごろな大きさの展示室に区切り、「今風」(最近の新築の美術館の傾向)になっている。
動線もよくなった、と思う。

「照明」について、改修前との比較。
4F展示室1(ハイライト)の照明が、私には心地よくなかった。私個人の好み。
以前、気になって仕方なかった、ガラスで保護した日本画が、反射で鑑賞者の姿が映りこんでしまう点が解決されていたことはよかった。
東山魁夷は、「必ず」映りこむ、と諦めるしかなかった。今回無事だった。嬉しい。

・足を止めて暫く前にいたのは、「松山雲煙」(村上華岳)と「いだく」(高山辰雄)の2点。

●現在

藤田の戦争画の代表作「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」2点が並べてあった。
「サイパン島」の前で、50代くらいの男性が連れの女性に話し掛けた台詞が聞こえた。
「これを石原慎太郎に見てもらいたい」

「いや、石原の反応は、『二度とこういう目にあわないために、日本は強くならないといけないんだ。ちゃんと軍を持つんだ』だと思いますよ。
見せたいと言うなら、『石原に権力を与える結果を招く投票行動をしようとしている人々』に対してじゃないですか。
それと、底の浅い藤田の絵より、1階で流している原爆ニュースの方がいいですよ。あれも、残念ながら、あまりインパクトが強いものではないですけど、藤田よりまだましでしょう。石原は、『核武装』が持論ですので」
(今思い浮かぶ反応)

「敗北を抱きしめて」のエピローグで、ダワーはこう記した。
ひとつの時代が、1920年台後半に始まり、1989年に実質的に終わった。
「西欧に追いつくという目標をひたすら追求してきた日本が、経済と技術では目標を達成したものの、新しい進路を描くだけの構想力と柔軟性に欠けていることが誰の目にも明らかになった瞬間であった」

「日本の戦後システムのうち、当然崩壊すべくして崩壊しつつある部分とともに、非軍事化と民主主義化という目標も今や捨て去られようとしている。敗北の教訓と遺産は多く、また多様である。そしてそれらの終焉はまだ視界に入ってはいない」

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
ジョン ダワー John W. Dower

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