南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  展覧会
tag : 
東京国立近代美術館のイベント「Concerto Museo / 絵と音の対話」に出掛けてきた。
http://www.momat.go.jp/Honkan/concerto_museo/index.html

所蔵作品の展示の前で演奏会が行われる、という企画に興味を引かれ、初日に楽しめたので、3回全部に行った。

8/10 「絵と音ー対話的手法」
松平敬(バリトン)
グレゴリオ聖歌、ジョン・ケージ、早坂文雄、クルト・シュヴィッタース他
8/11 「アルマ・マーラーの傍らで」
金持亜実(ソプラノ)、岩田友里(メゾソプラノ)、斉藤雅昭(ピアノ)
シューマン、シェーンベルク、アルマ・マーラー
8/12 「抽象芸術の相即」
渡邉辰紀(チェロ)
J.S.バッハ、スティーヴ・ライヒ、黛敏郎、カール・ヴァイン

それぞれ持ち味が大きく違い、観客層も違っていたのが面白かった。
ざっくりいうと、アプローチが「美術」側の人と、「音楽」側の人、2種類いて、これに「なんでも可」が加わった感じ。

私自身は、どちらかというなら美術側。
近美の所蔵品展には2年ほど通って主なものは見たから、今回の展示のほとんどは馴染みである。
クラシックの演奏会には以前行っていたが、近年はご無沙汰で、かつ行ったのは専らオーケストラで、声楽も器楽も室内楽も聞いたことがなかった。
この春、初めて声楽を聞き、今後、ぽつぽつ行きたいな、と思っていた。

絵画と音楽のコラボレーションという観点では、1日目が、最も成功した構成だったように思う。
セレクトした絵画と演奏曲の関連付けをしっかりやり、演奏者のMCも巧みだった。
現代音楽は、クラシックのように気持ちよく聞けるものではなく、自分のような素人には「なんですか、それ」となるものが多い。
それらを興味深く聴くことができるような演奏会で、予定時間をオーバーして、全く飽きさせなかった。

2日目は、タイトルそのまま、ココシュカの「アルマ・マーラーの肖像」の傍らで、アルマ・マーラーの作曲した歌曲を歌う。
他の選曲もアルマからの関連。やろうと思ったら、アルマの絵1点で、2時間くらいの演奏会を作れてしまう。アルマ・マーラーとはそういう存在だ。

そのため、展示した他の作品の意味が無くなってしまった。
藤田嗣治は嗣治だけで、別に演奏会を構成できる。エコール・ド・パリ関連でもよし、他の観点を取り上げるもよし。
なので、今回は、思い切って、「アルマ・マーラーの肖像」1点で勝負してもよかったのではないか。
大胆な案ではあるが、この絵は、それをやってもいいくらいの価値を持っていると思う。(近美のコレクションの中にこれがあることを知ったとき、吃驚したのなんの)

この日のメインの岩田友里さんは、アルマ・マーラーの研究家だという。アルマを語らせたら止まらない、と自称したが、それに相応しい、目を引く美貌の持ち主だった。
堂々とした美貌のみならず、長身で、存在感がある。

演奏前のトークに登場したときは黒のシンプルなワンピースで、演奏時には裾を僅かに引き摺るロングドレスに着替えた。
ドレスの色は、青がメインで、アルマの肖像画の色に合わせた?と思った。
肖像画のアルマの服は紫系統だが、背景はココシュカの「青」である。

人の肉声には、マイク等の機械を通すと消えうせる、圧倒的な魅力がある。
それは、受け手の肉体に直接作用する、官能的なものだ。同性のものであっても、そう感じる。

そして、「この音は、自分の目の前に存在する者が発していることを、視覚で確認する」ことによって、陶酔感は一段と高まる。
私はずっと、「クラシックを聞くのに、視覚はどうでもいいんじゃないの。家ではCDで音だけを聞いて満足しているんだし」と思っていたが、それは「演奏者が多数で、遠方で豆粒の、大ホールでのオーケストラしか聞いたことがなかったから」であったことを、先日知った。
演奏者が一人の場合、視覚は、非常に重要なのである。演奏者の姿が見えるか見えないかによって、充足感がまったく違う。これには、吃驚した。

2日目も堪能したが、今回、私を最も魅了した音は、3日目のJ.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調」のチェロのそれだった。

私は、オーケストラの中で、チェロの音色が最も好きだ。
この日は、抽象芸術の共通性というテーマで、演奏前のトークでは、構成を担当した浅岡洋平氏が上手い話を色々したのだが、演奏が始まったら、私の頭から「左脳で聞いた話」はすべてふっとび、ただひたすら、チェロの音に酔っていた。

表現するなら、「天国にのぼっていきそう」。
チェロを聴きながら死んでいけたらいい。



3日目、たまたま席を隣り合わせた方とお喋りをした。
休みを使って大阪から来て、都内を色々回り、ここには通りすがりで入ったという。
こういう催し物が沢山あって、東京は凄いですね、大阪はこうはいきません、と言われて、相槌を打ちながら、ふと、連想したことがあった。

ロンドン五輪が盛りあがり、今、東京招致について世論調査をしたら、過去にない賛成票を得られるのではないだろうか?下手をしたら、冗談ぬきで、実現しかねない。

私が東京招致に反対する理由は複数あるが、今一つ、気づいた。
現在の日本の持つ根源的な問題のひとつは、「東京への一極集中」だ。東京には、何もかもが集中している。経済も政治も文化もすべて。
東京での五輪開催は、それをますます助長するだけではないか?

五輪開催によって利益を得るのは在京の人間や会社で、「現在すでに豊かな者・恵まれた者を、更に豊かにする」だけではないか?
現在、持たざる者、東京の犠牲になっている地方の者は恩恵にあずかれず、格差拡大を助けるだけでは?

将来維持費の負担がのしかかる、競技施設複数を新設するなんて、長野五輪どころか、原発立地県がやったことと同じじゃないか。過去から何も学ばないのか、この国の人間は、と文句を言っていたが、もっと広い見地に立てば、この点は、それほど重要ではないのかもしれない。
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/1250-0ffd8050
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)