南の国の太陽、空の色の獅子

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瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)
古東 哲明

筑摩書房 2011-03-16
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私は毎日、明日のために生きていた。明日の試験のために勉強する。明日のなにかのためにこれをやる。でも先生たちは、いま音楽をやっているのが幸せといっておられた。その違いって大きい。こんなに充実して、こんなに生き生きしている人がいるとは思ってもみなかった。それまで私は、今日やりたいことをやって、明日どうするんだろうって思ってたんですよ。

第5章、永遠の瞬間、2.永遠を生きる人々
鈴木重子のインタビューの引用


私も長い間、「明日のために生きる」種類の人間だった。
明日の試験のために勉強し、明日や将来や老後の生活費のために働いた。
常に、未来のために、現在の欲望を満たすことを我慢して暮らしていた。

己の死に対する恐怖と、今自分のいる場所は自分が本来いるべき場所ではないという感覚から逃れられなかった。

そういう日々の後に、「今ここにいること、そのもの」に歓びを感じ、充足を得ることができるようになった。
本書で描かれる「今この瞬間を生きる」ことの幸福を見出した。

「特別ななにか」をなさなくてよい。
「未来の何かのため」に今を生きるのではなく、「今ここ」の充溢をかみしめること。
生を全肯定すること。

かつての私は、このような思考はできなかった。
歳月のなせる技である。



翻って、「年若くても、最初から、それができる人」もいるのだった。
20そこそこの青年の趣味が「釣り」で、L-B-Lを勝ったお祝いに、兄弟で買ったのが、家の近くの「池」?
ひがな釣りをする生活が満足?
自転車選手でなかったら、フィッシャーマン(日本語訳だと「漁師」)か森林警備員、という発言に首をかしげた自分は、都市住民というより、「未来の目標に向けて邁進することをよしとする」時刻社会にどっぷり浸かった人間であることを示していただけだった。

今のアンディに憂いがあるとしたら、自分がTdFに出ていないことではなく、一人でTdFに出ているフランクだろう。
自分が一緒にいないことが、兄にどれだけ負担をかけているか、判っているから。
彼にとって、自転車レースよりも、兄の方が、「大切なもの」だから。

まこと、「気に入る相手」は、自分の「現在の」価値観や倫理観や人生哲学を映し出したものなのである。


ここまで書いた後、「現時点で、来季の仕事場がちゃんと決まっているかどうか判らないなあ。現チームを離脱する課題がまだ解決していないような雰囲気も・・
でも、問題解決作業をやるのは彼ではなくて周りだから、お任せで、本人は気に病んでいないだろう。
代わりに、フランクにかかっているストレスがすさまじくて、胃に穴が開いても不思議ないくらい。大丈夫かなあ。
といっても、パパもいるし、味方になってくれる人たちもいるだろうし(大勢が騙されたから)、一人で背負っているのではないからなんとかなるだろうけど」

とんでもない状況に見舞われているとは思うが、昨年も書いた通り、彼等は一人でなく「一家」で対処するので、外野が心配する必要はないと思っている。(命の危険に晒されているわけでもないしね)
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