南の国の太陽、空の色の獅子

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原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
安冨 歩

明石書店 2012-01-07
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原発関連の本を色々読んできたが、これまでにない読後感。
キツネにつままれたような気分。

前書きを7ページほど読んで、ものすごく期待をした。
本文で何を書いてくれるだろう。

本文を読み始めて、内容・文章共に、「アレ?」
期待感がガタガタに崩れ始め、「いや、きっと得るものがある」と我慢して最後まで読み終わり、「なんだったんだ、この本。いや、この著者って一体」と一種呆然。


私を興奮させた前書きの記述は、日本が原発にのめりこんでいく過程は、戦前の戦争に突き進んだ過程のみならず、バブル時代の銀行の暴走に似ている、という指摘だった。

著者は、京都大学経済学部卒業後、86年から88年まで、住友銀行に勤務したそうだ。
バブル直前の「人々が集団発狂していく」すさまじさに耐えきれず、辞めて、大学院に戻った。

ああ。住友銀行。
住友が通った後にはペンペン草も生えない、といわれていた。他の銀行に比べ、格段にえげつない、と。
私は当時、不動産業界にいた。住友銀行ほどではないにしろ、狂乱のただ中にいた。
今考えればどうみてもおかしいことが、誰もおかしいと思わず、通用した時代だ。
私自身は、著者とは違い、会社の中で「神経が麻痺して、まともな思考ができなくなった」人間の一人だった。

「住友銀行で働いているような、一人ひとりはそれなりの見識を持っている(はずの)立派な社会人が、なぜ、集団になるとあんなにも愚かなことに、過労死する人を出してまで邁進する」のか。

著者は、日本社会が「暴走」を繰り返してきたことを指摘し、いかにすれば暴走から離脱できるかの問題を考えたい、と述べる。
本書で展開している「東大話法」は、その研究の中の一考察である。

「ネーミング」が目新しいし、これはこれで結構だ。
だが、私は、「どうも、近づかない方がよさそう」。

著者は、「ヒトラーとその追随者・支持者がなぜ生まれたのか」という研究に言及し、紹介をしている。
このテーマは、私自身が長く関心を抱き続けていたものだった。
著者の言及は、私の関心の対象と一致している。しかし肝心な部分でズレがある。

著者の引用した沖縄戦死者の遺書を、私は、著者と同じように解釈する。
そして私は、「特攻」の話を読む度に、「自分が日本人であること」が嫌になる。
「特攻の存在を許した日本人」を嫌悪する。
特攻ほど、自分が日本人であることを憎いと思わせるものはない。

かくのごとく、私は「暴走する日本人」に深い嫌悪を抱いているが、著者のように、「日本社会が暴走をしなくなる」希望を持っていない。
過去、「同じことを、繰り返している」のだから、これは性というもので、どうしようもあるまい。

私自身が、狂った時代の中に置かれれば、巻き込まれ、自分が狂っていることに気づかず突き進む人間の一人なのである。
著者は、自分の職場の人間が狂っていると気づき、離れた。
私には、それができなかった。
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