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「安全な食べもの」ってなんだろう? 放射線と食品のリスクを考える「安全な食べもの」ってなんだろう? 放射線と食品のリスクを考える
畝山智香子

日本評論社 2011-10-20
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私は、「食」の「安全性」には、無頓着な人間である。
メディアが流す「これが危険だ」という話も、「健康にいい」という話も、両方ともほぼスルーする。

食品添加物も遺伝子組み換え作物も気にしない。有機野菜がいいとも思わず、スーパーで売っているものを無造作に買って食べてきた。
「これが健康にいい」という話にも反応しない。健康食品・サプリメントは完全無視。

持っている主義は、「特定のものに偏らず、色々なものを、バランスよく食べることが、一番いい」。
肉・魚・野菜・炭水化物をまんべんなく食べる。
そして、朝昼晩三食を、規則正しく、腹八分目。

考慮するのは、これ「だけ」だ。
これ以上の詳しいことは考えないし、知識・情報に目を向けない。

甘いお菓子が大好きだが、「必要な栄養の供給源ではなく、食べないでいられるなら食べない方がいいもの」と思っているので、「無理をしすぎず我慢できる範囲」で摂取をする。
(食べたい欲望を満たそうとしたら際限ないので、ほどほどにコントロールする)

この食品は健康にいい、と言われても、無視する理由は、
(1)「一日に食べる総量」は、一定の数値で決まっていて、増やせない。
(適切な摂取量は決まっていて、上下しない、という意味)
新しいものを増やしたら、その分、今食べている何かを減らさなければならない。
どれを減らしてもいいのか、適切と思われる判断を、自分はできない。
だから、健康にいいと言われようと、足せない。
全体のバランスが崩れるデメリットを考えたら、新しいものを取り入れることにメリットを見出せない。

(2)ひとつの食品が、ある観点では身体によいとされるが、別の観点ではよくないとされることは珍しくない。
そういう多義性を持つものだから、条件を付帯せずに、特定の食品を絶対的にいいとする主張に、いちいち反応する必要はない。

(3)多くの場合は、現在「全く」食べていない食品ではなく、既に、なにがしかは摂取している。
もちろん量は多くない。ときどきとか、たまのケースもあるが、ひとつのものを大量に食べないから、そうなる。
毎日食べるのがいい、と大量摂取を勧める話は、即刻却下の対象。

自分のこの考え方は、正確な知識や論理によって作られたものではない。
性格と育ちによるものだ。
生来は非常に食い意地が張っていて、欲望のまま好き勝手に食べたかった。だが、「偏食はいけません」「三食きちんと食べるものです」と子供の頃に躾けられた。
もしそれが正しいことでなかったら、言いつけを守って、食べたくても我慢し、食べたくないものも食べた自分がアホである。何のために我慢したのか。だから、「それは正しいことであった」とすることによって、自分の我慢を正当化している、のだと思う。

かくのごとく、子供のときに得た価値観に固執する自己正当化の心理によるもので、知識や論理で裏打ちされたものではないから、原発事故後、食品の放射能汚染に、「う~ん?」となった。

私は、「仮に、東京が強烈に汚染される事態が起こっても、政府は避難指示は出さない」ことに、100%確信を持っていた。
1300万都民の避難は現実として不可能だ。「被曝よりパニックが怖い」政府に、避難指示は出せない。
政府の指示をじっと待っていたら被曝する可能性があると考えるのが合理的だ。現に、福島県民はそうなった。
その事実を踏まえると、現在の放射能汚染に関する政府側の主張には信頼が置けない。

危険性の判断について、誰の意見を採用し、どう考え、どう行動するかは、自分で勉強し、自分の頭で考えて、決めるしかない。
手をつけたら、これは、食品に限らず、「リスクというもの全般の考え方」の問題で、読むべき本が別にあった。
これからそちらへ行くが、本書も十分、役立った。


著者の現在の役職は「国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長」。
薬理学・生化学の専門家で、食品中の化学物質や食品の健康影響を研究し、情報を発信してきた人。

著者いわく、一般世間の大多数は意識をしていないが、我々が毎日食べているものは、安全性が100%保証されたものではなく、常にリスクがある。
「医学や毒性学のような学問を学ぶと、初心者のうちは世の中にはこんなにたくさんの病気や有毒物質があるのだということを知って怖くなります。でも更に多くのことを知ると、相場観が身に付いてきてある程度冷静に判断できるようになります」
まえがきの中にあるこの文章は、素人の自分の共感を呼ぶ。

現在は「専門家」になった著者は、食品には常にリスクがあると述べるのはなぜか、安全基準や規制値はどのように決められるのか、発がん物質にはどのようなものがあり、発がんリスクはどう計算するのか、一般人が理解できるような説明を試みる。

現時点で、放射線の発がんリスクを他の物質と比較するのは、「原発事故による放射能汚染の健康被害はたいしたことはないとする御用学者の意見」視される危険を孕んでいる。
しかし、著者の属するジャンルの研究者からみれば、「事故前から」、放射線は「発がん物質のうちのひとつ」にすぎず、大量の研究がなされ、他の発がん物質と並列にしてリスクを評価するのが当たり前の物質だったのだ。

世界には、致死量でも食品から検出することのできない化学物質もあれば、食中毒をひきおこす菌やウイルスは、食材の検査では発見できないことがしばしばある。
ゆえに、「放射線は目に見えないから怖い」という主張には同意しない。放射線同位体は、致死量より遥かに低い量でも容易に測定できる。検出できない食中毒菌に比べれば、ずっと管理しやすい、と著者は言う。

「食中毒菌やノロウイルスに比べたら、放射線の方が、目にみえて、管理しやすい」
「そ、そういう見方があるのか」と目からうろこだが、本書を通読すると、著者の主張を納得することは可能だ。

本書において著者が述べているのは、「あるひとつの思考方法の提案」である。
我々の日常生活には常にリスクがあり、「絶対に安全」はありえない。
「安心して」暮らしたい、と思っている人には、不快で受け入れたくない考え方だと思うが、日常のリスクの存在を認識し、直視して、比較評価をする思考、具体的には、「リスクのものさしを持って、使い方に慣れる」ことをしておけば、災害や事故があったとき、脊髄反射的に反応して行動したり、闇雲に不安になったりせずにすむ。
そして、一人一人にとって、また同じ人でも人生の時期によって、何が一番大きなリスクで、何が一番大きな価値かは違う。そのため、どの選択をするのがよいか、誰にでも当てはまる「正解」はない。

原発事故を巡る「専門家」たちの言説を信用できるか否かを測るものさしのひとつは、「最終的には、皆さん一人一人が考えるもの」という意見を含むか否か、だと思っている。
その点を、本書の著者はクリアしている。

*付記
食品中の有害な化学物質のリスクを少なくする方法としては、「リスクの分散」をするしかない。特定のものを大量に食べず、さまざまな種類・産地・製法の食品を食べる。勿論、栄養バランスを疎かにしないことが大前提。
この著者の主張は、自分の食の考え方に反していない。
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