南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  スポンサー広告
tag : 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category :  その他
tag : 
光市母子殺害事件の最高裁の判決文を読んで、出てきた科白。

裁判官の言う「冷酷,残虐にして非人間的な所業」を行った18歳の人間を作ったのは、「大人たち」でしょ。

宮川光治裁判官の反対意見の中には、被告人は「父親の暴力に母親とともにさらされ」「12歳の頃,母親が苦しみ抜いて自殺したことを目撃する」という環境で育った、という文章がある。

そういう環境で育った男なら、若い女性と赤ん坊を虐殺しても何ら不思議はない、と私は思う。

父親から虐待され、母親が自殺したからといって、皆が皆、殺人者にはならない、もっと劣悪な環境で生まれ育っても、まっとうに成長した人間はいくらもいる。人はそう言うのだろう。

でも、もしも彼が、「妻と子を虐待する男」の子として生まれず、親から暴力を受けることなく育っていたなら・・?

子は、親を選べない。
子供を虐待する親たちのニュースを目にするとき、そのことを思い、陰鬱な気分になる。
私は長く、人間の中には「親になる資格のない人間」というものがいる、と考えていた。自分自身も、それに入る。

以前書いたように、私は、自分をいじめる同級生(男)を殺したいと思っていた子供時代を持つ。
いじめを苦に自殺した子供がいたTVニュースを聞いたとき、「いじめたやつは死ぬべきだ」と、本心から思った。
同級生を自殺においやった人間が生き続けることは、許されない。絶対に死ぬべきだ。
この「殺意の正当化」を止めたのは、自分が「子供の時期を終えた」とき、だろうと思う。

残虐性は、人間が生まれ持った本性のうちのひとつで、珍しくもなければ、「非人間的」でもない。
人は、いつの時代も、常に、殺し合いをしてきた。
現代の日本社会では、大多数の人間は、成長する過程で、生来持つ様々な欲望を「制御」することを習い覚え、社会に適応して暮らしていく。
一部の人間が、制御する能力を身につけることに失敗し、社会のルールから外れた行いをする。

私は、大きな問題のない部類の親の子に生まれ、育てられたので、並みのレベルの欲望の制御能力を身に付け、犯罪を犯すことなく暮らしてきた。
虐待されて育っていたら、そうであったかは、わからない。そう思う。


ビデオニュース・ドットコムで、神保氏と宮台氏がこの件を取り上げている。
光市母子殺害事件の最高裁判決をどう評価するか

死刑廃止論議については、またの機会に。
スポンサーサイト

コメント


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://leonazul.blog87.fc2.com/tb.php/1164-37d031a6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。