南の国の太陽、空の色の獅子

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「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか開沼 博

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年を越す前にこれを読み終えることができてよかった。
私は、原発を巡る件について「自分を恥じる」感覚を、事故直後から抱いていた。
事故が起こる前までは関心を払わなかったのに、自分の身に火の粉が降りかかってきたからといって、右往左往して、脱原発と言い出した、福島県いわき市出身の著者いうところの「何をいまさら」の東京の人間そのものであることを、自覚している。
この感覚は、戒めとして、これからも保持していくつもりでいる。

人は、子供の頃に植え付けられた価値観を、大人になった後に、根底から覆される事態には抵抗する。
肯定して受け入れていたものを、突然全否定されたとき、すんなりと受け入れることができないのは普通だ。
自分の生まれ育った共同体の営みを否定することも受け入れたくはない。
著者は、「社会学的な研究」という方法を用いることによって、自分の生まれ育った福島=自身のアイデンティティの否定に抗っている。
・・この解釈は、本文の前後に付された章の中の文章によって生まれたもの。

原発の危険性をあえて報じようとせず「安全・安心」の大本営発表を垂れ流す旧来型マスメディアへの批判は既にあり、それは今後も追及されるべき問題であろう。
しかし、一方で、圧倒的な「善意」「善き社会の設立」に向けられているはずの「脱原発のうねり」もまた何かをとらえつつ、他方で何かを見落としていることを指摘せざるをえない。
原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼等の生存を脅かすこともまた暴力になりかねない。
そして、その圧倒的なジレンマの中に原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごされていることにこそ最大の問題がある。
(P.372~373)

偶然同じタイミングで図書館の予約の順番が回ってきて、一緒に借り、次に読んだ下の書籍の著者が、上の筆者が批判する、反原発の「中央」の「知識人たち」どんぴしゃであった。
運悪くこちらを先に読んでしまった人がいたら、上の著書を併せて読むことを、強く勧めたい。

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと
福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと山本 義隆

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