南の国の太陽、空の色の獅子

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大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書)大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書)
石橋 克彦

岩波書店 1994-08-22
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「私は今まで何をしていたんだろう」
という科白を呟きながら、読み進んだ。

歴史は、現在を理解し、将来を考えるために学ぶ。私は少し前から、「自分自身を知り、現在の日本社会を理解する」ことを目的に、「日本人は過去、何を信じ、何を望んできたのか」、「日本人の思想」を知ろう、とその方面の本を読み始めていた。
震災で中断し、原発関連の本にシフトして、本書も、その内の一冊だった。

石橋克彦氏は、原発震災を予言・警告した地震学者として、震災後に一躍名が広まった。
原発震災の警告に先立ち、首都圏がまもなく大地震活動期に入るという説を展開しているのが、1994年出版の本書だ。

まず、1・2章で、幕末から大正にかけての「地上の激動と地下の大地震続発が同時進行していた歴史的事実」を記述している。
この箇所で、私は、脳天をかち割られた。
地上の「いわゆる歴史的記述」は、通り一遍ながらも読んだことがある。だが、この時期に大地震が頻発していた、という認識は、「今の今まで」全くなかった。

思想という、人間の内面を調べるのは結構だ。だが、人間が生活する国土がどうなっているかの知識が欠落していたら、話にならない。
大地が激しく揺れ動くとき、その上で生活する我々人間は、ひとたまりもない。都市は破壊され、生活は崩壊する。
我々東京都民の住む関東の大地は、過去、繰り返し、揺れ動いてきた。そのことを、私は今まで知らなかったわけではないし、大地震はいずれ必ず起こる、と「知って」いる。
けれども、それは単に「文字に書いてある知識の断片として持っていた」だけだったのだ。

知識は、切れ端として持っているだけでは、意味をなさない。
複数の知識を関連付け、全体を体系的に把握し、それの持つ意味を理解したとき、初めて生きる。

幕末から関東大震災までが大地震活動期で、その後静穏期であったという事実と、それを科学的に説明する地震のメカニズムの論理は、今後の大地震発生の予測を、リアルな実感を持ったものに変貌させた。
論理的な予測として成立する、という納得を得た、のである。


本書における石橋氏の提言は、「首都圏大地震は避けられないことなので、被害を軽減するために、東京一極集中を是正すべきである」ということである。
このときはまだ、原発震災には言及していない。危険を生じる要素のひとつとして「原子力発電所」と名を挙げてはいるが、新幹線や石油コンビナートと同列の扱いである。

その後、原発の巨大な危険性に気づき、警告を発し続け、「浜岡は、地雷原の上でカーニバルをやっているようなもの」という名科白を生み出すに至るが、ユーモアに溢れつつ過激な、石橋氏の反原発の言説の根底には、「科学者」の理系脳ではなく、日本の社会問題を見据えた文系脳の思考がある。

東京一極集中は地方の衰退と表裏一体の、構造的なものである。
経済的観点だけから一極集中のメリットを強調するエコノミストも多いが、この構造は、一億二千万の人間が暮らす日本列島の上の大きなひずみとして、震災や東京の問題以上の弊害をもたらしている。

それは、過密東京圏と過疎地の双方で国民の生きる権利の公平性がいちじるしく損なわれていること、国内の多様性と文化的創造力が失われ、国際社会のなかで気味悪がられている日本人の画一性や集団主義とも無縁ではないこと、地方の疲弊が社会経済的なレベルにとどまらず、一次産業の衰退ともからんで農地・山林が荒廃し、日本列島の広範な大地そのものが崩壊しつつあることなどである。これは地球規模の視点からみても座視できない。

いま人類は、先進国の工業文明と途上国の苛酷な農牧などによる地球規模の極度の悪化、途上国における爆発的な人口増加と貧苦と飢餓の拡大という深刻な事態に直面している。このまま放置すれば人類滅亡の危機に立たされかねない。

このような厳しい現実は、資源と環境が無限であるという暗黙の前提にたって、市場メカニズムだけを絶対原理として追及されてきた先進工業国の経済活動が、もはや成り立たないことを明白に宣言している。
これまでの資源エネルギー浪費・環境破壊型の大量生産・大量消費・大量廃棄という現代文明を根底から見直し、未来の世代のため地球環境を保全しつつ、途上国の開発も考慮して、バランスのとれた緩やかな経済発展を進めるという「持続可能な開発」に方向転換しなければならないことは、疑う余地がない。国際分業・自由貿易や自由競争を至上のものとする経済思想も早晩反省を強いられることになるだろう。

21世紀に向けて、私たち日本人も、経済至上主義を改め、農林業・沿岸漁業を復権し、地球の一部としての日本列島の環境と自然力の回復をはかり、産業・人口・情報・文化的活動などが分散した多様で永続的・安定的な国土と社会を創るべきである。そこに、個性を尊重し、世界に開いた、真に豊かで落ち着いた日本人の暮らしが築かれるだろう。


終章のこの箇所を読むと、反原発の論客・小出裕章氏の考え方・主張との一致に驚かされる。
理系の学者は、自分の専門分野に特化して、社会に対する深い関心や知見、責任の自覚を持たないタイプと、石橋氏や小出氏のような、理系脳と同時に文系脳も併せ持つタイプがいる。しかし見るところ、後者のタイプは、例外的なのだろう。
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