南の国の太陽、空の色の獅子

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「科学者」の「専門家」たちが、我々の生命・健康に関わる問題について、あっちとこっちで大きく異なる主張をしているとき、我々素人のするべきことは、「どれを信じていいか判らない」と思考停止することでも、「どれが本当か教えてほしい・統一してほしい」と期待・要求することでもなく、自分で勉強をして、「脳みそを振り絞って」、どれがより信じるに足りそうかを考えること、だと思う。

学校の勉強は、そのためにしておくものなのだ。
数学や理科は、実際の生活の直接の役には立たない、と、戦後60年の「平時」には言えたが、現在のような「有事」には、理系の基礎知識は自分の生命と健康を守る能力に直結する。

放射線の人体への影響について、DNAの鎖を切る、という分子生物学で説明をされて、納得するには、DNAがどういうものかという生物学の一定の知識を前もって持っていることが必要だ。
内部被曝が、世間でまだ十分認知されていない原発事故直後に、私は、「内部被曝の脅威」(肥田 舜太郎)と「隠された被曝」(矢ヶ崎 克馬)を読み、分子生物学と、広島の被爆者治療の経験の二つの別の面からの説明によって、かなりの程度納得した。
だから、「内部被曝を考慮しないICRP勧告」を使っている政府の基準は本質的にダメ、と判断するのに、ほとんど迷わなかった。

もうひとつの私の考え方は、「科学的知は、絶対的真実でもなんでもない。科学者の間で意見が分かれるものがあって当たり前」。

ガリレオの時代までは、太陽が地球の周りを回っていると皆思っていた。この「過去の事実」から導き出されるのは、「現在、我々素人一般人が専門家から『こうなんですよ』と教わる『科学的知識』は、この先500年、1000年先には、ひっくり返される可能性がいくらでもある。『現在時点では、こうと考えると、ほぼ辻褄が合うから、こうとみなす』に過ぎない」

今回、読んでいた本の中で(どの本だったか忘れた)「プレートテクトニクス理論が確立したのは1960年代」、という記述に出会ったとき、「えっ」となった。
私は、こうなんです、と最初から習ったが、そんなに新しい理論だったのか。
日本で原発の計画が始まったのは、1960年より前じゃなかったっけ。地震の知見が今と全く違う時代だったということになるのでは。(・・その通りだった)

今、自分が読み足している原発関連の本は、科学や技術ではなく、社会・経済等文系の面で、科学者の話にはあまり関心を払わなくなっていたが、児玉龍彦氏には少し興味を引かれた。

衆議院の委員会出席後に出演したCSの朝日ニュースター「ニュースにだまされるな!」(8/6分)を見たところ、一瞬、同じ人?と思ったくらい顔が違ってみえて吃驚した。
「目と口が、笑った形をずっと維持していて」、ソフトな語り口で、判りやすく話す。これが地で、国会では、「敢えて」、怒りを表明するために、まくしたてたらしい。

衆議院TV
2011年7月27日 (水) 厚生労働委員会
厚生労働関係の基本施策に関する件(放射線の健康への影響)

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