南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  散歩
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ジョサイア・コンドル設計の旧島津公爵邸は、現在清泉女子大学が所有し、有難いことに、外部の一般人を対象にした見学ツアーを行っている。
行きたいと思いながらタイミングがなかなか合わず日が経ち、ようやく実現した。

所在地:五反田駅から山手線内側、徒歩約10分

建物の感想
・一番の印象は、「思ったより広い」。
装飾で飾られた漆喰の天井は、4m以上ある。

・島津家が手放した後、日本銀行→GHQ接収→清泉女子大学という使用者の変遷の中で、内装にはかなり手が入ったようで、洋画家として知られる黒田清輝が指揮したという当初のものの多くは失われた。
個人の住宅の色が薄れ、オフィス的になっているが、悪い印象は受けなかった。広々とした空間は、教室や会議室、礼拝室等としての使用に十分耐える。
「展示物」でなく、今尚「現役で人が使っている状態の建物」を、私は好む。

・細部の意匠には、さほど目覚しさは感じない。しかし堅牢な全体の雰囲気が魅力的。
これはおそらく、大学、それもカトリックの修道会を母体とする女子大の校舎として利用されていることが影響している。華美でも質素でもなく、清廉さ、品のよさを醸し出している、と感じた。

ガイドの説明から
・建築当時、2階のバルコニーからは、海を望めた。
あ、そうか、と、今は見えないことを知りつつ、思わず窓の外を眺めた。このあたりは、東京湾に突き出た高台である。以前は「袖ヶ崎」という地名だった、とリーフレットの解説にある。

・公爵家が使用していた当時の写真を見せてもらった。
昭和11年に、1階ホールで、「福引」大会を開催している光景には、着物の奥方たちと、洋装の使用人たち。
「こういう『階級』が日本にあった時代」である。

女子大
清泉女子大学については、行くまで何も知らなかった。
コンドルの洋館を本館として使っているというが、他はどうなっているのだろう?
見学後、中庭にある構内地図を見ると、奥にいくつかの教室棟が配置され、確かに大学キャンパスの体であるが、小規模である。自分が今まで見知った大学は、マンモス校ばかりで、こういうこじんまりした所は初めて知った。

行き交う人の数も少なく、静かで、落ち着いて、良好な環境だ。
道ですれ違った女子学生は、挨拶の声をかけてくれた。感じがよい。

我々が滞在している間、1階バルコニーでは、ずっと写真撮影を行っていた。
卒業アルバム用の学生全員のポートレートを5月から撮るのだという。校内で背景が一番絵になる場所で、プロのカメラマンに依頼して撮るとは洒落ている。

本館の前面には美しい芝生が広がる。本館を望める位置にある木陰のベンチは、居心地が実によい。

春から夏の、芝の美しい季節の訪問をお勧めする。
建物内部の見学は日が限られ、予約が必要だが、外観見学と庭園散策だけなら予約は不要。
(要:正門脇の門衛所で入構許可を得る)



島津公爵邸見学前に、北隣の池田山エリアを散策した。
都内屈指の高級住宅地で、豪邸が並ぶ。
道を歩く人の姿が全くない。

皇后陛下の実家・正田家跡のねむの木の庭は、ちょうど花の盛りだった。
手入れのゆきとどいた庭には、バラをはじめさまざまな草花が植えられている。
予期せず、一番よい季節に訪れることができた。

インドネシア大使館の横を過ぎ、池田山公園へ。

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池田藩下屋敷の庭園跡の池泉回遊式庭園である。
樹木の間の小道を進んでいくと、ぱっと視界が開けた。
このときは驚いた。
遥か下に、池がある。
公園の内部に、これほど高低差があるとは思わなかった。地図では判らない。

手前の斜面は整えられた植え込みで覆われ、池の対岸はうっそうとした木立。
滴るような新緑。
池の傍まで行くには、狭い坂道(階段状)を降りなければならない。

池の周辺の回遊路は、木々の中。頭上を見上げても空がほとんど見えないほど緑で覆われている。
楓が多く、紅葉の季節はさぞ見事だろう。
住宅地の中に、こんな緑豊かな庭園があったとは、と初訪問の一同感心した。

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タイラー・ハミルトンが昨年9月に出版した暴露本の邦訳が発行された。
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言及:2012/09/03 : フォイクトのダイアリーから

先に読む必要のある本が複数あるので、読み終えるのがいつになるかは不明。
図書館に予約してようやく順番が回ってきた本は流せず、返却期限までに読まねばならない。
それと、多分、センセーショナルな点は昨年時点でネットに流布しているので、英語のニュースをある程度フォローした自分は急いで読まなくても大丈夫だろう、ということで後回し。

といっても、読了したときは、きっと、読む前とは違った感想が色々でてきて、改めて書きたくなることがあるだろう。

●記憶は変容する

派生で別の話題を。

昨年、ハミルトンが詳細に語った自伝を出すという話を知ったとき、自分の頭に思い浮かんだことがあった。

・・もし彼が、「テープレコーダーみたいに」過去の出来事や会話を書く箇所があったら、そこは「退く」スタンスをとらないといけないだろうな。
人間は、過去の出来事を正確には覚えていない。簡単な会話ですら、誤る。
今回の場合、オメルタを破ってドーピングを証言する選手たちの記憶には、強烈な「バイアス」がかかっている、とみなしていい。
彼等の記憶には、「相当に幅の広い度合で変容した」ものが入り混じっているのでは。
そういう留意をして読まないといけないのではないか。

これは、ハミルトンたちが意図して嘘をついた、という意味ではない。
本人に意図がなくても、過去の出来事に関する「記憶」は「誤り」を犯す。客観的・一般的な事実だ。

私は、最近になって、「人の記憶」に関する研究・理論の類を知った。
数冊の本だけでは、どこまで信用するか保留にしていたが、放送大学の「認知心理学」「記憶の心理学」等の講義を聞き始めて、「確認実験を重ねて、現在、理論として広く認められたもの」があることを認識できるようになった。

強盗傷害事件を目撃した人が、事件後に警察官から「貴方が見た犯人はこの人ですか?」と顔写真を見せられたとき、「はい、この人です」と、全く無関係の他人を指差すことは、「いたって普通に」起こる。
本人には、嘘をついている意識は全くない。

記憶というのは、後日に「変容」をする。
どのような要因によって、どのように「変容」するか、その研究は、「学問」的に進められている。

私は、「冤罪」というテーマに関心を持っているが、事件を報道するジャーナリストの記述と同時に、人間の「認知」を扱う「学問」的な知見・考察に目を向けると、両者が結びついて、一歩すすんだ理解ができることに気づいた。

素人の一般人は、「自分はやっていないのに、殺人を自白するはずはない」し、「見ていないのに、見た、と目撃証言を断言するはずはない」と、単純に思い込む。
そうではない、「私自身も、警察に引っ張られたら、自分がやってもいないことをやったと思い込み、罪を認めることが起こりうる」と、「自分の身に引き寄せた」理解をしたとき、戦慄と共に、目から鱗が落ちた。
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●大筋を読む

ハミルトンの本の話に戻ると、彼の記述の「全体像(大筋)」は、信用してよい。疑ってかかる必要はないと思う。

ただ、「いつどこで誰がこれこれするのを見た」「誰がこう言った」という「個別の具体的な事柄」の中には、事実でないことも混ざっている可能性がある。
英語から日本語への「翻訳によって生じる変容」の問題も併せ、「細部には拘らない」スタンスで読むのがいいだろう、というのが総括。

●複数の視座で

ドーピングに関しては、今後も書く可能性がある。(読み手が歓迎しようがしなかろうが)
論点が複数あるテーマなので。
ランスの件は、視点を「自転車界内部」に置くのではなく、もっと広い見地から解釈するものでは、という思いがある。

以前ちょろっと書いたことがあるが、本件は、「アメリカ人同士の壮大な内輪揉め・大乱闘でヨーロッパ人が迷惑した」事例にもみえるし、はたまた「グローバリゼーションと新自由主義の潮流の一環にすぎない」ようにもみえる。

言い換えれば、「ランス・アームストロングは、それほど特異な人間ではなく」、「個人の観点より、社会の観点で解釈をしてみては?」という提案。


■追記

関連:
2013/06/29 : 「シークレット・レース」読了
2013/07/02 : 「シークレット・レース」から