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南の国の太陽、空の色の獅子

Category :  自転車
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<追記>(5/8)

記述中に間違いをみつけたので訂正する。

ポポヴィッチについて、UCIのターゲットリスト(ドーピング疑わしさランキング)で、ただひとり「ランク10」をつけられた、と記したが、「ただひとり」ではなかった。
「10」は、もうひとりバレドがいた。

UCI's suspicious list leaked from 2010 Tour de France(cyclingnews 5/13)

ついでに補足を記す。
4/30にアップしたときは、cyclingnewsの記事を読み返さなかった。
今日、改めて読み返し、「2011年5月当時とは大きく異なる」解釈をする。

ランク6以上の選手は、99%クロ、という解釈でいい、と思う。
「2009~2010年」の期間で、である。
真っ黒であることが立証済の「2007年以前の時代」のことではなくて。

ランク5は、70~80%か。



CICLISSIMO NO.33を書店でパラパラ読みながら、「ブログに自転車RRの話題を書くのを止める潮時みたい、やっぱり」と思った。

ただ、私が今まで書いてきた動機のひとつは、自分が海外のサイトで読んだ情報が、「日本語では紹介されていない」、あるいは「正確に流布していない。誤認が広まっている」ので、「読んで!知って!」という欲だった。
この欲が生じる機会は今後もありそうで、そのときは改めて考える。
「伝えたい特定の相手はいない。不特定対象は無視。誤認しようがほっておくもの」と割り切ることができれば、沈黙を守れるだろう。

●ランス・アームストロングがもたらしたもの

「ランス・アームストロング」の事件によって自転車RRから離れる観客がいるのは残念だと、雑誌を作る側にいる人々は言う。
そういった記述は、私を少しいらつかせる。

雑誌記事を執筆する人々は、ランスより前から自転車RRを知っていて、この業界で生活して(自転車RRでメシを食べていて)、ランスがドーピングしていたことは、じゅうじゅう承知していた
ランスがクリーンだと思っていた人など、業界の内側には誰もいない。

自転車RR界の内側にいて、ランスがクリーンだと「本当に」思っていた人がいたとしたら、「自分の周りの世界に関心を払わず、それでも生活していかれる」奇特な能力あるいは環境を持った人だと思う。

業界の内側だけでなく、観客も、「知識を持っていれば」、事実を認識できた。
だから、あれほど大声で、疑惑を主張し、糾弾する声が繰り返されたのだ。

ランス以前を知らず、ランスを賞賛する報道をきっかけにTdFを見た「新参者」の私は、「批判者たちの主張が正しかった」ことを悟るまで、随分時間がかかった。
それはいたしかたない。最初の時点で批判を信じたら、興味を持って見始めるわけがない。

その後、クロの可能性を否定できない、と傾き始めたが、当初は、「たとえクロだとしても、ドーピングだけで7連覇はできないから、評価できる」という擁護をした。

これは、「後づけの正当化」だ。
自分が事実を見誤ったことと、都合の悪い事実を認めざるをえなくなったとき、不快・失望から逃れるための方便である。

私は、ランスに対して、「我々観客を騙した」という非難はしない。
不快を引き起こすのは、「彼の嘘を見抜けなかった自分の愚かさ」である。

耳に心地よい賛美の声を選び、心地悪い指摘を切り捨てた。快のために、事実を捻じ曲げて受け取った。

「ランス・アームストロングとツール・ド・フランス」は、最終的に、私に「自分の愚かさ」と同時に「醜さ」を悟らせる存在になった、といえる。

仮に、当時の私が、「TdFで活躍するトップ選手は全員ドーピングしていて、ランスもその1人」という「事実」を正確に認識していたら、私は彼を批判し、疎んじただろうか。
いや。彼に対する賞賛に変わりはなかっただろう、と思う。

彼や、彼と同種の英雄ミヒャエル・シューマッハーを賞賛した頃の自分は、「強いこと」「勝つこと」「欲しいものを手に入れること」に価値を置き、弱者・敗者に目を向けなかった。
スポーツにおける「公平さ」という価値も、無視した。
それは、自分自身の優越欲・支配欲・達成欲の深さ、利己主義を意味している。

みつからなければ、ズルをしてよい。
罰せられなければ、ルール違反をしてよい。
人を騙し、ふみつけにして勝利を目指すのは正当な行為。
勝利がすべてに優先する。

ランスやミヒャエルの持っている、極度に自己中心的な価値観を、私自身が持っていた。
更に、それを公言することに、何のやましさも恥ずかしさも感じなかった。
今の私にはできない振る舞いを、かつての私は平然とやっていた。

●失われた信用

私の知る限りでは、自転車RR界の内側の人々(日本人)は、我々「新参の観客」に対して、「自転車RR界は、ドーピングをなくす努力を続けていて、昔と違って今はクリーンになった」と、常に、語ってきた。

ランスが09年に復帰したときも、ドーピング疑惑を伝えることはせず、レースが面白くなると歓迎した。
誰かが検査で陽性を出し、有罪が決まれば、その度に、「残念」という感想と、それでも「自転車界の検査は他の競技に比べれば格段に厳しい。昔と違ってクリーンになってきている」という弁解と正当化をし続けた。

彼等は、5年前も4年前も3年前も2年前も1年前も今も、同じ台詞を繰り返す。
「今は、前よりクリーンになった」「自転車界は努力をしている」とまったく同じ言葉を。

彼等は、ランスがクロであることを知りながら、隠し続けた。一緒に嘘をつき続けた。嘘を聞かされ続けたことに気づいた観客に、今尚信じてもらいたいのなら、いい加減別の説明を工夫した方がよい。

「過去のドーピングについて自分の知っていること」を正直に話すことができないのは判るから、譲歩はする。
しかし、「本心ではドーピングを容認している」と此方に受け取れる言葉を繰り返すのが適切とは、私は思わない。

スポーツ界のドーピングに関しては、競技側の人々よりも、アンチ・ドーピング機関(WADAやUSADA)の主張の方が、「信用」するに足る。
それが、現在までに辿り着いた私の見方だ。

●フェラーリの顧客たち

USADA報告書の中の、カラビニエリ(イタリア軍警察)から提供されたベルタニョッリの供述書を、先日読んだ。
イタリア語のPDFを機械翻訳にかけられず読めないでいたら、クロイツィゲルの記事で、英語翻訳のページの存在を知った。

クロイツィゲルは、アルデンヌのレース会場で彼にコメントを求めに通ったvelonewsに対し、「あとで話す」「今はレースに集中する」という返答で逃げ回った。

もし、彼がフェラーリの顧客ではないのであれば、「ベルタニョッリとビレカが言ったことは嘘だ。自分はフェラーリの客だったことはない」と返答すればよい。ノーコメントを押し通す必要はない。
コメントしないのは、フェラーリの顧客だったことを認めたのと同義である。

ベルタニョッリの供述書から幾つかを。

・フェラーリのキャンプや家で会ったり、選手同士の会話から、顧客だったとして挙げた名:
ポポヴィッチ、ビレカ、ヴィノクロフ、ベルトリーニ、キッキ、ペリゾッティ、ガスパロット、クロイツィゲル、ポッソーニ、フランチェスコ・モゼールの甥のひとり

・彼は2007年からリクイガスに在籍した。リクイガスのチームメート複数が、上記の他にもフェラーリの所に来ていた。
リクイガスは、所属選手たちのフェラーリとの関わりを知っていて、容認していた。

・2008年になると、リクイガスはフェラーリとの関係を禁止した。

・2007年、Adams(居場所報告システム)により、レース時以外でのEPO使用が発見されるリスクが高くなったので、血液ドーピングを始めた。
それまでは、レース以外の時間(レース前)での使用という、「身体能力を高め、かつ検査で発見されることのない」薬物摂取を、フェラーリが選手に合わせて個別の(綿密で巧妙な)計画を策定し、実行していた。

・2009年と2010年にも、血液ドーピングを行った。

・2010年末、調査が始まり、みつかる危険が生じたとき、フェラーリから対処のアドバイスを貰った。現在持っている道具を処分しろと言われ、別の道具を教えられた。

(注:USADA報告書内の供述書一般にいえることだが、供述を取った側の第一目的は、ランスやフェラーリの有罪の立証であって、証言者のドーピングを詳らかに暴くことではない。そのため、内容には、不鮮明で、解釈を迷う点が多数あり、読み方には注意が必要)

2007年のリクイガスといえば、ジロのエースがディルーカである。結果は優勝。
ディルーカは、ジロ期間中の検査では陽性を出さずとも、ドーピングしていたとみなすのが妥当だ。

彼は、一度でなく繰り返し疑惑を追及され、最終的には自白した、「常習」とみなしていい部類に入る選手だ。
2007年にリクイガス在籍の選手複数がドーピングしていたとする今回の証言資料は、そのチーム内で優る力をみせてエースでいるのはドーピングしていたとみなすのが妥当、という新たな論理を生む。

とすれば、「ディルーカはアンディから優勝を盗んだ」というファンの主張はごもっともである。
もっとも、この主張には、「アンディはドーピングしていない」ことが前提として必要で、「客観的には」、2007年度のCSCの信用度が、リクイガスより高いという主張は無理、という難がある。

2007年は、オペラシオン・プエルト直後で、ドーピングが下火になったと、今までは思っていた。だが、様々な証言が表に出てくるに従い、そうではなかったとみなさざるをえなくなった。
これまでは読むことがなかった「供述書」という「一次資料」は、私の認識を大きく変化させた。

OP後も、フェラーリ医師は相変わらず仕事を続けていたし、薬物供給ルートやサポートは絶えてはいなかった。

USADA報告の資料にあるイタリアから提供されたもうひとつの供述書、ビレカのそれは、読めないので、内容は判らない。

ポポヴィッチ、ペリゾッティ、ガスパロット、ベルトリーニ、ベルタニョッリ、ポッツァート、ガルゼッリ、マシャレッリ、クロイツィゲル、ルイス・レオン・サンチェス、ポッソーニ。とベルタニョッリの供述と概ね共通する名が連なっている。

ヴィノクロフ、カシェチキン、クレーデン、ケスラー、グセフ、は別の文脈。
ポポヴィッチの名が、数十回登場する。

ポポヴィッチのクロは、110%確定といえると思うが、彼は何のお咎めもなく、今も元気にレースを続けている。
「どうみてもおかしい」という感覚は、「自転車RRファンでない人間の感覚」なのだろう。

UCIのターゲットリストで、ただひとり「ランク10」をつけられたときはネタになったが、今は、ネタでは済まされない。
振り返れば、このときのレディオシャックとアスタナ2チームの点数の高さは、「事実」を反映していたのである。

USADA報告書内の、WADAの2010年TdFのドーピングチェックの調査報告書で、検査官の来訪を、ホテルの窓辺で監視しているスタッフがいるチームが複数ある、という記載がある。

チーム名の記載はないが、これはレディオシャックあるいはアスタナでは、という想像が湧く。
いずれにせよ、WADAは、2010年TdFでのドーピングチェックは、十分に満足できるレベルで実施されてはいなかった、とする評価を出している。

●ツール・ド・フランス

今年は100回記念大会と宣伝しているが、公式サイトは、過去の大会の公式記録一覧を、「誰でも見られる場所」には掲載していない。

以前は掲載していた。
私は昨年、2010年の優勝者の記載をいつ書き換えるのかに興味があったので、時々見に行っていた。
CASの裁定が出た後、けっこう長い期間そのままで、暫くしたら、サイト全体をリニューアルし、Historyのページが丸ごと消えてなくなっていた。

これには「やられた」となり、その後はマメにチェックしなかったので経緯は判らぬが、現在、Historyのカテゴリーに、過去99回分の公式記録を記載したページはリンクされていない。
Searchで閲覧できるのかと思いきや、IDとパスワードを要求してくる。なんだそれは?

開催回数を誇るイベントが、歴代公式記録を堂々と掲載しないのは、どうみても不自然だ。
合計99回の直近14回のうち9回の総合優勝者が後日ルール違反で優勝取り消し、7年間は優勝者なしの空白、という記録は「みっともない」からだろう、と此方は思う。

この「歴史の汚点」は、主催者ASOが引き起こしたことではない。しかし、一方的な被害者でもない。
ランス・アームストロングによって、TdFの世界的知名度は上昇し、アメリカからの資本が流入した。
ランスだけでなく、TdFも、巨大な利益を得た。

ランスのドーピングが、なぜ今まで隠され続けてきたのか。

その回答は、「ランスという存在によって利益を得た範囲が極めて広かったから」だろう。
「奇跡の英雄」によって、TdF(ASO)のみならず、自転車界全体、関係する企業、メディアたちが、大きな利益を手にした。
ランスが英雄のままでいることが、ファンの願望であり、ランスによって利益を得た諸機関の利益でもあるため、英雄像を維持することに、一致協力した。

(そして、真実を訴えた少数の人々を、ランスと一緒になって、嘘つき呼ばわりをして、貶め潰した)

それが、自転車RR界に利害関係を持たない完全なる外部機関のUSADAが、脅迫にも屈せず、決然と調査を続け、表の場に引きずり出すまで、真実が隠され続けていた、本質的な原因だと思う。

自転車RR界を擁護・応援し、TdFを賛美する人々は、そのことをはっきり認めた方がいいと思う。
過去の汚点に向き合うことをしない者は、同じ失敗を繰り返す。歴史は、それを教えている。

●突き刺さった棘

長々とした文章の終わりに。

フランクが、昨年のTdFで陽性を出すことがなかったら、ドーピング問題に関する現在の私の態度は違っていたと思う。

彼の事件がなかったら、多分、今頃は気にしていなかっただろう。
ランスの事件は乗り越えられる。自分の内では、2010年時点でクロの結論を出していた。USADA報告が出る前に、見限って、突き放していた。

自転車RR界全体が、2006・07年と比べたなら、明らかにクリーンになった、ということを、私は、事実として認めている。
一足飛びではないが、クリーンな方向へ向かっている。
「真に」願い、努力を続けている人々がいて、成果が出ていることを、否定はしていない。
クリーンな自転車界を願うファンは、未来を悲観せず、希望を持ってよい。

けれども、「2012年TdF・フランク」。
この棘が、私の喉に突き刺さっている。

総合して出す結論としては、今回の件は汚染であった蓋然性が高いといっていいのだろう、と思う。

そして、私がアンディを見初めた2008年TdFと、2009年TdFと、2010年TdFでアンディがみせた力は、ドーピングによるものではなかった、と判断してもいいのだろう、と思う。

けれども、私は、ランスのとき、間違えた。

私は、自分の判断力を、疑う。

自分の判断に対する懐疑を消し去ることはできない。
ものごとの考え方として、それが正しい、と思う。

ゆえに、棘は、突き刺さったまま、抜けずに、今もそこにある。

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