南の国の太陽、空の色の獅子

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・書いた傍から

「重大な怪我人は出ていないし」と書いたら、出てしまった。
Tour de Romandieでベンナーティが鎖骨・肋骨を骨折し、ジロに出られないという重大事。

負傷・病気は必ず起こる。全くないのは無理で、起こるタイミングが悪くなくて、ダメージがなるべく少ないことを願うだけだ。
ベンナーティは、ジロがシーズン最重要レースだったし、チームは、彼メインでジロのプランを組んでいたから、最悪のタイミング。
あ~あ、となるが、ここで不運を使って、チーム最重要のツールの直前及び最中でアンディとフランクに事故がないことを願うしかあるまい。(片方に何かあっても片方残る、という強味はあるけれど)

・【コンタドール事件】WADAの思惑

Contador case: WADA and UCI doping appeals to CAS remain separate(velonation 4/27)

CASから、ツール開始前の6月末に結審する見込みがアナウンスされた。
興味深いのは、UCIとWADAが、バルベルデの事例とは異なり、別々の訴えをしていることが判明したこと。

このことは、記事にあるように、「WADAは、論点はクレンブテロールの出所のみとしたUCIとは思惑が違う」という推測を生む。
UCIは、RFECの出してきた資料が納得できないという「ドーピング防止規則の適用・運用」の観点だけで争うので、法廷戦術で負ければそれまで。
対してWADAは、「科学的な証拠と見解」を示して、別の論点で争う可能性がある。

WADAは、自転車のみならず複数競技において最近発生している中国・南米からのクレンブテロール検出の事例のデータを把握している。
オフチャロフを処分なしとしたドイツ国内の決定を追認し、スペイン国内のコンタドールの処分なしの決定は認めなかったからには、「何かしらの理由」を持っている、と推測するのが妥当ではないだろうか。

CASの審判の見通しについて、まだ、決め手はない。

関連:2011/03/30 : 【コンタドール事件】UCIとWADA異議申し立て

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負けたレースの表彰台に上がって公衆に笑顔を振りまく前の、こういう表情の彼を見るのが私は嫌いじゃない。
http://nos.nl/video/235396-andy-schleck-zit-stuk-na-Luik/
マルティーヌさんが彼の背を撫で、リーアちゃんを手渡すと、表情が変わる。

下は、アップしなかったロンド・ファン・フラーンデレン後に書いた文章


●お疲れさま

以前の自分なら、がっかりしていたと思うが、やっぱり変わったようで。
チームの皆様方の落胆が想像できるので同情はするが、自分個人は、「いつも勝てるわけはない」と、はなから思っているし、昨年の勝利を、それほど喜ばなかったので。(当時の記述
あの勝ち方は、自分の趣味でなかったというか、宇宙人とか人間離れとか、人間以外のものに喩える賛辞が好きでなかったというか。

実をいうと、自分にとって彼は、負けたときの姿が、勝ったときよりも、印象深く残っている。
レース後の彼の姿で思い浮かべるのは?と聞かれたら、ぱっと、「09年世界選ロード」。

連想で、「じゃあアンディは?」
ちょっと考えて、「昨年ツール第19ステージ後、トラックの裏で、地面に座りこんで膝抱えた背中かな」
あれれ?こちらも負けたとき?

いや、マイヨ・ブランやマイヨ・ジョーヌの表彰式でにっこりした顔が魅力的なはず・・なのだが、今、思い出さないんだよね。
他は・・第15ステージの、コンタドールのマイヨ・ジョーヌの表彰式を見ている横顔。・・あれ?

「負ける」ことを受け入れることができるようになった、以前と違って。
前は、「勝利は生、敗北は死」のランスの台詞に「然り」だったけれど、変わったんだよなあ。

(ほんとに時間がかかった、この境地に達するまでに。自己愛が強烈で、「諦めきれない」タイプの典型だった。でも、「望んだものを手に入れることのできる」人間は、世の中のほんの一部だ。大部分の人間は、どれほど頑張っても、望みが叶わないことがあることを、受け入れねばならない。受け入れることを拒否し、「諦めきれない」のは、成熟していない人間のすること。人が成熟するとは、「諦めることを知る」こと。そのことがやっと判った。
己の欲望を、限りなくどこまでも追及する営みを、肯定しなくなった。ランスがツール8勝目の野望を諦めて去ったことを歓迎するのは、その心理だ)

今回のレースで、カンチェは、「誰かの後ろについて走る」ことはしなかった。
「つき位置で勝つより、前を走って負ける」男が、断然、美しい。勝負は負けてもね。

(記事は全く読んでいない。しばらく日本語の原発の記事ばかり読んでいたら、英文が皆目読めなくなってしまった。リハビリしないとダメ)


追記。
昨年来、カンチェに関して、「メディアの描く像が、実際からどんどん乖離していっている」ような気持ちの悪さ、を感じていた。
スーパーな選手であるのは事実だし、化け物呼ばわりが賛辞であることも判っているが、「なんかどこか違う」という感が否めない。

かつてのミヒャエルに通じる感覚かもしれない。ジェーニャもそうかも。宇宙人とか人間離れという賛辞を、時を経るにつれ、歓迎しなくなった。
彼等は、確かに強い。でも、いつもいつも強くて、勝てるわけじゃあない。欠点も弱点もあるし、ミスもする。いつも運が強いわけでもない。

世間はいつも、スーパースターに対して勝つことを要求する。自分も、そのひとりだったから、批判する筋はない。
せめて、今、自分は、全力を尽くしたなら、結果に囚われないようにしたいと思う。がっかりする感情を全く抱かないのは無理だけれど、引きずることはすまい。

ランスは、「勝利は生、敗北は死」だった。でも、アンディは、そんな価値観は全く持たない。
・・そうだな、もし、ドーピング陽性を出すことなくキャリアを終わってくれたら、ツールに勝てずに終わってもいいな。・・
弱さは判っている、頭を使ったレースをできないことも。でも、そういう観点をぐちぐち言いながら見る見方は、F1で終わりにできそう。

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一年で一番美しい季節だ。
若草色の瑞々しいケヤキの若葉を見ているだけで心楽しい。

私は、ケヤキが大好き。
一番好きな樹。



●春のクラシック終了

シュレク兄弟の脚質が一番向いているのはステージレースで、ワンデークラシックでは、「展開に恵まれないと」、勝てない。
「展開に恵まれたときに限り」、勝てる。
と、完全に納得している。
ど素人観客だった3年前(08年)のL-B-Lは、兄弟2人がかりでもバルベルデとレベッリンにいいようにあしらわれたのを見て、「もう少しなんとかならんのか」と思った。が、「ど素人観客」から少し上がると、「そんなん言ってもどうしようもないわよ」とあっさり。

今回も「絶好調のジルベールに勝てなくたって、どうってことない」。チョン。
レース後、プレスたちの中に、なぜもっとアタックしなかったのか、という類の質問をする連中がいたようだが、「??」だ。3年前の私じゃあるまいし。
昨年ツールのトゥールマレ後も、同じような批判を言った人々がいて、アンディは「やれる限りのことはやった!」と反論していた。
本人の言う通りでしょ、何年見てるんじゃ、と思った。

この際はっきり言うと、アンディは、「急加速」する脚を持っていない、と思う。「切れ味のいい」「強烈」と表現するアタックを彼がするのを、私は見た記憶がない。

今回は、「ジルベールが強かった」。
シュレク兄弟よりジルベールが強かった。単純にそういうこと。08年のバルベルデがシュレク兄弟より強かったのと同じ。

本人たちもチームの人々も同じ理解だと思う。プレス向きの公式発言だけではなくて。
チームは、よく働いた。カンチェがリーダーだった2戦に比較すれば、アシストは十分強かった。ただ、ジルベールが、此方のリーダーより強かった。

チームとしてはクラシックで1勝はしたかったから、2位と3位の山なのは本意ではなかろう。でも、「スポーツはこういうもの」。
重大な怪我人は出ていないし、大きな不運もない。チームランキングは1位に上がった。チームの中間採点をするなら、合格とすべきだろう。

アンディのコンディションは、昨年より順調だ。フィジカル・メンタル、両方で。
(「昨年が悪かった」というのが正しいのだが、直近の1年前の同じ時期との比較を、指標として使ってしまう)


一番最初に書いた理由で、シュレク兄弟にクラシックを勝つ望みを掛けるのは、自分には些か「買い被り」に聞こえるのだが、実はカンチェについても、同じ印象を持っている。

今年、フランデレンとパリ~ルーベで、彼が絶対的本命視されていたが、自分は「そうかねえ」と疑問を抱いていた。
なぜなら、彼の最も得意とするもの(本業)はタイムトライアルで、ワンデーレースではない。スプリント力がトップクラスではなく、ライバルたちの複数が、彼よりもスプリント力が上だ。
だから、ゴール前までに引き離せなかったら、勝ち目がない。
その点、シュレク兄弟と通じる。(更に、彼等もまた「本業は別(ステージレース)」)

昨年のぶっちぎりの勝ちっぷりに度肝を抜かれ、あのインパクトをひきずっている人が多いのだろうが、冷静に振り返れば、昨年のレースではボーネンという横綱がいて、カンチェは大本命ではなかった。有力選手たちは、ボーネンを、より意識していなかったか。
昨年の圧勝は、一面から見れば、「展開」ゆえだったように思う。今年は、他チームが軒並み「カンチェラーラを封じる」ことに集中し、その結果ああいうことになった。(ひとつの解釈)

スプリント力を持っているかいないかは、勝負の決定的要因だ。うち(レオパード・トレック)の人たちはみな持っていないので、たまに悲哀を感じるときもある。
でも、いい方向の解釈をする。スプリント力に劣るゆえに、「他人の車輪にくっついてゴール前まで行く」レースはしない。

カンチェもアンディもフランクも、「勝つために」戦った。
2位・3位を欲しくなかったし、「ライバルを勝たせない」ために戦うこともしなかった。
勝つために、やれる限りのことはやった。
全力を尽くした結果を悔むことはないと思う。
そういう彼等を、美しいと思う。

Category :  自転車
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1年前の今頃は、バンクーバー五輪後で、フィギュアスケートの話題をせっせと書き、自転車の話題は少ししか書いていなかったような、と、ふと思い出し、確認すると、その通りだった。
昨年のアルデンヌでも、アンディは結果を残せなかった。「ツールに間に合えばいいのよ」の常套句(バカの一つ覚え)で片付け、5月も自転車の話題はほとんど書いていない。

今年も、3戦中2戦終わって、ぱっとしないが、Amstel Gold Raceは楽しかった。
結果は手に入れられなかったけれど、「私の見たいと願う姿」を見られたから。

思えば、私は、彼が「他人の車輪に張りつかず」、風を受けて走る姿を、最も好んだ。
08年ツール。アルプスで、アシストとして前をひく彼を見て、好きになった。

09年第17ステージ、兄弟2人で先頭交代したけれど、登りの厳しい箇所とダウンヒルは専ら彼が引き受けた。
第19ステージ、モン・ヴァントゥーを、強風を受けながら、すべて牽いて登った。
翌年も、「ライバルの車輪に張り付いて登る」彼を、私が見ることはなかった。

勿論、彼がそういう戦い方をするのは、TTの力がライバルより劣るからだし、スプリント力も持っていないので、ワンデークラシックで勝ちたかったら、独走に持ちこむしか勝ち目がない、からであることは判っている。
「弱点がある」から、そうせざるをえない。「積極的に」その作戦を選んでいるのではない。

以前の自分なら、「弱点を克服すること」を要求・期待したかもしれない。でも、今の自分には、その欲望はない。
克服してくれたら喜ぶだろうが、できなくても、不満に思うことはないと思う。
強いこと、勝つこと、を望むなら、彼を選ばなかった。多分そうなのだろう、と思う。

アルデンヌに先立つ北のクラシックで、カンチェラーラが勝てなかったのを見て、楽しい気分にはならなかった。勝利を目指して死に物狂いに闘った「彼とチームのために」落胆した。

けれども、私自身の感情をいえば、さしたる失望はなかった。
そして、勝てなかった今年の彼は、昨年の彼より、魅力的だと思った。
もし彼が身内であったなら、彼を誇りに思う、という台詞を言っただろう。



・お姫様

久々に写真を見に行き、ファンクラブのイベントでのこの1枚がいいと思った。リーアちゃんは満1才。パパと同じ誕生日。

Category :  その他
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Peace Philosophy Centre
自由報道協会
現代ビジネス
ダイヤモンド・オンライン
amanakuni.net
News for the People in Japan

・NHKBS世界のドキュメンタリー
5/9~11 シリーズ チェルノブイリ事故 25年
5/16~18 シリーズ 核廃棄物はどこへ

Category :  展覧会
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4月29日(金・祝)から損保ジャパン東郷青児美術館で開催予定だった「アルプスの画家 セガンティーニ -光と山-展」が、東日本大震災の影響で中止になってしまった。

4月10日(日)に行ったBunkamura ザ・ミュージアムの「フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展」には、まだチラシが置いてあり、今日時点で中止発表はないということだよな、と思っていたが、やっぱりだめだった。
仕方がないことは納得している。貸し出さないのが当たり前。とはいえ、楽しみにしていたので、しょんぼり。

フィギュアスケート世界選手権東京大会は、チケットを正規ルートで購入できなかったので、中止決定に、「自分には、まだ運があったということか」という反応をしたが、すべて都合よくはいかない。

「フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展」

久しぶりに会う友人たちと一緒に出掛け、観点・感想がさまざまなのが面白かった。

・バーレント・ファブリティウス「自画像」
各々ばらばらに見て歩き、出口前で会った1人が、「マイケル・ジャクソンそっくりの肖像画があった」
自分は、どれのことか思いつかない。これよ、と連れていかれて、「言われてみれば」。
「ボルゲーゼ美術館展」で、バッティステッロ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」のダヴィデの顔が、ステファン・ランビエール君に見えた自分を思い出した。

・ヤン・ウェーニックス「死んだ野兎と鳥のある静物」
リアルなウサギの死骸が、かなり大きいキャンバスの中央に、ドーンと描いてある。
友人の1人は、「気持ち悪い、遠慮したい」。
意味は判る。日本人は、こういうのは描かない。

じーっと眺めた自分が思ったことは、「狩猟民族の絵だなあ」
最近の自分は、作品の制作年を見て、「同じ時代に、他国ではどういう絵が描かれていたか」を思い浮かべて比較する。
日本の絵を見れば西洋の絵、西洋の絵を見れば日本の絵。西暦をインプットしてあるから、大体分かる。

狩猟民族と農耕民族、という用語は、欧米人と日本人との様々な相違を述べるときに使われる。
現在も生きている、と思うのは、シュレク兄弟の趣味が「狩り」である、という事実から。
プロフィールの趣味欄に、兄弟二人揃って「狩りと釣り」と記載されているのを最初に見たとき、「20代のいまどきの青年の趣味が狩り?」とピンとこなかった。「日本」では考え難い。猟銃かついで山に行く人々はいるが、おっちゃんでは。
でも、「彼等の国では」若者もそうなのだ。今年の初め、2人が猟銃のライセンスを取ったという写真付きの記事がwortに載った。(ん?今までは何?・・と思ったが未確認)

・ロイスダールが5点
「ロイスダールがこんなに沢山来ているとは思わなかった。よかった」が2人。(自分含む)

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小出裕章氏が語るのを最初に聞いたとき(ビデオニュース・ドットコムの電話インタビュー)、私は、氏が「40年間、原発に反対してきた」人物であることを知らず、その後暫くの間も、はっきりと意識していなかった。(ちょっと面白い現象といえる。今思えば)

日々の原発の状況の解説と今後の見通しを、冷静かつ簡潔に、淡々と話す。「感情」は、ほとんど表に出さない。
現状の解説として、私は後藤政志氏の解説を併せて聞いていたが、後藤氏は、話していくうちに、感情が漏れ出ることがままある。比較して、小出氏は「クール」に聞こえた。
そのため情熱を持っているタイプではないとおもいきや、全く違うことが、段々と判った。

小出氏の人物像、「どういう人であるか」の概略は、まず、これで知った。
「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~」
2008年毎日放送制作の番組。

「熊取6人組」とは、大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所で、反原発の立場で活動を続けてきた「異端」の研究者たちを指す。
6人のうち、3人は定年退職し、1人は癌で亡くなり、今残るのは今中哲司氏と小出裕章氏の2人だけ。

原発建設に反対し、国の原子力行政に反抗し、各地の原発建設反対派住民の活動の支援をしてきた。
お陰で、教授に昇進することなく、ずっと一介の助手(現在の呼称は助教)の身分のままだし、企業から研究費を貰うことをしないので、多額の研究費を使う研究はできない。
ただ職を失うことは無く、自分のやりたい研究と活動を続けてこられた。京大には、国の政策に反対するグループを許容する度量があった・・という解釈が述べられている。

番組内からいくつか。
今中氏の指摘する、原発が国策として推進されてきた理由
「原子力は、一種の利権構造化している」
「それと同時に、最終的には、日本国が核武装していくための能力をいつも整えておく、というのがどこかにあるんだ、と思う」
(これは、特殊な解釈・憶測ではなく、反原発側に共通認識として存在している。具体的な様々な根拠は、現在進行形で指摘されている)

小出氏の発言で、印象に残った箇所。
僕は、原子力開発の進め方が、そもそも、ボタンのかけ違いだったんじゃないかと思っているんです。
というのは、事故が起きたらとんでもなく危ないものを、絶対安全です、ということで始めた。
リスクを明らかにしながら、尚かつ進めていくというのが、本来あるべき姿ではないかと


(原発推進派の学者との公開討論会に出た後)
原発推進と反対を生み出す根本は、つきつめると、「どういう生き方をしたいのか、この社会がどういう社会で、人間の本性がどうなのか」の認識の違い。

番組ラスト
「(現在の原発の運営は)パンドラの箱を一度開けてしまって、色々なものが出てきて、とりあえず今はなんとかのりきっているが、何が起きるか本当に判らないという状態で、ずっと進んできてしまっているわけです」

「原子力を選ぶか選ばないかというのは、科学者だけの問題ではなくて、1人1人の人たちが、どういう生き方、どういう地球を作りたいという問題なので、皆さんお一人お一人が考えていただくしかないのですけれども、私は科学という特殊な場所にいる人間として、私の責任を果たしていきたい、と思っているわけです」

岩上安身氏によるインタビュー(4/10)から
「一番基本的なことを言うなら、原子力発電所って、機械なんですね。機械は、壊れるんです。
運転しているのは、人間なんです。人間は、間違えるんです。
ですから、事故というのは必ず起きる、と思わなければいけません」


今回起こった全電源喪失を、専門家たちは想定できた。しかし、原発を動かしている人たちは、全電源喪失は起こらない、想定することはばかげている、想定不適当事故、という烙印を押して無視するということをやった。
「でも、ちゃんとやっぱり、起きるわけです」

「今、この事故を見て、電力会社の方では色々言ってるんですね。非常用発電機を丘の上に建てておけばいいじゃないかとか。対策を色々言っているわけですが、それは単なる対症療法に過ぎないのです。
人間だっていろんな病気になりますけれども、ひとつの病気を防いだら、別の病気にならないなんて保証はもちろんないわけで、機械というものが事故を起こすときは、すでに起きた事故に対しては、確かに対策はとれるけれども、次の事故はまったく別の形で現れてくるというのが機械なんですね。
ですから、原子力発電所の事故が絶対に起きないなんてことは思ってはいけません」

後藤政志氏も、あるとき、こういう内容のことを言った。

機械というのは、壊れるもので、壊れたら直せばいい。直すことができる。およそすべての機械はそれでいい。
しかし、原発は、壊れたとき、近づいて直そうとすると、被曝をしてしまう。直す作業を、思うようにすることができない。原発が他の機械と大きく異なるのは、その点だ。
人間は、放射能を、コントロールすることはできない。コントロールできると思うのは、思い上がりだ、と自分は思う。

「機械は壊れるもの、人間はミスをするもの」
これは、今回、上記の人々の意見を読む以前に、私自身が抱いていた「ものごとの理解の仕方」であり、彼等の意見に共感を覚える理由のひとつになったと思う。

小出氏のインタビュー、もうひとつ
名前のない新聞によるインタビュー(4/11)

このインタビューを見聞きしたとき、「魅力的な人だ」という感想を抱いた。
それまでにすでに、「素敵な声の持ち主」だと思っていたが、声だけでなく、「生き方・思想・発言、佇まい、諸々ひっくるめた人物全体」が、人をひきつけるものを持っている。(そう感じたのは自分に限らないと思う)

小出氏は、研究所のデスクの横に、1994年に癌で亡くなった同僚(6人組の1人)の瀬尾健氏の写真と、「ゲルニカ」のカードを飾っている。
2008年のTV番組にも、今年の映像にも、映っている。

小出裕章(京大助教)非公式まとめ
インタビュー・記事をまとめてくださっているブログ。ものすごく有難い。

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政府の主催する復興構想会議のメンバーになってしまった。公的な会議のメンバーになった以上、この「雪月花」の役目は終わり、という考え方もあるかもしれない。
しかしそれでは実質上、口封じみたいなことになってしまう。総理もそんなお考えではないだろうから、ここでの報告や主張は続けることにしたい。

・・・中略・・・

そういえば3・11以後、震度4以上の地震の震源分布を見ると茨城県沖が最も多い。また3・11以降、震源地が次第に南下してきているような気もする。
 想像を絶するほど大きな地震が来ても、東海村は大丈夫なのか。
 この問題はそういうふうに考えなくてはならない。

 全国あちこちの知事選ではどこも原発容認派の現職が勝利したようだが、その地域ではいったい、この震災と原発事故から何を学んだのだろう。もっと安全装置を万全にすればいい?
 電源のバックアップももっと完全にすればいい?
 ならば、それも壊すほどの巨大地震に対してはどうするのか?
 もっともっともっと強力にすればいい?

 ははぁ。つまり彼らはこれまでどおり人間の考える「万全」や「完全」が、自然に勝てると思っているのである。ならば自然よ、もう一度、いや、何度でも吠えるがいい。恐ろしいけれど、我々の意識を変えるためには、もっともっともっともっと強い地震が必要らしい。できれば自然よ、もうすっかり意識が変わり、作業員たちが必死に戦っているこの辺りでなく、もうちょっと南や西の、原発地域で吠えてくれたらありがたい。


 こんなことを書くと、復興構想会議から外されるだろうか?
 しかしこの国は、臓器移植が不自由な状態でさまざまな根本的医療方法を編み出したように、原子力が不自由な状態でこそ今世紀の世界を牽引する発電技術を編みだすはずである。
 少なくとも、福島県人の意識はすでにそんなふうに変わっている。

 今晩始まる少年からの臓器移植と、原発容認派の知事の当選は、私のなかで強力にリンクしている。どちらも時代遅れの欲望の技術化なのだ。
 世界は東北地方から、「明るい諦め」を学びつつある。
 日本だけがまだそれを学ぼうとしない。


これは、禅宗僧侶である芥川賞作家、玄侑宗久氏のブログ「雪月花」の4月13日の記述からの引用。
(強調と行空けをしたのは私)
住職を務める福聚寺は、福島第一原発の西方45kmの福島県三春町にある。

原発により近い地域からの避難者を受け入れつつ、今後自らも更なる被爆のリスクがあると認識をした原発から45kmの距離の土地で暮らしている当事者の言葉は、遠く離れた安全な場所にいる人間のそれとは、重みが違う。

玄侑氏の著作は、仏教に関する本を読み始めた頃、なかなか面白く、複数冊読んだ。が、住職を務める寺が福島第一原発の近隣であったことは、今回の事故まで気づかなかった。

尚、玄侑氏が、外されるだろうか?と記した「復興構想会議」の今日開催された初会合は、TVのニュースで報じられ、玄侑氏の姿も映っていた。
<メンバー>
【議長】五百旗頭真(防衛大学校長)
【議長代理】安藤忠雄氏(建築家)・御厨貴(東大教授)
【議員】赤坂憲雄(学習院大教授)▽内館牧子(脚本家)▽大西隆(東大大学院都市工学専攻教授)▽河田恵昭(関西大社会安全学部長)▽玄侑宗久(臨済宗福聚寺住職)▽佐藤雄平(福島県知事)▽清家篤(慶応義塾長)▽高成田享(仙台大教授)▽達増拓也(岩手県知事)▽中鉢良治(ソニー副会長)▽橋本五郎(読売新聞特別編集委員)▽村井嘉浩(宮城県知事)
【特別顧問】梅原猛(哲学者)

*最初、間違えて「東方45km」と書いた。気づいて訂正。
「東風が原発からの風」というNHKの番組での話で、「東」という単語が頭にインプットされ、思考が働かずそのまま書いてしまった模様。

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乏しい知識しか持たぬくせに偉そうにあれこれ書くのはそろそろ止めようと思うが、あとひとつ書いておきたい。

原発の近隣地域に住む人々を思うとき、背筋が凍る。
大都会に住む人の多くは、今住んでいる場所を離れることを強いられたとしても、生きていくことに決定的なダメージを受けることはない。現在住む場所に、この先もずっと住むとは考えていない人の割合が多いと思う。
それは大都会の特性で、地方は違う。
故郷をもたない都会育ちの自分は、年を経て、今の場所にずっといたい、死ぬときはここで死にたい、と思う身になって初めて、意に反して自分の住む土地から追われる苦しみの深さを想像することができるようになった。

私の住む東京の城東地域は、1945年3月10日の東京大空襲で、見渡す限り焼け野原になった。
その光景を私は自分の目で見てはいないが、母から聞かされて育ったため、現実味を持ったものとして認識している。
焼夷弾で焼き尽くされた土地には、もう一度建物を建て直せば、住むことができる。
けれども、放射能物質に汚染された福島の土地に、人々はいつ戻ってくることができるのだろう。

●水道水の件・追記

最初に誤ったことを伝えた責任上、後の状況を書く。

八千代市は、4月1日、安全性の確認がとれたとし、「節水のご協力ありがとうございました。八千代市上下水道局では北千葉広域水道企業団からの受水を再開し通常の運転に切り替えました」と告知した。

北千葉広域水道企業団は、HPに、今回の一連の件の経緯の説明と改善のお知らせを掲載した。

放射性物質の分析機器を備えず、自前で測定ができなかったことが今回の事態を招いたことから、分析機器類をできるだけ早く整備することにした、と記している。

新聞報道によると、摂取についての住民への対応は自治体任せで、各自治体の判断によるのだそうだ。
だから、安全性が確認できるまで飲まないで、と必死の八千代市のような市もあれば、「飲んでも差し支えありません」の東京までばらつく。
これは、水源として別に、汚染の進みにくい地下水を持つ八千代市は、制限値を厳密に守ることが可能だが、東京は不可能、という事情のせいもあろう。

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数日前、福島原発の作業員たちが線量計を持たずに作業していた、というニュースを聞いたとき、私は、寒気を抑えられなかった。
そして、TVが(どのチャンネルかは忘れた)、そのニュースを、他と比べてとりたてて特別な件ではないように淡々と伝えている光景に、一層の寒気を覚えた。

私が生まれて住むのは、こんな国か。

沖縄から北海道まで原発内下請労働者がかり集められ、国の発表だけでも20万人に近い労働者が様々な形で原発と関わっている。
原発下請け労働者の多くは、被曝者となって歴史の闇のかなたへ葬り去られるか、危険な放射能の充満する原発内に身をやつしている。
それが現実の姿なのだ。

私は巨大科学としてしか、原発をとらえない人々に対して、被曝者が居ないではなく、居ないことにしている体制を知ってほしいという願いを込めて、今まで取材を続けてきた。

歴史が繰り返しているように原発もまたたくさんの犠牲者(被曝者)を生み出さない限り社会問題化されないのだろうか。
放射能被曝の因果関係が立証されるまでにどれ程の時間を必要とするだろうか、おそらく長く暗いトンネルをぬけ出るまでには想像も出来ない悲劇が待ち受けているように私には思えてならない。


この文章は、原発被曝者のルポルタージュ「闇に消される原発被曝者」(樋口健二)のあとがきの一部で、日付は、「1981年4月6日」

「今から30年前」である。

隠された被爆労働〜日本の原発労働者1
隠された被爆労働〜日本の原発労働者2
隠された被爆労働〜日本の原発労働者3

イギリス Channel4が、1995年に制作した番組。
樋口健二氏が協力している。
原子力資料情報室がTwitterで紹介しているので、いい加減なものではない、と判断できる。

現在、福島第一原発は、放射能物質をダダ漏れしながら(ビデオニュース・ドットコムでの言い方)爆発はせずにもちこたえているが、作業員たちは、この先も延々と放射能被曝をしながら、作業しなければならない。

事故処理が終わる日までに、一体どれだけの数の人が、どれだけの被曝をするのだろう。
総計したとき、どれだけのものになるのだろう。
それもまた、闇の彼方に葬り去られるのか。

これは、「情緒的な」反応で済ませる問題ではない。
「原発とは、こういう現実を生みだすシステムである」ことを、国民は知っているべきだと思う。

私は、原発の資料を探していて、樋口健二の本に辿り着いたが、内容に、さほど驚かなかった。
おそらく、これまでに、どこかでちらっとかもしれぬが、知識があったのであろう。
(若い頃、社会党や共産党の支持者であったわけではないが、どちらかといえば左翼寄りだったから)

しかし、原発はクリーンでエコという、国とマスメディア挙げてのキャンペーンの中で育った若い世代は、知らなくても不思議はないだろうと思う。

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現状を、旧日本軍とか関東軍とか二百三高地とか戦時中に喩える文章は、今やそこら中に溢れている。ごく一部の人間の思いつきではない。

ことの本質は、原発の安全性の実現は技術的に可能かそうでないかといった話ではなくて、「日本人というものがどういうものか」の理解の仕方、ではないだろうか。

何を言いたいかというと、「非常に優秀な」技術者たちが存在していようとも、原発を現実に「運用する」のは、別の人間たちである、ということ。
彼等が、どういう組織でもって、どう運用するか、にかかっていて、その部分が、日本では「まったくあてにならない」から、危なくてアカンのじゃないの。・・乱暴にいうと、こういう話。

私は「日本の技術は世界一」といった類は全く思ったことがないが、ここは譲って、技術力は高いとしよう。
でも、東電のこれまでの原発の管理・運営は、どうみても、「メタクソ」だ。
事故の隠蔽、データ・検査の捏造、改ざん、長年に渡る不正行為の数々が明らかになっている。

技術屋さん個人個人が、どれほど優秀で、真面目に頑張っても、これではどうしようもないでしょ。
優秀で誠実な皆様方が、責任もって、未来永劫、安全に管理運営しますというなら別だけど(原発本体も使用済燃料も、半永久的に管理が必要な厄介な代物)、そんなことはできないんだから。

「将来に渡って、責任持って、きちんと」原発の運用をする組織と人が、日本のどこに存在するんですか。

十分な信用に値する組織を作って、管理運営することが、日本人にできると思う?
この国で、「チェック機能」が健全に働いたためしがあったっけ?

電力会社と行政組織との癒着の構造を修正して、安全管理が機能する組織を、誰が構築して、誰が運営するんです?
誰が責任を持つんです?

この国では、誰も責任をとらないでしょう?

失敗しても、やり直せばいい。日本は、大震災や敗戦があっても復興・発展してきたから。
この「過去の成功体験」が仇と言うか、そのせいで、危機感がないんじゃないか?という気もする。

今、原発はやめた方がいいのではと思ってはいない人は、またどこかで地震が起こって、原発のひとつふたつ事故っても、日本は大丈夫、と思っているのだろう。
その見通しはある程度は正しくて、広瀬隆が言うように日本が壊滅するとは限らないと思う。

でも、この考え方は、「事故ったとき、今回のように、犠牲になる人々が発生するが、犠牲が出るのは構わない、一部の日本国民は、他の日本国民のために犠牲になれ、という主張」であることを判っていないといけない。


人間とは、愚かなもの、だと思う。

同じ過ちを、何度でも繰り返す。

過去を振り返れば、そうだと思う。

だから、過ちを犯したとき、生じる損失が「極めて大きい」ものからは、手を引いた方がいいんじゃないのかねえ。

・・以上、「理系オンチの市井のおばちゃん」の「ひとつの単純な考え方」。



「あなたはどう考えますか?~日本のエネルギー政策~
電源立地県福島からの問いかけ」
(福島県エネルギー政策検討会)


飯田哲也氏がTwitterで紹介した資料のうちのひとつで、大元はこちらだが、146というページ数を見ると逃げそうになる。
上記は、一般人に判り易く、まとめたもので、これなら読み通せる。