南の国の太陽、空の色の獅子

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Category :  フィギュアスケート
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まだ録画を一部しか見ていないが、メモを。

SPは、楽しかった。チャン君を、いいわね、と思った。
ジェーニャがいると、自分の目には、他の選手が(ほぼ)全員カボチャと化す。ジェーニャがいない大会なら、「正気」に戻って、いいと思う演技は思うし、楽しむところは楽しめる。
と思ったら、それができたのはSPだけで、FPを見たら、そうは問屋がおろさなかった。

これでシーズン終了だから、暫く頭を冷やし、来シーズンが始まってそのとき考えればいい、と棚に上げるか。
でも、男子S、真面目に見るかなあ。ダンスもCDがなくなるし、どんどん迷路に入っていくようで、暫く見るものなくなるか。
「ジュニアだけ見て、『シニアの一番上』は目のはしで見る」という対処法とか。

男子Sのシニアの世界選手権の最終グループで、「2A+2Tとか、2A+2T+2Lo」なんか見たくないわい!
と言っても無理なんだもんね。・・まあ、「SPで3-3」の選手がチャンピオンなんてじょーだんじゃない!と譲らなかったのが、少し軟化したことを思えば、女子並みのFPのジャンプ構成にも、いずれ目をつぶれるようになるのだろうか。(・・ぞっとしない話だ)

・間違いの訂正
3/20のエントリの中で「自分がルールを判っていなくて間違えた」箇所を発見したので訂正しておく。
今回上位陣のプロトコルを見ているとき、「あ、もしかして」と気づいた。ザヤックルールを認識していなかった、という自分。

・ブレジナ君
五輪でも今大会でも、公式練習で4を降りているのだが、コーチが、入れていいと言わない、らしい。
そりゃ、「練習で跳べる」「回転不足」「両足着氷」なら、できる選手は腐るほどいて、試合で成功できるかどうかは全く別の話だし、昨年までジュニアかけもちで、GPシリーズも今季から参戦、というキャリアからすれば、コーチが「まだ」と抑えるのは判らなくはない。今回は、枠取りの仕事もあった。

ただ、今回の構成で、GOEをどかっと貰えて、FPだけならブライアンより上の3位とくると、今後「勝つための戦略」を考えるなら、4を入れることが正解か、難しいところのような。
ご本人は、ヤグプルが憧れで、4を跳ぶ気があるそうだが、バトルが好きという趣味だ。実は、4をどうするという話より、この点が一番不安だったりする。彼の個性は、どうみてもバトルとは方向性が違うと思うのだが。
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Category :  自転車
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・Vuelta Catalunya
プロローグのTTがフランク(+ 0.15)より後の+ 0.27なのは、コースが危険で慎重だったこともあるのだろう(コースの状況は中野さん談)、と思ったら、体調不良でstage1未出走。あらまあ。胃腸にくるのはいつものことなので、しょうがない。
http://lequotidien.editpress.lu/les-sports/9887.html

I am very disappointed to have to withdraw from the Vuelta Catalunya. I was having gastro-intestinal problems since be4 Milan-San Remo,
I realize that I can’t change the current situation, but am still optimistic 4 the future races I am confident for my main goals this year!


フランク↓
@andy_schleck don t worry U ll be good.ones U put it on cruisecontrol U rule this sports.IT S NICE having talent bro.We all been there

胃痛で眠れない一夜を過ごした弟の隣のベッドで寝ていた兄さんは、弟が帰ると自分が寂しいなどと言ってられないよなあ。
とはいえ、アンディが戻ってきた、と喜んだのも束の間、またテンション下がりそう。1人だと、2分の一以下になるというか。
アンディいわく「僕らはパッケージ」だが、「2人セット」「2人で1人前」「おみきどっくり」・・どれが一番近いかしら。
Category :  自転車
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・アンディ
ミラノ・サンレモ後、「来週からお兄ちゃんと一緒!」・・はいはい、よかったね。
フランクの第一子誕生まで、この先何かといっちゃこの話題なのか。

Vuelta a Catalunyaのスタートリストを見ると、エースナンバー。エースの仕事はしないと思うのだが。
ミラノ・サンレモは、「TV放送が始まる頃にはいないわね」・・当たり。
現在の計画は、Liege-Bastogne-Liegeにコンディションを合わせること。でも、合わせられなければ、それはそれで、「生まれてくる子に勝利にプレゼントしたい」お兄ちゃんのために働くよ、と、にっこり・あっさり、言いそう。

とはいえ、この子は「勝利への執着がなさ過ぎ」か、というと、北京五輪をものすごく悔しがって、あれを見たとき、自分は、「あ、これだと見込みあるかも」と思ったのだった。
北京がなかったら、「このパーソナリティだとダメ」と判断して離れたんじゃないだろうか。(このよみは、吉と出るか凶と出るか?)

彼は、昨年のツールで、「コンタドールの次」に強かった。ランスは、先日の「ランスは語る」の中で、第17ステージでシュレク兄弟についていかれなかった、と認めた。
ウィギンス潰しを優先して、いかなかった、のではなく、いかれなかった、のだ。昨年、登りの力で、ランスはアンディより劣った。(ミヒャエルが、開幕戦でロズベルグに負けたのと同じ)
Category :  フィギュアスケート
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昨年ロステレコム後、ジェーニャの昔の演技のビデオを棚から出して見始めたが、1本で止め、戻した。
五輪後も、見る意欲はなかった。が、先日、フィギュアスケートとは全く別ジャンルのブログで、プルシェンコにはまって、動画を漁って見ている、という記事に出会った。

芸術・歴史の造詣が深く、スポーツ観戦は全くしない。五輪も興味なく、世間で話題の女子Sにも興味なかった、という人である。
採点を批判した、という記事に興味を持ち、検索して、動画の「肉襦袢」→「ニジンスキーに捧ぐ」ではまった、という。このパターンが多い、という話はファン関係で読んだが、実例に当たったのは初めてだ。

「肉襦袢」は確かに、全く知らずにいきなり見たら、インパクトがあるだろう。でも、自分がリアルタイムでどう思ったか覚えていない。いつだっけ?と確認すると、01年。9年も前である。
01年は、全戦全勝の、一番いい年だ。自分が会場で見たGPFも勝った。変則ルールの年で、FPを2本滑り、ヤグディンと1対1対決をやった。演技内容は記憶にない。ビデオを取り出し、見た。

SP「ボレロ」。次に、FP2本目の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

呆然とした。

自分は彼について、何がどういいのか、何が素晴らしいのか、言葉でうまく表現することができない。折にふれ考えたが、ぴったりくる言葉がいつまでたってもみつからない。
みつからないのを無理に探す必要もないので、ほっておいたまま今まできた。

今日思ったこと。
この人の演技は、「人ならざるもの」を、感じさせる。

ヤグディンの演技は、どこまでいっても「人間のしているもの」で、リンクの上には人間の姿しかみえない、と思う。
ジェーニャの演技も、物理的には、人間がしているものに違いない。が、リンクの上に、「人ならざるもの」が、見えるのだ。自分の目には。

宇宙人、といった呼ばれ方は当時からあった。「人間離れ」という表現もされた。当時、それらの呼び方を自分は好まなかった。
私にとっては、彼は、身体は大きくなったけれど、まだ「小さな子供」だった。「凄さ」は間違いなく感じていたが、同時に、弱い面を持つ「一人の選手」であることも認識していたからだ。

しかし、10年経った今になると、「人でない」という形容は正しかった、と感じる。
今、彼の過去の演技の動画に魅了された人々が語る言葉の中に、同じことを指しているように思えるものを発見する。

「人ならざるもの」とは何か。
それは、特定できないし、しなくていい。

彼が、片手を上に挙げ、ひらり、と翻した瞬間に、それは、姿を現す。

私は、98-99年シーズンの後、彼のプログラムをいいと思った記憶がないが、プログラムがどうであろうとよかったのである。私が見ているのは、プログラムではなく、彼の身体の動き、なのだ。

だから、プログラムにストーリーも、ドラマも、情感も、なくてもいいのである。
彼が、リンク上にいれば、それだけでいい。彼がリンクに上がれば、それだけで、すでに、リンクの外にいた彼とは異なる存在が出現する。

私を捕え続けてきたのは、彼の内に棲む「人ならざるもの」だった。多分そうなのだ、と思う。

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「ワンス・アポン」では、最初のコンポを4T3Tで止め、2Loをつけなかった。
と思ったら、すぐ次に、4T3T2Loを跳び直した。

唖然。
この頃は、こんなことができたのか。

今の彼には、これはできない。今の彼は、3A3Tすら跳べない。
(01年時、3A3Tも跳べる。FP1本目の「黒い瞳」は、クワド1本で、「4T3T2Lo、3A3T」の構成)

このことは言いたくなかった。
もし、3A3Tを、かつてのように跳べたなら、バンクーバーで勝てたかもしれない。
3A3Tは、3A2Tより、基礎点が「2.7」高い。金メダルに必要だったのは、「1.32」だった。
でも、今の彼は、3A2Tしか跳べない。

これを思いたくないから、今まで昔のビデオを見なかったのである。
立ち直るためには、一呼吸要る。


(3/26訂正)
3A3Tは、跳べないのではなく、「ザヤックルールにひっかかるので」跳ばないだけ、と気づく。
トリプルジャンプで同じ種類を2回跳べるのは2種類まで。3Aと3Lzを2回やると、3Tは2回跳べない。4T3Tで使うので、3Aに3Tを付けられず2Tになる。
それで、多くの選手が、3A3Tを跳ばず、3A2Tにしている、のであった。

・・今まで知らなかったの?と呆れられるだろうだが、ルールの細かい点には興味がなかった。ジャンプ構成をこうやった方がいいとかいった発想も全くなく、今回ジェーニャのプロトコルを見て、点をどこかで足せなかったか?と初めて思ったから、こういう間違いをした。


「ワンス・アポン」のプログラムを、当時いいと思っていなかったが、今、GPFの演技を見ると、感嘆する。
自分の目は、つなぎだのなんだの要素を隙間なく詰め込んだ今のプログラムに大分馴らされたが、「大技と、休む場所と、魅せる場所とがあって、緩急(メリハリ)がある旧採点時代演技」を見せられると、「十分に魅力的」と思う。
男がビールマンポジションのスパイラルをやってもいいじゃないか。

それと、今まで敢えて言わなかった件だが、「私、男のトップクラスが、『2A』を跳ぶのを見たくないんですけど。2Aは、女の子がやるレベルの技でしょ。それを、なんで、シニアの男子の、世界選手権や五輪の最終グループで、見ないといけないの?みんなよく平気だなあ」と長らく思っていた。

01年GPFを見て、自分のその意識も道理、と思った。
ジェーニャの「ワンス」のジャンプ構成は、「4T3T、4T3T2Lo、3A、3S、3Lz、3F、3Lo」。
「4のコンボとトリプル全種」が基本で、2Aなんかやらなかったのである。

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ジェーニャとヤグディンを同じ大会の会場で見たときに、印象に強く残ったこと。
「ヤグディンのジャンプは、着氷したとき、『グワシッ』という地響きが、客席の此方まで伝わってくる。ジェーニャは、それがない。軽々と降りる」

2人の競演は、99年国際オープンフィギュアでも見ているので、上記のことを感じたのがいつだったのかははっきりしない。
また、もしかしたら、たまたま、ジャンプの位置が、ヤグディンの方が自分に近い位置だったのかもしれない。今となっては、事実は判らない。

ただ私は、それ以来、地響きを響かせずに降りるジェーニャを、「体重がないかのように」と形容した。

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01年GPFのときのジェーニャは、「18才」である。
18?

今、18才の選手といったら誰がいる?
五輪の上位から見ると、4位までは24以上、チャン20、小塚君21、ブレジナ君19、テン君16、アモディオ君19・・

改めて、「化け物」だ、と思う。
そして、このときから「9年」経った今、いまだに、SPとFPで100%、4-3を跳べる。
他には、誰ひとり、できないことをする。

正真正銘「化け物」だ。
全盛期は、9年も前だ。年をとって、衰えた。衰えて尚、これだけの力を持つ。

2つ目の金メダルは取れなかった。でも、銀、金、銀。3つのメダルは、誇ることができるよ。

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01年GPFの会場で撮った写真の一部

どうして男子Sの表彰式やジェーニャのページを作らなかったんだろう?と確認すると、ボケ写真の山だった。
最終日は、キスクラの斜め上、リンクへの出入口を眼下に見下ろせる1階最前列の席で、近くに見えるときに、大喜びでシャッターを切りまくったのだが、手振れがひどかったらしい。

最前列で思い出したこと。
この頃の会場は、テンションが低く、大人しかった。ジェーニャのFPの素晴らしさに興奮した自分はスタンディングオベーションをしたかったのだが、周りの観客が誰も立たない。立つ気満々だった自分は、落胆した。

「もういや、こんな客席~、この演技に立たなくて、いつ立つのよ。こんなに素晴らしい演技をした選手に失礼じゃないの~~」
1人でもやればよかったのかもしれぬが、自分は背が高く(170cm)、最前列だから、後ろの人の視界の邪魔になる度合いが高いことが、思い止まらせた。後方を振り返って見渡し、他に1人でもいれば、と思ったのに、いないことに苛々したことを思い出す。

94年世界選手権では、素晴らしい演技には、自然に、スタンディングオベーションが起こった。男子Sで、ストイコに立ったことを覚えているから、「なに、今日の客席は?」となった。
94~98年のキャンデローロフィーバーの頃、「ジャニーズじゃないんだから、いい加減にしてくれ」といいたくなるキャーキャー状態が起こり、それが収まったのはいいが、今度は、盛り上がらなさすぎ、であった。

客席は、この後、05年以降、また盛り上がる。
「演技の最中にべちゃベちゃ喋る客が、ゾロゾロ来る」という、「過去最大級」のストレスを生んでいるので、再び鎮まる日が来るのを首を長くして待っている、わけである。
(今度は、盛り上がらなさすぎても、文句はいわない。「演技中のお喋り」の比較にならぬくらい、まし)
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Paris - Niceの録画をやっと見終わり、見終わるまでシャットアウトしていたニュースを読みに行く。

Biver confirms possibility of Team Schleck in 2011
根拠のある話。スポンサーがルクセンブルクの会社、という文言に、「先日、ルノーがF1チームの所有権を取り戻す可能性があるような記事が出たよなあ」。

といっても、新規設立チームでは、ツールの出場権を取るところから始めなければならない。シュレク兄弟の実力からすれば、既存チームで移籍の合意ができる話がありそうに思うのだが、ルクセンブルク人だと、商品価値が低いのか。
砂田さんがイノーから聞いた話では、シャバネルはクイックステップからアンディの2倍の額のギャラを貰っているが、それは彼がフランス国籍だからとか。(パリ・ニースのプロローグの中での話)

Andy Schleck - Motivated And Ready.
ガンガンな強さを発揮するコンタドールの他方で、いまだ怪我からの調整中のアンディ君は、Milano-Sanremoの後、ツールのパヴェ対策でベルギーのレース3本の予定だったが、Vuelta a Catalunyaに変更。
ここからLiege-Bastogne-Liegeまでフランクと一緒。

yottan-it
サガンのことなら、中野さんのブログを読みにいかなくては。

そうだ、カンチェがツールのプロローグで勝ったのはファッサだった、初出場で23才だったのか。顔立ちのよさに、「あら、いい男」と印象に残ったことを思い出した。
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・世界ジュニア
http://www.isuresults.com/results/wjc2010/index.htm

アイスダンス。
Elena ILINYKH / Nikita KATSALAPOVが初日から1位で、おっ、となったら、全セッション完勝。パチパチパチ。
昨年代々木(GPF)にロシアは3組出ていたが、自分が「これ」と第1位のチェックを入れた組。
ニキータ君の「身のこなし」が目に止まった。
GPFでは2位(ロシア国内でも2位)だったのだが、今回は、点数がガンとはね上がった。(なんなのよ、という気もちょびっとあるが、まあいいや)

GPF(土曜日)で、自分が一番盛り上がったのが、このジュニアのアイスダンスで、次がシニアのペアだった。
自分の一番は、サフチェンコ・ゾルコビー。不調が続いてきたが、この組の個性が一番好きで、今も変わらない。
Category :  フィギュアスケート
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■ターニングポイント

今のルールの根底にあるのは、「ISUの技術委員たちの持っている『過去』の理念」ではないか、という自分の推測が当たっているかどうかは判らない。
「技術委員は、コンパルソリーがあって、ジャンプ第一でない時代にスケートをやっていた年齢の人が占める」ことと辻褄があうので、そう思うだけだから。

推測が当たっているいないに関係なく、規定の廃止(1991年)、新採点法(2005年)というルールの大きな変更によって、フィギュアスケートの演技の姿が大きく変わっていくことは、歴史的事実として明らかになった。

過去2回のルール変更の原因は、共に、「商業的」理由である。
フィギュアスケートは、プロスポーツ(興行)ではないが、競技人口を確保して、振興を図るためには、「TV放送」と「視聴する観客」を必要とする。
自国にスターがいて、視聴率を取れるなら、放映権を高額で購入するTV局がいる。五輪が金まみれのイベントと化したように、アマチュアスポーツも今や、利権が巣食う温床だ。

技術委員や審判や各国のスケート連盟の人々は、それぞれ様々な意見を持ち、すべての人が、「個人の利益」「自国の利益」によって動いているわけではない。
独立した理念を持ち、それが利権や外圧に影響されることを苦々しく思っている人も数多くいるだろう。

しかし、本人が無自覚のうちに、巨大な流れに巻き込まれ、自らも加担し、先にあるものが何か判らぬままに、「今ある流れに乗って」進んでいく、ということは往々にして起こる。
走り出した列車は、一個人には止められないし、降りられない、というやつだ。

ルール変更の結果は、徐々に、表に現れる。今シーズンはまだ、4回転を跳ぶ選手がいる。来年も、いるだろう。
しかし、練習時間のうちジャンプ以外の要素に多くを裂き、ジャンプの練習をする時間が少ない世代の選手たちが、1年ごとに、増えていく。
練習時間が減少すれば、当然に、ジャンプの水準は、下がっていく。

五輪後の批判を受けて、採点方法を少しいじって、小手先の変更をしようが、ジャンプ以外の練習に多くの時間を費やさねばならないことに変わりはない。
よって、男子Sの選手のジャンプのレベルが、今のレベルより向上することを期待するのは無理がある、と思う。

・参考
平松さんのインタビュー記事

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■「クリーンで質が高いこと」>「4回転ジャンプへの挑戦」(ISUの指針)

4回転論争(もしくは採点法論議)については、延々と書くつもりだったが、「結論」がバキッと音をたてて見えてしまったので、終わりでいいか、という気分になった。

書店に行くと、真央ちゃんが表紙の雑誌やムックが複数並んでいて、パラパラと見た。中に、平松純子さんによる「審判は何をよしとするか、採点の基準」が書かれたページがあった。
五輪前に出版された初心者向け解説ムックで、五輪が終了した今読むと、五輪の結果は、そこに書かれたことが「そっくりそのまま反映」されたものだった。

「審判は、『クリーンで質の高いもの』を見たいのです」

「審判は、見たい」
この「言い方」は凄い、と思った。有無を言わさず、「唯一つの価値観」を断言しているからである。

個別の要素に対する具体的な言及がされ、ジャンプについては、「4回転に挑戦するだけではだめで、質が求められる」「連続ジャンプは2つめが高いものがよい」など。

ここに書かれた指針の通りの演技をやった選手が金メダルで、やらなかった選手が銀メダル、であった。
あまりに一言一句当てはまるので、これを読むと、採点ルールの運用がおかしいという文句は言う余地がない。平松さんが示した指針の通りを運用した、といっていい。
笑い出しそうになってしまった。(意味は、諦めの笑い)

平松さんは、ISUのフィギュア技術委員で、採点法を策定する人間である。平松さんがこのように考えて、明言・公言するのであれば、「今回の五輪は、あの結果になるのが当然」だった。

プルシェンコは、何をしたか。
ISUの技術委員に対して、「あんたらのやってることは、根本的におかしい」と楯ついたのである。
「今、あんたらが、フィギュアスケートの演技はかくあるべき、と我々選手に向かって言ってることは間違ってる」と。

技術委員が提示した「フィギュアスケート競技で目指すべき姿」と、その理念に基づいて策定されたルールに従って採点する審判たちに、敬意を払うどころか、反逆した。

点数を決めるのは、審判である。五輪の金メダリストを決めるのは、審判。
彼は、「負けるべくして負けた」のだ。
「審判が、彼に金メダルを与える」ことが起こりうると考えた自分の、愚かさよ。
五輪前に、まったく何も知らないわけではなかった。だが、物事の表面しか見ず、「いま起こっていることはどういうことか」、「本質」まで考えが及ばなかった。

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新採点法成立のきっかけは、ソルトレイク五輪での、各国スケート連盟の審判への圧力による採点不正疑惑であり、新採点法が目的としたのは、「外部から審判に圧力がかかるリスクを減らす」システムだった。

演技を要素に分解して、技ひとつひとつの点数をあらかじめ決めておき、その合計で判定する、という方法は、「外部から圧力を受けた審判が操作できる余地」をなるべく減らすための方法として有効、と考えられたため、導入された。

しかし、技に与える基礎点や、出来に与える加算点の具体的数値を決めるとき、「求める演技の質を、現在の方向性から変更しよう」という意向が働き、具現化した。

点数を決めた人間たちは、この機会に、男子Sにおける「より難しいジャンプ」という方向へ向かっていた船の舵を、180度切って、「ジャンプ以外の要素を重視する」方向へ、船の向かう先を変えたのだ。

なぜそうしたのか。
この答は、すぐに思いつくものがある。誰かの意見を読んだのではなく、自分個人の推測の域を出ないが、すんなり納得できること。
「彼等が選手をやっていた時代は、そうだった」から。

現在の事象を理解するとき、過去を振り返ることは役に立つ。
フィギュアスケートの発祥は、「氷の上に図形を描くこと」である。図形を描く滑走(コンパルソリー)は、1896年の第1回世界選手権から必須課題で、廃止されたのは、1990年。フィギュアスケート114年の歴史の中で、94年間続いた。

コンパルソリーが廃止されたのは、観客から見て、面白味がなく、TV放映に適さないから、という「商業的な」理由による。

「商業的な理由」によるコンパルソリーの廃止は、選手のスケートの質に、変化をもたらした。
コンパルソリーがあった時代は、選手たちは全員、「正確な8の字を描く」練習に長い時間を費やした。
1990年より後にスケートを始めた選手たちは、その練習をやらない。代わりに、男子選手たちは、ジャンプの練習に熱心に取り組んだ。

私は、まったくの素人観客で、選手たちのスケートの上手い下手を意見する見識を持たない。しかし、コンパルソリーの練習を何時間もやった時代の選手と、まったくやらない現在の選手とでは、スケーティングの技術レベルが違う、ということは判る。
一定年齢以上の元選手・関係者からみれば、今の選手は、ジャンプばかりに熱心で、スケーティングが下手になった、と思うだろう、という想像もできる。

ジャンプが悪いとはいわない。難しいジャンプはそれとして素晴らしい。しかし、今のレベルまできたら、回転数を増やすのは、そろそろいいじゃないか。フィギュアスケートが本来重視した価値に、立ち帰ってくれないか?

ISUのおじさんおばさんたち(といきなり砕いて書く)はそう考えたのではないだろうか、と解釈するなら、それなりに納得できると思う。

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上記の理屈に辿りつくまでには、けっこうかかった。
自分がフィギュアスケートを見始めたのは、伊藤みどりさんとペトレンコの時代で、ジャンプ合戦時代にどんぴしゃ当たる。
よって、男は「跳んでなんぼ」であり、「4回転を跳ぶ者が王者」に決まっている。

プルシェンコの「王者たるものは4回転を跳ぶべき」発言に否定的な感想を持った視聴者が多数存在することを知った最初、驚いた。
過去約20年間、男子Sの価値観は、こうだったからである。彼が勝手に思い込んだ、個人の趣味ではない。
「審判は、当代最高難易度のジャンプをプログラムに入れる選手を、入れない選手より上につけた」時代が20年続いたからである。

4回転なしのプログラムを、どんなにクリーンに滑っても、4回転を入れた選手より高く評価されることはなかった。
4回転を入れることが、チャンピオン争いの土俵に上がる最低基準であり、他の要素のレベルは、「その後に」評価される基準だった。

プルシェンコの主張を理解しないのは、「ジャンプ合戦時代を知らず、新採点法の感覚しか持たない」若い人々か。
自分と同じ世代にもいるが、こちらは、フィギュアスケートを継続して熱心に見ておらず、「過ぎたことを覚えていない」部類だろうか?なにせ、真央ちゃん出現以前は、フィギュアスケートは明らかに「マイナー」なジャンルだったから、不思議ないか。

そうであるなら、敢えてはっきり言いたいと思うが、プルシェンコの主張は、「彼が競技をやってきた約20年間、審判が示した採点の基準」である。
審判の指針を無視して彼個人が固執した「理想」でも「信念」でもない。

「20年間、『これをすれば高く評価します』と示され、それに従って努力してきた価値基準を、20年たって、『これからは、違います。評価しません』とひっくり返されたら、はいそうですか、とあっさり受け入れるか?おかしいじゃないか?20年間、こうだと示されてきたことだぞ?」

(続く)
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CNのTeam Schleck in 2011 peloton?のヘッドラインに、ん?となり、ネタ元のgazzettaへ行くと、なんてことはなかった。
裏付けのある話ではない。サクソバンクのスポンサー問題と、シュレク兄弟の契約が今年までという2つの事情から、正式に発表があるまで、延々ネタにされるだろう。
コンタドールの行き先と合わせ、根拠のあることないこと色々書かれるんじゃないだろうか。

リースがちゃんとしたスポンサーをみつけられさえすれば、兄弟は残ると考えていいと思う。フランクは、リースに拾ってもらって、長年いて、家族ぐるみの付き合いだ。(チーム公式サイトのスタッフの欄に、ジョニー父さんの名がある。家族3人契約しているらしい)
スポンサー問題さえ解決すれば、出ていく理由はないだろう。しかし、ケースデパーニュも撤退を決め、厳しい情勢なので、どうなるか。

ルノーからF1チームを買ったジェニィ・キャピタルがルクセンブルクの投資会社、というニュースを読んだとき、「そんな景気いいなら、こっちをなんとかして~!」という(むちゃくちゃな)発想が過ったのは、自分だけか。
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自転車のシーズンはとっくに始まっているが、膝の故障があったアンディは、ようやく今週始動。
故障といっても、本人はいたって呑気で、へこんだのは、一緒にシーズンスタートの予定だった弟に荷物まとめて家に帰られて取り残されたフランク。
Twitterには、兄弟の間で、相手に読ませるつもりのようなつぶやきが。

もうよおくわかったし、今更の話だが、フランクのブラコンのレベルは危険水域という理解は合っていると思う、多分。
シーズン開始前に出た複数の記事を読んだとき、改めて思ったことは、「この兄弟はこう、と悟った。くっついていたいなら、そうして下さい。外野が何言っても無駄。(外野の)皆様、諦めましょう」

アンディは、マイヨ・ジョーヌとフランクのどっちか選べ、と言われたら、フランクを取る。
・・無理ですね、ツール制覇は。他方には、「絶対負けん」と執念メラメラの選手がいるんだから。走りの実力云々を言う前の段階で勝負ありです。
もしかしたら1回くらいは、あちらに不運があって、転がり込むかもしれないけど、せいぜいその程度。

才能ありそう、じゃなく、才能あると専らの評価だから、勿体ない、と言いたくなるが、考えてみれば、自分が彼に目を止めたのは、08年のツールで「兄のために」頑張る姿だったのである。
「自分の勝利・戦績のため」ではなく、100%兄のため。なんて健気で、ういういしくて、かわいい子だろう。
それを思い出すと、納得できるというか、本質を見誤ったわけじゃないというか。

まだ知識を持っていない頃は、実力で弟に追い抜かれたフランクが、弟のアシスト役をやれば、これほど信頼できるアシストはいないから、強い、と思ったが、現実はといえば、フランクは、自分の戦績も望んでいるのだ。
アンディも、まだ兄に力がある、と信じて、兄の戦績を犠牲にする気がない。一緒に表彰台、という夢をおおまじめにもつ。

昨年のツールで「フランクは弟の足を引っ張った」という評価を複数見たが、その通りだと思う。
2週目までフランクがずっとアンディの後ろにいて、アンディが自分でアタックするので、「どうなってるんだ?」と訝しんでいた。勝負所の終盤の山も、前をひく時間はアンディの方が長い。フランクは弟に連れていってもらった。

アンディは、兄の意に沿わぬことはしない。フランクを犠牲にして、自分の戦績を得ようとはしない。
フランクがアンディのアシスト役に徹するのは、08年のアンディのように、どこかのステージでタイムを大きく失って、自分の総合を諦めざるをえない事態になったときだろう。
そういうケースが起こって、コンタドールがアクシデントかミスで遅れて、それで勝機がある、という感じ。・・これだとランスの方がまだ勝機があるんじゃないだろうか。

勝利に対する強烈な執念とエゴがない人に対して、執念を持て、といっても無理である。生まれつきそういうタイプなんだから。
好きになるのも応援するのも自由だけれど、「頑張れば誰でも世界の頂点を取れる」わけじゃあない。「いつかチャンピオンになる・優勝する」といった期待をかけるときは、資質を見間違えちゃいけない。

ということで、こちらのジャンルはギスギスしないで見ましょう。
もうすぐ始まるジャンル(F1)がどういう状況になるか怖いんだから、こっちはお気楽に。
Category :  その他
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・スピードスケート女子団体パシュート

スピードスケート女子団体パシュート最終日の放送は、フィギュアスケートEXの前で、TVを付けると、決勝の模様を伝えていた。
準決勝でドイツの選手が転びながら執念でゴールに滑りこんで勝った、と聞き、どこかで再放送を見られるかと思ったら、日本戦ばかりで、出会わなかった。
諦めていたら、公式の動画配信サイトの存在を知り、見ることができた。

想像していた以上の「執念」で、見ながら思わず笑い出してしまった。

「これ見ちゃうと、決勝で日本が僅差で負けたのは、『執念』があちらが一枚上だったんじゃないの、と思っちゃうなあ。転んだ選手(アンニ・フリージンガー!)は決勝は出ず、メンバーは違ったけど、『ドイツ人は世界で最も勝利に対する執念が強い民族』という言葉を久々に思い出した」
Category :  フィギュアスケート
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EXと閉会式を見て、ジェーニャの結果にサバサバしている自分の心理が判った。そうか、多分こうだな、と。

私は、満たされたのだ。
点取り競争には、負けたけれど。

私は、これまで彼をずっと称賛していたのではなく、不満をぶちぶち言っていた。ソルトレイクのシーズン、「このプログラムじゃヤグディンに勝てない。ミーシンさんも本人も何考えてんの、金メダルを欲しいなら、ジャッジの評価を得るための『戦略』をもっと考えてくれ」と苛々なんてもんじゃなかった。
ソルトレイク後、負けなしになった期間も、アラがぼろぼろ見えるわ見えるわ。
下は、トリノ五輪前の2005年8月の記述である。

この数年ずっと故障に悩まされ続け、ジャンプは軸が歪んできて、かつてのように「体重がないかのように」軽々と跳べないし、機械のような正確無比さも失った。他の選手と比べれば、総合的な力は上だし、圧倒的な存在感を持つので、まだ、ジャッジは上につけるが、基準を彼本人に置けば、レベルはとうに下降線だった。

以前は柔軟性に富むと思っていたが、優る選手が出てきたとか、スピンの回転の遅さが我慢の限界を超えるとか(スピンが弱点になるなんて前は思わなかった、とほほ)、技術上の欠点が目についたり、なによりプログラムに感心しないし(最大の難点)、もしもタラソワにみてもらったら、もう一段上のレベルにあがれたに違いないが、ここで止まるのは残念とか、不満たらたら。
でも、ここまでくると、言っても無駄な不満は一切合切棚上げして、「とにかく金取って引退してね」これ一本槍。
故障は、長年のピールマンスピンや4回転ジャンプで身体に負担をかけた結果で、過去8シーズンに渡ってずっとトップを争ってきたことを思えば、もう無理しなくていい、と思う。

以上を読むと、お判りと思うが、ミヒャエルを見る目と非常に似ている。他の現役の選手と比べたとき総合的にまだトップという評価はできるが、当人をずっと見てきたファンからすると、過去のレベルと比べて、文句ぐちぐち。でも、キャリアの終りが目の前だから、諦めの境地で、じたばたせず、どっしり構えて見送ろうという。
(2005/8/16)

昨年の復帰発表時は、「見たくないものを見ることになる」ことを歓迎しなかった。
競技会に出るならば、常に勝ってほしい。彼が負けるのは見たくない。
力の衰えを認めるのは心楽しくない。
かつての彼のまま、誰より強く、誰より素晴らしくあってほしい。そうでなくなった彼を見たくない。
バンクーバーで金を取れなかったとき、味わねばならない不快・無念が、嫌だ。
それが「本音」だった。

五輪の勝負は、際どい差で負けた、と思う。どこかでほんのちょっと出来がよかったなら、勝てた点差だったから。
敗因の解釈は、色々浮かぶ。
表面的な解釈を述べるなら、「現在のルール(採点方法)への対応が足りなかった」、これに尽きる。
SPのPCSで叩き落とされても、FPのTESのどこかで、もう2点もぎ取っていれば、踏ん張ることができたからだ。
(「いや、それはない。ジャッジは、彼を勝たせなかった」という解釈の可能性がゼロではないが、それは今日は横におく)

しかし、彼に対して、今回の五輪での演技以上のものを要求することが正当という自信は、自分にはない。

ロステレコム・ユーロの演技と比べれば、より点を取る努力をしていた、とみなすべきと思う。
TESの基礎点は、ロステレコム73.10、ユーロ70.33、五輪75.03。ロステレコムではコンボを2回しか入れず、ユーロでは、3Lzが抜けて2Lzになった。五輪では、そのミスをしなかった。軸が曲がっても、着氷し、抜けも転倒もしなかった。
あれ以上を、「やればできた」か。「努力が足りなかった」か。

この問いの正解は見つからない。
ロステレコム後、膝の痛みで、滑れなくなる期間があった。ロステレコムを見た人々の中には、これは初戦で、この後、もっと内容を上げていくから、五輪の金の最有力候補、と語る人がいた。それは、若い現役選手に言えることで、この人は、引退して当たり前の、故障持ちの27才だ、と私は思った。

新しいルールに馴染み、新しいことを吸収していくことは、若い選手ほどやりやすく、年を取るほど難しくなる。10年以上の間、「これがよい」とされ、身についた体の動かし方を、20の半ばを過ぎて変えることは、才能のある選手であっても難しい、とみるべきではないか。

荒川静香さんが著書「フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法」の中で、新採点法が導入されたときの苦労について、「20才を超えた」自分には難しかった、と記している。
彼女は、新採点法導入直後の2005年、対応できずに惨敗し、トリノ五輪で戦績を出して引退しよう、と決めて、「新採点法を攻略する」ことを第一義にして、必死に練習した。

その甲斐あって、荒川さんはトリノで金を取った。他方、同じトリノで金を取ったジェーニャは、荒川さんとは異なり、当時、新採点法の対応に大きな苦労はしなかったのではないだろうか。
他選手に対して彼の持つアドバンテージは巨大だったので、それまでの彼のやり方を、少し変える程度で十分だった。そして、彼はまだ、新しいルールに対応する能力が十分ある年齢だった。

トリノから4年経ち、彼は、4つ、年をとった。
4年の間に、採点法は大きく変わった。4年前にはレベル・GOEを取れた技が取れなくなったり、その逆もある。PCSの評価の仕方も変わった。
4回転を跳べない選手たちも、4回転以外の要素を様々に工夫することで、高い得点を得られるようになった。

ジェーニャとミーシンコーチに、いくばくかの油断があった、という見方はありかもしれない。ロステレコムとユーロで勝ち、メディアには優勝候補筆頭と書き立てられ、自らの力を過信した。ミスをしなければ、このプログラムで勝てる、と計算した。
その計算は、基本的には、大きな誤りではなかったと思う。計算が狂ったのは、SPでPCSを大きく下げられ、ライバルたちに対してリードを作れなかったという事態による。
だが、4+3を決めていながら、3+3の相手と差がほとんどない、という計算をできた人がどれほどいただろう。

同じジャンプ構成のジュベールと並ぶことは想定できた。ジュベールがSPでノーミスだと、僅差で負ける可能性があった。ユーロの評価をスライドするとそうなる。だが、ジュベールにはFPで勝てる、と計算してよかった。

ジャンプ構成を、どこかで変えて、もう2点稼げる構成にすべきだったろうか?

今より難易度を上げても、彼は、本番でミスなく滑れただろうか?

競技会復帰をもっと早めて、北米開催のGPシリーズに参加し、北米の選手と同じ試合に出て、ジャッジの評価を確認しておけば、より対応ができただろうか?

いや。彼は、怪我を繰り返していた。復帰目指して練習を始めたが、どこかを痛めて中断、というニュースを聞くたび、いつものこと、と私は読み流し、「無理だ。復帰はない」と思っていた。

五輪のFPについて、ジャンプの軸が曲がっていた、出来がよくなかった、という指摘を多く目にする。
彼の演技の出来がいいとはいえなかった(いつもはスムーズに跳べる3Aの軸が曲がった)ことは、どう解釈するのが正しいのだろう。
「コンディション調整(ピーキング)に失敗した」
「メンタルの影響(プレッシャーによる)」

「あれが、『今の彼』の実力」という見方はありえないか?

ジャンプの軸が曲がることは、トリノ五輪前の時期、「私がしっかり文句を記すくらい」みられたことだった。綺麗なジャンプを「常に」跳べたのは、あちこちを故障する前の時期に遡る。

トリノ五輪のFPを見直してみると、トリプルジャンプがひとつ抜けて、ダブルになっている。大きなミスだ。
4-3-2を跳んでいるが、2Loの「傾きながら、やっとこさ」のつけっぷりは、今の採点だと、GOEでマイナスになる可能性がある。

彼は、故障を抱えながら、短い期間で、4年前と同じレベルに戻し、新しいルールでできる限り点を取る努力をし、当日、「絶好調」にはもっていけなかったけれど、大きなミスをしなかった。
ジャンプの軸が曲がることは、「大きな」ミスの内には入らない。

彼の出来は、「私が不満を言うほど」、悪くない。

当日の演技終了後の自分の頭の中は、「点数の計算」で占められ、猛スピードで思考が駆け巡っていたので、「自分の感覚で、いい悪い」の観点が全く作動しなかった。
今日、初めて、その観点で見た。

ちなみに、「計算」では、「これは・・ぎりぎりで、負ける、な・・」

付け加えると、その後、プルシェンコの出来がよくない、ミスした、という世間でよく言われる評価は、TVの実況で、本田君とアナがそう指摘した影響が大きい、という推測が、おそらく正しい。

ライサチェックとジェーニャの演技は、「新採点法の採点感覚で見たとき」、ほぼ同程度、だったと思う。観客の目にも、どちらが上と大方の人が賛同するほど、大きな差はなかった。

仮に、ジャッジが、ジェーニャにもう2点上乗せして、勝たせていたら、「やっぱり決め手は4回転だった。少しミスはあったが、ライサチェックもパーフェクトではなかった」という記事で埋め尽くされただろう。
世間の人は、ジャッジの出した判定が、自分の感覚と大きくズレていなければ、判定を正当化して受け入れるものなのである。

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ジェーニャは、4年前から、衰えていない。
彼は、彼のままだ。間違いない。
今も、軽々と4+3を跳ぶ。
復帰して出場した3回の国際大会のSPとFP計6回すべてで、4+3を跳んで、成功させた。
他の誰ができる?

「ヤグディンに負けて終わった」という、ソルトレイクでの敗北感が消えたのは、トリノのEXを見た日だった。
バンクーバー五輪のEXを見た日、過去に抱いた敗北感や不満のすべてが、溶けて、流れて、消え去った。

彼は、今も、これほどに輝く。
トリノから4年という歳月が経ったのに、今も尚、光輝く。

15才の、ほんの「子供」だった日から、他の誰とも比較にならぬ、自分にとって絶対的な男子Sの選手であり続けた相手は、真実、唯一無二の選手だった。

バンクーバー五輪で2個目の金メダルを取れなかったことが、それを覆すことはない。

今、この言葉を言える。

復帰してくれて、有難う。
心からの感謝を。
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