南の国の太陽、空の色の獅子

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・ノルディック複合個人ラージヒル

マンニネン、メダルならず。全盛期は、後ろからガンガン追い上げて、バシバシ抜いたものだが、今は、他国が強化をして、力を持つ選手が増えてきた、という事情もあるんだろうなあ。

キルヒアイゼンは、今大会では団体のメダルが目標で、個人は捨てていたとしかみえないレースっぷり。
ノーマルヒルで、最初バンバンとばして、途中からずるずる遅れ、最後は「いつゴールしたんですか?」。団体戦に向け力を温存したということもあるのかと思いきや、ラージも同じ展開。ゴール前スプリントもさっさと放棄。ドイツチームとしてはいいんかねえ、あれで。
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男子Sの結果に関して、一つの観点のみで語るのは、適切でない。「複数の」観点で語る問題である、と自分は思っている。

今日は、田村明子氏が下の記事で記述している「冷戦」の観点について書く。
プルシェンコの連覇を妨害した!?米国人ジャッジ、疑惑のEメール。~五輪でのロビー活動の真実~

日本人は、歴史的に、特定の他国に対して深い憎悪を抱く経験を持たない、非常に幸福な国民だ。
物理的に隔絶された島国で、鎖国を長く続け、他国と長年戦争を繰り返した経験がない。戦争をやった期間はごくごく短い。
これに、過ぎたことは水に流すのをよしとする精神特性が加わり、結果、どこかの国を憎悪する、という感情を、実感として判らない人が多数を占める。
かくいう自分も、判らない。しかし、ヨーロッパの歴史に関心を持ち、様々なものを読んでいくと、その「負の感情」の存在に気づく。

北米とロシアの間の感情も、自分は実感としては判らない。だが、冷戦時代に生まれた世代であるため、東西対立がイコール世界の構造で、永遠に続くものと思っていた。
核戦争が起こって、いつ世界が滅んでも不思議ない、といわれた、緊張した東西関係の時代だった。ソ連が崩壊したとき、「こんなことが起こるとは夢にも思わなかった」という衝撃を受けた。

ソ連邦が消滅して20年が経つので、冷戦時代を知らない世代はかなり増えた。だが、少し上の年代なら、すぐに思い出すことができるだろう。

五輪で、ソ連と東ドイツがメダルを量産していたことも、思い出すだろう。されば、ロシアを負かすことは、長年、負けて悔しい思いをしてきた北米人にとって、達成すれば「胸がすく」目標だ、という理解は、誤りではないと思う。

田村氏の述べる、「北米メディアが煽って、打倒プルシェンコの空気を作り上げた」という認識が、客観的に妥当であるのかどうかは判らない。
しかし、「8年前のソルトレイクでの北米メディアの大キャンペーン」と「ISUがそれに屈したという事実」を知っているならば、今回もさもありなん、という見方はあって当然だろう。

田村氏は書いていない、自分の頭にあった観点を書く。
ジェーニャの復帰は、男子Sで金メダルの皮算用のできた北米にとって「歓迎せざる」ものではなかっただろうか。

彼が復帰しなければ、ライサチェック(アメリカ)、チャン(カナダ)ともにメダルを取る公算は十分ある、と考えてよかった。絶対王者が不在で混戦の状況で、チャンスは大きかった。
そこへ、突然、トリノで金を取って一旦ひっこんだはずのロシア人が、もうひとつ金を欲しい、としゃしゃり出てきたのだ。北米からすれば、プルシェンコは、「戻ってこなくてよかった」迷惑な乱入者、というのが本音ではなかったか。

結果を見れば判る通り、プルシェンコとランビエールの復帰組2人がいなければ、チャンが銅メダルだった。4回転を跳ぶ欧州の2人は、北米にとって、五輪直前に突然出てきて、北米が取れるはずだったメダルをかっさらっていこうとする憎き簒奪者、だったのではないか。

明言しておくが、私は、これらのことを、非難しているのではない。
フィギュアスケート界は、昔から、国際政治の対立を写した鏡だった。旧採点法時代、冷戦構造が持ち込まれていることをはっきり認識していた。
国家体制としての冷戦時代が終わっても、人間の感情は、すぐには変わらない。スポーツ界での冷戦はあとを引く。

「今回の五輪の舞台が北米でなければ、プルシェンコはおそらく五輪2連覇を果たしていただろうと、私は思う。」

田村氏のこの意見を、否定はしない。
しかし、私は、こうコメントするだろう。

「今年の五輪の舞台が北米であることは、とっくに決まっていたことよ。プルシェンコは、『敵地に乗り込む』ことを、十分考慮して、戦いに臨まなければいけなかったのよ。勝ちたかったならね。
だから、このたらればは、あまり上手い話にはきこえない」
Category :  その他
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・ノルディック複合団体
キルヒアイゼンが手に入れたメダルは、銀でなく銅だった。
「金はないわ」と割り切っているので、こういうネタ話をする。

残るは2日後のラージヒル。マンニネンの結果や如何。

・スピードスケート男子10000メートル
リザルトのメダリストのリストを見て、「スベン・クラマーがメダルなしって、何があったの?」
BSで録画放送があり、見てみると、いいペースで走っている。おかしいなあ、最後にいきなり失速するの?と不審に思っていると、コースを間違えるというミスをして、失格。
本人は気づかず、最後まで走り続け、タイムは1位。信じられないミスで金メダルがパアという話に唖然となる。
間違えたのは本人でなくコーチで、本人はコーチを信じて、指示に従った、という。うへえ。他人事なれど、あとどうなるのか怖い。

2位に入ったロシアのスコーブレフは、大会初日の5000mで、3位を守ってメダルを取れるか、最終組のレース結果を待っているときの、床にぺたんと正座をし、前のめりになって、手袋を両手に握って口に当てている「お祈りしているかのような必死の雰囲気の姿」が妙に印象に残った。
今回は最終組の滑走で、銀が決まって、観客席に挨拶しに行くとき、コース上でまた正座してる、と思ったら、今日は氷にキスするためだったらしい。
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ジェーニャの結果に、がっかりはした。本人の望みが叶わなかったわけだし、メディアの記事やネット上の世間の声をいい気分で読む楽しみもない。勝っていたら、称賛だらけで、にたにたして読めるのに。

でも、以前、彼を含めたご贔屓さんたちの敗北時に味わったような落胆はなく、当日からケロッとしていた。少々鬱な気分だったのはSP後で、FPが終わったときは、こういってはなんだが、すっきり。
自分でもちょっと不思議なので、なぜなのか考えてみた。

解釈の候補。
「時間が経てば、この結果は悪いものではなかった、という評価になる」という、自分の「カン」。

素晴らしい我田引水の解釈だが、自分は従来負け惜しみをしない性癖である。勝ってなんぼ、美しい敗者となるより、醜くとも勝者たれ。98年鈴鹿や07年富士は、いまだに無念だ。どこまで執念深いのやら自分で呆れる。

そんな自分が今回無念を感じないということは、「無念に思わなくてもいい事態」なのだ、きっと。

自分の「カン」は、まんざらでない。ミヒャエルの復帰前に作動したから。(夢にみたことなぞまずないのに、7月1日に突然現れたとき、「これ、無意味じゃないよなあ。何かの意味はあるよねえ、何なのかは判らないけど」)

これだけだと、さすがにあんまりなので、別のことを。

五輪の金は、金の価値があることには違いない。だが過去を振り返ると、金メダルがすべてじゃない、ということがはっきりしている。
女子をいえば、リピンスキーとヒューズと荒川さんが取ったけれど、この時代の最も素晴らしい選手が誰かといったら、答は、ミシェル・クワンであり、次はイリーナ・スルツカヤに決まっているのである。

男子をいえば、ペトレンコとウルマノフとクーリックじゃなく、カート・ブラウニングとエルヴィス・ストイコなのだ。
私は、長野五輪の会場で、イリヤの金メダルを願って拳を握って見た観客だが、イリヤ・クーリックはストイコより優れた選手だった、とは、今、口から出すことはない。

フィギュアスケートのシングルの五輪の金メダルは、当代の王者が取るわけじゃない、というのが、いわば定説だったのである。
ソルトレイクとトリノの男子の結果は順当だったが、それ以前にまた戻っただけの話。

これも「屁理屈」の一種だが、敗北感や無念が今の自分にあまりないことには、それだけの理由があるのだろうと思う。

こののち、男子Sがどういう様相になるかは「神のみぞ知る」が、4回転なし王者が続けば、ジェーニャは「勇敢なる最後の4回転王者」として記憶されるし、4回転が復活したなら、「死滅の際に追いこまれていた4回転を救った王者」と呼ばれることになるだろう。

「SPとFPで4+3を跳ぶ」技術の高さがどれほどのものか、今理解できない人々も、これをする選手が誰もいなくなった日には、気づくだろう。

日本の世間の声をちらと見に行くと、「あのねえ」となりそうな声がわさわさある。
「フィギュアスケートをまともに見るのは五輪のときだけで、一か月も経てば自分の書いたことを忘れている人間たちの言葉を相手になんかしてられんわ」が、正しい対処法である。

日本は所詮、フィギュアスケートが根づいていない国だ。この国の人々がジェーニャについて何を言おうが、気にするだけバカバカしい。
「シューマッハとアロンソ」のファンをやったので、罵詈雑言を雨あられに浴びせられ、その後、「コロッと」掌を返して、山ほど称賛される、という気色悪い光景を、「2度」見た。
日本人が何を言おうが、ドイツではミヒャエルはずっとヒーローだし、スペインへ行けばフェルナンドのサポーターだらけだ。
ロシアの人々はジェーニャを支持するだろう。それでいいのである。

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・訂正

4回転論争・・・誰が4回転を殺すのか」(2/21)の中で誤ったことを書いたので、訂正する。

2次情報だけ見て、1次ソースを確認しないまま、間違った解釈と認識をした。
エルドリッジは、ライサチェックの金メダルを否定していない。祝福している。
ストイコは、原文を確認済みなので、そのまま。
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・ノルディック複合団体
観戦ポイントは、「キルヒアイゼンが、銀メダルコレクションを増やすかどうか」。

・スピードスケート
毎周回のラップタイム推移を追って見る、長距離種目が面白い。F1に通じる。尚、ボブスレーは、1ランで、F1の予選みたい。
10000mのTV放送予定がなくて、ありゃりゃ。

・ジャンプ
NHKスペシャル「ミラクルボディー」を見た第一目的はジュベールだったが、アマンの章の内容が非常に興味深かった。
ジャンプは一時期見ていたが、技術がどうも判らなくて、知識を仕入れる機会もなく、いつしか遠ざかっていた。この番組は、遠くまで飛ぶためには、どういう技術・能力が必要なのか、アマンがどうして強いのか、どういうトレーニングをしているか、などを伝えてくれた。
おかげで、五輪の闘いぶりに大いに興味を持って見たら、あっさり2冠に、恐れ入った。

風向きなどの外的条件(運)も影響する、一発勝負の屋外競技なのに、本当に強い人は絶対に失敗しないのか、この人の域は凄いな、と感心することしきり。

「ミラクルボディー」が取り上げたもう一人、アルペンのスピンダルの戦績も気になった。
滑降で銀に終わり、そうか金は取れなかったのか、と思ったら、どうしてどうして、スーパー大回転で金。
みなさん、金メダルをちゃんと取っていらっしゃる。ブライアン一人が、金どころか大惨敗。

がっくりきそうになったが、あの番組の趣旨からすれば、ブライアンを対象に選んだのが間違いとはいえない。
番組を制作した昨年夏時点では、ジェーニャの復帰は決まっていなかったから、彼が、4回転という最高レベルのジャンプを最も高い確率で跳ぶ選手だった。
男子シングルにおいて「最も重要な技術」は、ジャンプの技術、のはずだった。
ブライアンは五輪メダルこそ持っていなかったが、世界選手権タイトルは持っており、バンクーバーの金メダル候補だった。

番組が取り上げた3人のうち、彼だけが金を取れなかったのは、彼が天才クラスの選手ではなかったという点の他に、フィギュアスケートという競技が、滑降やジャンプのような「より速く、より高く」の価値基準では勝敗が決まらない競技だからではなかったか。

フィギュアスケートが、ジャンプ大会ではないことなぞは、とうに判っている。だが、「一番速く」「一番高く」「一番強い」者が金メダルを取るスピードスケートやアルペンやジャンプを見たあとに、フィギュアスケートの放送を見ると、「この競技が五輪に存在する」ことに、一瞬、違和感のようなものが湧き上がる。
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アイスダンスFD終了。
ドムシャバが最終滑走とは、よくできた順番である。
約半世紀の間フィギュアスケート界に君臨したロシア帝国の終焉の演技になった。

前回トリノの時点で、次の五輪ではロシアは金を取れない、と判っていたが、いざ現実になると、「私は外国人だから、溜息で済むが、当事者たちの打撃はいかばかりか」と思う。

一時期の最悪の環境からは脱して、段々とよくなっているという話は読んだことがある。でも、ジュニアを見ると、ペアは育っているようだが、ダンスはカナダ・アメリカ勢がどんどん出てきている。シングルは勿論ダメ。

タイムラグがあるから、数年我慢すれば出てくる、と希望を持っていいと思う。だが、ロシア人コーチたちがこれだけ他国に散って、北米・アジアの選手たちを教えていたら、こうなるのは必然の結果で、栄華は2度と戻るまい。

時が流れるとは、こういうことだ。
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アイスダンスODが終了。
「GPFで、メリチャリをテッサモエの上につけたとき、あら?五輪はどうするの?と首を傾げたが、男子Sでアメリカが金を取ったから、ダンスはカナダ、とすんなり決まったのね。これで、宿敵ロシアから、金メダルをすべて奪い取ることに成功し、ソルトレイクから8年間積み重ねた努力が実ったぞ、ワッハッハ、と高笑いだわね、北米は」

スポーツ観戦をするとき、表面のキレイな部分だけ見て、裏の汚い面は見ない、というスタンスの方が、気が楽だ。
だが、興味を持って、熱心に見ると、残念ながら、いやでも目に入ってしまう。

フィギュアスケートは、採点競技という性質上、純粋な公平性は期待できない。勝敗には、政治の要素が入り込むのが宿命だ。長い間、此方は、それを呑みこんで見てきた。
(「公平性を期待・要求しないスタンス」は、自転車ロードレースの人気が高く、筋金入りのファン多数のお国の「ベルギー人」が、「ドーピングはやってるにきまってる」とドーピングスキャンダルが起こっても動じないのと通じる)

4回転論争(プルシェンコの採点方法への異議申し立て)に関して、「彼の出来はよくなかったから、順位は妥当」と「今回の演技に対する見解」だけで終わらせるのは、過去の経緯・背景の知識を持たない人間のすることである。(日本の一般メディアの、毎度の「視野の狭さ」)

新採点法は、成立に至るまでに様々な要素が絡み、紆余曲折を経た結果で、ポリシーも対立構造も、単純な図式で示せるものではないと思う。また、関わってきたすべての人が、自国の利益誘導をしたとも思っていない。

しかし、「ルールが従来から変わるとき」、そこには常に、「誰かの何等かの目的」が入り込む、とみなすのが妥当だと思う。
フィギュアスケートの採点方法変更の原因は、周知の通り、02年ソルトレイク五輪のペアで、「ミスをしなかったカナダペア」が、「ミスをしたロシアペア」に負けて銀メダルなのは、採点がおかしい、と「カナダとアメリカ」のメディアが大騒ぎし、ついには金メダルを2つ出させるほど巨大な圧力をISUに掛けたことである。

ソルトレイクの事件について、自分は多数の情報を集めてはいない。ただ、当時の「背景」の認識は持っている、と思う。
背景とは、ペアとアイスダンスの2種目では、ロシア(ソ連)が長年トップに居座り、北米勢が頑張っても、金メダルを取れない、という状況を指す。
そして、「ジャッジが公平でない。自分たちは不当に低く評価されている」とアイスダンスのボーン・クラーツ(カナダ)がジャッジに対して不満の声を挙げていたことを思い出す。

事象を「大きな流れ」の中で捉えるならば、「この問題の元凶は、1991年のソ連の崩壊にある」という歴史的視点に立った解釈が正しいように思われる。
ソ連崩壊後、ロシアは、それまでのような国を挙げてのスポーツ選手育成ができなくなった。コーチたちは国外に流出した。結果として、他国が力をつけ、ロシアの優位は年々失われていった。

「ロシアの選手が明らかに優れる、と大方の人間が認める」状況下では、ロシアの金メダル独占を仕方ないと許容していた他国は、力が接近してきたことで、「こっちに寄こせ」とロシアの覇権を奪う野心を抱いて動き始めた。

新採点法の当初の狙いは、ソルトレイクのトラブルを再び繰り返さぬため、ジャッジの主観が入る余地の少ない、客観性・公平性の高いものにすることであったと思われるが、新たなルールというものは、当初意図した通りの変化をもたらすとは限らぬし、当初意図していなかった別の影響を招くことも少なくない。(ルールが頻繁に変わるF1で見る光景)

スピン・ステップ、つなぎなどのジャンプ以外の要素や、技の正確性の高さに価値を置き、相対的に高難度ジャンプの価値を下げたことは、誰の意図であったのか、それとも特定の人間や国の明確な意図は存在しなかったのか、自分は知りえない。
4回転ジャンパーのエースを持つのがロシアとフランスで、北米が持たないのは、たまたまだったのかもしれない。そもそも、カナダは、ブラウニング、ストイコの4回転ジャンプの元祖を持つ国で、今はいなくても数年後に現れるかもしれない。

そう考えると、4回転排除の意図が北米にあったと推測する根拠はない。但し、現行ルールを最大限利用することは可能だ。
GOEとPCSによって、ジャッジが「勝たせようと思う選手を勝たせる」ことはできる。
「8年前のソルトレイクでカナダとアメリカがしたこと」を思い出せば、今回の北米開催の五輪でロシアから金メダルを奪い取ることが彼等の宿願であったことに疑いを持たなくてもよかろう。

今回、ロシアは、国を挙げてプルシェンコは金に値すると称賛したが、8年前にカナダがしたような大騒ぎはしないようだ。
されば、普通なら、これで話は終わる。だが、もしかしたら、終わらないかもしれない、と思うのは、「次回の五輪開催はロシアのソチ」という事情による。

ロシアは、今大会、フィギュアスケート以外の種目でも不振をかこっている。ソチへ向けて、国として本腰を入れて強化をするなら、その一環として、フィギュアスケートの採点方法問題で動くことはないだろうか。
ジェーニャとミーシンコーチ自身は政治的な動きが得意にはみえず(自分の印象は「ど下手」)、可能性が高いとは思わぬが。
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4回転論争、続き。

ライサチェックよりプルシェンコが金メダルにふさわしい、と主張しているんじゃありません。

「3Lz+3T、3A、3S、3A+2T、3Lo、3F+2T+2Lo、3Lz、2A」のジャンプ構成で、「4T+3T、3A、3A+2T、3Lo、3Lz、3Lz+2T、3S、2A」転倒なし、に勝てるルールなら、4回転を習得して、失敗するリスクを負って、試合で実施することにメリットがないでしょ?
3A+3Tすら必要ないわよね?

ライサチェックの構成を跳べ、と言われたら、跳べる選手は何人いる?
プルシェンコの構成は?いや、「4T+3T」ひとつに限定してもいい。これを跳べる選手は何人いる?

単独の4Tですら、みな四苦八苦し、成功しても、他でミスをして、プログラム全体をまとめられないケースが多い。
4回転は、それだけ負担が大きい。4回転を予定するだけで(成功するしないに関係なく)、初めから入れない安全策のときより負担がかかる、という話を、複数の選手がするのを聞いたことがある。
4回転がそれだけ難易度の高いジャンプであることを、採点に反映してほしい。現状の、4と3A以下の配点との差は少なすぎる。
・・言いたいのは、そういうこと。

ライサチェックを貶める気はない。寧ろ、ケチをつけられた彼を気の毒に思う。
彼とて、ずっと4回転を練習して、試合で挑んで、成功したときもある選手だ。でも、今は、成功確率が低く、失敗するのが判りきっているから、外した。
決して、「本意ではない」のだ。「自分だって、できることなら跳びたかった。男子の王者なら4回転を跳ぶもの、と言われなくても、判ってる。でも、今の自分は成功できない。好きで外したんじゃない」本人は、口からは出さないが、心の中ではそう思っているんじゃないかと思う。

ジェフリー・バトルも同じだ。彼も、4回転なしプログラムにする前、長い期間、4回転にチャレンジしていた。
旧採点時代に育ち、戦い、4回転を練習し、苦しんできた彼等は、「トータルパッケージで優れれば、4回転なしでも4回転有りより優れた演技」と本心から思ってはおるまい。
4回転をプログラムから外すのは、「自分には4回転ができない」と諦めたからだ。こう言ってもいい、「4回転がどれだけ困難かを一番知っているのは、4回転なしで王者になった彼等だ」と。
自分はそう思うから、彼等を貶めるのは、理不尽だと思う。

ジェーニャやブライアンも、そのことは判っていると思う。彼等の批判の矛先は、この状況を生んだ、採点方法の変更だ。
自分たちの世代はみな、4回転を目指してきた。より上を目指して、挑戦していくもの、と「誰もが」思っていた。それを、根底から否定するルールにしやがって。

ストイコが同意見なのは、彼も「同じ時代」を生きてきたからだ。
無理解の中で信念をもって4回転に挑み続け、4回転時代を作った立役者であるストイコは、自分のやってきたことが全否定される、という反発を抱く。

しかし、選手の中には、「4回転の習得を目指さなくてもいい」と本心から思っている「らしい」、新採点世代が現れてきた。
パトリック・チャンは、今回は、19才・五輪初出場・自国開催、という条件でミスをしないほど、超人的に強いメンタルは持っていなかったようで、失敗した。
しかし、彼の代わりにライサチェックが勝ち、4回転組の敗北に変わりなかった。そして、次から、彼が「4回転なし王者」の座を引き継ぐ可能性が高いだろう。

今回、彼の最終順位は5位で、上位の中で、復帰組2人と、金メダルを取ったライサチェックは、来季競技会におるまい。高橋君は、引退の予定を撤回し、来季の東京開催世界選手権に出る、と発言したが、彼も長くはやらないだろうから、4回転組で怖い相手は誰もいなくなって、チャン君の天下が来る日が遠くないのではないか。
(・・続く)
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一夜明けると、やっぱり色々出ていた。
視点・観点は色々、意見・感想も色々、言い始めるときりがないが、まず、4回転論争の話。

・4回転の最期

4回転論争は、この2年ずっと続いてきた。今までは、世界選手権だったし(世界選手権と五輪は格が違う)、言う選手も、格が最高クラスではないジュベールだったので、黙っていた人々も、今回、五輪の舞台で、一番上のクラスのプルシェンコが、ジュベールの役を引き継いだので、影響力が大きく、声をあげた、といったところか。

ジュベールの孤軍奮闘を見て、延々悶々としてきた身からすると、「とどめを刺される当日になって気づいたのかね」とちょっぴり嫌味を言いたくなる気分もある。

現行の採点法は、「より難度の高いジャンプに挑戦する気概」を選手から奪う。
4+3をSPとFPで成功させた選手が2位で、4回転に挑戦して失敗した選手が3位で、一度も4回転に挑戦しなかった選手が1位、という今回の五輪の結果を見た子供は、4回転に挑戦することに意義があると思うだろうか。
高い評価をされず、成功しても金メダルをとれない技に、膨大な練習を積んで挑戦する?

現在世界の舞台に立っている10代後半の選手たちは、まだ、4回転が素晴らしいとされた時代にスケートを始めているから、暫くは挑戦するだろうが、その後の世代はどうなるだろう。
4回転を跳べる高い身体能力の男の子が、フィギュアスケートをやることを選ぶだろうか?
・・フィギュアスケート男子S・FPの前日の、スノーボード・ハーフパイプで金メダルを取ったショーン・ホワイトの超絶技巧演技の方が、かっこよくみえないだろうか?(しかも、彼は年収8億といわれている)

ルールを作る立場の人間たちが、明確な信念を持って、「男子Sから4回転ジャンプを排除する」というなら、此方は何もできない。
「フィギュアスケート競技には何が求められるか」という価値観に、「ただ一つの正解」はない、と思っている。自分の価値観は、規定が廃止され、ジャンプ競争勃発以降の時代に作られている。それ以前の時代の人々からみれば、現在はジャンプ偏重になりすぎで、ここで止めたい、という価値観を持ったとしても、それとしてありだと思う。

「勇者」のいなくなった男子Sに自分が魅力を感じるかどうかは、それとは別。

・2年前に書いたエントリ「4回転論争」(2008/3/27)

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・ジュベール

ジェーニャより先に、ブライアンに言及したい。

長い期間ではないが、彼に注意を払っていたから、彼が金を取ることはない、という予想まではできたが、ここまで「壊れる」ことは想定できず、驚いた。
一体彼に何が起こったのか。

今思うに、彼が演じるはずだった役(4回転を跳んで、4回転なし組に負ける、旧採点時代の代表)を、横からぽっと出てきたジェーニャがふんだくり、その時点で、これまで支えてきたエネルギーがなくなった、いや、ジェーニャに吸い取られたのか。

この2人は4回転論争でまったく同じ主張だから、共同戦線を張って、4回転なし組に対抗する、という図はありえなかったのか、といえば、ヨロ戦で復帰組の2人に負けたときの彼の顔からすると、彼等は味方ではなく、新たな敵でしかなかった、のだった。

ジェーニャが復帰するまで、「バンクーバーで誰が表彰台の一番上に立ったら嬉しいか」と問われたら、自分の答は、彼だった。ダメだろう、と判っていたけれど、叶うならば、美しい瞳を見たいと思った。
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言いだすと、あれやこれやどっさりある。
でも、今、一言いうなら、「私が本当に好きなのは、この子だけだった、とよおく判った。復帰後、今日まで見られて、幸せだった」。

とりあえず一息入れよう。
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負けると決まってはいないのだが、負けそうな気がして沈鬱な自分の情けなさよ。
FP最終滑走、というのがどうにもいやあな気分。ミヒャと同じで、過去、強烈なプレッシャーがかかった土壇場では常にコケた人なのである。ヤグディンがいなくなった後は、強烈なプレッシャーをかけられる境遇になっていない。(一般世間は別の認識だろうが、15才のときから応援してきた観客だと、この認識)
金メダルを既に1個持っているから、プレッシャーは少ない、という見方ができなくはないが、今回、勝ちたいという願望が、ライバルたちに比べて弱いわけではないと思う。
そして、「勝たねばならない」という責任の意識を持っているのは彼だけで、これはプレッシャーになるのでは。
(前回トリノで全種目制覇に一つ欠けただけのフィギュア大国ロシアは、明日彼が取れなかったら、金メダルゼロに終わる怖れが高い。ドムシャバも危なく、女子は可能性ゼロ。彼がソチも出る、と言い出すのも理解できる状況)

と、昨日からストレス満載だったが、今日、書店でF1の雑誌を久々に立ち読みして、少し楽になった。
あちこちに、ミヒャエルの話が載っているが、ざっとみたところ、今年チャンピオンになれるという見通しは書かれていない。

そうなのだ。3年空いて、復帰して、あっさりチャンピオンに返り咲けるものではないのである。7つのタイトルを持ち、史上最強という評価さえされるスーパースターの彼でさえ。

そうよ、ミヒャエルも今年タイトルを取ることはないわよ。ランスだって、昨年復帰したツールは3位だった。
3人の皇帝の中で「圧倒的な強さ」という点では一番だったランスでさえ、勝てなかった。
本人は、勝つ気満々で、自信を持って挑んだけれど、若手に負けた。

そういうもので、それでいいのだ。
現役組が、年寄りの復帰組にあっさり負けてしまうジャンルに、未来はない。

昨年ツール後、そう自分は書いている。そして、コンタドールの競う相手が、ランスでなくアンディになる未来を待つ、と。
そういう受け取り方をした自分は、ジェーニャも、バンクーバーでは、ランスと同じく3位、としゃらりと書いた。

ということを思い出して、「負けて元々」の心持ちで明日まで乗り切ろう。

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「少し前」を思い出せばよい。

昨年の復帰初戦後、五輪の日まで、故障をぶり返さず、満足な身体で闘えることが願いだった。
何度も失望を繰り返した後、一番望んだものは手に入れたから、これ以上はおまけ。

15才のあの子に吃驚仰天し、とっつかまってから、今年は13年目である。
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・男子S
ヨーロッパ選手権。
EXまで見て、「ランビエール君は、別枠にすべきだわ・・、彼は、『アーティスト』という範疇に入れるのが相応しい人で、『アスリート』じゃないのよ。彼と比べると、俗に表現力があるとされている現役選手たちが、子供だましにみえてくる。『カテゴリー』が違うんだから、一緒にしたらダメよ、これじゃ」

その前、彼のFPを見終わったとき、自分はこう思っている。
「ジャンプが安定しなさすぎる。バレエダンサーのように『素敵』であることは間違いないが、フィギュアスケートは純粋な『芸術』ではなく、『スポーツ』でもある。だから、五輪種目なわけで、五輪種目である限りは、スポーツ性が芸術性より優位に置かれるもので、この演技に負けるのは、ジュベールサイドから見ると、納得し難い、んじゃないかな」

ぶっちゃけた話、4回転を跳べても「3Aを跳べない」のは、2位はいいが、金メダルを取るのはマズいでしょ、と思う。(=「バンクーバーで金はないよね」)
でも、新採点法では、「スケーティングスキル、スピン・ステップが優れるなら、3Aを跳べなくても、十分バランスが取れた、いい演技」とみなされる・・のだろうか。

カナダ国内選手権の放送を見終わったとき、「チャン君の金メダルは有りだ」と思った。
彼の演技は、ランビエール君とは違い、十分『スポーツ』にみえる。多分、彼のスケートは、「新採点法の価値基準」の、ど真中的中なのだと思う。

私は、1年前に、バンクーバーの金は彼、という予想をしている。
今も、確率がかなり高い、と思う。ISUは、「ソルトレイク以前の世代=旧採点法の王者」より、「新採点法の申し子の王者」を望むのではないだろうか、つまり、そういうジャッジをするのではないか。
阻むものがあるとしたら、「地元の過大な期待のプレッシャー」で自滅すること。コケまくられたら、救済しても限界がある。

ある見方をすれば、「ISUに逆らう旧採点法世代が、新採点法世代を蹴散らすことができるのか」が今回の見どころになるのかもしれない。