南の国の太陽、空の色の獅子

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ロシア大会の男子FPは、当日、結果をネットで見、プロトコルも確認してから、日曜夜にTV放送を見た。
そのときの自分の反応に、自分でちょっと驚いた。

頭の中から、他の選手の存在が、全部きれいさっぱり消え失せた。(皆さん、申し訳ない)

自分は、トリノの後、ジェーニャは引退して、もういないもの、とすっぱり割りきって、次を探していたつもりだった。ランビエール君をとても素敵と思ったのも、ブライアンを応援した気持ちも、偽りではなかったと思う。
だが、「かつての姿のままのジェーニャ」が目の前に現れたら、自分の内の時計の針が、3年半前に戻ってしまった。

報道された「9kg」という減量の数値が事実かどうかは未確認だが、一旦は太って、跳べなくなっていたのは間違いなく、あそこから戻すことは期待していなかった。
そんな事例を今まで見たことがなかったし、長年故障に苦しんできたことも知っていたし、強いモチベーションがあるとも思えなかった。
今の彼の姿を予想していなかったゆえに、言葉を失った。

15才の彼を見たとき、「この子はこの先一体どうなるのだろう?」という怖れを抱いたが、こういう選手になったんだな、という感慨が襲ってきた。

エフゲニー・プルシェンコ、98年ミネアポリス (2008/12/11)
ジェーニャの復帰 (2009/9/11) 

・ 付記
自分が彼を最初に見たのは、96年世界ジュニア(96~97シーズン)で、彼は14才だった。
「この子が、次にトップになる子だな」と、この日に思った。
細っこい身体で、まったくの「子供」だったが、「手」が大きくて、「ものをいう」のが印象的だった。

大人びた、「どこか奇妙」な雰囲気を最初から纏っていたが、辛い生活に耐えた末に、年上の選手たちに打ち勝って、ミーシンの寵愛を獲得し、成功をし始めた時期であったことを後に知って、納得をする。

確かに彼は、天賦の才に恵まれて生まれたが、「恵まれた生活」をして育ちはしなかった。
「食べることに苦労する」経験は、日本やアメリカのフィギュアスケートの選手には、あり得ないだろう。彼の育った境遇を読むとき、こういう暮しを経てスケートをやってきた選手に、豊かな西側諸国のおぼっちゃんたちが太刀打ちできるわけないな、「ハングリー度」のレベルが違う、としみじみ思ったものである。

でも、今は、富も名声もすべて手に入れた身分なのに、また練習をして、競技に戻るというのは、ランスと同じように、根っから競争が好きで、現役選手のレベルを見て、「たいしたことない。復帰すれば、また勝てるじゃん」という自信ゆえだろうか。
ロシアのフィギュア界が旧ソ連の遺産を食い潰して、五輪の金メダルがなくなりそうなのを食い止めてみせようとか、そういうモチベーションも大きいのかなあ。

<追記>
「9kg減量」の確認がとれる。
80kg超から9kg減らした、というミーシンコーチの発言を載せた記事があった。
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アンディの性格や気質に関して、「あ、そうか」と気づいたことがあり、それを。

これまで、いくつかのエピソードや、表現する言葉を読んできたが、納得する表現に出会わなかった。どれも、「なんかちょっと」違うというか、ぴったりこない感じがする。
Procyclingの兄弟の記事を読んでいるとき、「奔放」という言葉を思いつき、「天然」よりこっちの方が近いかな?と思った。

そして、インタビューの場(釣り池の端)に長兄のスティーヴも来て、喋った箇所で、ふと、思いついた。
この兄弟は、3人兄弟である。スティーヴの年齢は定かでないが、年が離れている、と描写される。次男のフランクと三男アンディは、5才違う。
このことは以前に知り、アンディは「年が離れた末っ子」だから、家族の中で可愛がられて育って、甘えっ子(もしくは甘え上手)というのはありそう、と思った。

その程度しか思っていなかったが、「末っ子の気質」として、この他にも一般的に言われていることがあって、奔放というのも、あったような。
類型的な人間の見方はあまり好きでないので(血液型とか、星座とか生まれた日とか、そういう類の話は敬遠する)、これまで注意を払わなかった。
が、思い立って少し調べてみて、「あらまあ」となった。

「のびのびしている」「マイペース」「自由奔放」「やりたい放題」
「人懐っこい」「要領がいい」「外交的」「ユーモアがある」「楽観的」

・・これじゃないか。
そう、「のびのび育って」、「自由奔放」で、「マイペース」。
超の付くマイペース・・だと思う、多分。

Procyclingの記事の中の話。
・子供の頃、フランクは、学校で、いつも「とても真面目」な子だったが、アンディは、「集中が全然できない」という問題を抱えた子で、お母さんは、しょっちゅう学校に行かねばならなかった。・・いい子の次男と、問題児の三男だったらしい。
・ アンディは、このインタビューの日時を設定するとき、クリテリウムのスケジュールを忘れていた。
・ 兄弟は、池へ行く途中で、バーベキューの材料をスーパーに買いに行くが、アンディが車のキーを店に置き忘れ、フランクが気づく。いつものこと、とフランクは笑ってすます。
・アンディは、キム・アンダーソンから、トレーニングであれをやれこれをやれという指示を受けても、疲れると、やめて家に帰ってしまう。それをキムに言わないときもある。

「物事をあれこれ考えて、ストレスを抱える」ことをしない彼の気質は、レースでも、存分に発揮される。
今年のツールのいくつかのステージではナーバスになったけれど、自分は深くは考えないんだ、と彼は言う。
彼は、コースマップを当日の朝まで見ない。前夜に読む選手がいるが、明日は厳しいコースだと前夜から思って、いいことは何もない、朝読めば十分、というのが彼の持論だ。
フランクが、コースが厳しいとぐちぐちこぼすとき、そうさ、ツールなんだから。厳しいに決まってる。言ったって始まらない、兄さんは強いよ、単に自信の問題だよ、と叱咤した。
物事の悪い方を考えて、気弱になる神経質な兄さんを、肝の太い弟が励ます、という図である。

「明日のことを思い患う」といった心理には無縁で、図太い。「怖れる」ことがない。
記事でみかける「飄々」とか「超然」などの形容は、とりすましたイメージがあって、しっくりこなかったが、指している気質は同一だ。
「ストレス耐性(メンタルのタフネス度)が非常に強い」のである。

ストレスを回避する能力の高さは、プレスへの対応でも示される。プレスを刺激する発言・態度は避ける。彼等を歓ばせる(記者ウケする)発言もしないが、諍いも起こさない。敵を作らない。ストレスを招かぬように、そつなくこなす。その態度が、「のらりくらり」にみえるときもある。「要領がいい」という側面だ。

他の選手たちとの関係でも、おそらく、軋轢を起こさない。19才という若いときにプロ入りしたので、家庭だけでなく、職場でも、ずっと「末っ子」で過ごしてきた。
元気のいい子犬みたいとチームメートに喩えられたことがあるように、人懐っこいから、可愛がられる。

だから、ランスやコンタドールとも愛想よく会話する。彼にとって「深い意味はない」のだ。自分に好意をもって話しかけてくる年上の人間たち(お兄ちゃん・おじさんたち)に愛想よく応対するのが習慣だから。
意識して媚を売るのではなく、無意識に振舞っても、年上の人間たちに「かわいい」と思わせる魅力を備えている。・・これは、「末っ子気質のひとつ」として挙げられていたことで、彼に当てはまるのでは、と思った。

忘れ物の常習犯で、整理整頓が全くできなくて、スケジュールも忘れるような無頓着を続けていても、兄さんや周りの大人たちは、許して、フォローしてくれる。
ホテルに何かを忘れては、チームのスタッフに取りにいってもらうと自分で堂々と喋るので、迷惑をかけて悪いから注意しようとは思っていないのだろう。


そういうことか、となると、レースでの振舞の解釈も、これまでとは少し違ってくる。
今年のツールを彼がどういう心持で闘っていたかの解釈には、今まで少し迷いが残っていたが、ようやく納得した。

彼は、競争相手(コンタドールとかランスとか)に負けたくないとか、ステージ優勝をしたいとか、そういった欲は持っていなかった。高い目標を持って臨んでもいなかった。
コンタドールとの力の差をみせつけられたからといって、悔しくもなければ落胆もしなかったのだろう。

「これだけの差があるんだな」と「事実の認識をした」だけで、そのためにネガティブな精神状態にはならなかった。彼の流儀でいえば、「だから何?」。
「明日はまたステージがある。自分のできることをやるだけ」という調子だったのだろう。

コンタドールにミスか不運があれば、勝利が転がり込む可能性はある。これは、「客観的な事実認識」であって、彼の自滅を期待したわけではない。結局、最後までコンタがミスしなかったから、彼が勝って、自分は2位で、それで不満はない。

ステージ優勝に対する欲が「全く」ないわけではなかったろうが、「優先順位として」、自分のステージ優勝より、「兄フランクを助ける」ことが上だった。
第20ステージ(モン・ヴァントゥー)を、兄のためではなく自分自身のために走るべきだったという他者からの批判に対する返答で、彼はいつも同じことをいう。「フランクは、3週間、僕のために働いてくれた(犠牲になった)。だから、彼を助けたかった」

これを、「家族の愛もしくは絆」と受け取るか、それとも、本人の発言を字面だけで受け取らず、裏には他のものがあるのではと憶測するか、彼等家族の人間関係の心理の解釈の結論は、将来に先送ろう。(所詮他人に真実が判るわけがなし、不明のまま終わりそうだが)

ただ少なくとも、彼は、自分が強いことを示したいとか、目の前にある勝利は欲しいとか、プロスポーツのトップ選手の多くが備えている、強い競争心・優越欲は持っていないようにみえる。
それが、シュレク家の、そしてチーム・サクソバンクの「末っ子」の、生まれつきの気質なのだろう、と思う。

Procyclingの記者は、兄スティーヴのこういう発言を記事に書いた。
この池で、一日中誰も一匹も釣れないとき、アンディが来て始めると、すぐ、大きな魚を釣り上げるんだ。近所の人はいつも、アンディは宝くじを買うべきだ、必ず勝つよ、て言う。この子は、生まれついてのラッキーボーイなのさ。(意訳)

才能と愛情と運に恵まれて生まれ育ったこの子の未来は、果たしていかなるものになるのだろう?
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応援する対象がいると、まずは、「彼に有利か不利か」という観点で見てしまう。

TTTがないことを認めた瞬間、「やった!」
ITTも、1回しかない。
ボーナスタイムは、今回もない。(スプリントがないから、これを復活されると多分不利)
悪い要素は、何もみあたらない。
・・勝負を最後まで面白くするために、彼に下駄はかせたのか・・?

自分は、今年のTTTで40秒失ったことにカリカリした。その後、TTTが廃止復活を繰り返している過去を確認して、来年廃止される可能性に、こっそり期待していたのであった。(ゆえに笑いが零れる)

TTT廃止が明らかに不利になるのはランスだ。Twitterを読みに行ったら、どんぴしゃで、開口一番、愚痴っていたので、笑えた。
彼にとっても、これが、最初に反応するポイントだったわけだ。

・ITTでどれだけ失うか?
ニュースサイトをいくつか見ると、ちょっとずつ違う内容の発言が並んでいた。中に、51kmのITTが最終週なのが自分に有利、という発言があり、ふうん、となった。

今年の第18ステージで、TTがアンディより優れ、タイムをかなり詰めるとみられていた面々が揃ってふるわなかった。厳しい山岳ステージを越えてきた後では、TTが得意な選手たちも、消耗して、いつもの強さを発揮できなかった、という解釈でいいのだろう。
TTの出来には「モチベーション」も大きく影響するが、総合を争う選手たちには、モチベーションはある。でも、気持ちがあっても、身体がついてこられない。
あの様相を見て、彼は、最終週にスタミナが残っている「自分の優位性」に気づいたのかもしれない。

今年、彼は、第16・17ステージの登りで攻撃し、前を引いた。アスタナ勢とウィギンスは、ほとんどひとのうしろにつき、自分で引いた距離は僅かだ。総合上位勢の中で、山岳で最も前を引き、足を使ったのは、アンディだった。それでも、第18そして20まで、彼は、ライバルたちより足が残っていた。

・・これが、彼の持つ、ステージレーサーとしての高い資質、なのだろう。
3週間の全日程を通して、コンディションを保ち、不調の日を作らないこと。ミスをしないこと。そしてもうひとつ、不運を拾わないこと。これができないと、表彰台からは滑り落ちる。

2010年の1週目のステージは、危険を孕んでいる。それと、「無線禁止」は諦めたのだろうか。
今年、パンクが目立ち、無線禁止の日に、へんなところでやらかしたら、タイムロスを招きかねない、とちょっと冷や冷やした。

・天然君
と、真面目なことを並べたが、会場に現れたご本人の姿を見ると、カリカリすることないか、という気になってくる。
ギドギドドロドロバチバチの09年1位と3位の2人の間の席に座り、まさしく「飄々」、とらえどころのない感じというか。勝っても負けても、「人生を賭けてやってるわけじゃないし」と、しゃらりと言って、拍子抜けしそう。

・・この先、どんな選手になるんだろう。これまで全く縁のなかったタイプで、見当がつかない・・
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■「ツール・ド・フランス 完全ガイド」



手近にある日本語の文字情報はかきあつめるということで。
ビギナーのための基礎知識本なので、復習のようなもの。

第3章「レース・戦略の読み方」も、ごく基礎的な内容だが、「横から風が吹いている場合」のところで、今年のTdF第3ステージを改めて思い出し、「こんな初心者向けガイドにすら書いてあることなのに、なんで、注意を怠って、みすみす40秒失ったのよ!!」とまたぶつぶつ。(しつこい)

参考になったのが、第4章の07年TdFの注目選手ガイド(本書の発行は07年6月)。実は、今、こういうノリの選手名鑑が欲しい。過去の在籍チーム一覧付きで。
チームもあるともっとよい。チクリッシモが毎年作ってくれているが、情報量があれの倍くらいのもの。
(まじめに5年見れば、必要なくなりそうだが、なにせ初心者の身)

総合の候補一覧に、「外してるなあ。でも、前評判はこんなかんじだったっけ?」
筆頭は、ヴィノクロフ。次いでバルベルデ、クネゴ、メンショフ、エヴァンス、サストレ。

■ツール2010

明日のプレゼンには、09年総合トップ3を招待する、とASOが公に。
コンタドールの来季は、このときまでにははっきりするかな?と思っていたが、まだ未決。

アスタナ残留になったら、彼の負うハンデは相当なものになりそう。今年のツールのメンバーがねこそぎラジオシャックへ移籍を決め、アスタナはスカスカ。
このくらいハンデがあって、ようやくつりあいがとれそうだから、観戦側は楽しいかもしれぬが、当人は大変だ。個人の力では上なのに、チーム力で差がありすぎて負けた08年のエヴァンスみたいになっては困る。
彼の獲得に興味を示しているチームは、力があるので、アスタナから逃げられるか否かで、2010TdFの様相はかなり変わる。さてどうなるやら。

アシストがスカスカでも、今のコンタドールならなんとかできそうな気はするが、守ってくれる強いチームを持たないと、背負う「リスク」が段違いに大きくなる。
ごく些細なミスや不運をカバーしてもらえず、命取りになる危険が増す。
今年のパリ・ニースで、ハンガーノックをやらかし負けを喫したが、あのレースでは、アスタナのアシスト陣が貧弱で、彼はすぐ丸裸になっていた。ハンガーノックは、その影響では、と当時思った。

■おうちに帰りたい

すべての試合のトータルの戦績が問われるF1やプロ野球では、シーズン最後の試合まで欠場しないのが普通だが、評価基準が全試合トータルではないジャンルでは、重要でない試合は状況によってキャンセルするのが普通。

自転車界では、ツールをシーズン一番の目標にしているチーム・選手が多く、消耗度が大きいので、ツールが終わると気が抜けるケースが珍しくないらしい。
ツール後のブエルタ・世界選に、鉢巻しめ直す選手もいれば、そのままおしまいの選手もいて、今年のシュレク兄弟は後者のパターン。・・というだけの話だった。とりたてて話題にすることでもなかったというか。

メディアが世界選の有力候補に挙げたり、ジャパンカップ(JC)が予定に入っていたので、ちょっとドタドタしたが、知識があれば、「よくある話」ですんだように思う。
自分も、JCは、最初から疑っていた口だった。理由は、例年ならシーズンが終わって休みの10月終わりに、極東の果てまではるばる来て、レースをするのは、明らかに「負担」だから。

ヨーロッパに住む人間にとって、日本は遠い。時差も大きい。秋葉原とかに興味があって、観光に行きたいといった趣味があるのでなければ、敢えて遠征したくはあるまい。
「欧州在住の選手の来日の物理的負担」は、他のジャンルで十分認識している。フィギュアスケートでは、本命の大会(五輪)の調整に支障があるなら、来なくていい、来るな、と本気で思ったものだ。

ツール時点では、本人たちには行くつもりがあって、パリのディナーパーティーで、日本人プレス(土肥さん)に向かい、2人して「行きたい」と喋ったが、その後、モチベーション・コンディションが下がったまま復活しなかった。
普通の選手は、チームに「行け」といわれれば、気が進まなくても仕事だから行くが、エース級になると、チームが希望を尊重してくれる。サクソバンクでそういう身分なのは、シュレク兄弟とカンチェ。・・多分。
いい身分ともいえるが、エース級には、それなりのパフォーマンスが期待され、みっともないレースはできないので、ストレスも大きいと思う。

「家に帰りたい」「家で家族と一緒に過ごしたい」という台詞は、昨年カンチェが言っていて、そうなんだなあ、特に妻子がいるとそうなるんだな、と思った。
「OVERCOMING」で、選手が引退を考える心理として、「一番気にかけている人と離れている時間が長いと、ぽっかり穴があく。心の支えになる人と離れているのは辛い」という台詞があった。

アンディは、ブエルタで、選手にありがちな「ホームシック」の感情が過ったことを、世界選前に書いていた。「元に戻りそうにない雰囲気が漂ってるなあ~、書いてるあちらも読んでる此方も英語力が頼りないから、ニュアンスが正しく通じているのかは大いに怪しいけど、1人で日本に来られる感じがしないぞ」と思ったら、当たった。
「burned out」の単語を本人が使ったのはつい先日だが、今年の彼のツールは、燃え尽きるに値するものだったと思う。
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■「一蝶リターンズ」 (板橋区立美術館)

英一蝶に目を止めたのは、6月の東博、本館7室で、「雨宿り図屏風」を見たとき。
師宣の歌舞伎図屏風そっちのけ。こちらは博物館ニュースの表紙に使うくらいだから価値が高いのだろうけれど。

板橋区立美術館で英一蝶の特集をやっていることを知ったとき、気は惹かれた。だが些か遠いので、億劫に思っていたら、先週の日曜美術館で取り上げられ、俄然意欲が出た。
まとめて見る機会は多くはなかろう。これは逃してはならじ。

板橋区立美術館の最寄駅は、都営三田線終点・西高島平。城東在住の身は、東京都を横断である。
1時間電車に乗っても、端から端まで途切れなく住宅が建ち並ぶ都市は、世界でここしかあるまい、東京恐るべし、と改めて思いながら、殺風景な西高島平駅に降り立った。

・軽み
一蝶には、おおざっぱにいって、作風がニ種類あって、片方が私の趣味に合い、片方は合わない。
出光の「四季日待図巻」は後者。なにせ自分は、浮世絵の人物画のタッチがダメなのだ。

私をひきつけるのは、もうひとつの描線。
池大雅に通じる「軽み」を持つ「線」が好きだ。

春に、池大雅をおいかけて、東へ西へ行った(千葉と府中)。秋には一蝶。それもよし。
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自転車ロードレースに関する和書は、ごく少数しか出版されていない。自分がF1を見始め、F1の本を探した、10数年前と同じように。

「ランス・アームストロング」を読み終わったあと、ジャン=マリー・ルブランの本があったような気がして、探してみると、図書館にあった。

本書の元々のコンセプトは、幼年時代から、自転車選手、自転車ジャーナリストを経て、ツールの総合ディレクターになるまでのルブランの半生の口述伝記で、前半はそれである。
1960年代のフランスの社会と自転車レースの世界の話は、自分には新鮮で、面白く読んだ。

後半は、ツールの運営とドーピング問題の話題が中心になる。
インタビューが行なわれたのが、フェスティナ事件直後の1999年だったため、ルブランには不運なことに、ドーピングの話題が多くなってしまった。(本書の出版は2000年)

ルブランと、聞き手のジャーナリストとの会話によれば、ルブランが選手をやっていた1960年代に既に、ドーピングは「日常的に」行なわれている、と報道されていた。
1968年にアンチ・ドーピング・コントロールが一般化され、この年はクリーンだったが、1970年以降、コントロールを逃れる薬物が絶えず見つけられ、使用されてきた・・という。
この認識に、2人とも異論はなく、争っていない。

今後についての会話。
ルブラン「けっして私が、すべての選手がドーピングしていると言っているとは思わないで下さい。なぜなら、正直に言って、すべての選手がドーピングしているわけではないことを知っていからです!
ですから、すべてが取り返しがつかないほど腐敗しているわけではないし、われわれスポーツ関係者の力を結集し、全力を挙げて戦えば、ドーピングを減少させられるという希望を私は持っています」

プノー「ドーピングは存続するでしょう。21世紀になっても、20世紀がそうだったように、存続するでしょう。
すでに1896年に、アルテュール・リントンのような有名な選手が、歴史家の眼から見てドーピングしたとしか思えない状況で死んでいるのですから。
したがって、知的側面、倫理的側面、あるいはスポーツ的側面といったいずれの側面から反省するにしても、この、ドーピングは存続するということの確認から出発するしかないのです」

ルブラン「あなたの仰ることに異論はありません。ドーピングは存続するでしょう。理想的な社会というものは、どの道存在しないのですから。
腐敗したメンバーが1人もいない政党というものも存在しません!麻薬の問題に直面していない国も存在しません!会社であれ、スポーツであれ、とにかく人間の集まるところに、泥棒やうそつきやペテン師が存在しないわけがないのです!
とすれば、自転車界に不可能なことを要求することは止めましょう!とりわけ高額の金が動くこの世の中でけっして実現できなかったことは、自転車界でも実現できません。そんな奇跡はけっして起こりません。そのことははっきり認識すべきです!」

「ドーピングが存続するにしても、そのレベルは低くなるだろうと想像してみて下さい。数字を示しましょう。10%です!
2003年には、ドーピングをする選手は全体の10%を切るだろうと想像してみて下さい。よろしいですか!私は王でも王党派でもありませんが、こう言いましょう。私はこれでいいのだ、と」


2人の会話から10年経った今も、自転車界では、同じことが繰り返されている。見事なまでに。
EPOは1990年代に検出不能だったため、ルブラン言うところの「推定無罪」の選手たちを生み出した。後に検出が可能になり、多くのトップ選手が使用していたことを否定することは、いまや難しい。
これまで検出不能だったので使用されていた薬物の検出方法がみつかると、新たに、検出されない別の方法が開発される。いつまでたっても、いたちごっこが続く。

だから、今年のツールで、ドーピング問題が起こらなかったとしても、「現在は検出されない、新たな方法」が用いられた可能性を否定する根拠はないのだ。
「過去の経緯をきちんと認識し、忘れていなければ」、そう考えるのが論理的だ。

私は、上記のルブランの記述と同じ見方を、記したことがある。(2008/10)
ドーピングは存続する。その現実を受け入れることができず、事件が起こる度に反応して、スルーすることができないのなら、自転車競技を見るのはやめた方がいい。

「無邪気さ」や「不誠実さ」は、私の性に合わない。辻褄の合わないことも。だから、「ドーピングは存在し続ける」ことを前提に、自転車競技を見るつもりでいる。

「なぜ選手たちがドーピングをするのか」、「選手がドーピングをする心理」を理解しておくことは、観戦側の自己防衛に有用だ。
この「心理」を理解していれば、「この選手はしているかもしれない」「この選手はしないだろう」という推測が当る確率が増す。
選手のパーソナリティーと境遇(外的環境)の情報を積み上げることによって、リスクの高さの判断ができるようになるだろう。
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