南の国の太陽、空の色の獅子

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般若心経の解説書をいくつか読んでいたとき、多分、玄侑宗久の著作だったと思うが、「量子論は、禅の思想に通じる」という記載があった。なんだそりゃ、と気になったが、自分の頭では量子論の解説書を読んでもついていけまい、とさじを投げていた。

文系人間を読者に想定したこの本なら理解できるかも、と読み始めたら、自分のニーズにぴったり合致した本だった。
量子論や相対性理論といった現代物理学の「思想」を解説することが本書の目的で、著者が力を入れて書いた小説部分には、まさしく禅思想に通じる世界観の記述があった。
それで十分満足したら、最終章に、こんな記述が登場した。

よく、
「宗教や神話が量子力学的な世界観と似ている」
という話を耳にします。


続けて著者は、このことは不思議ではなく当たり前だ、なぜなら、人間の脳は、宇宙の構造を写し取るようにできている、時間と共に、その精度が上がり、昔は宗教や神話、今は量子論や相対性理論という形になった、という解釈を述べている。
面白い。

巻末の文献リストには、物理学と共に哲学の本が並ぶ。コピーして、今後ちびちび読んでいきたい。
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RIMG2368 (2)

木場公園のマルメロ。今はビワのような感じである。
どこまで育つだろう。

4月、花


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「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因」 (光文社新書)(西林克彦)を読んでいて、「そうか。自分の記憶力が年で低下したせいではなかったのか」と知る。
私の記憶力で記載した、クリケットのバットが、私の頭の中で、勝手にボートのオールに化けた件である。

文章のある部分を読む場合に、読み手がそのとき使用している文脈によっては、その部分に書かれていることが、ある程度予測がついたり、多少冗長に思われるときがあります。
そうすると、その部分は「ああ。あれだな」といった感じで、ラフに読まれるころになるのではないかと推測されます。この現象を「読み飛ばし」とよぶことにしましょう。

(第4章 「わかったつもり」の”犯人”たち)

自分がやったのは、まさしくこれである。

多分、自分は、昔、原典のアーバインの発言を読んだとき、オールと思いこんで記憶にインプットしたのだ。そのため、今回の記事を読んだとき、「ああ、あの話」と了解し、バットと書いてあっても、その文字が頭に入らなかった、と思われる。

著者は、この現象の実験を、小学校5年生と大学生のグループで行い、30~40%が、「読み飛ばし」をし、文章の前半と後半で齟齬があることに気づかなかった旨を記載する。

この主張を信じるなら、自分の記憶違いは、「年のせい」ではなかったことになるので、その点にちょっとほっとする。
著者の述べる「わかったつもり」=文章の読み取りの落とし穴は、自分もある程度は認識していたが、秩序立てて明確に理解はしていなかったので、面白く読むことができた1冊だった。
Category :  F1
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山科代表がケルンを引き払って帰国する、という6/10付autosports配信のニュースを、イデアの人間は、6/9以前に知っていた。
理由は、6/11発売のF速トルコGP号の山科氏のコラムに、ご本人がしっかり書いているため。
F速の発行スケジュールは知らぬが、原稿は7日もしくは8日に受けとっているのでは。

トヨタ側の了解の上で、イデアがautosportsに流し、発信が日本でなくイギリスになるようにしたとか。(可能性のひとつ)
トヨタ本社が「何か」を決定し、その派生の人事、という推測が順当だろう。
これまでトヨタは、5月に、チーム首脳が(日本の)本社に呼ばれて会議が開かれ、重要事項の決定がなされた過去がある。社長が替わるので、慣例通りとは限らぬが。
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そのうち行こうと思いながら、先送りにし、行ったことのなかった清澄庭園。
花菖蒲が見頃とのことなので、「じゃあこの機会に」と出掛けた。

こんなにいい所と思わなかった。
まこと、写真だと判らない。思い出せば、東御苑も六義園も、最初に行ったとき、同じことを思った。
どうやら自分は、景色の一部を切り取った二次元の写真では、公園・庭園のよさを認識できないらしい。現地に身を置かないと、心地よさを感じ取ることができないのである。

RIMG2381 (2)

*夕刻で光が足らなかったらしく、写真はボケボケの大失敗。何もないよりまし、という程度。

庭園の敷地はさして広くない(六義園より狭い)が、敷地の大部分を占める池が広い。そして、通路が水際に設定してあり、水面に近い場所にいられるのが特徴。
南側を向けば、上の写真の通り、背景にビルはなく、広々と気持ちよい。
聞こえるのは鳥の声。見れば、目の前をカモがすいすい泳ぎ、少し向こうの島にはサギが降り立つ。

池の中には、巨大なコイと、カメが大量にいる。人の姿をみると餌をもらえると思うらしく、コイが大挙して岸に寄ってくる。
「怖いくらい大きいですね」「六義園には、こんなに大きいのいませんよね」
眺望に恵まれた岸辺の石のベンチで居合わせた、やはり初めて来訪したという方と会話を交わす。

RIMG2390 (2)

花菖蒲田は、池の南側、敷地の南端にあった。花そのものは、東御苑の方が、よく手入れされ、密集し、レベルが高いが、「風景として」は、此方の方が好ましい。
「特等席ベンチ」があり、あそこを確保できれば、いうことなし。
ベストの構図と思って撮ったのはボケて失敗してしまったのが残念。(上は、少しましに写った別の構図)

季節が変わったらまた来よう。
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RIMG2338 (2) 
東御苑・二の丸庭園

Category :  F1
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書店に並んでいる雑誌の記事を読んで。

・バジェットキャップ問題

オートスポーツが特集を組み、複数の人間の見解を載せていた。
真面目に読んだ結果、6/5に書いたFOTA側に批判的な言葉は取り下げることにする。もともと自分は、FIAとメーカー連合闘争は「目くそ鼻くそ」とみていて、個別の件にケチをつけることは避けるようにしていた。そのスタンスに戻る。

「経済の問題では」という思いつきについては、FIA×FOTAの権力闘争ではなく「F1商業権」にまつわる問題が本質的な原因、という説があった。

・福井社長のインタビュー

Racing on 7月号が、巻頭に、福井社長のインタビューを掲載した。
「日本のメディアの、『ホンダF1の幻想』から永久に逃れられない悲しき性」といおうか。
(最初に思いついたのは別の形容詞だが、憚ってひっこめる)

自分はこれまで、F1参戦のスタンスに関して、ホンダは、思考がいつも「自分の会社の内側」に留まり、「F1界」へ及んだことのない、「自分のことしか考えない子供みたいな」会社だ、と書いてきた。
今回のインタビューで、福井社長は、その通りそのままの発言をしている。

いわく、F1は、「人材とリソースを際限なくつぎ込んで、必死になって勝っていくもの」で、ホンダがF1をやるからには、「全身全霊をかけて、全力で」やらなければいけない、それができなくなったからやめるが、本業が立ち直ればまた戻れる。
ホンダにF1は必要と思うから、戻れるときまで、いまF1を司っている人たちは、なんとか乗り越えて、F1の価値を下げないでほしい、と思う。

幼稚園児のような、身勝手で無責任な発言だことよ、という評価は、偏った見方だろうか。

福井社長にとって、F1とは、自社の業績のいいときだけ参加して、金を際限なく注ぎ込んで、勝って、いい思いをさせてもらう場だという。
つまり、我々ホンダは、F1界全体の繁栄や安定といった事柄には、関わりあいたくないし、責任を持つ気も全くない、F1という場とF1の価値の維持は他の人たちがやってくれ、と明確に表明しているのである。

ここ数年でF1に参加した、小さな会社が言うなら、判る。しかし、ホンダは、最初の参戦から40年経っている。自分でも、「F1参戦40周年」を謳い、宣伝している。
昨年12月に一度書いたが、トヨタは、「今後のF1、そしてF1の将来に対しても責任を持つ」というスタンスでF1に参戦している、と公式に表明したことがある。
今後、豊田新社長が方針を転換するとしても、張社長と斎藤副社長の時代はそうだった。

「F1を絶やしてはいけない。
ステータスを確保しながらチームを減らさないようにしなければいけない。
ファンが離れればF1が絶える可能性がある。
ですから、F1のステータスを残しながら絶やさない方法を、必死になって考えなければいけない」

エンジンルールの抜け穴

斎藤副社長のこのセリフが、自分の印象に残った理由は、今になるとはっきりわかる。「ホンダの社長・副社長レベルの人が、同様の趣旨を発言したのを読んだことがない」ので、新鮮だったのである。

BC問題の着地点は不明だが、現在のF1は、福井社長が「ホンダのやり方」だという「人材とリソースを際限なくつぎ込む」ことを制限する方向に向かっていることは間違いない。
この方向に拍車をかけ、現在の不安定さを招いたのは、ホンダの撤退だ。そのことを、元凶の当人が認識せず、業績が回復したら、また金を注ぎ込んで勝ちにいきたい、と臆面もなく発言するときては、批判を受けてもしかたあるまい。

インタビュアーの中部博が、社長の失言に気づかないのは、「F1界からの視点」を持たないがためである。この種類の人が、日本のメディアには多数存在し、「一般世間に流布するホンダF1の虚像」を維持し続ける役割を演ずる。
メディアがホンダのF1復帰を願うのは、「商売のネタが増えてほしい」という直接的な利害もあるが、根本にあるのは、視野の狭さだろうと思う。
Category :  展覧会
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今年に入って先月まで展覧会巡りをしていたが、一区切り。
ヨーロッパの絵画についてはリハビリ、日本美術は初心者スタートで、「現在の自分の好み」がおおよそ判ってきたので、そろそろ選択して見られそう。

面白いことに、ヨーロッパ絵画の趣味の傾向は昔とあまり変わっていないのに対し、日本美術はかなり変わった。昔好きだったのに、今は魅力を感じなくなったものがいくつかあり、かつては関心を払わなかった別のものに惹きつけられる。

「大和し美しー川端康成と安田靫彦」 (千葉市美術館)

出掛けた第一目的は池大雅の十便帖だったが、「美術と文学」に跨った重層的な構成が「あとを引く」展覧会となった。

展覧会図録は、いわゆる図録でなく、1冊の書物として刊行されている。こういうやり方は初めて見る。行きつけの書店の棚にあり、図書館にもあったので、借りてきた。



川端康成、安田靫彦、そして良寛という一見バラバラに見えるテーマの関係性については、会場のパネルに説明書きがあったが、本書を読むと、より詳細が判り、頭の中で繋げて世界を作る助けになる。

展覧会はどこも、企画担当者がテーマを設定し、構成を考えて作るが、テーマ設定がありきたりであったり、逆に無理があったり(こじつけっぽい)、企画に感心することは多くはない。(昨年のフェルメール展のように、「テーマは、作品の数の多さ」という展覧会まであったりする)

安田靫彦や東山魁夷や小林古径といった著名な画家による川端の小説本の装丁を、展覧会場で新鮮な気持ちで見たが、考えてみれば、同時代の文学・美術その他の芸術家たちが交流し、それによって「その時代」の芸術活動が形作られることは、西洋近代では馴染みの話で、面白いのである。いわゆる世紀末、それからブルームズベリーグループ。

川端と安田を結びつけたのは、共に高い美意識と審美眼を持った古美術コレクターであったことで、川端は優品を入手すると、コレクターとして大先輩である安田の元に持参し、語り合ったという。

思えば昨秋、琳派展の会場で自分が一番おもしろく感じたのは、光悦の書と宗達の絵の融合の作品で、あのときは、辻邦生の「嵯峨野明月記」を読んだが、今回は、川端の小説に着手した。

「今頃、川端康成?」だが、読み始めて、頭を抱えた。この文章表現の「文学性」に驚くというのは、近年よくよく文学を読んでいなかった証拠である。退化した読解力が回復するのか不安になる。

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秋になると、濃い展覧会が続けて開催される。

・クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (高島屋)  9/16~10/12
  目玉は、「パラス・アテナ」
・THEハプスブルク (国立新美術館)  9/25~12/14
  公式サイトのトップページの画像に、懐かしきかな「シシィ」の肖像画が加わっている。
・皇室の名宝-日本美の華- (東京国立博物館) 10/6~11/29
  宮内庁HP  

東博の展覧会は、天皇の即位20年記念で、慶祝行事はその他にも色々ある。・・一覧

来年
・長谷川等伯 (東京国立博物館) 2/23~3/22
・生誕120年 小野竹喬展 (東京国立近代美術館) 3/2~4/11

Category :  F1
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ホンダ神話の次に、「ザ・ハウス・オブ・トヨタ〈上〉―自動車王 豊田一族の百五十年 (文春文庫)」を読むつもりだったが、



を先に読む。
赤一色の装丁が扇情的で安っぽいが、中身は、扇情的な批判でも、提灯持ちでもなく、バランスをとったもの。
記述の多くはこれまでに報道済の内容だが、「改めてまとめて」読む概説としてはいいかと。

トヨタの赤字転落は、外的環境の要因だけでなく、トヨタ自身の体質の変化による。アメリカのバブルにのっかって拡大路線を突き進み、かつてのトヨタらしさが失われた。バブルが崩壊した後は、大調整が行われ、経済システムが転換され、再びゆるやかな成長軌道を歩むのが必然なので、トヨタの今後はリーダーとなる創業家の嫡男、章男氏の手腕にかかっている、というのが大筋。

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話をF1へもっていく。

・撤退か否か

現在話題のBC問題に、自分は無関心で、「収まるところに収まるわよ」と、しらっとしていた。
お馴染みのFIAと自動車メーカーとの権力闘争の続きとみなしていたからだが、本書を読みながら、この件も、「本質的には、政治ではなく経済の問題」と受け取るのが正しそう、と気づいた。

F1の自動車メーカーチームたちが過去ほんの数年の間に急激にコストを膨らませたのは、本書で描かれたバブルと同時期である。自動車メーカーたちの拡大路線をそのまま反映したものなのだ。
トヨタのF1参入も、グローバル戦略の一環であった。されば、バブルがはじけて、各国政府・企業とも、経済システムの改革・再構築に血眼になっている現在、F1の世界も大幅な改革があって当然だろう。

その中で、いまだに目先の利己的な利害に固執して、急激な改革を嫌がる自動車メーカー傘下のチームたちは、衰退が必定の肥大化・硬直した組織、といってもいいような気がする。
これは、モズレーのやり方や、F1の理想の姿がどう、とは、別の視点の話である。

F1はすべてにおいて最高であるものとか、ステイタスがどうとかいった意見は、「過去15年くらいの常識」に囚われたものだと思う。
「もっと長いスパン」で見て、自動車メーカーたちのいない60年代のF1を思い出せる人は、「F1に自動車メーカーがいなくてもいいんじゃないの?」という切り替えができる。
自分も長く、「F1の魅力は、とてつもない贅沢さ」と思っていたが、中村良夫氏の著作を知った03年以降、視野が広がり、従来の自分の考えにしがみつかなくなった。

・向き不向き

製造業主体で自己主張が弱く、突出した個人による個人プレーより集団の和による総合力を重んじる日本には、シビアな金融資本主義は馴染まなかったということだ。(P.191)

「日本人ドライバーがいまだに成功しないのは、F1は日本人に向いていない競技だから」という説を書いたことがあるが(2008/8/28)、同じことが、チームにもいえたのではないか、という考えが浮かんだ。

型にはめて、「決めつける」のは適切でないし、想定の幅は常に広く持つようにしていたので、「最終的な評価は、ホンダとトヨタが成功せず尻尾を巻いて逃げるときまで待ちたい」と保留にしたが、ホンダはその通り「尻尾を巻いて逃げた」。トヨタの最終評価が出るのはいつか?
Category :  自転車
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あまりに、あまりに、月並であるが、一番の感想は、「ディルーカ、かっこいい」。

考えてみれば、自分は毎度、「闘争心をむき出しにするタイプ」が趣味なのである。
今回のレース中の「スイッチの入った」ディルーカの顔の怖いこと怖いこと。オフの笑った顔の「綺麗な感じ」との落差の凄さは、かつてのミヒャエルを連想させる。
実況で「般若のような形相で引く」と言われていたが、自分はいまだに、「鬼」に喩えられる人に魅力を感じるようで。

見目形をいえば、バッソの方が、顔の造作もプロポーションも美しいのだが、造りの美しさは二の次。
そういえば、最近ブライアンを応援しているのも、「闘志・気迫丸出しで、闘い続けている」からかも。

さて、今週は、シュレック兄弟登場。(ジロの期間、ツールのコースの下見旅行と準備をしていた)
Tour de Luxembourg、次いでTour de Suisse。
(でも、よもや、鬼のディルーカにうっとりした後だと、この仲良し兄弟はホノボノすぎて、物足りないということは・・)
Category :  F1
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・判断は次戦で

スペインGP後、楽観的なことを書いたら、あにはからんやモナコで最後尾まで落っこちてしまい、あらららら。
モナコは毎年不得手なので、判断は次戦に持ち越す。トルコでもダメなら、多分、アカンとみなすことになるだろう。

・FSW日本GP開催撤退の憶測報道

5/29、朝日新聞が、トヨタがFSWでの日本GP開催から撤退を検討という記事を掲載した件は、「トヨタ社内の何者かがリークした」とみるのが、「メディアリテラシーの定石」と思う。

「日本メーカーの情報がメディアにいかに表出するか」については、川喜田氏が「さらば、ホンダF1」内で、一端を記述している。

08年日本GPのFSWの運営は成功したとみなすべきだが、「本質的に、FSWは、F1開催に不適な立地である」という私のかねてからの持論が昨年の運営で覆されたとは思っていない。
昨年の成功は、巨大な赤字(運営費の増加+観客数減による収入減)によって成立したことが明らかになっている。FSWのF1開催は、親会社トヨタの広告宣伝の一部であり、FSWの興行として独立して成立はしない、いわば歪んだものだ。

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