南の国の太陽、空の色の獅子

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・ルノー

昨年、シンガポールと日本でフェルナンドが勝ったとき、私は、素直に喜ばなかった。
99年の連想・補足

ブラウンGPのマシンが優秀な理由として、「昨シーズンを捨てて、莫大なリソースを投入して開発したものだから」という意見があるが、これは「この世界の定番の思考」である。

ブラウンGPは、05年のルノーと同じく、「今季捨てて来季にシフト」が成功した例で、今季のルノーは、「昨年、あれだけ力使っちゃったもんねー」。

昨年、外野の一ファンの自分は、「今年はタイトルを取れないことがもうはっきりしてるんだから、捨てろ。目標にすべきは、今年の『目先の1勝』より、来年のタイトルだ。今季の成績はどうでもいい。リソースは来季マシンの開発にシフトしろ」と言いたかった。
だが、ルノーには「フェルナンドをチームに繋ぎとめるため」に、それができなかったことも、判っていた。

ブラウンGPは、ルノーと違い、昨シーズンを捨てる方針を決定した。彼等は、「自分の力を証明して、繋ぎとめておかねばならない相手がいる」と思っていなかったから、だ。「実際には、いた」ことに気づかなかった。
08年シーズンを完全に捨てて09年マシンの開発に集中した代償は、08年の惨憺たる戦績であり、オーナー・ホンダの電撃撤退だった。

昨年まで「使い放題」だった運営資金を、彼等は一夜にして、すべて、失った。今年運営できる分は受け取っているらしいが、その先の資金は、どこかから探してこなければならない。
よこせといえば気前よくボンボン金を出してくれた「金づる」の日本企業を、彼等は失った。

この現実をみれば、ロスとフライの判断が間違っていなかった、と言うのは早計だろう。
この先、ブラウンGPがチームとして存続した数年後に初めて、「あの選択は正しかった」ということができると思う。

ルノーの開幕戦の戦績は、昨年と似ているが、当事者たちは、今季は昨年よりいいという見込みで開幕戦に臨んだため、失望は大きい。
昨年は容認できても、2年目の今年失敗したら、もうあとがない。今年、ルノーがタイトル争いできるポジションに達しなければ、フェルナンドを失うことを見越さなければならない。
天井から刀が釣り下げられているかの如き「危機感」が、このチームに有効に働く希望を持って、シーズンを見守ろう。

・フェルナンド

予選
Q2敗退を、本人はS3でのミスのせいと述べているが、LTを見ていた自分は、S2までの数値が、後ろからくる競争相手たちの数値より優っておらず、「これだと通過は無理だな」と思い、最終コーナーのミスを惜しいと感じなかった。
LTは、小数点以下1位までしか表示されないので、事実の確認は必要で、間違っていたら訂正する。

決勝
「マシン戦闘力は低く、SCも味方しなかったが、他者の自滅で最終順位はそこそこ」の昨年と同じパターンであった。
予選12位 → 他人のペナルティで10位に繰り上がりスタート → 1コーナーの混乱で後退 → 燃料多めが功を奏し順位をそこそこ戻す → SC導入でピケと同時ピット作業になり、ピケの後ろで待たされ(10秒ロス)、また後退 →  他人のクラッシュとペナルティで繰り上がり、最終5位

・今後の見通し

ブラウンGPのマシンの優位性はかなりのものにみえるが、もし彼等が独走するなら、まず間違いなく「足を引っ張られる」と思う。この世界は「いつも」そうだ。

マクラーレンの大株主のメルセデスが、ブラウンGPの独走を黙って許すと考えることにも無理があるだろう。
でも、ロスは、この点を十分考慮し、注意深くレースをするかもしれぬ。真の実力は隠し、大差をつけての圧勝は、「できても」しない、ということ。
自分の頭で判るくらいだから、彼も判っているに決まっている。彼のベネトンでの経験(B194で開幕から独走したら叩かれまくられ、泥沼と化した94年)は、今回、政治面の対応でも生きる可能性がある。

実際に、そこまで抜きんでた力を持っているのかは、この先やってみないと当人にも判らぬだろう。シーズンは長い。色々なことがある。シーズンの最初から最後まで、ずっとひとつの方向で進むことはなく、流れは行ったり来たりすることが多い。

先の展開がどうなるか判らない、観客がその楽しみを持って見ていかれるシーズンだ。
政治のゴタゴタは、もしかしたら、ものすごいことが起こるかもしれぬが、これもこの世界につきもの、「最後は、ちゃんと収まるところに収まる」から、鷹揚でいて大丈夫、ということで。

・トヨタ

開幕戦を見ると、ものの見事に「叩く」ターゲットにされている。
戦闘力が低いうちは叩かれないが、高くなって目立ってくると叩かれるのが「F1村のいつものパターン」ではあるのだが、今後やいかに。

ひとつ。CS放送中に、川井君が、「KERSが、自社の技術でどうにもならず、他チームに助けを求めてきた」(技術力が低いことを露呈した)メーカーチームがある、どことは言いませんが、というタレコミ情報を披露したが、KERS未搭載メーカーチームは、トヨタしかない。
TV電波にのせて広めるのは、けっこうヤバい情報では。
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・晴れた日に

「君が今年のチャンプにおなりよ」
表彰台の中央で朗らかに笑うジェンスを見ているとき、この台詞が浮かんだ。

予選終了時点で、「勝者としてのロスの顔」と書いたのは、決勝での勝利に疑いが欠片もなかったからだった。
ジェンスの後ろでは波乱が起こるかもしれない。でも、先頭を走る彼には関係ない。

この冬、自分がF1を見るのをやめる時期(潮時)がきたのかもしれない、と思っていた。
だが、どうやら、まだ、そのときではないらしい。

見ている間、楽しかったし、レースが終わったとき、気持がよく、次戦も見よう、という意欲が湧いた。

・ブラウンGPがなぜ勝利を得るのか

私はF1の技術面にはまったく疎く、見るときの観点は「人間」だ。F1が技術の競争であるのは確かだが、マシンを作るのは人間だし、走らせるのも人間である。
絵画であれば、作者とは切り離して、作品そのものだけを鑑賞することが可能で、自分はそうすることが多いが、F1とは、マシンの展示会ではない。レースであり、クルマは、レースの道具、とみなす。
F1を、「自動車を使った人間同士の競争」と解釈するスタンスなので、人間に焦点を当てる、という見方をする。

この観点から考えてみると、ブラウンGPとは、実質を見るなら、最初はBARという名であった、今季創設11年目のチームである。
2年目からホンダがエンジン供給をし、その後ホンダが買収、3年後に売却、という経緯を辿った。

ホンダが関わったおかげで、日本語の情報が多く出回ってきたが、このチームでは、ホンダが関わった全期間を通して、「元BARのイギリス人たちと、ホンダの日本人たちとの間との軋轢」が続き、解決することがなかった、ような印象を受ける。

このチームの内部事情に関しては、偏見、応援(身贔屓)、勘ぐり等による大量の憶測が流れ、どれが事実だったのか、いまだに判別が難しい。
しかし、総括すれば、「BARとホンダ」「イギリス人と日本人」の間の軋轢は存在し、ひとつのチームとして成長・進歩をすることがなかったのではないか、と思う。

ホンダが離れたことにより、指揮系統が一元化され、内部闘争がなくなって、チーム運営が効率的に進むようになったことは十分考えられる。

そして、気前のいいパトロンであったホンダが突然離れたために、チームの存続が危機に瀕した。チームが解体せず、存続するためには、これまでと同じ心構えではいられない。
自分たちのチームを守り、自分が雇用され続けるためには、レースでいい結果を出して、スポンサーを獲得しないといけない。チームの構成員全員が、これまでとはまったく異なるモチベーションをもって仕事に取りくんでいるのが、今のブラウンGPではないだろうか。

「真剣なやる気」というのは、空回りするケースもあるが、チーム存続の危機感は、構成員の結束力を高め、いい方向に向かわせるのかもしれない。
05・06年に連覇したルノーの成功の理由については、ミシュランタイヤに最適化したマシンが速かったといった技術面の説明の他に、ゴーンの就任によって絶えず撤退を脅かされ、その危機感でスタッフのモチベーションが高かったという解釈が可能だった。

この見方を採用するならば、「ブラウンGPの成功は、ホンダの撤退がもたらした」のであり、ホンダが残ったなら、成功したかどうかは疑わしいことになる。
具体的な例をひとつあげれば、KERSの採用をホンダサイドが強いて、マシン戦闘力は低下したかもしれない。
つまり、「残留しても」ホンダの名が成功を得ることはなかった、と考える方が当たっているのかもしれない。これは、「撤退しなければ、この勝利はホンダのものだったのに」よりも、ホンダを侮辱する意見だとは思うが。


*付記*
05年のルノーF1チームは、ルノー本社から、2年先の07年に、F1活動を続ける保証を与えられていなかった。明確な保証は、翌06年までだったと思われる。
このことは、フェルナンドの契約交渉という事実によって裏付けがされている。

ルノーは、05年の春に、05年で現契約(3年契約)が満了する彼に対して、06年からの3年間の更新契約を提示しなかった。「したくてもできなかった」という解釈が、最も妥当である。
彼のマクラーレン移籍を引き起こしたそもそもの原因は、この「3年先の保証を与えられない」ルノーの事情であった、と私は理解している。

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非常に収まりのいい結果だった、と思う。

・地元開催の大会で素晴らしい演技をして結果を手にすることほど、素敵なシーンはない。みなが幸福になれる。
(ヘルシンキのヨーロッパ選手権では、フィンランド女子2人が表彰台に上がった。地元の期待を力にできる選手たちは素晴らしい)

・これで、来年のバンクーバー五輪は、パトリックが「地元で」金メダルを取るお膳立てが整った。ジンクスを破るという大仕事をする必要がなくなったから。

・ブライアンて、こういう人なのよね。
彼を応援し始めたのが最近なので、忘れていたが、以前から、「詰めがとっても甘い」のよ。うまくいったのは、東京ワールドの年「だけ」なんじゃないかな。
今年は、演技終了直後から、本人が呆然としていたから、こちらも昨年のようなショックはなく、「落胆している顔も、相変わらず美しいなあ」と別方向の感想を言う余裕もあった。
世界が終わったわけじゃないし、ご本人は前向きなコメントをしているらしいので(本心は知りませんが)、意欲がある限り、闘い続けて下さい。

・解説の田村君が、織田君の演技中に、「この後コンボを跳んでノーカウントになること」を心配し、ドンピシャ当たったが、実は、FPの前から、この問題を心配していることを、Jスポのブログに書いていたことを発見した。あ~ら~ら~、である。

・今回の最高のトピックスは、デニス・テン君。
15才であれだけ跳べる子は、ジェーニャ以降、初めて見る気がする。(ジャンプ「だけ」系列は除く)

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・Brawn GP
BRAWN GP という黒字のロゴの記された、シンプルなマシンと、ピットウォールにいるロスの姿が映る画面を眺めていると、とても収まりのいいものを見ている、安堵のようなものを感じた。

ロスが「ホンダという名のチームのために」働いている姿に対する自分の違和感は、消えることがなかったのだろう。それは、フェルナンドがマクラーレンに乗ったときに抱いた感覚と、どこか似ている。

今年のマシンは、「ロスが作ったもの」だ。そうみなすことに誤りはないはずだ。
彼の本領は、マシン開発の方向性を決める、技術部門の総括リーダーとしての采配にある。レースの戦略家としての面は、二次的なもの。
ディフューザー論争を見て、そういえば、94年に、「レギュレーションの精神に則したものではなかった」(本人の弁)ハイテクデバイスを搭載したB194を作り、タイトルを取った張本人だっけ、と思い出した。

以上は、FP3を見ている最中の感想。

予選終了後、「3年前に見慣れた光景」が戻ってきたのを見た。
06年まで私が見慣れてきた光景の多くが、翌07年サーキットから消えた。けれども、歳月を置いて、再び戻ってくるものもある。
今日、11年間見慣れた、勝者としてのロスの顔が、戻ってきた。

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それにしても、川井君等は、「新しいチーム」と開き直って述べていたが、このマシンは、間違いなく、昨年、「HRF1」という名であったチームが開発したものだ。

ホンダが、昨年末に撤退を決めなければ、今日の栄誉はホンダのものであり、この先更に大きな栄誉が手に入ったのに。
何年間にも渡り何百億という資金をつぎ込んで、ようやく実がみのるとき、その場におらず、収穫を他人にさせることになったとは、何たることか。

メルセデスエンジンの性能がホンダより優る、という話があったが、車体の優位性がこれだけあれば、ホンダエンジン搭載でも、十分だったろう。

ホンダの経営者がやったことは、「イギリス人たちに、莫大な金を渡して、やりたいことをやりたいだけやらせ、自分は何も得なかった」。

当事者たち(ホンダの人)や日本のファンやメディアやどう受け取るかは知らぬが、私は、「バカなことをやったものよ」と、溜息が出る。
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・佐藤のシート獲得騒動を巡る解釈
佐藤は、持ち込みスポンサーの金額の競争でブルデに負けて、トロ・ロッソのシートを獲得できなかった、という見方は、正解なのだろうか?

世間に出回っているこの説に自分が首を傾げるのは、「ブルデが多額の資金を集められた、という推測には無理があるのでは?」と感じたため。
上記説の主張者たちは、ブルデの資金源を、「マネージャーのニコラス・トッドのつてで、フェラーリがエンジン代金を値引きした」と言う。
この憶測を、「それってありうる?」とひっかかった人は、多くはないらしい。


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・ヘルメットの頂上の青
フェルナンドがヘルメットの頂上を赤色に変えたことは、個人的にありがたくなかったが、「枝葉の事柄はスルー」で無視していたら、雑誌記事の「ピケJrと見分けがつけにくくなった」という指摘に、はっとなった。

フェルナンドのヘルメットの頂上のデザインは、ミヒャエルに似ている。ミヒャエルが、青い部分を赤色に変え、私の機嫌を損ねたのは、00年のことだった。
ミヒャエルが変えたのは、「チームメートと色目が似ていて、間違われるから」だった。だが、今年、フェルナンドは、チームメートのことなぞは全く眼中になかった、と思われる。
彼は、自分が変えたいから変えたのであって、結果、たまたま、チームメートと色目が似てしまったのだろう。

ドイツ国旗カラーと青の星がなくなって後、ミヒャエルのヘルメットに対する愛着を私は失ったが、今振り返ると、その年に彼は3個目のタイトルを取り、黄金時代が始まった。
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・ディフューザー問題
06年のマスダンパー事件そっくりにみえる。此方は強烈に痛い目にあったおかげで、忘れない。

今回も、対象チームのメンツがミソかと。
ウィリアムズは除外しても、ブラウンGPとトヨタは速そうだ。「出る杭は打たれる」はこの世界の慣例。

・チャンピオンの決め方のルールの変更問題
今回のドタバタの問題点は、ルールの中身の是非より、「開幕直前の変更であること」だと思った。

各チームは、今季のマシンを、「従来のルールに基づいて」制作している。具体的に言えば、「速さより信頼性重視」だ。
だが、新ルールでは、タイトルを狙うチームは、信頼性を少し犠牲にしても、壊れないときは勝てる速さを持つマシンを持った方が有利だ。今頃になって突然、異なるコンセプトのマシンが有利になるルールに変えられてはたまったものではない。

競技では常に、「先にルールありき」だ。競技者は、現行ルール下で、勝つにはどうしたらいいか、を常に考え、戦略・戦術を決める。ルールが変われば、それに対応して、戦い方も変える。当たり前の話だ。

よって、「勝利数で決めるルールなら、昨年のチャンピオンはマッサ」という文言は、ナンセンスそのものだ。
昨年、勝利数ルールであったなら、ハミルトンは最終戦で「5位でいい」と最低必要ポイント狙いの走りはしなかったに決まっている。
そもそも、シーズンの最初から、マッサもハミルトンも誰もが、「ポイントでなく、勝利数を意識してレースをした」わけで、それでは誰がチャンピオンになったか推測は全く不可能、とみなすのが、論理的な思考というものではないか。

今回に限らず、ポイントシステムに関するルール変更の話題が出ると、過去の戦績を、新しい(別の)システムで計算し直すと、こう変わる、誰それはチャンピオンになっていない、という記事を書く輩がいるが、私に言わせると、これは、「アロンソが女の子なら、F1チャンピオンになっていない」に等しいくらい意味がなく、「過去のチャンピオンたちに対する敬意を欠き、不当に貶める」言説にみえる。
(どこからみても「ネタ話」と判る書き方をするなら兎も角、気に食わない相手を貶す材料に使うのは見苦しい)

今回FIAが示した勝利数ルールの中身に言及すると、自分が真っ先に思いつく問題は、「ドライバーズよりコンストラクターズの順位優先」のチームに所属するドライバーの利害が、チームの利害と相反し、軋轢を引きおこす不幸を生む可能性があること。
個人的には、勝利数ルールに変更されても、(予選で燃料を積むルール変更のときのように)ぶうぶう文句は言わぬが、この不幸を見過ごせないので、積極的に賛成はしない。
(ルール変更の受け取り方については、得点配分が変更された03年に記した覚え書きを参照)

・ロスの野望
グランプリトクシュウ4月号を書店でバラッと読むと、HRF1の顛末について自分が新たに知る情報が載っていた。
尾張さんが大島氏にインタビューを取っている。他のページでは他のライターが違うことを書いていたりするが、総合すると、自分の憶測は当たっていた「かも」しれない、と思った。

大島氏の言い分は以下。
此方の望む条件を満たす買収相手は現れず、次にMBOの話がでたが、これは望ましくなく、解散しかないかとなったところで、ロスが手を挙げてくれた。
ロスは、チームプリンシパルではあるが、経営陣ではなく、契約スタッフなので、MBOには当たらない。
彼は、違約金を貰って、チームを去ることができたが、「従業員の雇用を守るため」、引き受けてくれた。

ホンダ側が、何の観点を重視し、ロスが手を挙げるまで、売却を承諾しなかった事情の真実はいまだ判らない。当事者たちの発言のどの部分が真実で、どの部分が嘘なのか。
ロスが手を挙げたのは従業員の雇用を守りたかったため、と大島氏は述べるが、「当座は」雇用しても、相当数の首を今年度中に切らねばならないことは、火を見るより明らかだ。

多分、ロスは、秋以降、売却の具体的な活動はフライに任せ、自分で動くことはなかったのだろうと思う。「彼の仕事の領分ではない」からだ。
フライが目論んだMBOをホンダが承諾しないとなったとき、フライは、これで終わり、とみなし、ロスが単独のオーナーになると言い出すとは思わなかったのか、それとも、フライが、ロスに、そうしないか、ともちかけたのか。
「フライとロス、どちらが上手で、利用されたのはどちらだったのか?」

時間が経てば、いずれ判るときが来るかもしれない。
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F1が今週開幕するが、例年よりこれだけ遅れると、些か気が削がれる。なにより、今週はフィギュアスケートの世界選手権がある。「ここが勝負時」の緊張感の度合はこちらが上。
といいつつ、少しメモ。


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朝一番に六義園に向かった目的は、辛夷である。
昨年、枝垂れ桜が満開の日、辛夷は盛りを過ぎていた。

今年は、満開には少し早かった。蕾がまだ沢山ある。
遠景では、もう少し後の方が、白さが増すだろう。けれども、近くで見ると、開ききらない花の姿の方が、開いてしまった姿より美しく、これはこれでよし。
いつか、満開のときに出会えるだろう。

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枝垂れ桜はこれから。可愛らしいピンクの花を開いた僅かな数の枝先に、人々がカメラを向けていた。

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汐浜運河沿いのハクモクレンの並木道に今年も行く。
が、今年も少し遅かった。見頃の開き具合の樹は少ない。

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ハクモクレンは、亡くなった友人の想い出を呼び覚ます。
スターダスト・レビューの「木蘭の涙」を私は気に入っていて、2003年の「クリスマスの約束」で根本さんと小田さんが歌ったとき、掲示板でなにげなしに話題にすると、彼女が、私も好き、と伝えてきた。
彼女との間で、好きな歌を話題にしたのはそのときだけで、他にしたことはない。

「木蘭の涙」の中の木蓮は、白い花を思い浮かべる。紫ではなく。
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アマ時代のカタリーナ・ビットをいいと思わなかった、と書いたが、後日、この認識が「180度」変わったことを補足しておきたい。

180度転換が起こったのは、97年国際オープンフィギュアの代々木の会場で、彼女の演技を見たときである。
リンクでビットを見たのは、このときが初めてだった。
この大会は、現役トップクラスの選手とプロ選手が混在し、「競技会として」は些か問題のある(アマの採点方式では、ジャンプの力の落ちたプロはアマに勝てないに決まっている)大会だったが、自分にとっては「ビットの素晴らしさを知った日」として、強く印象に残っている。

ひれ伏しそうになった。
ああ、これがビットか。
彼女の前では、この日やはり初めて見た、現世界チャンピオンのミシェル・クワンは、とるにたらない「小娘」にしか見えない。
艶やかさ、美しさ、圧倒的な存在感。「女王」とは、彼女のためにある言葉だ。

ジャンプを跳べないから技術点がアマに負けるのは当たり前だが、ビットの芸術点がクワンより低いなど、全く、納得ができない。
このときのクワンは16才で、前シーズンに初めての世界タイトルを取ったばかりの「新女王」だった。
対するビットは、現役引退後9年で、31才になっている。

文字通りの大人と子供である。表現する力も、女としても、人間としても、円熟味の差は歴然としていた。
しかし、競技会では現在のクワンの基礎点が一番という評価ができているから、ジャッジはクワンを上につける。フン、あほらしい採点だ、と露骨に思った。

思い返すと、もしかしたら、私の女子シングルの演技の物差し、「基準」は、あの日のビットの演技なのかもしれない。意識していなかったが、深層に存在する。そうみなすと、その後の自分の好みが説明できる。
「難易度の高い技をやっていることは判るけれど、腕を『振り回してる』としかみえない。コーチに教えられて実施している『振り付け』にすぎず、自分自身の内から湧きあがる表現には到底みえないんだよなあ」と醒めて見るケースを、最近も経験している。

付記。
私のビットに対する見方は、「メダルと恋と秘密警察」(カタリーナ・ビット/文芸春秋/1994)によっても変わった。
気がつくと、秘密警察はおろか「東ドイツ」の存在も知らぬ世代がフィギュアスケートを楽しむ時代がやってきている。
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Brawn GP公式サイト

このチームの動向は、他メーカーの将来の決定に影響を及ぼす。この観点に、自分は一番注目してきたし、今後も同様だ。
今回の発表に、「運営資金の出し手」の名はない。今季分はやりくりできたとしても将来分はどうする?アグリのとき、自分がさんざん指摘した点だ。
あまり、金金とばかりいうと、夢も何もない話で、嫌がられそうだが、現実に、金がなければ、車は作れないし、人も雇えない。レースをするには金が要る。子供には判らない話でも、社会で働いた経験のある、いい年をした大人が判らない方がおかしいだろう。

ルノーとトヨタは、常に、撤退の選択肢を持っている。トヨタは、今季が今度こそ本物の「正念場」になる可能性が大いにありそうだ。
ルノーは、日本の2メーカーとは「F1との関わり方」が違うので、もしかしたら「しぶとく」留まるかもしれない。これまで常時、撤退しそうと言われてきたのに、気づけば今だにいる、という見方もできるからだ。
ルノーが残るかどうかは多分、ゴーンの意思より、世界の経済情勢にかかる部分の方が大きいのではないだろうか。本当に屋台骨が危なくなったら、そのときは無理だ。

そして、ルノーはこの点をちらつかせて、FIAとバーニーに対し、「うちも撤退しますよ、いいんですね」と脅しをかけ(よくいえば駆け引きをして)、コストを削減し、メーカーの持ち出しを少なくして、F1活動を継続できる道を探っているのかもしれない、とも思う。
但し、このチームは、フラビオとフェルナンドという2人のキーマンの動向(意思)に左右される可能性があることに留意。

ルノーは昔から「撤退する」と言っていたよな、フォール社長が、撤退してやる!と言ってたことがなかったっけ?と記憶を確認したら、6年前のこんなメモが残っていた。
ついでに下の記述も読むと、なかなか面白い。そう、この頃から、フラビオは、他チームとは一線を画して、コスト削減策に賛成していた。

今になると、「そらみろ。コスト削減すべきだ、とオレは言っただろ?」と偉そうな顔ができる。この03年のオフは、まだ、タイトルをとる目処は全然立っていない。この後、相変わらず「よそのメーカーチームみたいにカネをバカスカは使えない」状態で、05・06年タイトルを取るのだから、素晴らしい。ここのチームに思い入れをもって、応援したことは、誇っていいぞ、と今頃になって思った。

1年前は、F1は「コストの効率のよさ」の競争をしているのではない、と金欠病ぶりを嘆いていた。1年で状況が変わったものである。
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■女子シングルにおいては、昔から、高難度ジャンプが求められてはいなかった

新採点法と旧採点法では、「どういう演技をよいとみなすか」の価値観が違う、と書いてきたが、「ジャッジたちの持っている価値観」は、実は、旧採点法から新採点法への移行の中でも大きく変わってはいないのではないか、と最近思うようになった。

自分は男子について文句を言ってきたが、「女子」を見ると、「新でも旧でも、トップになるのは変わらないであろう」ことに気づく。
現在、最も高い評価を得ている選手はキム・ヨナだが、旧採点法で順位をつけても、同様だろう、と思う。

現行のルールと運用は、高難度ジャンプを武器にする選手に不利である、という不満・批判が一部にある。
だが、「ちょっと昔」を思い出してみよう。
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・出光は、小杉放菴を280点持っている

出光美術館は、縁あって、280点に及ぶ小杉放菴の作品を所蔵しているが、小杉放菴という画家は一般にはあまり知られていない。作品どころか名前も知らない人が多い。
9年ぶりの作品展を開催するに際し、テーマを探し、よく知られた横山大観との交流、にすることにした。といっても、こじつけではなく、この2人の間には実際に深い交流があり、作品に反映されている。それを見て頂きたい。
・・列品解説の冒頭でされた説明。

はい。つい先日まで、名前すら知らなかった輩のひとりです。
近美で「青鸞」を見たとき、「小杉放菴(未醒)」という表記に、「未醒とは面白い名だが、なぜ名が二つあるのだろう」・・「まったく知らなかった」証拠。

しかし、近美が「椿」を出してくれたお陰で、この展覧会に間に合った。近美に感謝である。
この展覧会を機に、小杉放菴をより知っていただければと思っております、という解説のしめくくりに、「はい、これから積極的に見たいと思います。出光さん、せっせと出して下さい」

・池大雅と小杉放菴

1月終わり、東博平常展。池大雅の「林圃帰亭図」屏風の前のソファに座って、思った。
前回(正月)同じ場所には伊藤若冲のニワトリ屏風があり、しげしげ眺めたが、どうやら「今の自分」は、若冲より、こういう方が好みに合うらしい。
若い頃は、刺激的で興奮や驚きをもたらすものに惹かれる。劇的なもの、破滅的・破壊的なもの、豪奢で頽廃的なもの、毒のある美。
けれども同時に「品のあるもの」に対する趣味も持続していて、その部分が復活しているのだろうと思う。きらびやかでなく、かといって素朴でもなく、洗練され、和やかで静かなもの。

池大雅は、名は馴染みだが、作品をまともに知らない。これから探そう。
そう思っていたら、次に赴いた「書の力 文字のチカラ」(出光美術館)の会場の、様々な般若心経を並べたコーナーで、小杉放菴と池大雅が、隣り合わせて並んでいた。
「興味をもったばかり(次回の小杉の展覧会のチケット購入済)の二人が並んでいるとは面白い偶然」と、両者の絵と字を興に入って見た。

そういう経緯があったため、小杉は洋画家から日本画家に転向した作家だが、そのきっかけは、ヨーロッパに留学したとき、パリで見た池大雅の画帖「十便帖」の複製だった、という今回の解説での話は、実に面白かった。
自分がほぼ同時期に、東博と近美という別々の場所で見て興味を引かれた池大雅と小杉に繋がりがあったとは、出会いのタイミングというのは異なものだ。

・小杉放菴の魅力

今回の展覧会は、洋画から日本画、漫画・挿絵の面影を残す画帖まで、小杉の生涯全般を網羅した作品展示がされている。
自分が近美で目を止めた椿の幹の文様は、「梅花小禽」の梅にあった。(「書の力」の「般若心経梅図」にもあった)
この花鳥画は、小杉のキャリア後期のもので、会場での展示は最後のパートだった。

画風としては、チラシの一面に使っている「天のうづめの命」に代表される、柔らかで、愛らしさを感じさせる人物描写が知られているらしい。
この画風にも魅力があるが、より惹きつけるものを持っていたのが、一連の画帖だった。いちどきに一場面しか展示できず、会期中にページを変えるらしいが、できることなら、手にとって、全部見たいものだ。見ることのできるここの学芸員がうらやましい。

近代の日本の画家は、洋画と日本画というふたつの間で揺れ動き、其々の道を模索した。開国で西欧文化が流れ込んできたとき日本人を襲った問題は、絵画というジャンルに限らない、巨大なものだが、自分はこれまで、日本の絵画を見るとき、この観点を意識したことがなかった。
主に戦後の昭和の「完成された」日本画を、単体として見ているだけだった。遅ればせながら、これから、観点を増やしていきたいと思う。
Category :  自転車
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ツアー・オブ・カリフォルニア(ToC)の放送が終了。
放送の中でも話が出ていたが、「復帰組一挙大集合」には、初心者レベル観戦客の自分でも、うけた。ランスだけでなく、ランスの元アシスト(及びアシストもどき)で、ドーピングにひっかかった皆様方がゾロゾロと。こういう光景を見る日が来るとは思わなかった。

とまれ、今季の自転車は、近年になく興味をそそる。
ライプハイマーは、昨年のブエルタで、「チーム方針でコンタドールに取らせたけど、コンタドールより強かったんじゃない?」と思わせる力をみせたし、ランスがこのあと調子をガンガン上げた日には、アスタナは一体どうなるのやら。
そして、新チーム、カチューシャ、サーベロ。不況の波はこの世界にもきているが、運営費用が一番高いチームで20億程度といわれているから、F1とはサイズが違う。ロシアが進出したかと思えば、今度はイギリス純正チームが参入とか。

このジャンルも問題は山積みで、自分は情報に疎いから安穏としているだけで、F1並みの知識レベルを持ったら、辛辣で、夢のない見方をするであろうことを判っている。だから、深入りせず、のほほんと見るつもりでいる。

ToC最終日の放送の前は、NHKで世界ノルディック選手権・複合の最終種目を見た。
複合を見るのは久々だ。前回札幌大会は、NHKが放映しなかった。地元開催だから、沢山放送があるのではと期待していたので、こんなバカな話があるものかと唖然となった。
(後日、放映権はテレ朝が買って、CSで放映したと知り、フィギュアのGPシリーズのみならず、テレ朝は、私にとってガンだわと思った)

Jスポも、複合WCの放送をしなくなった。自分は複合については「放送していれば見る」というレベルの観客だから、フィギュアスケートのダンスとペアのように「放送を返せ」と文句は言わぬが、「前は見られたものが見られなくなる」のは、折角興味をもった鼻先を折られることになり、有難いものではない。

自分の知識と趣味は、まともにTV放送を見たトリノ五輪でほぼ止まっているので、目に入るのは、当然、ドイツの「黒のウェア」である。
団体戦は、結果を知って録画放送を見たので、落胆はしなかったが(勝ったのが日本だし)、最終種目でキルヒアイゼンがまたも2位で終わったのには、さすがに溜息が出た。(これで銀8個目だって?・・金がゼロで)
団体を、日本にブーツの差で負けたのは、「ワックスで負けた」とドイツのメディアは書きたてているのかなあ?

わき道話。
クロカンのゴール前スプリントの迫力はたいしたもので、自分はあれを見て、クロカンは面白い、と思ったような気がする。
世の中にレースは数あれど、「ゴール直後、倒れこんで、しばらく起き上がらない光景が普通」という種目を、自分は他に思い出さない。
陸上では、マラソンで、ゴール後倒れこむ選手がいるが、TVに映ることは稀だ。自転車のスプリントの迫力は物凄いが、ゴール後、車輪が惰性で回って運んでくれる。スピードスケートも同様。

スキーのクロカンも、無理矢理立っていようとすれば立っていられないことはないのだろう。多分、「倒れて休んでいいなら、その方が楽」で、この競技では「倒れていい」ということになっているので倒れるのではないか(習わしのようなもの)、と勝手に思っている。
大抵の場合、スプリントを制した選手は勝利を喜んでいて、勝てなかった選手たちが倒れる。いつまでも雪の上に寝ていると、そのうち仲間が寄ってくる。今回、ひとり倒れているエーデルマンがいつ立ち上がるか、画面の奥の方を見ていたら、やっぱりお迎えが来ていた。

集団内で先頭交代するとか、牽制が入るとか、自転車のレースと通じるところがあることには、両方見る人はすぐ気付くかと。
複合の選手に自転車をやらせたら、いいセンいけるのでは?体重軽いし。と思いついたが、考えてみると、複合が強い国は、北方の国々で、自転車競技は盛んでない。棲み分けができている、ということか。