南の国の太陽、空の色の獅子

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昨秋、大琳派展の会場で、「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」に心奪われた。

非常に充実した展覧会で、惹かれるものは多数あったが、最も強い印象を受けたのは、宗達下絵・光悦筆のこれだった。
私は宗達も光悦も、まだ「好き」な部類には入れていない。けれども、この作品から立ち昇る魅力は、えもいえぬものがあった。
下絵と書とがこれほど絶妙に調和していると感じたものを見たのは初めてだ。
書によって下絵が輝きを増し、下絵によって書が艶めく。
なんといえばいいのだろう、あでやかで、気品がある、とでもいうのか。

「嵯峨野明月記」(辻邦生)が、宗達と光悦、そして角倉与一の3人の物語であることは、展覧会に行く前に予習として読んだ本「もっと知りたい俵屋宗達―生涯と作品」で知った。
そのとき、「これを『読む時』がついに来たか」と思った。
辻邦生は、私の若い頃、好きな作家のひとりだった。本棚には辻の短編集の文庫本がからりと並んでいた。物語の舞台になるヨーロッパの情景の描き方が好きで、そして文章が好きだった。
「文章」を私が最も好んだ作家は太宰治で、次が堀辰雄と辻邦生だった。
しかし、歴史上の人物を主人公にした辻の長編には興味がなく、その部類には手を出さなかった。ゆえに、「嵯峨野明月記」も読まなかった。

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この小説の読み方は其々にあると思う。
「宗達と光琳の芸術の解釈のひとつ」を示す。そういう読み方をしてもよかろう。
著者は、そのつもりはなく(この真偽は、調べれば多分判る。気がのれば調べてみる)、想像力を駆使して作り上げた人間像であったとしても、「彼等の遺した作品が、小説家にその想像を呼び起した」のだ。

宗達に関しては「芸術論」に止まるが、光悦に関しては、芸術のみならず、哲学・思想に至っている。彼の芸術の背後にはこういう思想がある、という主張とみれば、芸術論に含まれるといってもいいのかもしれぬが。

小説で描かれる光悦の至る境地は、自分の目には、仏教、明確にいえば「禅宗で述べられる悟り」にみえる。「禅そのもの」にみえる独白部分には、ここまで「そのまんま」というのは「小説として」いいのかな?という感もちょっと起こる。

この疑問は、「西行花伝」など辻の他の小説を読むと解決するのかもしれない。但し、そちらへ手を伸ばすより、今のところ絵画や歴史、仏教の本を読む方が先になりそうだ。

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「嵯峨野明月記」をするすると読めたのは、宗達・光琳の作品を見てきたばかりで、言及される作品を頭の中で思い描くことができたことの他に、登場する「京都の地名」からもまた、易々と情景を描くことができたからだった。
京都の地名は、私に、豊かで美しい懐古を呼び起こす。鷹が峰にも行った。行ったときの自分の目的は紅葉で、光悦ではなかったが、今、「ああそうか、あそこか」と気付く。

夜通し絵を書き続け、望むものに届かず惑い悩む宗達が、夜明けの空の変遷を見て、内なる真実に気づくシーンがある。
京都で見る太陽は、東山から昇る。
「東山の稜線のうえが水のように白く澄んで、幾つかの雲が流れていた」

東山の稜線。
京都で、私が最も美しいと思い、好んだ風景は、岡崎公園から見る東山だった。
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Category :  F1
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契約しているケーブルTV局が、フジテレビNEXTを放映することが決まった。
実に意外。
ダメだと思っていた。
渾身の力で手管を駆使して作文したメールを送信した甲斐があった・・のではなく、単に運がよかったのだが、おかげで、今季もF1ファンを続けることになった。

●ルノーの将来
ルノーが今季で撤退する憶測が出回っている旨のメモ。

根拠1 : FOTAの会議で、ルノーの幹部が来季はカスタマーエンジンを出さない、と発言した、という情報

今、FOTA会議はちょっとしたネタ元だ。ホンダもそうだが、議題が将来のことになると、撤退するつもりのチームはある程度で白状せざるをえない。
リークが、誰のどういう意図を表しているかの判断は難しいが。
昨年末、統一エンジン騒動のとき、ルノーが賛成に回る、という噂が出た。「ヴィリーを閉める」=「ルノーが撤退する」というネタは、あの時点ですでに流れていたとみるべきだろう。

根拠2 : INGの経営難
金融危機が起こる前までは、ルノーはINGの長期スポンサード(契約更新)をみこめたと思う。INGは、F1による広告効果がポジティブである旨を公表していた。
世界の経済情勢が、それを容易に許さなくなった。今季で3年契約が終了することは、契約期間のタイミングとして最悪だった。景気の先行きが見えない今年、INGに代わるタイトルスポンサーを獲得するのが至難の技であることは誰でも分かる。

もっとも、ゴーンが、スポンサーがいようといまいと、ルノー本社がF1に関わる支出をすべて止めることを目的に撤退を決めたなら、タイトルスポンサー契約の満了は、事務手続き上都合がいい(契約解除の面倒がない)、という憶測もできなくはない。
ルノー・日産は、トヨタとは地力が違う。仮にトヨタは続けられたとしても、ルノーは難しいことは想像がつく。

ルノーは、02年のF1復帰からの7年間で、十分な成功を勝ち取った。応援した身は、とても楽しませて貰った。私は、この上なく素敵な夢を見させて貰った。ルノーは、胸を張って撤退できると思う。
願わくば、チームの買い手をみつけ、エンストーンのチームの存続を約束して去っていただければ、文句なしだが、それがかなわなくても、現状ではいたしかたあるまい。
あまり考えたくない事態だが、パットも年で、現場の第一線からは引く方向でいた。ルノーの撤退がいつであろうと、パットもエンストーンを去る日がいずれは来るのだ。

●トヨタ
ついでにトヨタの話。
豊田章男新社長は、モータースポーツ好きな人なのだそうだ。先日の内定のニュースで、どこかのTVは、トヨタのシャツを着て、何かのイベントの舞台に登場する映像を使っていたが、画面には冨田代表が一緒に映っていて、「ん?何のイベント?TMSF?」と思ってしまった。

しかしながら、この極めて困難な局面で、全トヨタを率いる重責を担う立場に就いた後、社長の「個人の嗜好」が経営判断に影響を及ぼすと考えるのは、適切ではないだろう。

私自身は、経済危機の前から、「トヨタ2010年撤退説」を唱えていて、「1勝して、1年前倒し撤退」が今季のトヨタの目標だろう、と推測している。
Category :  自転車
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amazonのレビューの中に、アメリカ人のゴーストライターのやっつけ仕事で、ブリュイネール自身の肉声ではない可能が高い、という指摘があるが、自分程度の初心者レベルの人間には、得るものはあるので、読んでもいいと思う。
時期的に、タイミングがよい。ランスとコンタドール2人を抱えたブリュイネールはこれからどう振る舞うのだろう?ブリュイネールの人間像や人間関係の情報は、なんであれ欲しい。

07年ツールの第19ステージ・ITTで、コンタドールの後ろにつけたチームカーの助手席に乗ったランスが、(チームカーを運転する)ブリュイネールがコンタドールに「落ちつけ!」と指示する隣で、「行け行け!」と正反対のセリフを叫んでぎゃあぎゃあ大騒ぎしていた描写が本書の中にある。

2年後に、まさかランスが現役復帰して、ツールに出る、と言って、コンタドールが「エースは自分だろ!」と揉める出来事が起こるとは、当時は誰も思っていなかったよなあ。



「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」を読み終わったとき、「この人の前では、ミヒャエルはとるに足らない」と思った。
ミヒャエルの熱狂的なファン(客観的にいってそう)をやっている最中の自分が言うセリフだから、いかにインパクトが巨大であったかが判る。

そのくらいの人なので、今回の復帰は、楽しみより、不審・不安の方が強い。あれほどまで負けるのが嫌いで、徹底して勝ちに拘った人が、勝ちを狙わずにツールに出る?
時と共に人は変わるとはいえ、やはり、まだ、釈然としない。
幸い、来月早々、Jスポは、ランスの出場するレースのTV放送をやってくれる。見ていくうちに、おいおい判っていくだろう。
ちなみに、2月から自転車ロードレースを見るというのは、自分は初めて。
Category :  展覧会
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■加山又造展  (国立新美術館)

年明けのこの展覧会のために、年末実家に帰ったとき、時間を作り、全集を読んだ。
実家の書棚には、1989~1991年に学研が出した5冊の全集がある。配本が始まったとき、1冊目を私が買って母にプレゼントしたら、その後、母が残りを自分で全部買って揃えた。
1冊1万円したから、専業主婦の母には気軽に買えまい、と此方は気をきかせたつもりだったが、1冊手に入ったら、他も欲しくなってしまったらしい。
1冊目を渡すとき、私は、「あとで私も見せてもらうわね」と告げた。母が亡くなった後、全集は当然に私のものになった。

今まで、絵を見るだけで、解説の部分は読まなかった。
私は長く、絵画を見るとき、解説をあれこれと読む趣味がなかった。展覧会へ絵画を見に行き始めたのは京都に下宿した大学時代で、私にとって市美や近美へ展覧会を見に行くことは、お寺へ建物や庭園や仏像や紅葉や桜を見に行くことと一緒だった。
山の姿が見えず、見渡す限り平坦な灰色の大都会で育った私の目に、京都はこの上なく美しかった。山々も川も木々も、町並みも、日々目に映るものすべて、これほど美しい所があることに感嘆した。
「美しい」と心底感じることを、京都で暮らしたときに知った。「美しい」と感じるとき、知識は何も要らない。

加山又造も、素晴らしいと自分が思えばそれでいいのであり、解説を欲しなかったが、年を経た今、展覧会へ行くに際し、「視野を広げる」ことをしてみよう、と思った。
知識を得ると、それに基づく解釈が可能になる。感覚だけでなく頭で楽しむことができるようになる。

全集は、今回の展覧会に近いジャンル分けがされている。屏風絵の巻のページをめくって絵を見始めてすぐ、「琳派だ」と左脳が指摘した。
全集を買った頃の自分は、琳派というものを知らなかった。宗達や光琳の絵は見ているが、個別に見ているだけで、其々の関係性を知らず、歴史の流れ全体の知識を持っていなかった。自分は西洋美術史には関心を持ったが、日本美術史には無関心だった。
琳派の本を数冊読み、琳派の展覧会に行った後の今の自分には、加山又造の屏風絵に、宗達の図柄を認めることができる。
そして、作者本人の言葉や解説を読むことで、その裏付けがもたらされる。

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記憶を弄ると、自分は、20年前も、「加山又造は天才」と思っていたような気がする。
自分の日本画鑑賞のスタートはご多聞に洩れず東山魁夷で、その頃有名な日本画家には一通り目を向けた。その中で、加山又造を、自分の中で、特別なポジションに置いたふしがある。

特定の作品から受けたインパクトの大きさか、それとも他の作家ではみられない、画風・主題のバリエーションの幅か、他に何かあったのか、今となっては定かでない。

今回、展覧会場にいる間、様々な感想が頭の中を飛び交っていた。

・自分が加山又造を表現する言葉は、今も「天才」(もしくは「才」)になるのだろう。加山を見ると、他の日本画が一気に色褪せる。
・でも、美術史の知識を持たなかった頃に新鮮に目に映ったであろう琳派風は、元祖を知ると、評価を見直すというか、改めて検討したくなる。
・水墨画も、加山自身が述べたように、過去に長い歴史の積み重ねがある。キャリアの終わりの頃に水墨に辿り着くというのは、先週見た田淵俊夫もやっていて、日本画家のパターンの一種か?
水墨は、素人目には、それなりに魅力的にみえるものを作ることは多分さほど難しくない。だが歴史上の作品の知識を持っている人間の目にははたしてどうか。見る側の鑑賞力を露骨に反映しそう。

・加山は、京都に生まれ、父親は京都西陣の図案家で、幼い頃から父の仕事を見て育った。それゆえ「図案化」という意識を常に根底に持っていた、という記述を、全集で読んだ。
非常に興味深い話だ。加山の才、と自分が思ったものは、彼個人の異能ではなく、京都で脈々と受け継がれてきた伝統の上に養われたものとみなすべきなのか?

加山の作品群は、彼に至るまでの日本画の歴史を振り返り、流れの把握をしたいという自分の意識を強めた。

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個別の作品について少し。

・春秋波濤
チラシ及び公式サイトのトップに使っている代表作のひとつだが、写真で見ていた範囲では、魅力を感じなかった。
実物を見て、わかった。
これは、「屏風である」ことが前提なのだ。
屏風は、折り曲げて立てる。六曲の面に角度が出る。べたっとした平面写真ではピンとこなかったわけだ。
全体の構図のバランス、様々な技巧、考えに考え、技を駆使し、作り上げた世界が燦然とオーラを放つ。

・裸婦シリーズ
20年前は、興味を持たず、ささっと通りすぎた。
今の自分は、興味をそそられる。
当然に加山自身の女性観を反映しているわけで、75年のレースの習作から86年の桜のシリーズまでの変化に、彼自身の変化を想像する。
裸婦シリーズを前にして出てくる感想は、想像というより妄想に近くなる。ああそう、男性の感想は女の自分とは全然違うのだろうな、とちょっと可笑しくなる。

・生活の中に生きる美
私は心のどこかで、芸術というものが、壁に掛けられる独立した「タブロー」ではなく、襖絵や天井画、そして日用品といった、「日常の生活の中に存在する」スタイルに対する憧れを持っているのだろう。「美術工芸品を見るセンスに欠ける」自覚があるから、ないものに憧れるのだ、多分。
加山がさまざまなジャンルに手を広げたことを、ひとつの理想と感じるのはそのためだ。

最後の展示品、祇園祭山鉾南観音山の見送りの綴織を見たとき、祇園祭をもう一度見に行こうかな、という気分がふと起こった。
もしも、余命1年と言われたら、きっと私は、死ぬ前にもう一度京都の地を訪れておきたい、と思うだろう。私の人生において最も美しいと思った地であり、京都で知った美は、そののちもずっと私の意識の深い所に残り続けているから。

展覧会公式サイト


Category :  展覧会
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■japan 蒔絵  (サントリー美術館)

展示品に見入っていると、気づかぬうちにガラスケースに近づきすぎ、メガネの縁がガラスに「ガツッ」。
いかん、気をつけねば。
暫く経つと、熱中して忘れてしまい、また「ガツッ」。

ああ。
でも、私だけではなかった。
国宝級の逸品、マザラン侯爵家の櫃に張り付いて見ていたら、「ガツッ」。
自分ではない。目を上げれば、向いと横に、メガネをかけた女性。

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私は、工芸品がからっきしダメだが、蒔絵だけは、昔から好んでいた。
徳川美術館へ初音の調度を目的に出掛けたのは、高校生のときのように思う。(名古屋に住んでいた時期であることから)

といっても、昨年展覧会巡りを始めてからも、蒔絵だけを目当てに展覧会に出かけるほどでもない、と思っていた。
が、今回の展覧会は、海外のコレクションを中心に紹介するもので、今後機会がそうあるまい、と判断した。
大正解であった。

企画としてハイレベルだったのではないだろうか。京博と巡回で、実質的な企画を手掛けたのが誰なのか判らぬけれど。(こういった事情・情報は、まだ駆け出しのため掴んでいない。そのうちその方面も気にかけるようになるかもしれない)

展示物の一部はチラシ・HPで写真を見ていたが、写真で伝わらない要素が「大きさ」で、小さいものは、手のひらサイズどころか、「小指の1関節」サイズである。
輸出用の製品だけでなく、江戸時代に日本国内で流通していたと思われる、小さくて極めて精巧な小物類がズラリ並ぶ。おままごと道具に通じる愛らしさで、女心を直撃する。マリー・アントワネットがコレクションしたのも道理、観覧客の中の若い女性たちが悦んでいる声が聞こえてきた。

サントリー美術館
展覧会公式サイト

■今後の予定

サントリー美術館の次回は「三井寺展」で、図録をすでに売店で販売していた。見本の中身をチェックし、行かないことを確認する。
普段公開しない秘仏を出す、といわれると行かないと損みたいな気になるが、「自分は密教はダメ」である。昔から曼荼羅が苦手で、なぜなのか自分で判らなかったが、仏教の本に少し手を出したら、すぐわかった。
「密教の教義」、そこから出てくる思想・哲学の方向性が、自分には本質的に合わず、拒絶反応を起こすらしい。

今年の展覧会、今後の予定。

・妙心寺 (東京国立博物館)   1/20~3/1 前期 ~2/4
・追憶の羅馬展 (大倉集古館)  1/2~3/15 
・阿修羅展 (東京国立博物館)  3/21~6/7
・新美術館開館記念 速水御舟展 (山種美術館)  10/1~11/29
・「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」  (高島屋アートギャラリー)   9/16~10/12

・ウィーン美術史美術館所蔵「THE ハプスブルク」 (国立新美術館)  9/25~12/14
これは内容を確認してから。(日本オーストリア交流年2009のイベント
Category :  F1
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ホンダのF1撤退の話題、続き。

ホンダの撤退について、経済危機は「きっかけ」であって、根本的な理由は「成績不振」であった、という見方がある。
この解釈を主張するのは、「自らがレースをしている」立場の人に多い。一般世間の人は、不況に恐れをなし、経営上の判断という福井社長の説明に納得し、英断という肯定的評価すらもみられるが、レース界の内側に身を置く人は、公式発言を真に受けない。

R'on2月号のコラムで、柿元氏は、自身の考えとして、「成績不振説」を述べている。

ホンダ経営陣は、09年も戦績が向上する見込みはない、と判断した。この状態での参戦継続は、挑戦するホンダのDNAを、毀損するだろう。
一度F1との関係を断つことで、社内向けのショック療法をかねての完全撤退宣言をしたのだろう。

「社内向けショック療法」という言葉を読んだとき、「前にどこかで読んだことのある表現だぞ」と思った。
どこだろう?少し考えて、思い出した。

92年オーストラリアGPを最後にホンダがF1から撤退した後も、どうしてホンダがF1をやめたのか、その理由が私にはよくわからなかったが、ある日、私の友人の就職評論家で、『就職の達人』の著者でもある赤池博と話していて、はっと気づいた。そのとき、赤池はこう言ったのである。

「リストラを行ったり、社員の意識を変えさせるためには、ホンダのシンボルであるF1をやめるのが一番手っとり早い。そういうことじゃないの」
  「F1の経済学」(城島明彦、P38)

2期の撤退に関して、私は後日に、書かれたものを読んだだけで、当時の状況を知らない。撤退の真相を不審に思った人がどのくらいいたのかも。
この書籍の記述には、バイアスがかかっている可能性が高い。しかし、2期のホンダの活動を、「勝った勝ったまた勝った」と日本の一般大衆が歓迎した他方に、批判的な評価をした人もいたことを、後日に書籍を当たった中で知った。
代表は、無論、中村良夫氏だ。1期の活動の実質のリーダーである中村氏の主張は、強烈な説得力を持つ。

同時に、浮かれなかった人々の記述を読むと、「今回の撤退が、2期の撤退時の状況と似通っている」感を抱く。
さすれば、自分の頭には、こういう発想も湧く。
2期の撤退を見た人ならば、今回の撤退を意外には思わぬし、予想すらできたのではなかろうか?
経済状況が悪くなっても、ホンダは撤退しない、するわけはない、撤退するならトヨタが先、という思い込みを、人々はなぜ、したのだろう?
前回、不況に突入するやいなや撤退したのに?

この疑問の回答は、「バイアスが存在した」ということになるのか。

1/19のエントリの中に、自分で書いてから、はっとなった文章がある。
「メディアが世間に広めるホンダのイメージは虚像である」

何の気なしに書いたが、これは、「世の中に流布した『英雄・本田宗一郎』像は、世間一般にうけるように副社長藤沢が作った虚像であって、実像ではない」という中村良夫氏の主張の影響を受けたものだったのかもしれない。
ひとりぼっちの風雲児」(中村良夫)

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CG2月号とAutosportsNo.1190のホンダF1撤退に関する記事を読み、自分の積年の不審に対するひとつの回答が浮かび上がってきたように思った。
「ふむ。こういうことだったのかもね」と。

CGは、1年前からホンダの特集を予定し、そのために福井社長に対するインタビューも申し込んであった。インタビューが実現したのは、F1撤退発表記者会見の9日前だった、とある。
12/5の発表にCG編集部は驚き慌てたが、ホンダ特集の予定は変えず、社長のインタビューも掲載することを決めた。

私の目に留った一文を挙げる。

「本田宗一郎以来、うちのトップは代々技術屋です。ただね、私なんかは経営全体がわからない。だから、副社長がいて会長がいて、専務クラスがいて、集団経営をしている。でも、最終の意思決定をするのは私です。やっぱりその方がホンダらしい。経理や経営より商品、これがホンダですよ」

AutosportsNo.1190の記事で黒井尚志は、撤退決定までのホンダ社内の動きについて次のような推測を述べている。

社内には早期撤退派が存在したが、F1は、役員の誰かではなく、「福井社長のプロジェクト」であるゆえに、表向きにその主張はできなかった。
役員会で、F1継続に関して議論が繰り広げられることはなかった。社長がやるといったらやるのである。そのため撤退派は、ひたすら福井社長の決断を待っていた。「社長の面子を保ちながら撤退できるタイミング」がやってくるのを期待して。
昨秋の急激な景気悪化で、社内では撤退の雰囲気が高まり、その中で、社長がついに決断した。
根回しも何もない社長ひとりの決断だから、情報が漏れなかった。社長が前もって話したのは、現役役員では大島担当役員だけ、あとは第3期を始めた川本元社長ではないだろうか。

黒井氏の記述は、大企業に対する批判精神ゆえに、ときに事実を外すときがある。今回の記事も、個別の事柄の記述の信用度は疑ってかかった方がよい。
しかし、氏の記事の「主旨」は、自分がこれまでに仕入れた様々な情報を総合したとき、辻褄が合う。

「ホンダさんのF1をやるスタンスて、専ら『自社の内側』に目を向けていて、長期的なビジョンを持たず、40年経っても、『自分がレースをやりたいからやる』だけしか言わない、『コドモの思考』で止まったままみたい」

上は、2005年8月に自分が書いた文章だ。(05/8/19 覚え書き
本質的な部分で、この解釈は合っていた、のではないか。

福井社長は、川本社長と同じように、レースを愛し、F1をやりたかった。だから、やり続けた。
第3期活動は、総括すれば、「失敗」に終わった、と評することができると思う。
失敗の本質を述べるなら、ホンダにあったのは、「福井社長をはじめとする一部の社員の『F1やりたいという気持ち』」だけで、「運営実務を担う能力を持つ人材」がいなかったこと。

第3期の準備段階とBARとの提携の時期、ホンダの人は表で、「自分たちはチーム運営には興味がない」と公言し続けていた。
つまり吉野社長時代のホンダの社長・担当役員は、この点の自覚はあった。(但し、エンジンを作る技術は通用すると思っていて、これが過信であったという「自己認識」ができるのは、03年が終了したのちである。・・05/1/25
しかし、2003年に社長職を継いだ福井氏は、この現実に向かい合うことを避けたのではないか。

ホンダは、社内に、F1のシャシーを作る技術も、F1のレース運営のノウハウも持たない。
F1チームの運営ができる人間を持たないし、シャシーを作れる人間も持たない。

ホンダという会社が、「F1でレースをするために必要なスキル」の中で、社内に持っているのは、20年前から現在まで、「エンジンを製造すること」だけではないか。


撤退発表の前に、自分は、メディアが世間に広めるホンダのイメージは虚像である、とこきおろした。(2008/10/6 覚え書き

「経理や経営より商品、これがホンダですよ」
福井社長が、F1を、自社の技術力を磨く場とみなそうが、社員をローテーションして、研鑽の場にしようが自由だが、現代のF1では、「レースに勝つ」という目的に沿った組織を構築し、有能なリーダーが統率し、目標に向かって邁進するチームが、栄華を得る。それが現実だ。

私が判る程度のことを、福井社長が判らなかった、と想像することには無理がある。専門知識を何ひとつ持たない一観客の自分が、自分の方が福井氏よりF1を判っている、と述べるのは思い上がりだ。

判っていたが、どうにもならなかった。
戦績が思うように向上しないことに満足してはいなかったが、だからといって、うつ手がなかった。
実務は、部下と、外部のイギリス人に任せ、彼等を信じるしかなかった。
彼等の報告を信じ、来年は希望が持てる、と前向きに考えて過ごしているうちに、いつのまにか歳月が経った。

そういうことではなかったのか。

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ホンダは、宗一郎の時代から、いつも、「やりたいことをやる」会社だった。
宗一郎は、F1を「やりたいから」やり、川本氏もそうで、福井氏もそうだった。その面を取り上げれば、ホンダ自身は変わっていない、とすら言える。
3人の時代でF1での成果が異なった理由の第一は、それぞれの時代の「外的状況」が異なったためではないか。

2期は、「たまたま」状況に恵まれた。
2期の栄華の年代は、日本のバブル時代にそのまま一致する。ウィリアムズ供給で最初にチャンピオンエンジンになったのが86年。マクラーレン供給での91年が最後である。
バブル時代とは、一般的に、1986年から1991年までを指す。当時の日本では、金があり余って、そこら中に溢れていた。金をもっていく所がなくなり、日本人たちは大挙して海外へ出かけ、金に糸目をつけず様々なものを片端から買い漁った。
大量の金・人・モノをF1エンジンの開発に注ぎ込んだ2期のホンダは、バブル時代の落とし子で、2期の成功は「あの時代ゆえ」だったのではなかろうか。

ホンダ2期の評価を語るとき、この「時代背景」の点をきちんと述べる見解をあまりみかけないが、「自動車メーカー」の活動と成果に言及するときに、経済の観点を身落とすのは、片手落ちだと思う。

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「92年のホンダ」に関して思い出す、私自身が経験したエピソードがある。
運転免許を取る目処がたち、車を買おうとディーラーを回った92年の6月のこと。
ディーラーの中で、一社だけ、接客態度が他所と異なる所があった。

「なに、あの、ろくな接客をしない会社は。他はどこも、一定レベル以上の接客してくれるのに、車のことを知らないど素人の女を相手にしたくない、と見下されたみたい。他に客がいて忙しかったわけでもないのに、あんな営業でよくやっていかれるわね」
翌日会社で男性陣にそう話すと、「ああ、あそこは、特殊だよ。自分のところの車を気に入って買ってくれる人だけ買えばいいと思ってる。だから値引きもしない」
「ふうん。そうなの。ならホンダはやめるわ。シビックがいいんじゃないかと候補の一番にしていたのだけれど、ぜひというわけじゃない。買う気がなくなった、候補から外すわ」

ホンダの国内販売が下降線を辿るのは92年からで、F1撤退のすっぱぬき記事を朝日新聞が書いたのは、この年7月のことだった。
このことと、ホンダのディーラーでの自分の記憶とが頭の中で結びついたのは、ごく最近のことである。

これまでにホンダに関して書いた諸々
ホンダに関して思いついたこと (03/7/16) 
中村氏のF1GP観について (04/2/25)
F1の政治、及びその報道について (05/5/31)
開幕戦最終ラップに、チェッカーとピットのどちらへ向うか、今季の2チームを分ける分岐点になった (05/11/6)
・ルノーは「自動車メーカーとして」F1をやってない (06/5/17)
なんか違うなと思っていたこと (08/10/6)

Category :  フィギュアスケート
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昨日のSOIのTV放送で、自分が最も注意を引かれたのは、イリヤ・クーリック。

姿を見るのが久しぶりだった。CSで放映されるショーの類の番組を見ていないし、ネットで画像や映像を探す意欲もなかったので。ショーの来日公演を見た人の話はちらちらと読んでいた。容姿があまり変わらず、素敵なままだとか。

演技の前にインタビューが先に映り、アップになった顔の老け方にちょっと引いたら、その後の演技に安堵感を覚え、そして、終わって挨拶する顔に、「わっ」となった。
「10年前のイリヤ」そのままだったから。

アルバムを引っ張りだしてみると、写真をけっこう撮っていた。

(以下は、スキャナー取り込みが面倒で、プリントをデジカメで撮るというズボラをしたためボケ写真)

97年国際オープンフィギュア (97.1.4・5 代々木体育館)

RIMG1485(2).jpg
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97年NHK杯 (97.11.30 長野 ホワイトリング)
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98年長野五輪 (98.2.14 長野 ホワイトリング)
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RIMG1478 (2)


彼については、アマ時代、来日した大会をとりこぼさず見ていた。
最初の来日予定は96年のSOIだったが、キャンセルになり、残念な思いをした。T&Dとイリヤという予定を知ったときはドキドキワクワクしたもの。
改めて見ると、3回全部表彰台のまんなかで、それを自分は全部会場で見たという、なかなかの幸運。

といっても、イリヤは自分の「一番のレベル」の気に入りではなかった。その証拠にセレクトテープを作っていない。自分がTV放送から当該選手の演技だけ選びダビングして編集したテープを作ったのは、ビデオデッキを購入した87年から今日までの間に、T&Dとペトレンコとジェーニャの3組だけだ。

96-97年シーズン、「イリヤの芸術点は、点が出すぎでは。こんなに出るレベルには見えない。ジャッジが『ロシア式』が好きということ?ストイコの演技のタイプが嫌いなジャッジが、ロシア正統派のイリヤに点を入れるとか?」と思っていた。

それでも、どうやら自分は一時期にせよイリヤを真剣に見ていたらしい。昨夜のSOIの群舞で、大勢が氷上にいるとき、一番先に彼が判った。遠景で顔が見えず、衣装が同じだと、体型と滑りで見分けをするわけだが、自分の気に入っている人が最初に目に入るものなのである。
Category :  フィギュアスケート
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RIMG1472 (2)

棚を整理していたら出てきたもの。
アエロフロートの機内誌。1999年春の号。

3ページに渡るインタビューが掲載されている。

ージェーニャ、あなたは16歳ですが、スポーツをしていない多くの同年の少年たちより年齢が上だとは感じませんか?

もちろん感じます。私は11歳で私にとっても家族にとっても、とても重要なことを決心しなければならなかったのですから。私にはとても具体的な人生の目的というものがあります。それを達成するために何をしなければならないか、はっきりわかっています。自分を信じ、自分の力で全てを得ることになれているのです。おそらく私はずっと前に大人になってしまったのでしょう。


11歳での決心というのは、ミーシンコーチの指導を受けるため、生まれた町を離れ、一人でサンクトに移り住んだことを指す。
彼は、私が最初に見た14歳の頃から、「妙に大人びた子」だった。顔立ちや身体つきは子供だが、表情が不思議な感じだった。子供らしくない。
ロシアまで現地観戦に行くコアファンの方々がネット上にあげてくださっていたレポートを読むと、感情に波がありそれをストレートに表に出すヤグディンとは対照的に、どんなときもしゃらりとした顔で、機嫌が悪かったり気まぐれだったりすることがなく、いつも淡々と冷静な子らしい。
大きな大会でもナーバスな様子はみせず、飄々として、どこか不可思議な感じの子。

ミーシンコーチが目をかけ、秘蔵っ子として育てていたから、甘ったれでもおかしくないのだが、全然そうではなかった。
彼のひととなりについて自分が知りえたことは僅かだ。ヤグディンは、自分は大人の命令に黙って従うことが嫌いで、敢えて逆らうタイプの子供であったが、プルシェンコは、命ぜられたことに全く逆らわなかった、と自伝「オーバーカム」(2005)で記述した。

ヤグディンの記述を信じるなら、まるでジェーニャは自主性や自立心というものがなく、盲目的にコーチに従っていた生徒のようだが、自分の目には当時、ジェーニャとミーシンコーチの関係はそういうふうには見えなかった。
ミーシンコーチがジェーニャを溺愛していることは明らかだったが、ジェーニャはコーチの過多な愛情をうまく捌いているような感じがした。信頼しているが依存はしていない。

彼は、15にならぬ前から、人生の目標を持っていた。スケートで強くなって、いい戦績を収め、お金を沢山稼いで、家族を呼び寄せて一緒に暮らす。スケートで家族を養えるようになる。
11歳でサンクトに来たとき、周りの生徒はみな自分より年上で、自分は一番ちびすけだった。早く上手くなりたかった。導いてくれる人間はミーシンしかいない。彼の指導で練習して、順調に上達してきた。ミーシンは信頼に値する。だから、彼の言うことに従う。自分にとって一番重要なのは、上手くなることだ。
多分、97年、14歳のジェーニャは、同じときに16歳になっていたヤグディンより、成熟していたのではないか。「オーバーカム」を読んで、そう思った。

この記事の頃、つまり16歳の頃、彼の演技は、ひとつの完成の域に達していた、と思う。
身体はこの1年で大人になり、ジャンプの技術が上がって4-3をプログラムに入れられるようになり、高い技術力に裏打ちされた精緻な表現力に磨きがかかった。

彼は、精神的な面だけでなく、スケートの演技の面でも、「大人になる」のが他人よりずっと早い子だった、と思う。

異様な早熟というのは、当人にとって後の人生の幸福に繋がらないケースがあるが、彼に関してはその心配は杞憂だった。
彼は、望んだもの、五輪の金メダルを手に入れ、ミーシンコーチとの信頼関係を今も維持し続けている。
彼等は、互いを裏切らず、忠誠を守った。彼等ほどに長きに渡って続いた深い関係は、スケート界でそうはない。このことは、彼等2人にとって、この上なく幸せなことだったのではないだろうか。

*一応付記
女性関係には難がある。息子を儲けたのに、別れた妻にとられて、自由に会えない状態。常に誰かいないとダメなたちで(ママの証言)、懲りずに再婚するらしいが、今度はどのくらいもつのか甚だ疑問。・・このへんはもはや私は知らないふり。
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東京国立近代美術館へ。

所蔵作品展は、約3か月ごとに大幅に入れ替えをする。現在の会期は今月12日まで。
見逃すまい、と思った絵は1枚。
オスカー・ココシュカ「アルマ・マーラーの肖像」。

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Category :  自転車
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<JsportsPlus 放映予定>

・ツアー・ダウン・アンダー ハイライト 
2/9   21:00~ 21:30   第1ステージ
2/10   21:00~ 21:30   第2ステージ
2/11   21:00~ 21:30   第3ステージ
2/12   21:00~ 21:30   第4ステージ
2/13   21:00~ 21:30   第5ステージ
2/14   21:00~ 21:30   第6ステージ

・ツアー・オブ・カタール ハイライト
2/21   20:00~ 21:00   

・ツアー・オブ・カリフォルニア  
2/22   20:00~ 21:00   プロローグ
2/22   21:00~ 22:00   第1ステージ
2/23   21:00~ 22:00   第2ステージ
2/24   21:00~ 22:00   第3ステージ
2/25   21:00~ 22:00   第4ステージ
2/26   21:00~ 22:00   第5ステージ
2/27   21:00~ 22:00   第6ステージ
2/28   21:00~ 22:00   第7ステージ

JsportsPlus番組表から。上記は初回放送、再放送有。
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「博物館に初もうで」の宣伝に釣られ、2日に東博へ行ってきた。

お正月気分が一杯で、とても気持ちよく過ごせた。
奏楽堂のニューイヤーコンサートへのはしごを考えていたが、そちらはパス。
イベント複数を観覧し、展示を見たら、それで1日が終わった。

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お花の飾りが見事。正門前の門松、本館前2つ、階段踊り場、どれも巨大で華やか。
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