南の国の太陽、空の色の獅子

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フリードリヒの作品や人物についての直接的な記述ではなく、フリードリヒの作品から、古今東西の様々な芸術作品を連想し、それらとの間に通じる主題を描いている。
著者の提示する概念は「崇高」。
ドイツ・ロマン主義は、かつて自分の趣味の内にあったから、著者の意図は理解できるが、自分にとって、この概念は、「過去の概念」である。

「人間が宇宙の中心にいると感ずることがある」
この感覚は、人が若い時期に、抱く。年を重ねた今の自分には、このキリスト教的世界観よりも、仏教的世界観の方が馴染む。

人間は、世界の中心にはいない。
自己も、真も、善も、美も、すべて空。

本書で言及されているフリードリヒの作品の複数を、自分が見た記憶がないことに、少なからず驚いた。
2005年のドレスデン美術館展に2枚が出品されたとき、長い時間をその前で過ごしたように、フリードリヒは、私が惹かれている画家の1人だ。だが、メジャーとはいえないので、作品をまとめた画集を手にする機会がなかったのだろう。

いずれ少しずつ探したいと思う。すぐではない方がいい。本書に述べられた解釈の影響をなるべく受けないよう、忘れた頃にしたい。

かつての私は、コンスタブルやターナーより、フリードリヒにより惹かれた。
甘美でエロティックなものより、孤独で寂しい輝きを好んだ。
著者が中島敦の文章を引用して述べた「パスカル的畏怖」を、かつて持っていた。
今は失ったが、「崇高」の概念を、かつては、持っていた。
この本は、過去の自分を発掘してみようか、という誘惑になった。
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ツール・ド・フランスの中継を見る楽しみは、自転車レースの他にもうひとつある。画面に映る美しい風景。
アルプス最終日、ふと、「アルプスの山並みの風景」を、意識的に探して、画面を眺めた。なぜそうしたかというと、「どういう風景か、自信を持って頭に浮かばなかったので確認したかった」。

アルプスの山の風景が浮かばないとは、どこか奇妙な話だが、実はそうだった。そして、画面の中にみつけたとき、「そうだ、こういう姿だった」という認識と同時に、私の頭の中に現れたのは、セガンティーニの絵だった。

先日読んだ「フリードリヒ 崇高のアリア」の序章で、著者は、日経新聞の日曜版が、フリードリヒとの出会いだったと記した。
気に入ったものを切り抜いてスクラップブックを作っていた、と。
自分もやっていた。そして自分も、集めたものは手元に残っていないし、どんな絵を集めたのかもほとんど覚えていない。
だが、はっきりと記憶している1枚がある。

セガンティーニの「死」。

セガンティーニという画家を、自分はこのとき初めて知った。
サンモリッツのセガンティーニ美術館にあるアルプス三部作の一枚を、記事はとりあげていた。

画面を覆う青色は、夜明けを指す。「死」を描いたこの絵に、私は強い印象を受けた。

そして、この絵に出逢った後の私にとって、アルプスとは、この絵の中のアルプスだったのではないか。

セガンティーニ美術館(日本語の案内)
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