南の国の太陽、空の色の獅子

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この人にとって、人生イコール、レース。
この人からレースを取り上げたら、何も残らない。
引退後、どうやって生きていくのだろう。


96・97年頃、ミヒャエルについて、そう思っていた。

当時の私は、全身全霊をレースに傾ける彼の情念と努力に感嘆し、賞賛していた。
しかし、いずれは現役を引退せねばならない日が来る。
そのとき、どうなるのだろう。
これほどまで人生のすべてがレースという生き方をしてきた人が、サーキットを離れた後、何をして生きていくのか。
第二の道がみつかるのだろうか。

2006年の一度目の引退後、二輪のレースに参加していると知ったとき、10年前に自分が抱いた危惧は外れていなかった、と思った。

自分の生きていく場所が他に見つからないのだ。

二輪の走行中に、彼は事故を起こしていた。
いうまでもなく二輪は、身体に深刻なダメージを負う事故を起こす確率がF1よりも高い世界だ。




セナの死後、彼のファンだった友人の言葉を聞いて、少し驚いたことを思い出す。
彼女はこう言った。
ショックはなかった。死ぬ予感を此方に感じさせる人だったから。

ミヒャエルは、セナとは違う。
彼は死ぬ人ではない。殺しても死なないタイプだ。

この台詞を吐く他方で、2001年以降、「ある日突然、彼が死ぬかもしれない」という恐れが、心の隅に巣食っていた。

確かに、彼は、セナのようにサーキットで死ぬことはなかった。
けれども、セナと同様に全身全霊をレースに傾け、前人未到の成功を手にした彼に、その先の道がなかったとしても不思議ではあるまい。

そう私に思わせるほどに、彼は、レースを愛し、レースに生きた。


50. このあとのミヒャエルに望むことは
幸せな人生を送ってください。


私の望みはかなわなかった。

願わくは、彼と彼の愛する家族の苦しみが少しでも減じますように。

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ミヒャエル・シューマッハーが昏睡状態を脱して、グルノーブルの病院を退院し、別の場所でリハビリを継続する、とマネージャーのザミーネ・ケームが16日(月)に発表した。
続いて、自宅近くのローザンヌの病院への転院が確認された。

半月ほど前から、私は毎晩欠かさず、彼に思いを馳せていた。
発表がされていないか、チェックを繰り返した。



Kさん。
「シューちゃん、そっちにいっちゃった」と話し掛けることになるのか、といっとき思ったけれど、まだ先だったわ。
たぶん、私の方が先ね。
一緒に、彼が来るのを待つことになりそう。

シューちゃんのテニスへたくそだったねえとか、鈴鹿サーキットの遊園地の正門が閉まった後、よじ登って越えたことあったね、今思うと、よくやったわ、とかお喋りして過ごしましょ。



いま、彼は夢をみているのだろうか。

彼の夢に現れる光景は何だろう。



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Mein Lieber Michael

尻切れトンボにしてあったサイトを整えた。
久しぶりに読み返して、「よくこんなものを書いたな」と呆れる部分もあるが、これほどの思い入れを抱いていた自分は幸せだった、と思う。
今はもはや、こういう文章は、書きたくても書くことはできない。

●アロンソ

2005年の終わりに書いた文章の中に、「私は、まだ、ミヒャエルの幻影を、アロンソの中に見ている。それは、10年前の水色のベネトン・ルノーのミヒャエルを愛した観客の限界であり特権だ」というくだりがある。

7年後の今年の夏、私は、いままた、フェルナンドに、ミヒャエルのかつての姿を見た。
「97年のミヒャエル」を。

1997年、フェラーリ2年目のミヒャエルは、ライバル、ウィリアムズ・ルノー(FW19はエイドリアン・ニューウェイ作)より明らかに戦闘力の劣るマシンを駆ってタイトル争いをし、「ドライバーとしては、ヴィルヌーヴより間違いなく上」と高い評価を受けていた。
あの夏、ミヒャエルの名声は、これ以上ない頂点に高まっていた。

フェルナンドは、ここ数年で、現役最強ドライバーという評価を得るようになっていたが、今夏、真紅の駄馬を駆る彼は、まさに、「勝てるはずのないマシンで勝ち、ライバルの自滅と不運につけこんでチャンピオンシップの首位に立つ」97年のミヒャエルそのままだった。

当時、口に出すことを控えたのは、「97年」の連想は、結末に目を向けたとき、「不吉」な連想であったから。

勿論、たとえ最終戦で同じシチュエイションになったとしても、フェルナンドは「ミヒャエルと同じこと」はしないことに、自信はあった。
築き上げた名声と尊敬を失う不安は、全くなかった。
ただ、この連想は、「今年もタイトルを獲ることはできない」予想を導き出した。

いつか、彼が3個目のタイトルを獲る日が来たなら、私は嬉しい。
しかし、その日が来ても来なくても、私が彼に望んだことは、既に、叶った。
「引退するとき、一番素晴らしかったのは05・06年だった、と私に言わせないで」

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1年前、自分は、かつて帝王(もしくは皇帝)と呼ばれた3人が3人とも復帰する、と個人的に盛り上がっていた。
1年が経ち、全員の1シーズン目の結果が出揃った。

ミヒャエルに関して、私は、シーズン開始時から、どこかで、判っていた、と思う。
ジェーニャ(エフゲニー・プルシェンコ)の復帰初戦を見たとき、他選手全員が頭の中から消し飛んだけれど、ミヒャエルからは、同じ感覚を得ることはなかったから。

ミヒャエルの復帰は、ランスのそれに似ている。とてもよく似ている。
ランスは、復帰時に、3年やる、と言った。彼は、ツール8勝目を獲得するつもりだった。できると思っていた。

1年目に手応えを得、2年目は、自分のチームを設立して臨んだ。その2年目、彼は、自分の望みはかなわぬと悟り、諦めた。

私の認識では、3人の中で、「特別」の度合いが最も高かった選手は、ランスだ。
彼がやれると思ったなら、やれるのではないか、と思った。
けれども、結局、「栄華再び」はならなかった。

多くの先例と同様に、彼ほどのスーパースターも、「実際に負けるときが来るまで、自分の敗北を想定できないし、未練を断ち切ることができない」のだな。そう思った。

ミヒャエルが、ランスと同じ道を辿るだろう、とは書かない。彼に関して、もはや予想は何もしない。
あるがままを、この先も受け入れる。
「何か」が起こるときは、きっとまた、勘づくことができるだろう。

*ランスは、今年が最後のツールと宣言し、来季開幕戦のダウン・アンダーが国際レース出場の最後、と公言している。だが、もし、コンタドールがツールに出場できない事態になったら、「なら、勝てるかも?」と前言翻す、なんてことをしないでしょうね?とふいに思いついた。
それはないでしょ~となりつつ、「この人ならやりかねん」と疑いが残るのがなんとも。

*ジェーニャ
ジェーニャもまた、五輪で金メダルを取ることはできなかった。けれども、「時代の流れを変える」という、「どれほどの天才でもできない」と私が思っていたことをしたのかもしれない、と、今シーズンを見始めて思った。
この件はまた別に。
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鈴木亜久里氏らに16億返済命令 F1活動資金、東京地裁

 2008年に自動車F1シリーズから撤退したチーム「スーパーアグリ」の代表だったレーサー鈴木亜久里氏や運営会社「エー・カンパニー」(東京)などに対し、ばんせい山丸証券(同)がレース活動資金や利息計16億2千万円の返済などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は24日、請求全額の支払いを命じた。

 これとは別に、ばんせい側と結んだ財務アドバイザリー契約料4725万円については、鈴木氏だけに返済を命じた。

 鈴木氏らは、ばんせい側の紹介で石油貿易企業と07年3月に3千万ドルのスポンサー契約を結んだのに、一切入金されず損害を受けたとして、請求全額との相殺を求めていた。

 浜秀樹裁判長は、チームはレース活動資金に窮していたと判断、「スポンサーが契約料を支払う意思がないと分かっていれば、金融会社から借り入れしなかった」とする鈴木氏側の主張を退けた。

 判決によると、エー社は07年2月、ばんせい側を通じて金融会社「野村エステート・ファイナンス」(解散)から15億円を借り入れ、鈴木氏らが連帯保証。野村エステート・ファイナンスは同4月にばんせい側に債権譲渡した。

2010/06/24 【共同通信】


ばんせい証券の話が、「一般F1ファンの目に触れる、日の当たる場所」で語られたのは、08年10月だったと思う。
2008/10/25 : 鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実

それまでは、F1メディアに関わる人間たちは、誰も取り上げなかった。ネット上に情報があったので、「知っている人は知っていた」のに。
スーパーアグリと佐藤琢磨に関しては、「夢と挑戦」のきれいごとばかりを書いていた。

私は、「日本社会はモータースポーツに理解がない」「スポンサーが現れない」の泣き言には、うんざりしていた。
スポンサーになる日本企業が現れないことを悲しんだり、残念がったり、非難したりするのは、「バブル時代は、大勢の男たちが、君は素晴らしい、と称賛して、金をどんどん貢いでくれたのに、今は、誰も、そうしてくれない。私は、こんなに美人で、才能があって、魅力的だ。男たちから金を貰って、自分の夢を追い求めることを期待されるに値する価値がある。私の価値を認めてくれない今の世の中は、おかしい」という文句を女が言うのと、どこが違う?

スーパーアグリの記事を書いたことのある、日本のF1メディアに関わる人間たちの誰かは、この後、アグリの最後までの顛末を、きちんと書きとどめて、後の時代の人が知ることができるようにしてもらいたいものだと思う。

<関連>
2008/6/1  ビジネスとしてのF1~アグリを巡って

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