南の国の太陽、空の色の獅子

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「聖心女子大学」といえば「美智子皇后の出身大学」という知識しかなく、縁がないと思っていたが、歴史的建造物巡りを始めてから、ここのキャンパスに昭和天皇の后である香淳皇后の実家、久邇宮家の本邸の建物があることを知った。

都内に現存する皇室建築はおよそ洋館だが、珍しいことに、ここは和館である。
学生たちが茶道や華道などの稽古に使っていて、年1回、3月に一般公開が行われている、という。

書籍に載っている写真にさほど魅力を感じなかったので後回しにしていたが、先日ふと思い出し、大学のHPにアクセスすると、おりしも見学予約受付中だったので、申し込み、行ってきた。

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●テンションあがりまくり

自分で呆れるくらいテンションがあがった。
モノそのものは写真に写っているものと同じなのだが、現場に足を踏み入れると、感じ取るものがまったく別のものになる。

写真という二次元情報から、頭の中で三次元に変換する能力が著しく低いのかなんなのか、写真を見て感じるものと、現地・現物を見て感じるものの落差が大きいケースが年々増えている。

今回は、写真から予想したものより現物がはるか上という嬉しいケースで、「上質のものを見ると気持ちがよい」を、堪能した。
草花の描かれた天井画がはめ込まれた格天井や火灯窓は、先日訪問した目黒雅叙園の百段階段を思い出させたが、醸しだす品格が違う。
「見る順番が逆でなくてよかった」、こちらを見てしまうと、百段階段は見劣りして楽しめなくなるところだった。
料亭と皇室の本邸を比べるのがそもそも間違いなのを頭では判っていても。

●皇室の邸宅

明治から昭和初期の時代に作られた皇室の建築物は、その当時の文化と技術の最高水準の反映とみなしてよかろう。
天皇を頂点とする身分制社会の最上部に位置する人々のために国家が作った建物だから、カネと人を惜しげもなく投入したのは当たり前。

昭和20年の敗戦で、それまでの天皇制が終了し、多数あった宮家は皇族の身分を奪われて特権的地位を失い、財産を失い、租税を課され、金銭上の理由で邸宅を維持することができなくなって手放した。

それらの邸宅のうちのいくつかが、現在外部の一般人の我々にも公開されて見ることができるようになっている。

京都・奈良に文化的価値の高い建築が多数残っているのは、日本の権力の中心が長い間あちらにあったからだ。
当代で最も「権力とカネ」を持つものが、文化的にも最高のレベルのものを作ることができる。

だから権力の中枢が江戸に移って以降は、江戸(東京)に最上の建築が作られて、多数残っていてもいいのだが、そうでないのは、江戸時代から密集地で火災が多い上に、繰り返す震災・戦災で焼失が大規模に起こり、折角残ったものも戦後の急激な開発で、壊したりどけたりしたせいだろう。

それらをくぐりぬけて現在残っているものは、所有者が保存の意思を明確に持って修繕や耐震工事を行い、文化財指定を受けているものが多く、おかげで消失の恐れは少ない状態になっている。
だからといって、急いで見に行かなくても大丈夫、と先送りにしていると、いつのまにか大規模な修繕工事をしてえらく姿が変わってしまったり、見学の日程や方法が変わったりといったことが起こるので、興味を持ったら早めに行くのが正解である。

●久邇宮

戦前の皇族に興味はないので、久邇宮といわれても「誰だ、そりゃ」だが、「昭和天皇の皇后の実家」といわれれば、「ああ、あの人の」となる。

あの人に関しては、皇太子妃に決まった美智子さんが平民の出身であることが気に入らず、結婚後も美智子さんに辛くあたって、美智子さんが苦しんだ、という母から聞いた話が最初に思い浮かぶ。
昭和天皇も、君主然とした尊大さが鼻につき、姿が目に入ると否定的な感情を惹き起こす人物だった。
(そもそも、総力戦の戦争に負けて国が壊滅状態になったのに地位に居残っている神経が理解できない、という意識が強かった)

この悪印象が少し訂正されたのは、自分が成長して、彼等の尊大さの原因は彼等個人にあるのではなく、そうなるような環境に生まれて育てられたせいだ、と認識した後である。

香淳皇后(良子女王)は、久邇宮邦彦王の第一王女として生まれ、14歳のとき皇太子妃に内定した。内定に伴い学習院女子部を中退し、久邇宮邸内に造られた学問所で、お妃教育を受けて過ごした。結婚したのは6年後である。

学問所は「お花御殿」と呼ばれ、建物は現在、都立駒場高校の校内に移築されて残っている。
・・という話を、復元した良子女王の部屋の前でガイド役の学生さんから聞いて驚いた。

都立駒場高校という名が出てくるとは思いもしなかった。
私は中学時代、この高校が憧れで、行きたいと思っていた。長い間忘れていた。今頃になって名を聞くとは。

なぜ、都立高校に、宮邸の建物があるのだろうか。
帰宅後に調べると、駒場高校の同窓会のHPに記述があった。

都立駒場の前身は府立第三高女(東京府立第三高等女学校の略称)で、戦前からの高女の名門校だった。ナンバースクールは設立順に番号がふられていて、第三までが明治時代に設立されている。
設立時は麻布にあり、久邇宮邸が近かった。

「下賜」された、とあるが、皇后陛下がご勉学に励まれた場所の建物をいただく、という趣旨で、恭しく頂戴した、といったところだろう。昭和8年なら、そういう時代だ。
「生徒及び教員の必死の防火活動により大空襲の戦火から焼け残った」とあるが、美談でもなんでもない。陛下から頂戴した大切な建物は、命に代えても焼いてはならぬ、死んでも守れ、逃げてはならぬ、と命じられた結果にすぎまい。

現在、仰光寮という名称で保存・管理され、学園祭のときに内部を公開しているそうである。

良子女王は、成婚の際、本館の唐破風の車寄から、十二単を着て宮中へ出立した。この車寄が今も残っている。(最初に載せた写真)

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昭和記念公園は、紅葉や花の見どころスポットとして知られるが、あまり興味をもてず、初訪問が今頃になった。

そそられなかったのは、米軍基地の跡地だから、土地が平坦で高低差を望めぬし、歴史がなく人工的な作庭で、趣に欠けるだろう、と思ったため。

行ってみて、どうだったか。
確かに、池はどれも「作りました!」みえみえ、丘は「盛りました!」みえみえ。
平らな土地なのは如何ともし難い。
しかし、樹木の成長は速く、30年あればそれなりに根付き、公園として充分なレベルのものになっていた。

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立川駅で下車、公園の東端の出入口(あけぼの口)から入り、西方へ進むと、最初にススキの波がお出迎えする。
正面には、雪を被った綺麗な富士山があった。
(空の色が薄くて写真にはうまく写らなかった)
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見頃を迎えていたのは、銀杏。
「西川口カナール」と「かたらいのイチョウ並木」の二ヶ所に並木がある。
上はカナール横の並木。

遠方から一瞥して、四角に整形した並木の景観に違和感を覚えた。
写真に撮るとそれなりに絵になるが、実物は何度見てもおかしい。

高さが不自然に低すぎる。
樹形としてバランスが悪い。
上部を無理矢理「ぶったぎった」としかみえない。

フランス式庭園のつもりにしても妙なことよと不審を抱き、帰宅後に調べて、これには「明確な理由」があったことが判った。(後述する)

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並木の間の歩道は、落葉が散り敷き、黄金の道。

ちなみに、この一枚を撮ったときの私の横には、大勢の人がずらりと並んでカメラを構えていた。
人のいない光景を撮りたいと、一箇所でしゃがみこみ待つ人がいると、「私も」と倣う人が出る。
同調者の数が増えると(自分もその1人)、この「シャッターチャンス待ち集団」に配慮し、突破して進んでいく人がいなくなる。

反対側からやってくる人も途切れ、「よし今だ」となったとき、一斉にシャッターが切られ、次の瞬間には、足を止めていた人々が一斉に動き出した。

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メインエリアの西立川口近くにある「水鳥の池」。
遠方からは風情があるようにみえたが、水際の「眺めのテラス」に行ってみると、「人工です」みえみえ。

とはいえ周辺はプラタナスやケヤキが林を作り、秋の光景が広がっていて、充分に心を満たしてくれた。

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園内に、見晴らしのよい高台はほとんどない。
「花の丘」の上、「日本庭園」の裏手に当たる場所に、そのひとつがあった。
日本庭園を眼下に、園外の市街地を遥かに望める。



この公園の東側隣地は、立川飛行場である。
当然、「騒音」が聞こえてくるだろう、と思っていた。

午前中、数回ヘリの音が聞こえたが、ほとんど気にならなかった。
取り越し苦労だったか、と思ったら、昼を過ぎると様相が変わった。

バラバラバラバラというヘリコプターの音が継続して響いてくる。
空を見上げても姿が見えず、音だけのときが多い。
上を通らなくても、隣地で発着すれば、これだけ聞こえるか。

これだと公園周辺の住宅は相当やられるな。

ここから北西方向約6kmの所には、横田基地がある。
横田の発着機は上空を飛ぶのだろうか。

広大な「みんなの原っぱ」の端のベンチで休憩しながら西の空を眺めていると、北方から南方へ離陸した機体が旋回しながら上昇し、北へ向かって去っていくのが見えた。
その後、南からの着陸機の姿もみえたが、私の滞在中、此方の方角にやってくる機体はなく、騒音もなかった。

帰宅後に調べると、横田基地の騒音エリアは、南北に貫く滑走路を延長したエリアで、東方の立川市は含まれない。
立川市で問題になる騒音源は、立川飛行場。

紅葉を見に行った先の観光地で「航空機騒音」に注意を払う輩は珍しいだろうが、なにせ、羽田空港の新ルート下になり騒音被害を受けることが決まっている居住民の身である。

昨秋、北鎌倉に紅葉を見に行ったとき、降り注いでくる航空機騒音に気づき、「神奈川県内に空港はないはず。どこを使う飛行機?」と空を見上げた。

谷あいで、見える空が少ないため、音が聞こえても、なかなか機体が見えない。
次に見えた機体が向かう方向を認めたとき、頭の中の地図を辿って気づいた。
「北西。この先にあるのは・・そうか。厚木だ。
とんできた方向には、横須賀があるな」

鎌倉は環境良好というイメージがあったが、アウトである。
騒音回避を目的とする移住先エリアの候補リストからはさっさと除外と相成った。

昭和記念公園の話に戻る。
カナールの銀杏並木が低いのは「立川飛行場の飛行ルートにあたるための高さ制限による」という記載をネット上でみつけた。

確かに、南北に伸びる滑走路の延長上のエリアである。

好きで低く刈り込んだのではなく、「止むを得ず、ぶったぎった」らしい。

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星薬科大学は、年2回、一般市民を対象にした公開講座を開催している。
このとき、アントニン・レーモンド設計の本館(1924年築)の内部も見学できる。

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内部を見て、私が最も興味をひかれたのは、「スロープ」だった。

3階建ての大規模な建物の中には階段が無く、各階はすべてスロープ(傾斜路)で繋がれている。

正面の主階段のデザインは、前もって写真で知っていた。
背面にある2本の階段室の内部を覗き込んだとき、こちらもスロープであることを発見して、そういうコンセプトなのかと気づいた。

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この建物は、レーモンドがライトから独立してからまだ間がない頃の作品で、部分部分にライトのデザインの影響がみうけられる。
スロープの白黒ラインのデザインもライト調だが、「スロープそのもの」は、ライト調とはいえない。
先達がどこかにいるのか、少し調べてみたが、現時点では発見できなかった。
独自のアイデアなのか、そうでないのか気になる。

2001年に建てられた新館、新星館は、7階建てのビルだが、中央の吹き抜けの中を、長い階段が横切っている。
まるで、本館のスロープを模したかのように見えた。

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星薬科大学は、星製薬の創業者・星一が社内に教育部門を設けたのが始まりで、星製薬商業高校の設立時に、星がレーモンドに校舎の設計を依頼した。
「星形」のデザインを、ドームの下の講堂の天井や、講堂に設置された椅子の側面にみつけることができる。

こちらは東京大学の安田講堂の椅子の側面

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竣工時は、建物内に講堂の他、講義室、体育室、プールを備えていた。
経年と共に体育室やプールはなくなったが、大学は、きちんと改修工事を行い、大学本館としての機能を維持して使用を続けている。

土曜日の午後、学生さんの姿は少なく、人気なく暗い建物内の廊下を遠慮なしにぐるぐる歩いていたら、ひとつの教室では講義の真っ最中で、邪魔にならぬよう足音を忍ばせて通った。

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<放射2号線計画問題>

さて、この星薬科大は現在、「キャンパスのど真ん中を、新設の25m道路が貫通する」という危機に面している。

東京都が事業決定した「特定整備路線 放射第2号線」のルートは、本館の正面の少し先で、既存建物には被らないにせよ、元々狭い敷地が減少・分断されてしまい、大学の機能に支障をきたす、と大学側は実施の変更の陳情をしていた。(大学と計画道路の位置関係

都側は「計画があることは、そちらも充分知っていましたよね。今更苦情を言われましても」という言い分なのかどうかは知らぬが、お構いなしに事業を進めている。

大学のHPに掲載された「東京都に対する大学としての機能の維持に関する陳情~放射2号線計画~」の中の

なお、本計画の起源となっている都市計画(昭和 21 年 3 月 26 日・戦災復興告示第 3 号)について付言いた
しますと、本来であれば、当該都市計画が決定される昭和 21 年の段階で、本学より都市計画法上の適正な手
続きを経て意見書等を提出すべきであったと思われますが、同時期はアメリカ進駐軍が本学の敷地及び校舎を
接収しており、本学から意見を申したくても出来なかった事情(接収時期:昭和 20 年 9 月 28 日~昭和 24 年 7
月 15 日)があり、本学には当該都市計画策定に関する手続保障がなかったことをご斟酌戴けますようお願い致
します。

の一節を読んで思った。

戦後の混乱期、接収されて追い出されていた時に決められた都市計画が今頃実施なんて勘弁してほしいと言いたくなるのは道理。

レーモンドが設計し清水建設が建てた鉄筋コンクリートの校舎は、規模から何から「そりゃ米軍に接収されちゃいますよね」となる建物である。
創業者が立派なものを作ったのが仇になったといったら語弊があるか。

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建築好きの間で自由学園といえば、目白の「自由学園明日館」が著名である。
フランク・ロイド・ライトとライトの弟子の遠藤新が設計した建物は、現在は学校の校舎としては使われておらず、一般に公開されている。
自由学園明日館公式サイト

学校の移転先の「南沢キャンパス」は、明日館から西へ約10kmの東久留米市にある。(池袋から西武池袋線急行で約15分の「ひばりヶ丘」駅下車徒歩8分)

都心の狭い敷地の明日館と異なり、広い敷地に幼稚園から大学までの校舎が点在する。
建物の設計者は、遠藤新と新の次男・遠藤楽で、5棟が東京都選定歴史的建造物の指定を受けている。

明日館の建物の内部のデザインに非常に魅力を感じたため、似た傾向の建築群らしき南沢キャンパスも見学したい、とかねてから機会を窺っていた。
今年、緑の美しい季節に、見学会に参加することができた。

現地を訪れて印象深かったのは、第一に「キャンパス全体の景観」である。
味わいのある建物群が、豊かな緑と調和し、心地よく美しい景観を生み出している。

この心地よさを写真に撮って記録しようとしたが、写真では「雰囲気」を写し取ることがなかなかできず残念だった。

●女子部

明日館に通じるデザインをみつけられるのが女子部の建物。
上の写真が食堂。中庭を挟んだ体操館から撮ったもの。
内部には、明日館と同様、年季の入った木製の椅子とテーブルが並ぶ。

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女子部は学校敷地の北側で、南側に比べて10㎡ほど低くなっている。元は田圃で、水はけが悪い。
西側の少し高くなった場所に講堂、中央北に食堂と教室、南側の低地に体操館と広い芝生地を配している。

遠藤新の特徴を感じられる講堂

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食堂に連なる教室棟
懐かしく馴染みのある昭和の香りを漂わせる木造建物
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体操館を北側から
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南面
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水平のラインを強調し、地に這うように芝生と一体となったデザイン
(ライトの提唱したプレーリースタイル)
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●初等部

敷地の北側は、縄文時代の集落跡で、竪穴式住居跡や土器片が出土している。
その上にあるのが初等部で、建物は、平屋の教室棟と食堂棟から成る。

教室棟
エントランスの大谷石を積み上げた柱は遠藤新の特徴
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食堂棟
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内部のデザインは、女子部食堂と通じる。白壁に木の水平のライン。
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●男子部

男子部は女子部の後に建設され、経済上の問題で規模・デザイン共に女子部より劣る。
そのためか、あるいは予定の見学時間が迫ったからか、内部見学はなく外観のみ。

正面は体育館。両翼の1階にはアーチがあるが、植栽に隠れて見え難い。
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●ここで学ぶということ

見学会の参加者の中に在校生の親御さんがいらして、会話を交わす機会を持った。
一般の学校とは大きく異なる独特な教育方針の学校生活について、具体的な話を色々伺い、感心することしきり。

人によって向き不向きはあるし、賛否あるだろうが、「こういう教育を受けていたら、自分ももっと違った人生を送れたかも」と一種羨望のような台詞が口をついて出た。

昭和初期に建てられた木造の建築群が、当初の姿を留めて保存され、今も現役の校舎として使われているのは、この学校の「普通でない」教育理念によるところが大きいのだろう。

校内を行き交う生徒さんたちの姿を見ながら、彼等の多くは、自分の過ごした学校が特別な場所であったことに、大人になった後に振返って気づくのだろうな、と思った。

自由学園公式サイト

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国会の主戦場のひとつ、予算委員会の開かれる衆議院第一委員室。
TV中継で馴染みだが、TVで映るアングルはいつも決まっていて、バリエーションがない。

で、TV放送では映らないアングルの写真を撮ってみた。
天井が高く長細い部屋の片端に柱を立て、階段状の2階が作られていて、報道席と傍聴席として使用されている。

NHKのカメラは、2階の右寄りに設置される。
「衆議院のカメラ」は、部屋の四隅の棚上に設置されている。

2階の後ろの部分が傍聴席に割り当てられている。
この2階席をカメラが映すことは通常なく見慣れないが、今回(5月8日)、籠池氏が傍聴席に入ったことにより、TVに抜かれた。

傍聴席の下の1階スペースは記者席で、長机と椅子が並べてある。
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審議中、発言者が、ちらちらと斜め上方へ視線を向けることがあるが、あの視線の先には、時計がある。
バルコニーの中央に大きな丸い掛け時計があり、あれで時間を確認しているのではないだろうか。と、現地を見て思った。

自分が内見してきたのは、5月3・4日に行われた特別参観。
通常の参観コースでは通らない場所数箇所に入れるとのことで行ってきた。

特別公開の一つがこの第一委員室である。
部屋内では、衆議院の職員の方が待機し、参観者の整理・案内をしたり、質問に応えたり。

「思ったより、(質問席と答弁席の間隔が)近いね」
「ほんと、この距離で面と向かうのは、けっこう凄い」
と参観者たちが気侭に口から出す感想や、
「籠池さんが座っていたのはあそこ?」
等の質問に、親切丁寧に答え、色々教えてくれる。

今日の場内には、日常の参観の案内を務めている衛視さんだけでなく、別の業務を行っているとみうけられる職員の方多数が動員されて、臨時に、大量の参観者の応対をしているという体であった。
連休中の休日出勤で、いい役回りとは思えないが、どの方も、気さくで、親切で丁寧だった。

「連休明けの8日からここで集中審議があってTV中継されますから、ご覧下さい」
という案内に、参観者も和やかに盛り上がっていた。

●「第一委員室」

ん?「第一委員室」では?と思ったが、「会」抜きで正解。

参議院は「第一委員会室」。
衆議院は「第一委員室」。
両院で呼称が違う。

.●権力の舘

久しぶりに国会内に入って、思った。
『権力の舘』を絵に描いたような空間だな。
国会議員になって、ここに出入りできるようになると、自分が『権力を持った』という勘違いの全能感を持ったとしても不思議なさそう。
これを作った時代は、こういう威圧感のあるものにしたのは判るが、今作るなら、こんなもの作ったらいかんわ」

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