南の国の太陽、空の色の獅子

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●かつての環境が戻ってきた気配

自分のみたところ、前回とは客層のかなりの割合が入れ替わった。
新たに席を埋めたのは、羽生君ひとりを応援するファンではない。

確かに羽生君目当ての人数は多い。しかし、「お目当てに集中して、他の選手や種目に興味を持たない」度合が低い。
以前は、昼間のアイスダンスの競技中は、1階中央の高額席種に空席が目立った。
夜のシングル競技の時間帯だけ満席になるのが、通常の光景だった。
今回、昼間のアイスダンスから空席が少なかった。

歓声・応援は、羽生君に対するものが最も大きいが、かつての高橋君に対するものとは比較にならない。
私個人の印象では、過去25年を通じて、高橋君に対するソチ前の時期のものは「異常」なレベルだった、と思う。

今回、外国人選手たちに対する歓声も、非常に大きかった。
各国の国旗が客席で打ち振られ、中でも際立って大きかったのはロシア人選手たちに対するものである。

キャンデローロフィーバーしかり、ヤグプル時代しかり、かつてフィギュアスケート会場には、外国人選手が目当ての若い女性たちが押し寄せていた。
日本人選手が活躍し始めて以降、年齢層が上がってゆき、今では中年女性が多数を占めるようになった。
しかし、今回、当日券の列に並ぶ女性たちは、一見してそれらの層より若い年齢層だった。

TV放送で映った1階の観客は、以前と同様の中高年齢層だったが、若年齢層が増えたことは間違いないと思う。

尚、昨年のさいたま世界選手権、男子SのFPで、全選手中最も大きな声援を受けていたのはアボットだった。羽生君も含めた中で。
(但し、これは会場のほぼ天井の席にいた自分の耳に聞こえた印象で、別の感じ方をした人もいるかもしれない)

●国別対抗戦は無い方がいいのか

当日券の列に並んでいるとき、周りの方々と少し会話を交わした。
中に、「国別対抗戦は選手にとって負担だから無い方がいい」と述べた方がいた。

この意見は、この大会の発足前からスケートファンの間で根強くある。
私もそのひとりだった。
だが今は、別の意見を持っている。

国別対抗戦は、確かに、明確なデメリットを持つ大会だ。
しかし、デメリット「だけ」かといえば、そうではない。
だから、「無い方がいい」と切って捨てる意見は言わない。

物事は、一面ではなく、複数の視点から考えた方がよい。

国別対抗戦を肯定的にみなす第一の観点は、「日本のフィギュアスケート競技の振興」だ。

「競技の振興」は、競技の関係者とファンにとって、「本質的」で「普遍的」な願望といってよいと思う。

日本国内で開催する国際大会が増え、来場観客が増え、TV放映が増えることは、競技に対する人々の関心を高め、競技人口の増加と、競技力の向上に貢献する。
すなわち、競技の振興に益になる。

ISUが開催を認めてくれるなら、大会を開催しない道理はどこにもない。

この論理には、選手個々人の利益への配慮はない。だから、選手個人に寄り添うスタンスのファンは賛同しないだろう。

しかし、個人を超越した時間尺度の、「競技そのものの振興」に最上位の価値を認めるスタンスからは、採用することが可能だ。

ほんの10年ほど前まで、フィギュアスケートは、日本においてマイナー競技に過ぎなかった。
世界選手権のTV放送は真夜中で、関東以外では、女子しか放映されなかった。
(関東在住の私はTBSで全種目視聴していて、地方は違ったことを知ったのは後日のこと)

現在でも、TV放送は、一般世間に対して強い影響力を持つ。
地上波のゴールデンタイムに放映されることは、おそらく、ほぼすべてのジャンルのスポーツの関係者の垂涎の的であり、同時に高嶺の花であろう。
他のアマチュアスポーツの関係者の前で、スケートファンが不満を並べたら、「放映される方がいいじゃないか。マイナースポーツの悲哀を知らないのか」と思われるのではないか。

もうひとつの観点。

団体戦の開催は、日本においてまだ振るわないペアとダンスの2カテゴリーの振興に役立つ。

フィギュアスケ-トは4種目から成る。世界のフィギュア大国、アメリカとロシアは、4種目すべてで、トップレベルを誇る。

カップル種目2カテゴリーが弱体なままでは、シングル種目がいくら強くても、真の世界の強国にはなれない。
団体戦の創設は、半ば強制的に、カップル種目の強化を図る効果をもたらしているとはいえないだろうか。

国内の練習環境の劣悪さから、現実的にはカップル種目の強化は難しい、シングル種目に特化した方が効率がよい、という考え方もあるだろう。
努力しても無駄、と判断して強化を目指さないか、理想が遠いのは分かっているが、少しでも近づく努力をするか、どちらの方針を支持するかは、夫々の人の考え方だ。

トリノ五輪後、浅田さん・高橋君らの人気の裏で、カップル種目の地上波とBSでのTV放映は激減した。
BSで行われていたNHKのGPシリーズの4種目均等の放映が消滅し、カップル種目はCSでしか視聴できなくなり、スケートを新たに見始めた人々は、カップル種目を目にする機会がほぼゼロになった。

今回の国別対抗の会場で、「アイスダンスはほとんど知らなかったが、見たら素敵」と感じた観客は、多数いたと思う。
FDの上位2組の演技後は、2階の上方の席までスタンディングオベーションの熱狂の渦が沸き起こった。

(続く)

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羽生さんの中国での件について

・彼は棄権を選ばないし、彼がやると決意したら、止めることのできる人はいない。
彼のこれまでの言動を知っていれば、そのことは自明だった。

・選手本人が出ると主張するとき、強制的に棄権させる「システム」は、現在のフィギュアスケートの競技会には(おそらく)ない。
今回の事件は、競技団体(ISU、日本スケート連盟)が選手の安全管理について検討する契機になるかもしれない。

以上が、当日の私の感想。

その後の報道、人々の意見をみて。
・毎度のこととはいえ、一定レベルの知識を備えるファンと、一般世間の人との言うことのギャップの巨大さはとてつもない。

・脳震盪の危険性についての認識が低い、と強い批判の声があるが、アメリカチームの医師が行った診断の内容と、本人とオーサーにどのように伝えたのかの正確で詳細な情報を得ていない自分は、意見を保留にするほかない。

・「安全性」は、スポーツの世界で常に論争を巻き起こしてきたテーマである。
自動車レースや自転車ロードレースは、「死亡事故は起こるのが当たり前」のジャンルで、論争の激しさの程度は凄まじかった。

私は、アンディが濡れたダウンヒルを下るときはいつも、転げ落ちずにすむことだけをひたすら祈っていた。
順位はどうでもいい。五体無事で家に帰ってこられることが何より大事。
2011年ジロの下りのウェイラントの死亡事故は、私の意識の奥底に存在し続けたと思う。

自分がそういう心理だったので、今回、羽生さんを心配するファンの声は分かる。
ただ、「今のところ」、私のスタンスは、オーサーに寄り添ったもの。

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2013-2014シーズンが終わった。
自分は、世界選手権の現地観戦も叶い、満ち足りた気分で終了することができた。
来季以降も楽しみだ。

男子シングルFSの会場での感想のひとつを記す。
「未来のチャンピオンを見た」
ナム・ニューエン君(15歳)。



さて、五輪の行われた今シーズン、自分が非常に印象深く感じた点がある。
それは、
メンタルのコントロールの成否が、如何に勝敗を左右するか」。

メンタルの重要性は今更言うまでもないことだが、今季、いつにもまして目立った。
多分、インタビューなど情報量の豊富な日本人選手たちの間での差異が極端に大きかったことが原因だろう。
「なるほどねえ」と改めて感じ入った。

自分の思うところでは、「結果を出すためには、己のメンタルのコントロールが鍵になる」と明確に自覚し、コントロールに真剣に取り組んだのが、羽生君と町田君。

2人とも、「最初から」、コントロールできていたわけではない。
羽生君は、生来強いメンタル(自己肯定感が強く、本番で勝負強い)の持ち主のようにみえるが、年若いうちは強すぎる闘争心を制御できず、暴走気味になることもままあった。
今シーズンも、序盤はまだ不十分で、シーズン中一戦ごとに向上していった、とみるものだろう。

町田君は、羽生君とは正反対に、メンタルが弱く、本番で失敗をしてきた選手だった。
そこから一念発起、今年、「弱い自分を克服」し、飛躍のシーズンを実現した。
(「今季を振り返って取り上げるべき選手の名を一人挙げよ」といわれたら、私は、町田君と返答する)

2人の発言を聞いたり読んだりすると、彼等は、「自分を客観視する」ことができているようにみえる。
自分自身を、観察し、客観的に分析し、把握する。
そのことによって、自分をコントロールすることが可能になる。


このメンタル・コントロールの手法は、理論として存在している。
仏教の瞑想や、心理学・哲学といった方面だ。

2人が、自ずから始めたのか、方法論を外部から学び実践したのかは知らぬが、いずれにせよ、メンタル・コントロールを重要な課題と認識して、真摯に取り組んだことには違いないと思う。

この2人の対極にいたのが、浅田さんと高橋君。

私は、この2人の記事をあまり読んでこず、パーソナリティを把握していない。
そのため、浅田さんがソチ五輪のSPでなぜ壊滅的な失敗をしたのか、当初皆目見当がつかなかった。
私の記憶する限りでは、「前回五輪の銀メダリストで、今回もメダル候補に挙げられている、長いキャリアを持つトップレベル(スター級)の選手」がやることではない。

後日、佐藤信夫コーチがインタビューで、原因は「メンタル」だと述べ、彼女のパーソナリティに関する(コーチの)いくつかの描写を読んで、納得に至った。

高橋君のパーソナリティにも疎く、全日本選手権での言動に不審を抱いた。
その後、五輪終了までの発言と態度を見て、「メンタルに問題を抱えた選手」という解釈で解決すると思った。

この2人は、メンタル・コントロールを重要な課題とみなしていたようにはみえない。
自分自身をみつめ、自分と向き合うことを習慣づけていたならば、失敗をした演技後に「自分でも終わってみてまだ何も分からない」というコメントは発しないだろう。

もう一人、小塚君。
最近掲載されたインタビューの中に、こういう一節があった。

――今シーズンを経験して、一番学んだことは何でしょうか?

 自分の気持ちをどういうふうにコントロールするかということですね。


慢性的な故障を抱えた自分の身体をきちんと知り、理解し、ケアに気をつけて練習する、ということを始めたのも、最近だという。



日本人以外に目を向けても、団体戦で注目を集めすぎたリプニツカヤが個人戦では潰れ、団体戦に選ばれず発奮したソトニコワが金メダルを取った女子シングル、GPFでの羽生君に対する敗北でチャンが強烈なダメージを受け、五輪の結果に繋がった男子シングル、と「今回の五輪は、メンタルが鍵になった」という印象を受ける。

メンタルの点で、特筆すべき一人の選手を挙げておきたい。

キム・ヨナは、バンクーバー五輪、ソチ五輪、2回の五輪で、一度もミスをしなかった。

バンクーバーでは、金メダル獲得はまず間違いなかった(ワンミスでも浅田さんに勝てるくらいの評価の差があった)が、金確実といわれる選手にかかるプレッシャーは凄まじいものになる。
彼女は、五輪初出場で、国の期待を一身に背負っていた。
あの境遇でパーフェクト演技をするとは、そのメンタルの強さたるやとてつもない、と当時も舌を巻いたものである。

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ジェーニャを初めて見たのは、1997年の初頭。
世界ジュニアを制した彼は14才だった。

この頃の私は、1年のうち春から秋はF1、F1が休みの冬はフィギュアスケートの観戦を楽しむという生活を送っていた。

1997年10月。
フェラーリ移籍2年目のミヒャエルは、ランキングトップで最終戦ヘレスに臨んだ。ヴィルヌーヴにオーバーテイクされかかったとき体当たりして阻止しようとするも失敗し、タイトルを落とした。(最終年間ランキング2位、後に剥奪)
翌1998年4月。
世界選手権(ミネアポリス)に初出場したジェーニャは、SP2位につけるもFPで3回、転倒した。(4T2回、3A1回)最終結果3位。

1998年11月。
最終戦日本GP。ランキング2位のミヒャエルはPPを取るが、スタートでストール。最後尾スタートで追い上げ中にタイヤがバーストしてリタイア。(ランキング2位)
1999年3月。
世界選手権ヘルシンキ。SPは1位を取るが、FPで4Tを失敗。最終結果2位。

1999年。
7月イギリスGPでの事故による負傷で6戦欠場。(ランキング5位)
2000年3月。
世界選手権ニース。SP2位、FPはミスを連発し、最終結果4位。

2000年10月。
日本GPを優勝しタイトル決定。
2001年3月。
世界選手権バンクーバー。SP1位、FP1位。タイトル獲得。

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1997年から、私は、半年おきに落胆を繰り返した。
秋に、今年もミヒャエルがタイトルを獲れなかったと落胆し、春に、ジェーニャがタイトルを獲れなかったと落胆した。

2人には、共通点があった。
早熟の天才で、最高レベルの技巧の持ち主で、機械のように正確で、冷静で、「人間離れ」という類の描写をされた。
しかし、大きな弱点を持っていた。
プレッシャーに弱かった。

正確にいえば、ある程度までのプレッシャーには強い。しかし、最大級のプレッシャー、タイトルのかかった一番の勝負所では、毎回、「自滅」して、タイトルを逃し続けた。
2人揃って。

ミヒャエルは、超人的な執念と努力を重ねて、タイトルが手の届くところまで行き着くのに、毎回、自分からコケた。
ジェーニャが、1999-2000シーズン、公式戦全勝しながら、最後の最後にコケたとき、「自分の好きになった相手はそんなのばかり」という台詞が口から出た。

「図抜けた才能なのは間違いないし努力しているのに」と溜息をついていたが、4年目に、ミヒャエルは念願をかなえた。
その半年後、ジェーニャもタイトルを取り、私の「彼等が自分の目標を達成する日を待ち続ける日々」は、終わりを告げた。

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この後、2人は共に、勝利を重ね、「皇帝」という徒名を世間からつけられるほどの成功を収める。

2006年。
2月、ジェーニャはトリノ五輪で金メダルを獲得。
前回2002年初出場のソルトレイク五輪ではSPで4Tを転倒、銀メダルに終わった無念を晴らした。

9月、ミヒャエルが引退を発表。

翌2007年から、2人の姿は、競技の舞台から消えた。

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2009年。
10月、ジェーニャは、翌年のバンクーバー五輪を目指し、3年8ヶ月ぶりに競技会に出場。
ロステレコムで1位。12月、ロシア国内選手権1位。

12月。ミヒャエルは、翌年からメルセデスGPチームと契約し、3年ぶりに現役復帰することを発表。

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ジェーニャは、2010年バンクーバー五輪で2位となる。SP1位からFPで逆転負けした。

長年の競技の負担によって膝や腰(骨・関節系)に慢性的な故障を抱え、手術を繰り返しながら、競技生活を続け、2014年ソチ五輪に出場。
団体戦でSP2位・FP1位となり、ロシアの金メダル獲得に貢献。
4回の五輪に出場して、金2個、銀2個のメダルを手にする。

4日後の個人戦のSP開始直前、1年前に手術した腰のトラブルを理由に棄権。
直後、競技からの引退を発表した。

後日、腰に入れた人工椎間板を止めたボルト4本のうちの1本が折れていたという検査結果と再手術の予定を公表した。
(3/3 手術実施)

彼が現役中に受けた手術は合計12回に及ぶ。
文字通りの満身創痍になって競技ができなくなった末の引退だった。

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人工椎間板は、耐用年数が不確かで、この先、生涯に渡って手術を繰り返す可能性を想定しておかねばならないそうだ。(日本では実施されていない手術)
彼はなぜそこまでして競技を続けてきたのか。
痛みを抱え、繰り返し身体にメスを入れ、スケートはおろか日常生活に支障をきたす身体になるリスクを冒して。

「そういう人種」だからだ。
戦わなければ生きていかれない。

ミヒャエルも同じだった。

どれほど勝っても、飽き足りることがなかった。
レースをし、レースで勝つことを望み続ける。

倒れて動けなくなるまで戦い続ける。
生きている限り、どこまでも。

そういう性に生まれついたのだ。多分。

メルセデスとの3年契約を終えた2012年、43才で2度目の競技からの引退をしたミヒャエルは、1年後の2013年12月、プライベートで楽しんでいたスキーで転倒事故を起こした。

頭部に重傷を負い、事故から2ヵ月が経った今も目覚めていない。

ソチ五輪の開幕前、ジェーニャに思いを巡らすとき、ミヒャエルの影が私の脳裏を掠めた。

五輪メダルのコレクションをこれ以上増やすことが、身体をこれ以上傷つけることに値するのか。
もしかしたら、彼もまた命を縮めることを招いてはいまいか。

いや。
彼等から戦いを取り上げたら、何も残らないのだろう。

■■■

団体戦、ジェーニャのFP、"The Best of Plushenko"。
過去のプログラムのメドレーである4分半の演技の映像を見ている間、過去の様々な出来事が脳裏に去来した、という自覚はない。
ただじっと見つめていた。
私の内部から生じてくるものは感じ取らなかった。
ジャンプの回転数も回数もステップやスピンの出来すなわちエレメンツの評価も、プログラム全体の評価も、一切、意識をしなかった。

SPでは、プログラムの途中で「立ち止まる」のが気に入らなかった。動きとしてよくない、という「現在の評価基準」による評価を自分の内で下していたことを意味している。
けれども、FPでは、気に入らないという感情は、ひとつも湧かなかった。

私は、ソルトレイク五輪のFPも、トリノ五輪のFPも、バンクーバー五輪のFPも、当時、いいと思わなかった。
カルメンやゴッドファーザーという選曲は陳腐だし、タンゴ・アモーレも大差ない。プログラムに対しては延々不満を並べ続けた末にトリノの頃には諦めの境地に至っていた。
五輪当日の演技の出来も、3回とも、賞賛に値するレベルではない。

けれども、ソチでのFPには、不満や文句は、一言もなかった。
目に映るものすべてを、そっくりそのまま受け入れることができた。
すべてが、私の中に、すっぽりと入ってきて、満たした。

私が最も好んで繰り返し見た彼の演技の映像は、1998年スケートカナダのFPである。
もしもこの先、競技生活最後の演技を繰り返して見る日が来たなら、私は、とても幸せな観客であったということができるだろう。

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2001年2月、GPF。代々木体育館。
SP、ボレロのスタートのポーズ。
現在と異なり、写真撮影が自由だった時代。

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ジェーニャ(エフゲニー・プルシェンコ)のソチ五輪出場が確定した。

正式決定まで少々ゴタゴタしたが、私は、出ると思っていた。
論理的な裏づけのある予想ではない。長年贔屓でいた観客の、漠然とした勘。

彼には、今回の五輪に是が非でも出場したい理由があった。
史上初の母国開催冬季五輪で、彼自身が招致活動に携わった。

バンクーバー五輪終了時に、ソチに出たい、と明言し、その後の4年間、その意思が揺らぐことはなかったのだろうと思う。

もしも、開催地がロシアでなかったら、執念を持ち続けたかは疑問だ。
競技を続けるために、繰り返し手術を受けなければならなかった。
よくここまで持ちこたえた。

彼自身が、競技人生を満足した気分で終えることができれば何よりで、それがかなえばいいと思う。
でも、私個人は、彼がソチの会場の氷の上に立つことができれば、それでよしとする。
彼は、すでに十分すぎる成功を手に入れた人だから、これ以上の欲は持たぬ方がよい。

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ミネアポリスから17回目の冬。
思えば、この期間、私にとって、男子シングルとは彼のことだった。
彼が競技から去る今冬、時代の区切りがつく。